第5話:見えない本心

「さて、仕事続けるかな」


 カップ焼きそばだけで足らず、コーンマヨネーズのパンも追加した昼食を終えた。

 食べている間、青二は自分から幾つかの質問をした。ここはどこか。下の名前は何というのか。いつもカップメンばかり食べているのか。

 それぞれ答えてやると、それぞれに「へえ」とだけ返事をする。自分から聞いたくせに、興味などまるでないように見えた。


「仕事って?」


 ――また「へえ」って言うんだろ。

 雑談が嫌いなわけでない。しかし気のない返事ばかりでは、滅入ってしまう。


「庭見りゃ分かるだろ」

「家具がいっぱいあるよね。自分で作ってんの?」

「こいつらは仕入れた物だ。汚れてたり、壊れてたり。直してまた売るんだよ」

「へえ」


 やはり答えを得ると、その返事だ。がくり肩を落として、靴を脱いだ縁側へ向かう。


「中古屋さんか」

「まあ、そんなとこだ」


 ――あれ?

 何がお気に召したのか。作業靴を履くのに腰を下ろした背中へ、質問が続いた。


「ここで売ってんの?」

「いや、中にはわざわざ来る客も居るけどな。基本は市に出すんだ。中古品市とか蚤の市とか、聞いたことないか?」

「あー、チラシで見たかも」


 他人の考えることは、予測がつかない。面倒に思いながら、もう聞くなとは言わなかった。

 作業台から雑巾を取り、生真面目な顔を装いはしたが。


「店の名前はあるの?」


 仕事中という空気を醸し出しても、お構いなしのようだ。青二も靴を履き、置いてある品を物色しつつ着いてくる。


「そりゃ屋号はある。ないと、古物の届けも出せない」

「何?」


 密かに息を吐いてから、こんなときにだけ大人の気遣いを要求するのは卑怯と思い直す。まさに先ほど、青二が言った通りではないか。


「玄関に看板がかかってる」


 庭と玄関前は繋がっている。そちらを指さし、知りたければ見てこいと言った。青二は素直に、その方向へ軽く駆ける。

 勿体ぶったつもりはない。改めて聞かれると、自分で付けた名を口に出すのが恥ずかしくなった。


「古道具屋、巡り屋めぐりや?」

「そうだ」


 でかい声で読み上げるんじゃない、と注文をつけたかった。

 けれども、らしく・・・見えるように杉の一枚板へ墨書した看板。その前から庭に居る形無へ声を届けるには、適切な音量だった。


「隣のは、何て読むのさ。どくりつ――」

独立どくりつ不羈ふき。そっちの板は、俺の親父が書いたんだよ」


 ――そういや、そんな物もあったか。

 見られて困りはしないが、畏まって説明するのもまた恥ずかしい。問われる前に、こちらから謂れを話す。


「どういう意味?」

「誰にも縛られず、自分で決めて、自分でやり遂げる。だそうだ」


 手近にあった、小物を置く飾り棚を磨く。円形に囲った縁の真ん中が折れていた。節の残った材を使っているのが、修復の難易度を上げる。


 ――いっそ丸ごと取り替えちまうか。

 昨今この手の素材は、百円均一でいくらでも探すことができるようになった。


「へえ、すごいね」

「すごい?」

「自分で自分のことを何でもって。オレ、何にも出来ないよ」


 考えていたので、オウム返しになった。

 その返事が、例のため息混じりの疲れた声だったように思う。しかし聞き流してしまったし、青二の顔も見ていなかった。


「どうかしたか」


 聞いてしまってから、後悔する。彼の家庭のことも親のことも、してやれることなど何もない。

 見るとちょうど、青二はこちらへ戻るところだった。


「どうかって?」

「いや。俺はその言葉を、自由じゆう放埒ほうらつって書き換えたいんだ」

「勝手気ままってことかな。同じじゃん」

「まあな。気分の問題だ」


 うっかり口走ってなどいない。少年の顔が、そう取り繕っていた。

 本当に何を気に入ったのか知れないが、鬱屈した気持ちを青二は溢している。


 ――ああ、面倒くせえ。

 自分以外の誰かの人生を抱えるのは、二度と御免だ。形無は強く思う。だからこそ、自由放埒などと言いもした。

 ここに置いてやるから、適度な距離を保ってくれ。などという真意が、伝わることはないと分かって。


「あのさ、形無さん」

「んん?」


 今度は何を言い出すのか。彼には責任のない苛つきを隠して、短く答える。


「何か中国っぽいのが多いね」

「今はたまたまな。引っ越しとか不用品の処分とかやってる会社が、トラック単位で安く売ってくれるんだよ」


 中華街の店でも取り壊したのか、たしかにそんな品物が多い。その会社は建具や家具の受注もしていて、大工だった形無の父からの付き合いだ。


「あのさ」

「んん?」


 ほんの少し黙って、また同じように切り出した。言いにくいことを口にしようと、踏ん切りをつけているらしい。


「ええと。何て言うか、オレがここに来たのってさ」

「うん」

「形無さんには、いい迷惑だよね」


 小箱の蓋を開けたり閉めたり。視線をそちらへ落としたまま、少年は言った。半笑いで、吐き捨てるように。


 ――迷惑、には違いないが。

 正直に答えるなら、その通り。だが進んで人でなしと、後ろ指さされたいとも思わない。


「どうしたってんだ。仮に俺が迷惑だとして、放り出すわけにいかないだろ」

「まあ、ね。そうされたら正直、行く当てはないよ」


 自分でカップ焼きそばも作ったことのない者が、二週間も野宿を出来ると誇大妄想をしてはいないようだ。


「居ろよ。大したもてなしは出来んが、適当にやっててくれればいい」

「うん悪いね。だから、その代わりにさ」

「うん?」

「オレにも手伝わせてよ。その、古道具屋をさ」


 せめても対価のつもりなのか。無関係の形無に、自分や家の恥を晒すことへの照れ隠しなのか。心情を考えるには、他にも候補が多すぎる。

 だから青二の見栄が立って、当たり障りのなさそうな理由を提示してやることにした。


「何だ、やってみたくなったのか。それならそうと言えよ」

「そ、そうなんだよ。面白そうだし」


 アルバイト代わりに、こき使うつもりはない。だがそんなことでもしていれば、二週間という微妙に長い時間を、思い悩むのも減るだろう。


「んー、何が出来るかな。とりあえずどれも、埃を落としてやんなきゃいけないんだが」

「分かった、拭けばいいね」


 食事中、ここはどこかと青二は聞いた。あのヴェルファイアは、外の景色が見えなかったらしい。

 彼の自宅と同じはかな市と聞いてほっとしていたが、見知らぬ場所には変わりない。


 ――そんなとこで、ただぼうっとしてろってのも不安だよな。

 思えばカップ焼きそばを失敗したのも、まだ動転が収まっていなかったからだ。

 納得して、思うようにやらせることに決めた。掃除くらい、二度手間になっても構わない。

 見ていると一枚の雑巾を固く絞り、もう一枚は乾いたまま埃をはたくのに使っている。


「お。俺より手際がいいな」

「そうかな」


 へへっ。と年相応の笑みを見せて、青二は拭き掃除に集中し始める。

 それから二、三分。

 メキッ。乾いた木材の割れる音が響く。振り返る耳に、青二の後悔が声として聞こえた。


「あっ……」


 硬直した彼の手に、割れてささくれた木片があった。

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