第22話:出会いの季節

 あれは、環が入学してすぐだった。新入生歓迎の飲み会があって、嫌々ながら形無も参加したのだ。

 講義よりもコミュニケーションのほうが大切だ、と。そう言う教授がメンバーに居て、断る選択肢はなかった。


「先輩、助けてください」


 第一声は、未成年なのに酒を飲ませようとする者から匿ってくれ。そういうものだ。

 二、三十人集まった中から、どうして自分にとは思った。見ればファッション誌から抜け出たような、小洒落た女。縦模様のセーターにスリムな薄いスカート。首の真珠っぽいアクセサリーが、極めつきだ。


 ――どうせそうやって、自分に従ってくれる男でも探してるんだろ。

 何の根拠もなかったが、決めつけた。付き合いの悪い中にも幾らか居る仲間うちで、そういう女に騙されたと聞いたことがある。

 でもなければ、自分を選択する理由がない。


「好きにすればいいさ」


 隣に座って、隠れ蓑にするくらいは構わない。言うと環はその通りにした。飲ませようとする者が来ると、「いまお話してるので」と断る。

 教授に酌へも行かず、一人で日本酒を傾ける形無は、近付き難い雰囲気があったのかもしれない。三年でもあったし、虫除けとして効果を発揮した。

 以後、学年不問の授業で、よく顔を合わせるようになった。

 不問だから居ても良いのだが、そうは言っても受けるべき順番のようなものはある。


「友だちと一緒には受けないのか?」

「みんな学部が違うんですよ」


 廊下などで同性の友人と談笑している姿は珍しくなかった。だのに同じ授業を受けている様子はない。


「まさか俺が居るのを目がけて来てる?」

「自惚れですか? そうやって決めつけるのは良くないですよ」

「だよな、自惚れだった」


 心底呆れたという環の表情は、童顔のショートカットに良く似合った。鼻に皺を寄せながらも、可愛らしいと思ったものだ。


「形無先輩。途中まで一緒に帰りましょう」


 週に一、二度。帰宅への同道にも誘われた。大学はさいたま市にあるが、はかな市へ帰る友人は居なかったらしい。

 一緒にと言っても、環はスクーター。形無は車での通学だった。どうしてもと言うなら送っても良かったが、彼女が明日の足に困ると断った。


「私のお父さん、刑事なんですよ。何でもよく知ってるのは認めるんですけど、すぐ決めつけて叱るから困ったもんです」


 そう言われては、家の前に行くのも躊躇われる。だからそれぞれ運転して、帰る途中のファミレスやファストフードに立ち寄った。

 話すのは、専ら環のほうからだ。多くは友人と遊ぶ中での失敗談。それに父親への苦情。


「二十五歳までには結婚しろとか言うんですよ。酷いと思いません?」

「そうかあ。お父さんにも考えはあるんだろうけど、言いっぱなしは良くないな」

「そうなんですよ、言いっぱなしなんです!」


 悩みの相談とまで、重苦しいものではなかった。不満に思う気持ちを吐き出し、友人との思い出を反芻して楽しんでいたのだろう。

 どのみち口のうまくない形無では、解決策も提示出来なかったろうが。


「形無先輩も何か面白い話があるなら、聞いてあげますよ」

「そんなにハードルを上げられたら、話せるものも話せないな」


 環は自分が話すだけでなく、そうやって冗談混じりに話題を引き出そうとした。だが彼女に聞かせたいような話題を持ち合わせず、いつも相槌程度の声を発するに留まった。

 それで十分、環と話すのが楽しいと思っていた。


「縦縞って、まあそうですけど。あれはリブニットって言うんですよ。こんなところで着たら、暑いじゃないですか」


 夏のレクリエーションだったろう。他の学生たちに混ざって、トレッキングに出かけた。形無は面倒に思ったが、環に誘われたので行く気になった。

 現れた彼女はトレッキングウェアの上下を揃え、カーキのアウトドアキュロットでばっちり決めていた。

 伸縮するストックもしっかり持って、適当にトレーニングウェアを着ていった形無が恥ずかしくなるほどだ。


「すごいな、山登りが趣味なのか? 雑誌に出てたような格好だけど」

「えっ、見たんですか」

「見たって、何を?」

「だから雑誌」


 頬を染めた環の反応がよく分からず、どういうことかと何度も聞いてしまった。彼女の話を理解してやりたかった。


「もう、白状しますよ。私、ファッションに疎くて。雑誌に載ってたのを、そのまま揃えたんです」

「疎いって、いつもおしゃれじゃないか」

「マネキン買いしてるだけです。変な格好して、形無さんに馬鹿にされたら嫌ですから」


 しつこく聞いたせいだろう。環は、ムッとして答えた。


 ――それにしたって、馬鹿になんかしないのに。

 よほど腰ミノでも着けてくれば何か言うかもしれないが、だとしても馬鹿にはしない。悲しく思ったことを訴えると、環は笑った。


「腰ミノって。あはは、そんなのどこで売ってるんですか。あ、私が着てくる可能性があるってことですね。酷い」

「例えばだよ、例えば」

「分かってます。あははは」


 ともすれば翻弄されていると感じる彼女。しかし環は、いつも形無を気にしてくれた。家族で旅行に行けば、自分の物より高価な土産を用意してくれたり。

 クリスマスは一人で居る同士慰めようと、何ヶ月も前から焼肉屋を予約してくれていた。


「うーん。お酒、飲んだら駄目ですかね」

「駄目だ。お前のお父さんに叱られる」

「叱られるかどうか、やってみなくちゃ分かりませんよ。決めつけは良くないです」

「決めつけじゃなくて、法律で決まってんだよ」


 周囲には交際相手と見る者も多かった。けれども互いに、そういう浮いた感情を口にしたことがない。

 誰だったかに「え、好きじゃないのか」と聞かれても答えに困った。

 好きは好きだが、男女の仲としての気持ちでない。懐いてくれる後輩を可愛く思い、何かにつけ良くしてやろうと考えるのは普通のことだ。

 その会話が年明けだったろう。変化があったのは、学年が一つ上がってすぐだ。


「形無さん、忙しそうですね」

「そう見えるか? 単位は足りてるし、もう卒論を書き始めるかって勢いなんだが」

「だって大学に来ないじゃないですか」


 いつになく不満を露わにした彼女を、不審に思った。

 答えた通り、出席すべき授業の数は激減している。それでも毎日が休みということはない。まだまだこれからの環の目には、来ていないように映るのかもしれないが。


「何か用があるなら言ってくれよ。断ったことなんか、あんまりないだろ」

「わざわざ来てくださいなんて、私からは言いにくいじゃないですか」

「なんでだ? 遠慮するなよ」

「遠慮っていうか――」


 遠慮や気兼ねでなければ何か。察すべきところがあるのは分かったが、はっきりしない。


「分かった。成績が悪くて、手伝えっていうんだな。そんなのいつでも言えよ」

「違いますー。そうやってありきたりなところで決めつけて言うの、お父さんにそっくりです」


 拗ねた素振りをするものの、機嫌を損ねているわけでないのは表情で分かった。不満というか不安というか、そんな感情が向くのは、形無以外の何からしい。


「もういいです。でもせっかくスマホに替えたんだから、ニャインくらい入れといてください」

「ソフトは入れたんだけどな。ユーザー登録がよく分からなくて」


 流行りのコミュニケーションツールを、いつでも繋げられるようにしてくれと。少し前から言われていた。

 しかし意思疎通が常時出来るなどと、息苦しいように感じて気が進まない。だからやれば出来るのかもしれない登録作業を理由に、遂行を先延ばしにした。


  ――電話とメールで必要十分じゃないか。

 そう思ったのだ、この時は。

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