第8話:そこに居る

「知り合いって、ここ?」


 駐車場にはいつも通り何台分かの空きがあって、あっさり停められた。そこから商店街の入り口方向へ戻ったところに、古い商店がある。

 商品こそ段々と最近の物になってきたが、タバコと駄菓子とちょっとした雑貨と、何でも扱っている昔ながらの店。

 日が暮れるまでは、近所の小学生がたむろしていたりする。青二も覚えがあるらしく、タバコを売る窓の隣に設けられた扉を開け、さっさと入っていった。


「青二も何か要るか?」


 用件は普通に買い物だ。オレンジ色の蓋が付いたケースから、酢イカを三本。袋入りのピーナツを一つ。それとカップ酒を二本。

 カウンターに並べて待ったが、青二は何も要らないと首を振った。


「遠慮するなよ」

「してない」


 押し問答をしても仕方がないので、店主の老人に「これで」と精算を頼む。

 ネットに繋がっていない機械式のレジスターはガシャガシャと動き、立派にレシートを弾き出す。

 財布から千円札を二枚取り出す間に、商品は縦筋の入った茶色い袋へ入れられた。かなりの早業だ。

 お釣りを待ちつつ、袋の中身を確認する素振りで千円札を放り込む。これで準備が終わった。

 愛想が良いとは言えない「まいど」の声を背に、店を出る。袋は青二が持ってくれた。


「何のおまじない?」

「これがないと、話になんないんだよ」

「へえ……」


 誰と会うのか、察したらしい。青二は引きつりそうな頬を、どうにかなだめている。

 『アッと言う間に、人がワラワラ』出てくるような商店街に。というのが、アワワ商店街の由来だそうだ。

 その願いは、それなりに達せられているのではと思う。ホコテンになっているわけでない車道を、歩行者がウロウロとする。特にこの時間は通行を遠慮する車がそれでも通ると、誰もがサッと避けてまた元へ戻る。

 この界隈にだけ、照和しょうわの時代が続いているようだ。


「へ太郎だよね」


 そんなアワワ商店街の、はかな市駅から最も遠い入り口に、一人の有名人が居る。その男は往年の名作漫画をもじって、へへへのへ太郎と呼ばれていた。


「正解」


 彼は雨の日も雪の日も、ずっとそこに居る。深夜、飲み屋も含めた全ての商店が閉まると、いつの間にか居なくなる。

 しかし翌朝、商店の開く午前十時ころ。また同じ場所へ現れるのだ。

 何をするかと言えば、通る人を眺めている。それからバスやトラックといった、商用の車両には律儀に頭を下げる。

 何が楽しいのか、何の為か。知る者は、きっと居ない。


「あんな――あの人に何を聞くっての?」


 少年の口にしかけた「あんな人」とは、平均的な評価であろう。だがそう聞くと形無の感情を制御するどこか奥のほうが、キュッと締め付けられる気がした。

 悲しいとか切ないとか、そう言われて清々するとか。賛否のどちらとも言えぬ、微妙な心持ちにさせられる。


「まあそう言うなよ。ずっと同じところに居るってことは、誰よりあそこに詳しいってことなんだからさ」

「それはそうだろうけど」


 話しているうち、噂の男の姿が見えた。

 薄汚れて茶色になった、元は白いはずのシャツ。こちらは汚れているのかよく分からない、濃い紺色の作業ズボン。その上下に、季節を問わず薄いトレンチコートを羽織る。

 もちろん今日も同じ姿で、空のカップ酒を握りしめて立っていた。


「邪魔するよ」

「えへへ」


 へ太郎は、だらしない笑みで迎えてくれる。「ようこそ」なのか「何の用だ」なのか、実際の気持ちは窺い知れない。

 いつも同じ場所と言っても、周囲十メートルやそこらは移動する。今日は歩道橋の階段の下だ。

 結界でもあるかのごとく、この男が居る数メートル範囲を誰も通らない。その理由はもちろん、ボロ雑巾のようなコートを始めとした身なりだろう。

 けれども意外なことに、ホームレスにありがちな饐えた臭いはしない。成人した男が日がな屋外に居ればこれくらいは、という汗の感じだけだ。


「あ、今日は一人じゃないんだけどな。気を遣わないでくれ」

「えへへ」

「青二、それ渡してやってくれよ」

「う、うん」


 好奇の目が、少年には恥ずかしいかもしれない。それとも不潔そうなイメージへの嫌悪感か。

 青二は一歩で十二分の距離を三歩使って、買ったばかりの品物を手渡した。


「えへへ」


 誰から何を渡されても、断ることがない。四六時中を監視してもいないが、断られたと聞いたことはない。

 本名を石車いしぐるま陰実かげみというこの男は、形無の旧知だ。誕生日は知らぬものの、歳も同じ。

 痩せても太ってもなく、伸び放題の髭と髪を切れば、美形と呼ぶのもやぶさかでない。似たアイドルを考えるより、時代劇の悪役俳優の若いころという風で。


「足りなきゃコンビニで、おにぎりでも買ってこようか?」

「えへへ」


 茶色い袋をガサガサやっていた石車は、おもむろにカップ酒を取り出す。

 小さく震える手で取っ手を持ち、非力に苦心しながら蓋を外した。得心してくれたようだ。


「えへへへ」


 笑い続ける口許を汚しながら、透明な液体が半分ほど吸い込まれる。

 次に出したのはピーナツ。切り口がある袋を、わざわざ歯で千切った。やはり空腹だったのか、手のひらへザラザラッと山盛りにして食う。

 それからまた、酒の残りを一気に飲み干す。


「うまい」


 ぼりぼり音を立て、小さな欠片を溢しながら、満足そうに。

 感想を聞いて、目を見張ったのは青二だ。


「へ太郎が喋った――」

「そりゃあな」


 小さな声に「人間だもの」と、どこかで聞いたような返事をしかけた。だが口の利けない人も居る、と思い直す。


「なあ石車。最近、失くし物を探してる奴は居ないか? 木材なんだが」

「そうだねえ、ちょっと待ってよ」


 背に隠れた青二が、ビクッと身体を揺らす。この儀式・・をしないと、石車のまともな会話を聞くことはない。近所で育った少年も、初めて耳にしたのだろう。

 けれどもまだ足りなかったようだ。震えの止まった手で力強く、二つ目のカップ酒が開けられた。

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