第19話:両親の許へ
「形無さんて、休みの日も酒を飲まないんだね」
土日は世間並みに、ゆっくりと自宅でくつろぐ。と言いながら、結局は時間を持て余して、古道具の修繕を始めるのが毎度だ。
青二と同じくコーラを飲みつつの作業に、少年が疑問を持ったのも無理はないのかもしれない。
「ああ。酒を飲むのは嫌いなんだ」
翌、月曜日。年輪工房に榧材を持って行く。友野には買い取った古道具に紛れ込んでいたとだけ話し、約束通り百五十万円で引き取ってもらった。もちろん消費税は別として。
写真で値踏みしていたよりも状態は良かったようだ。義理堅い友人は、もう少し金額を増すと言ったが、断った。額を提示したのは友野だが、それでいいと決めたのは自分だから。
「順当な値付けを出来ない俺が、損をするのが妥当なんだよ」
「それは道理だけどな――」
友だち同士のやり取りでくらい、そう堅いことを言うなと。友野の申し出はありがたいが、だからこそ相場を見極める眼力を得ておきたいのだ。
「おまけをしてもらったら、教訓にならないからな」
「そうか? まあ、また別の何かで返すさ」
「奢ってくれなくていいから、焼き肉でも行こう。若者も居るし」
その若者二人は、旋盤で何やら工作をして遊んでいた。仲のいいのは結構だが、そういえば青二に友人は居ないのかなと思う。
親の事情があっても、束縛しているわけでない。学校で仲の良い誰かくらい、一人や二人ありそうなものだ。
「誰かと遊びに行く約束とかないのか? 家にさえ帰らなきゃ、俺に付きっきりで居る必要はないんだぞ」
帰り道に聞いてみると、少年は苦笑して答えた。
「人付き合いが下手くそでさ。酷い言い方になるけど、面倒になっちゃうんだよ。その場に居ない奴のことを悪く言い合ってるのに、何で仲のいいふりをしてるんだって」
「そんなのが見えると、たしかになあ。気にするな、俺も友だちなんかほとんど居ない」
珍しく励ましてやったのに、青二は声を出して笑った。
「形無さんは人間より、古道具を相手にするのが好きなんだろ」
「そうか? そんなつもりはないんだが」
深く考えてでなく、軽口で言われたことだ。苦笑いと、加減をしたデコピンで返しておいた。
同じ日の午後。自宅の縁側に座り、こちらからは滅多にかけることのない相手に電話をかける。二回目の呼び出し音が終わる前に、応答があった。
『どうした』
「お預かりしてる浅井青二なんですが、話したいことがあると言うので」
『そうか、代わってくれ』
はきはきとした、大きすぎない大きな声。船場の口調が乱れたのを、聞いたことがない。
「オレです」
ガラホを渡してやると、青二は堂々とした態度で話し始めた。
「両親の借金を、オレが払おうと思って。少し足りないですが、残りもどうにかします」
四分の一も足らないのは、少しと言わない。とは、大人の野暮なつっこみだろう。
いくら船場でも、高校生に滅多なことはすまい。かつて少年が評したように、とても一般人とは思えないが。相手がおかしなことをしなければ、船場も何もしない。あれで真っ当な話の出来る人間だと、形無は位置付けている。
「分かりました。じゃあ明日」
いくらか問答があって、話がついたらしい。青二はガラホの通話を切った。
「明日、会うことになったのか?」
「うん。あ、ごめん勝手に決めて。形無さんも連れてこいって言ってた」
「それはいいけど。父親の件は水に流してくれるって?」
会うと言うなら、金を受け取るということだ。受け取るのなら、青二の要求を呑むということだ。
そう思って聞いたが、彼は難しい顔で首をひねった。
「よく分かんないんだ。金を作ったのか偉いなって褒めて、受け取るだけは受け取るって。足らない分も持ってくるまで、返す意味はないってことかな?」
「いやあ、そういう屁理屈は言わないと思うんだがな。ケチを付ける気なら、会うとも言わないさ。たぶん」
幸いと言って良いのか迷うが、形無は船場と揉めたことがない。他の誰かとのやりとりを直接に見たり、話に聞いたのは数え切れない。
そういう中で、小細工とかごまかすとかいうのを嫌う人間だと判断していた。
「そっか。どっちにしても、着いてきてくれるんなら心配ないね」
言いながらガラホを差し出す手が、震えている。笑みも無理に作ったもので、強張った。
「ああ、心配ないさ。昼飯にするか」
気付かぬ素振りで受け取り、言った。何を食うのか聞き返されることなく、二人は自然と廊下の倉庫へ足を向ける。
たくさんある買い置きの中から、ほぼ同時につかんだのはカップ焼きそば。
「オレが作るよ」
「作り方、知ってんのか?」
からかって問うと、少年は自信ありげに鼻で笑う。
「見れば分かるよ」
◇ ◇ ◇
翌朝。午前九時の約束ちょうどに着くよう、軽トラを走らせた。場所は浅井家。青二の住む家だ。
「暇ならまた遊びに来い。手伝いなら、いくらでもさせてやる」
「うん」
言葉の少ない青二に、声をかけた。船場が聞き入れたなら、両親は戻ってくる。すると青二も家に帰れる。帰りたいとは思ってなかろうが。
――これでまた、静かで気楽な一人暮らしだ。
彼と話すのに、それほど気遣いは必要なかった。楽しいと感じた時間も多くあった。
だがやはり、一人がいいと思う。独りで居るべきだと、形無は考える。
「形無さん。あんた、古道具屋だけが仕事じゃないよね」
「……ええ?」
「とぼけても駄目だよ。船場なんてのとつるんで、へ太郎とか商店街の人とか、普通の大人は話さないことばかり話してる。誰も気にしないような物を写したり、メモったりさ」
どうして気付かれたのか。背すじにぞくっとしたものを感じたが、顔には出さない。出していないはずだ。
「何で分かるんだって思ってるだろ? そりゃあ分かるよ。ひとつずつは何てことないけど、積み重ねれば名前も知らない誰かの行動記録になってる。パソコンでも買って、隠しファイルに記録したほうがいいと思うよ」
集計は青二が去ってからやろうと思って、記録はバラバラに保管していた。ただし彼は、記録するのを全て見届けている。
放りっぱなしのメモと記憶を取り纏めて、推論を立てたようだ。
「へえ、隠しファイルなんて作れるのか。実はパソコンは持ってるんだ。今度、機会があったら教えてくれよ」
「認めるってこと?」
これだけ勘付いたものを、間違っているなどと言っても意味はない。記録を取るのは違法でも何でもなく、そこまでは認めても良かった。
「何を認めろってのか、よく分からんのだが」
しかしとぼけた。情報屋などと、裏の稼業を知る必要はない。知らなければ無関係で居られるのに、知ったが為に割りを喰う。そんなことは世の中にあるのだ。
「そっか……」
少年は悲しげに微笑んで、視線を膝に落とした。
沈黙のまま到着した浅井家は、はかな市駅を目の前に見る分譲マンションだった。十四階建てで、一フロアに三世帯の構造だろう。
ベージュのタイル張りの壁を横目に、備え付けの来客用駐車場へ。
――新築で三千万てとこかな。
化粧板のふんだんに使われたエントランスは、逆に安っぽい。二基あるエレベーターに乗ると、青二は六階のボタンを押した。
振動はないが、エレベーターシャフトの空気が漏れている。やはり安物の機械を使っているようだ。降りるとエレベーターホールはなく、すぐに各戸へ通じる通路だった。
――造りが雑だな。ああ、ほら。内壁の塗りも、荒っぽいじゃないか。
そんな風に、目につく物を何もかも値踏みしていった。そうでもしなければ、うっかり口走ってしまいそうだった。
大金をはたいてまで、帰りたくない場所へ帰るのかと。
だが青二の一生に責任を持つことなど出来ない。そんな覚悟もない。
だから口を、真一文字に引き結んだ。
「ただいま――?」
自前の合い鍵で、青二は玄関の錠を開けた。先に着いたのかと思ったが、中には船場の物らしき革靴が脱いであった。まっすぐダイニングへ進み、磨りガラスの嵌った扉を開ける。
と、テーブルに着いた浅井夫妻。立って窓から外を眺める、船場の姿があった。
「きっちりちょうどだな、形無」
「はあ、どうも」
振り返った船場は、にこやかな表情を見せた。たいていの者は気付くだろう、あからさまなビジネススマイルだったが。
「あの、船場さん」
「急くな、青二。必要なことは私が話してやる」
少年を見る眼は、優しく思えた。きっぱりと制しはしたが、決して剣呑ではなかった。
「さてご両人。今日は嬉しい話がある。君たちの息子が、借金を肩代わりしてくれようと申し出てくれた」
話しかけられた浅井夫妻は、いかにもな愛想笑いをする。着ているのは、吊るしで三万円前後のスーツ。先回会ったときは違っていた。
若干の疲労が窺えるものの、週末のサラリーマン然としたものだ。何も知らぬ者なら、厳しくやられてるなと笑って済ませる程度。
「青二。持ってきたか?」
「は、はい。でも五十万円足らなくて」
友野が渡してくれたまま、茶封筒に入った現金。受け取った船場はすぐに取り出して、ざっと数えるように指で弾く。
「うん、それくらいあるらしい。その歳でこれだけの金を用意するとは、大したものだ。仮に誰かから借りたにしてもな」
諭吉の束は、封筒に戻された。それを船場は、浅井夫妻の目の前へ置く。
「息子が用意してくれたものだ。ありがたいだろう? これで君たちを帰してくれと言うんだ、泣かせるじゃないか」
「あの、足りない分はまた用意します。だから――」
黙っていろと言ったはずだ。そう示すように、船場の手が青二へ突き出される。
「どうする? 君たちの判断を尊重しようじゃないか」
夫妻への声は、冷たく平たい。いっそ罵声のほうが、まだ体温を感じられよう。
夫も妻も、すぐには答えなかった。じっと封筒を睨み付ける。
見覚えがある目付きと思ったが、虐待された犬と同じだった。保護されても人間を信用せず、与えられた食事を不審に眺める目。
「青二。ありがとう」
口を利いたのは、父親。最初に発せられるのが感謝の言葉と、青二は予想していただろうか。
ヒクヒクっと、痙攣したこめかみの辺りが物語る。
「父さんたちな、正式に船場さんの下で働くことになったんだ。借金の為とかじゃなくて」
「え、じゃあもう返さなくていいの?」
思わぬ答えだったが、青二は冷静に返した。どういう取り引きがあったにせよ、借金の為でないと言うなら正しい理解と言える。
「いや、給与からの天引きという話だった。しかし返してくれると言うんだ、こちらとしても早いほうがいい」
用意されたセリフはそこまでだったらしい。父親は押し黙り、また船場が答えた。
「残りの五十万も、きっちり両親から返してもらう。青二、お前はもう何も心配する必要はない」
「そ、そうなんだね」
その程度なら、天引きで知らぬうちに返し終わっていたという風にもなろう。安堵の顔をした青二に、船場は何を思ったかまた封筒から現金を出して渡した。
「えっと――これは何?」
「お前も十八だろう。遅かれ早かれ、親元を離れることになる。そのときに纏まった現金のあるほうがいい。早すぎるとは思うが、私からの
何を言っているのか、さっぱり分からない。
青二はそんな様子だったが、形無も同じだ。困ったらいくらかでも助けるつもりだったのに、船場の意図を読み取ることさえ出来なかった。
「え、ど、どういうこと? 借金は?」
「百五十万はたしかに受け取った。残りはお前の両親が、正規に私の部下となって返す。ただその為に、もうしばらくは家に帰れない」
颯爽と大股で、グレーのスーツの男は玄関へと歩き出した。再度の解説の最後に、「そうだな?」と念を押して。
「そういうことなんだ。悪いけど、もうしばらく形無さんのところに居てくれよ」
父親も言って、席を立った。母親も、ため息を吐きつつ続く。
「そういうことだ形無。追加の滞在費は、また後で請求してくれ」
青二と二人、戸惑う間に三人は去った。どういうことかと声に出した気もするが、改めての返事はなかった。
誰も居なくなった浅井家は、片付いていて殺風景だ。必要な家財の他には、雑誌の一つも見えない。
酷く寒々とした空気を感じて、夏だというのに震えた。
「青二、帰ろう」
その代わり、誘いの声は自然に言えた。少年は動転したままの目で頷く。
――第一幕:戻りたい放埒の日々 終――
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