第三節 両親の許へ

第13話:山間の隠れ家

 形無の家から、およそ二時間。そろそろ長野県も近い辺りで、ようやく軽トラを停めた。


「ここ、何?」


 降りて目の前のログハウスを見上げ、青二が問う。

 町道から入った私道は、いかにも手作業で塗った風のセメント舗装。五十メートル足らずを進む間に、周囲をすっかりと森林の只中に変貌させる。

 そんな場所へ建つにしては、大きな建物だ。居室の三つある一軒家を、二つ合わせたほども。


「何って、言わなかったか?」

「聞いてない」


 いつもの物怖じしない口調で言われ、記憶を手繰る。


 ――そうか、朝はまだだんまりだった。

 道半ばで冷戦が集結したので、それから何もかも話したつもりでいた。

 しかしそれなら、自分で理解したほうが楽しかろうとイタズラ心を芽生えさせる。


「見ての通りだよ」


 元は流行りのころに建てられた、ペンションと聞いている。廃墟になっていたのを、今の持ち主が修繕したのだ。

 おかげで駐車スペースは五台分あって、中の造りも広々している。団欒の場だったろう部屋は、今や立派な仕事部屋だ。


「分かんないから聞いたんだよ」

「書いてあるだろ」


 二枚引きのサッシが、ここの正面玄関だ。形無が初めて見たときには可愛らしい木の片開き戸だったが、いつの間にか交換されていた。

 嵌められた二重ガラスにはスモークフィルムが貼られ、中の様子が分からない。ただ看板代わりに愛想のないゴシック体で『KOBO NENRIN』とある。


「コボ、ネンリン? これで何を分かれってのさ」


 ムッとした答えに、笑ってしまう。

 本当に用のある者は、名前の表記など気にしない。と、過去にここの主は言っていた。


「取って喰われやしないから。入ってみろよ」

「入っていいんだね。入るよ」


 躊躇なく、サッシは開かれた。

 中は綺麗に水平の出されたセメントの床。梱包の解かれていない木材や、細かな資材の置き場所になっている。


「ん、木で何か作るとこ?」

「そうだ。年輪工房ねんりんこうぼうって、知り合いの友野とものって奴がやってる」

「工房ね――」


 合点のいったらしいところで、奥に友野が姿を見せた。またサッシに隔てられた、続き部屋だ。

 にこやかに手招きするので、青二を先にして奥へ進む。


「いつもこの時間に来るよな」

「昼飯を狙ってるわけじゃない」

「問いもしないのに、語るに落ちるなよ」


 中肉中背。年齢も含め、形無とよく似た背格好の男だ。頬骨が浮いて見えるのは、住む場所のせいだろう。


「まあ用意させてるから、食ってけよ。ええと、その子は?」

「ちょっと縁があってな、知り合いから預かってる。青二だ」


 いつの間にか脇に移動した少年を紹介すると、緊張した面持ちがヒョコっと下げられた。


「聞いたよ。お手柄だったな」

「いやそんな。偶然です」


 ここへ来た目的は、例の榧材だ。青二には告げていなかったが、察したらしい。木工工房という時点で、当然なのかもしれないが。


「あれを買ってくれるの?」


 と、あちらに問えば良いものを、少年は形無に目を合わせて聞く。


「まだ分からん。昨夜メールで聞いてみたんだよ。写真も送ったけど、やっぱり小さくて分からなくてな」


 形無はデジタル機器の扱いが苦手だ。やって出来なくはないのだろうが、説明書を見た途端、億劫になってしまう。

 紙の冊子ならまだしも、画面に表示されるものは読んでみようという気にもならない。


「メール? 写真が小さい?」


 昨今の高校生は皆、そういう物の扱いが得意だと思っていた。しかし青二は、どういうことかと聞き返す。

 下には下が居るものだ。口にも表情にも出さないが、密かに優越感を得た。


「ええとケータイで写真を撮ってな、送れるんだよ」

「そんなの当然じゃん。何でメールなんか使ってんのかってこと」

「メールなんか?」


 形無のガラホに、他者と通信する方法は三つしかない。本来の機能である電話。それ以外に、メールとショートメッセージだ。


「んん? 形無さん、スマホ見せてもらっていい?」

「ああ」


 意志の疎通に、何やら重大な齟齬がある。きっと自分の知らない常識が、問題となっている。

 笑いを堪える友野の姿を見るに、そういうことらしいと当たりをつけた。


「ガラケーじゃん……」

「い、いや。ガラケーじゃなく、ガラホって聞いたぞ」

「そんなの同じだよ」


 開いた口が塞がらない。あの慣用句の実例はこうだとばかり、青二は冷たい視線を向けた。


「分かってもらえたか? 現物を持ってこれないのは仕方ないが、せめて解像度の高い写真くらい見せてもらわなきゃな」

「うん。ごめんなさい」

「何で青二が謝るんだよ。いや俺も何もしてないし」


 なるほど、責任のない青二が謝るというギャグなのか。そう理解してツッコミを入れたが、また冷たい視線が向く。


「えぇ? 何か、すまん」


 とうとう雰囲気に流された。観念して謝罪すると、友野が声を出して笑う。

 それで初対面の緊張が失せたのかもしれない。青二も噴き出した。


「ぷふっ。別に謝ることじゃないって」

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