第12話:放棄

 翌日。午前十時ころに家を出て、軽トラを西へ走らせた。飯能市から秩父へ抜け、さらに奥へと向かう予定だ。

 むろん助手席には、青二が座る。ちらり、横目で盗み見ると、少年は窓の外に流れる景色を追っていた。

 次第に濃くなっていく、山の緑。眺める表情からは何も読み取れない。プラスにも、マイナスにも。


「腹減ったとか喉が渇いたとか、言ってくれよ」

「そんなに飢えてない」


 昨夜の減点が、今日も続くだろうと思った。食事は黙々と食ったし、他にも必要最低限の会話しか存在しなかった。「コンビニに寄っていいか」と聞いて、「うん」と返事がある。その程度だ。

 両親の部屋だったのを寝室として使わせたが、それにも何も言わない。ベッドと和箪笥がある他に、何もなかったせいもあるだろうが。


 ――あのまま、むっつりかと思ったんだが。

 そも、にこやかなタイプでない。形無も人のことを言えないけれど。

 朝食に湯を沸かしていると、彼も部屋から出てきた。たった今起きた風ではなかったが、寝付けなかったのでもなさそうだった。

 一人でウロウロするのを遠慮して、形無が活動し始めるまで待っていたのだろう。

 風呂はないのか聞かれて、案内していないのを詫びた。自分は気が向いたときにシャワーだけを使うので、意識していなかった。


「今朝は菓子パンだったけど、あれで良かったか?」

「何でもいいよ」


 ご機嫌伺いを兼ねて、日常の話を振ってみた。これを果敢と呼ぶのか、無謀と呼ぶのか。後者の気もしたが、討ち死には免れたようだ。


「俺はいつもパンとかラーメンとか、外食ばかりなんだよ。お前は普段、何食ってんの?」


 ――これはさすがに地雷か?

 二週間も預かるのだから、食の嗜好くらい知っていても良かろう。自分に言いわけをしつつ、再度の挑戦。


「何、って。母さんの用意した物だよ」

「――そりゃそうか。その中でも好きな物とかあるか? これだけは食えないとかも」

「ええ? どうしたのさ急に」

「そりゃあ、お前。鶏肉の食えない奴を焼き鳥屋に連れてくとか、最悪だろ?」


 母親の用意した食事を息子が食べる。至極ありふれた。しかしそれだけはないだろうな、と除外していた答えだ。

 青二の家庭環境は崩壊していて、それこそゴミをあさっているとでも言われたほうがまだ納得できた。


 ――それにしては健康そうなんだよな。

 出会ってもうすぐ、丸一日になる。その間、動作や顔色に違和感を感じなかった。


「うーん」


 こちらの言い分に納得したらしく、青二は思考に眉を顰めた。

 その唸り声は、幾分か続いた。何でもいいとは遠慮でなく、本当に無頓着らしいなと理解する。


「ピラフと、餃子と、からあげと、ハンバーグ」


 指折り挙げられたメニューは、まあまあ男の子らしいなと思えるものばかりだ。

 ピラフだけ炒飯に替えてもらえば俺も納得だ、と追従しようとした。しかし青二の言葉は続いた。


「ああ、あとホットケーキ。出てくるのはそれくらいかな。どれも似たような味だし、順位を決めろって言われても分かんないよ」

「似たような味?」


 何か聞き違えたか、耳を疑う。

 肉系統に偏ってはいるが、どれもはっきりとした味のあるものだ。


 ――味覚障害か? いや昨日の焼きそばは、まずそうにしてたしな。

 実際の症例を見たことはない。だがこの推測は、間違っているように思う。

 どうにか妥当な内容になるよう翻訳を試みたが、出来なかった。諦めて、ストレートに聞いてみる。


「ええと、悪い。からあげとハンバーグが同じ味って言ったのか?」


 今度は青二が、何を問われたのか理解しかねるという顔になった。

 けれどもあちらは数拍考えて、「ああ」と察したらしい。


「牛肉と鶏肉の違いくらい分かるよ。同じ冷凍食品を繰り返し食べるから、同じに感じるってこと」

「あー、コンビニ弁当ばかり続けてたらどれも同じに感じるけど。それと同じか」

「コンビニ弁当は分かんないけど、たぶんそうじゃない?」


 冷凍やインスタントの食品を、手抜きだとか差別するつもりはない。安上がりだったり、急ぎのときなど便利だろう。

 だが青二の言葉は、母親が出してくれるのは冷凍食品のみ。そういう意味ではないのか。

 しかも彼は「出てくるのはそれくらい」とも言った。


 ――おいおい、そいつは……。

 浮かんだ光景に誤りがなければ、さすがにおかしいと言ってよかろう。青二の母親が、そうするしかないほど忙しくしているのでなければ。


「そうか。仕事が忙しいんだな」

「え、母さん? ずっと家に居るよ。毎日テレビか動画見て遊んでる。母さんが食べたい物をチンして、残りをオレが食べるんだ」


 僅かな可能性も潰えた。

 浅井家の食卓には、青二の挙げた五種しか食事が上がらないのだ。しかも息子が食べるのは、母親の食べ残し。


「そうか――また親の話になった。悪かったな」


 酷い話をさせてしまった、という意味もあった。しかしあっけらかんとしている当人に、わざわざ言うことでない。


「いいんだよ。昨夜ずっと考えてたんだけど、形無さんは違うみたいだし」

「違う?」

「決めつけないだろ。形無さんはちゃんと、オレに選ばせてくれる。だからオレも、聞かれたことには答えないとって思ったんだ」


 ――ずっと黙ってたのは、それを考えてたのか。

 「ああ」とか「いや」とか声を出そうとして、鼻の奥がツンと痛む。一瞬だけだ。鼻の下をゴシゴシと、くすぐったかったようにごまかす。


「たしかに俺は、決めつけるのが嫌いなんだ。決めつけられるのもな。他人が俺を、勝手に定義するんじゃないって思う」


 少年は大きく頷く。もっともだと共感を示すように。


「その為に聞くんだろ? だからいいんだよ。その代わり、オレも聞くけど」

「いいとも」


 いつの間にか、秩父の中心部も通り過ぎていた。目的地まではまだまだ遠い。形無は尻をシートに押し付け、アクセルを踏み直す。

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