第15話:父の言葉

 意外。でもないのかもしれないが、見習いの女性と青二は話が合うらしい。


「そうそう。このアプリがあると、データの名前を簡単に変えられるんだよ」

「イイネ。動画ノ名前、分かりやすくナルヨ!」


 隣に座って、スマホの詳しい使い方を教えている。が、無関心を装った。


 ――アプリってソフトウェアのことだろ、知ってるさ。

 などと負け惜しみを胸に浮かべながら。

 聞き耳のおかげで、女性は名をルーエンというのが分かった。一年と少し前にベトナムからやって来たことも。


「外国人技能実習ってやつ?」


 淹れてもらったベトナムコーヒーを、ひと口。冷たい中にも、練乳の甘さがしつこく感じた。しかし口を離してすぐ、また飲みたくなる。

 同じようにしてグビグビ飲む友野が、問いに答えて頷いた。


「そうそう。僕みたいな個人のとこにも来るんだな。木工協会から『一応』って、書類を出させられた覚えはあるけど」

「それだけ、お前のとこが模範的なんだろ」


 お役所的な評価はともかく、友野の工房は業界関係者に評判がいい。木材関係だけでなく、鉄工方面にも。

 資材に関して知りたいことがあるとき、愛すべき友人の名を勝手に拝借する。すると初対面での信用度が、格段に違うのだ。


「でもさ。技能実習なんて言っても、実際は出稼ぎって聞いたよ。一人で日本まで来て、大変だよね」

「青二、それはさすがにだ。言葉を選んだほうがいい」


 多くの日本人の理解は、そんなところだろう。しかし現実とは違う。


「あ、ごめん。馬鹿にするつもりじゃないんだ。オレが一人でベトナムへ行けって言われたら、無理だなって思って」

「ホメてくれたのネ。アリガトウ」


 ルーエンは気にした素振りを見せなかった。年来差そのまま、優しい姉といった風に微笑む。


「ベトナムはね。賃金と物価のバランスを考えたら、もう日本とそれほど違わない。ルーエンたちが来るのは実際に、技術を身に着ける為なんだよ」

「へえ、そうなんだね。さすが父さんに聞いた話は間違ってるや」


 息をするように、親への非難が口に出る。その気持ちは分かるし、言っている自覚もないだろう。

 よその家庭に口出しするつもりはないが、そうなってしまった少年を不憫には思う。


「青二。お父さん、好きナイノ?」

「え? ああ、うん。オレがっていうより、父さんがね。居ないほうがいいと思ってんじゃないかな」

「ソウ……」


 靴墨で塗ったような濃い眉。悲しげに下がったそれが、すぐに跳ね上がる。


「ルーエンのお父さんもネ。トテモ厳しいヨ。大人だったラ、自分で生きロッテ。おうち、追い出されたヨ」

「追い出されたって、ベトナムに帰っても家がないってこと?」

「ソウヨ。自分のおうち持ったラ、帰ってもイイッテ」


 それは酷くないか。それともベトナムでは当たり前なのか。青二の眼が、向いて問う、

 うろ覚えだが、ベトナムの持ち家率は二割ほどだ。若い世代にも居なくはないが、日本で言うベンチャー企業の経営者に限られる。

 ただ日本人ほど、家を所有することに拘らないと聞いた。


 ――たぶん彼女が言われたのは、「自分の家庭を築いたら」だろうな。

 その時には言葉の齟齬にも気付く。ルーエンの父親は、そう考えたのかもしれない。

 青二には、よく分からないと首をひねって見せた。


「それはつらいね。ずっとここに居られるんなら、そうすればいいよ」

「青二、アリガトウ。新しいビザ貰えたカラ、二年ダイジョブヨ。ソレだけ頑張ったラ、おうちナくてもお父さん許してくれるカモネ」


 ルーエンの父親は、厳しくとも冷たくない。技能実習で日本に来られている時点で、身元がしっかり証明された証拠だ。

 彼女にもしものことがあれば、明日にでも日本まで駆けつけるのではと想像できる。


 ――青二の親はなあ。

 帰国の期限を聞いて、少年は複雑な表情を浮かべた。

 二年後、彼は二十歳になっている。例えばその時、ベトナムへ留学しなければならないと誰かに決められた。そんな風に考えれば、二年という時間が長いか短いか味わえるはずだ。


「二年かあ――」


 青二は何か、苦い胃薬でも口に含んだような顔をした。

 その後もう少し休憩をして、年輪工房の作業が再開された。友野は、かかっていた木材の磨きを。ルーエンは椅子の設計を。

 そうして見ると、二人が揃いで着るツナギがよく映えた。明るいグレーというのも清潔感があっていい。


「青二くん、興味があれば見ていくといいよ」


 お言葉に甘えて、三十分ほど居残った。形無には幾らも見た光景だが、青二は興味深そうに手元を覗く。


 ――友野に弟子入りするとでも言い出すかもな。

 そう思えるほど、眼が輝いていた。


「青二クン、マタネ」

「えぇ、俺は?」

「形無サンもヨ」


 見送りを断ったので、二人ともその場で手を止めるだけだった。互いに、遊びに来たのでない。


「ねえ、形無さん」


 軽トラに乗り込み、走り出すや。青二が口を開いた。

 涼しい林間といえ、閉め切っていた車内は暑い。冷房を操作する暇だけ待たせて、声を返す。


「ん、どうした?」

「あのさ、すごい変なこと聞くんだけどさ。図々しい話なのも分かってる」

「うん、何だ?」


 いつもより少し落とした声の調子。前置きなく斬りつけるようなことをせず、多分に用意された枕ことば。

 並々ならぬ覚悟を感じさせて。いや、今まさに練り上げながら、青二は言った。


「榧を売ったお金。オレが貰っちゃ駄目かな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る