第二節 縄張りへの誘い

第7話:素性はいかに

「何百万って、えぇ?」


 驚くのも無理はないが、事実だった。大きさも形も思うまま作れる鋼材に対し、木材は自然に育った樹木から切り出すしかない。

 中でも榧は希少で、この材を取った木はさぞ巨木だったろうと想像できる。


「ただの木が、そんなにすんの?」

「ホームセンターに行ってみるか? 無垢材は高い。大きくなれば、値段も跳ね上がる。中でも榧は特別なんだよ」

「疑ってるわけじゃないけど――だとしたら、何で家具の中に隠してあるのさ」


 問われた通り、榧材は隠してあった。その理由と原因は同じ。これは本来、ここに存在してはいけないものだ。


「それなんだがな――」


 拗ねて燻っていた青二の顔が、驚きに変わった。それが段々と、秘密の匂いへの興味に移っていく。

 男の子はいくつになっても、秘密基地とか隠し財宝とかが好きだ。


「これだけの榧は、もう日本じゃ採れない。肌目を見ると、古材が出てきたって線も薄い」

「うん」


 ごくり。青二の喉が、音を立てた。


「すると出処は、中国ってことになる。だがな」

「だが?」

「中国産の榧は、禁輸品だ」

「禁輸……」


 日本と中国大陸のごく一部にしか、榧は育たない。それが枯渇しかけ、輸出が禁じられたのだ。


「じゃあこれ、犯罪の証拠ってことじゃん」

「そうなるな。誰かが密輸したんだろうさ」

「それなら、お手柄どころじゃないよ。警察に言わなきゃ」


 聞こえた秘密が、彼の好奇心を上回ったらしい。紅潮した頬を冷まし、慌てて訴えた。

 善良な市民としては、たぶん正しい反応だ。高校生だからでもあるだろう。大人ならもう少し、すれた反応をする。

 フッと、心地のいい笑いが漏れた。


「まあまあ、落ち着け。中国からの輸出が禁止されてるだけで、輸入がいけないとはなってない」

「同じことでしょ」

「手に入らないって意味ではな。でもこいつは、銃や麻薬じゃないんだ。持ってるだけで罪になりゃしない」


 何を言われたのか理解しかねる。そういう風に、青二の顔は歪んだ。

 盗品や犯罪に関わる物の取扱いについて、形無も古物商の講習で聞かなければ、知らなかったかもしれない。


「要するに俺は、知らずに榧材ごとキャビネットを買った。売った会社も、知らなかったんだろう。でも買った以上は俺の物で、返せと言われる筋合いはない。法律にも、そう決まってる」

「それを見つけたから、オレの手柄ってこと?」


 青二は自分の顔を指さした。「そうだ」と言うと、曖昧に頷く。けれどもまた「でもさ」と聞いた。


「重いから気付いたんだよね。運び込んだとき、何で分からないのさ」

「搬入したトラックの奴が、荷降ろしまでしてくれたからな」


 これだけ重ければ、青二が見つけなくとも気付いたのは間違いない。だがそれを言うのは、コロンブスの卵の話になる。

 きっかけや巡り合わせがどうであれ、最初に到達した者は誇っていいと形無は思う。


「だからお前のお手柄なんだよ」

「形無さんの大儲けで、オレが役に立ったってこと?」

「そう言ってる」


 儲けはともかく。青二が見つけたことを、褒めているつもりだった。何度も、繰り返し。

 だのに彼は、なおも「そうかなあ?」と首をひねった。

 若いのだから、もっと調子に乗っても良いのに。遠慮で言っているのでなく、自分の成果など本当にないと感じているらしい。


「まあ高いだけに、すんなり売れるかは別の話だがな」

「そうかあ、難しいね」


 話を変えるとすぐ、関心の視線が榧材に戻った。触れてもいいのか、おっかなびっくりの様子でつついている。


「それに一応は、たしかめとく必要もある」


 ――たぶん、気のせいだ。

 突飛な話が現実に起こって、我がことと思えないだけだ。きっとそうだ。

 形無は、思い込もうとした。


「何を?」

「こいつを探してる奴が居ないか、だよ」

「密輸した人か。でもそんなの、どうやってたしかめるのさ」

「それは晩飯のときに教えてやる。今は掃除の続きだ」


 放り投げた雑巾を受け止めた青二は「教えてよ」と言いながら、目の前のテーブルを拭きにかかった。

 断ると「何だよう」と不満を言ったが、もう何もしないと言ったのを思い出したようだ。幾拍か手を止め、こちらを窺う。

 しかし素知らぬふりでいると、何ごともなかったように拭き取りを続けた。

 それからしばらく。頃合いを見て、簡単な分解もさせてみた。


「ここんとこが引っかかってるの、分かるか?」

「うぅん――ああ、お互いが押さえつけ合ってんだね。じゃあ、こっちを外せばいいんだ」


 器用かと言えば、そうではない。だが構造の理解は早い。きちんと教えて焦らせなければ、しっかりと戦力になる。


「そういうことだ。頭いいな」

「それはないよ」


 ――褒められるのが嫌い、か。

 気のせいではなかった。青二は自分が褒められると、どう対していいのか分からなくなるようだ。

 だから目に見える反応として、頑なに否定してしまう。どうしたものか答えのないまま、時間が過ぎていった。


「外食?」

「レストランでディナーとかじゃないから安心しろ。ついでに人と会うしな」


 二人で軽トラに乗り込み、坂道の県道を下った。山村めいていた風景は、すぐさま住宅地に変わる。

 密集した家々はどれも古びて、人や車の姿はまばらだ。まだ午後七時を回ろうかという頃合いなのに。

 圏央道をくぐると、ようやく市街地と呼んでも許されるように思う。人はともかく、車はそれなりに走る。信号待ちで、自分の前後に十台くらいは停まるのだから。

 さらに国道十六号を経て駅前通りへ入り、ようやく飲食店の灯りが目立ち始めた。


「オレの家、もう近いけどいいのかな」

「家に帰すなと言われただけだ。他に飯を食うとこもないし、しょうがない」


 屁理屈をこねるうちに危うく飯能方面へ向かいかけ、県道へ逸れる。ここが、はかな市駅前の繁華街。土地の者は、アワワ商店街と呼ぶ。


「食べる以外に、何かするんでしょ」

「そうだ。今日も居たから大丈夫だ」


 目当ての男の姿は、既に見ていた。賑やかな通りへ車を停めるわけにいかず、コインパーキングに向かう。

 居た。とは誰のことか気になったらしいが、青二は「へえ」と収めた。聞いたところで知っているはずがない、と思ったのだろう。


「俺の、知り合いに会うんだよ」


 その男との関係を知り合いと評するのに、一瞬の迷いを抱えて言った。

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