第五節 あちらとこちら

第24話:はかな市の裏を握る

 昔語りを聞き終えた青二は、出掛けに買ったカルピスソーダをひと口。飲み込んで、すぐに聞いた。


「それで今も、宝田さんに情報を流してるんだ」

「ああ。知りたいことは一つも分からないのに、それ以外はどんどん耳に入ってきやがる」


 情報屋と認めた格好だが、宝田との会話を聞いた青二に今さらだ。


「じゃあまだ犯人は分からないんだね」


 ここまで聞けば、当然に知り得る事実。素直に発せられた少年の言葉が、胸に杭と突き立つ。

 悔しさに「そうだ」と。たったそれだけの音が、かすれて消えた。


「船場なんかと付き合うのも?」

「悪い奴のことは、悪い奴に聞くのがいちばんだからな」


 学生や教員からの情報では、犯人に到達しなかった。この街からさいたま市辺りまで、どこで襲われたのかすら、未だに。

 だからそこで働く者、行きずり。どんな相手からも、話を聞かねばならない。

 だから大学を辞めて、古道具屋になったのだ。


「やっぱり悪い奴なんだ?」

「いい人じゃあないな。元は風俗の斡旋業者だったんだが、そういう連中・・・・・・の困りごと相談みたいなことをして人望を得た。原因が金でもメンツでも、即日解決だ」


 船場がいつ、どこからこの街へ来たのか誰も知らない。知る者は居て、語らないと言うのが正しいのかもしれないけれど。

 分かるのは最初からかなりの資金と、暴力を手元に置いていたことだけ。


「風俗の斡旋って、何すんの」

「あー……」


 話す相手が高校生と、うっかり忘れていた。昨今のませたガキなら、それくらい察せば良かろうに。


「客の好みに合う店や商品を選んで、連れて行くんだよ」

「へえ、便利だね」

「だろ? タクシー会社を飲み込んで、出会い系――恋愛相談所のコンサルを始めてからは一気だった」


 目の前の商売に関わる業種が経営難と思えば、直ちに乗っ取る。

 普通に考えればリスクも大きいはずだが、必要な物を見極めるパズルの才能があるのだろう。船場の財布は、みるみる膨れ上がった。


「駄菓子屋なんかは相手にしないけどな。アイスを運ぶ業者は、船場の傘下だ。そういう意味で言えば、この街に船場の関わらない場所なんかないんだよ」

「そんなになんだ。じゃあ」


 ドーナツ屋の資本が清掃や衛生関連の企業とか、回転寿司の機械を音響メーカーが作っているとか。

 普通の高校生はそんなことに興味がない。形無もそうだったし、環の件がなければ今も変わるまい。

 耳目に直接触れるだけを見ていたのでは、誰かの隠しごとになど辿り着けない。


「じゃあ?」

「じゃあ――」


 それほど多くを知らないが、教えれば呑み込みの早い少年。青二は何かに気付き、言いかけて「何でもない」と口を閉ざした。


「言えよ、気になるだろ。言わないなら、ここで降ろすからな」

「ええ?」


 車は既に神奈川県をかなり進んだ。走るのは高速道路なので、降ろすも何も停車さえ出来ないが。

 彼もそれは分かっているはず。ちょうど見えてきた箱根までの距離表示を眺めて「ふう」と、わざとらしいため息を聞かせる。


「そんなになら、船場に聞けば何もかも分かるって思ったんだよ。でもその代わり、船場に分からなきゃ誰も分からない」

「そういうことか。そうだな、俺もそう思ったことはある」


 一理ある。が、情報とはそれほど単純でない。

 たとえば隣の家に住む優しげな男が、何年も人を監禁していたとか。ままある世の中だ。しかもそれを、同居する親が気付かない。

 そんな馬鹿なと誰もが思う。しかしそれが真実ならば、親にはどうしようもない。床下に千両箱が埋まっていても、知らなければ使いようがないのだから。

 知る者しか知らない。言葉にすれば当たり前のそれが、情報というものの難しいところだ。


「ていうか、聞いたよ。何か知らないか、今からでも調べられないか」

「そしたら?」

「知らないとさ。事件は知ってるが、犯人に繋がるような話は聞いたことがないそうだ」

「そっか……」


 我がことのように、青二は肩を落として残念がった。最初に見た、ハリネズミのような威嚇の表情とはほど遠い。


「あれで船場って男は、曲がったことが嫌いらしいよ。まあそれも当人が言ってたんだけど」

「悪人にそんなこと言われても」

「ははっ、まあな。でもまあ環の話をしたら、任せろって言ってくれたよ」


 任侠ものが好きだったり、ステレオタイプな人物でもある。その男が、環とのことを皆聞き出して「任せろ」と言った。

 言葉はともかく、同時に発した舌打ちの表情が忘れられない。汚い物を蔑み、踏みつけんとする嫌悪がはっきりと見えた。


「任せろって、具体的には?」

「さあな。そのひと言だけだったし、何か分かったとも聞いたことはない。案外、俺に仕事をくれてるのがそうなのかも」

「面倒はみてやるから任せろってことか。それはそれで、形無さんには必要なんだろうけどさ」


 怒りや復讐心に頼って動ける時間など、どれほどもない。腹は減るし、眠らなければすぐに動けなくなる。

 毎日暮らすのに困らないだけの収入を得て、犯人の手がかりを待ち続ける。その為に船場の協力は、大きな意味を持つ。


「そういうことだ。俺も悪い意味で目を付けられたらと思うと、怖い人だがな。離れるわけにもいかんわな」

「お疲れさま」

「人ごとみたいに言ってくれるな」

「人ごとだもん」


 少年は不器用に、悪戯っぽい笑みを見せる。からかったのだから、お前も笑え。そういうことだろう。

 そういえば喋り疲れたわけでもなく、顎や頬の辺りが重い。喉にも緊張が残っている。


「よし小腹が減ったし、湯もちでも食うかな」

「何それ、おいしいの」

「ゆずの匂いがして、すごい柔らかくてな。いかにも和菓子、って感じの味が好きなんだよ」

「へえ、食べてみたい」

「残念だな、人ごとだからな」


 最初の目的地、箱根湯本までは間もなくとなった。

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