第3話:頑なな少年

 細面だけを見ると、船場の息子かと思えた。だがそれにしては色白だし、彫りも浅い。だいいち歳の計算が合わない。


「ええと?」


 知らぬ誰かを船場が連れてきたことは、過去に一度しかない。というのも、報酬を持ってくる若い衆をだ。


 ――高校生を雇ったのか?

 まさかと思うが、咄嗟にそれ以外は思いつかなかった。こんな歳から、船場が仕事・・の相手にすることもあるまい。運び屋としては、まあまあ疑われにくいと納得しかけた。が、予想は外れる。

 少年に続いて、三十代に見える男女が降りてきた。二人はオドオドと周囲に目を配りながら、形無に向け頭を下げる。


「困ったことになってな。いや私じゃない、彼の後ろに居る両親がだ」


 だろうと思ったが、やはり三人は親子らしい。そっくりとまで言わないが、共に住む者に共通する空気感のようなものがあった。

 そしてたった今、船場の仕事に関わっているのは親のほうだ。ならば理解できる。


 ――で。俺に紹介したいのは、息子なわけね。

 この予想は外れてほしかった。けれども船場が話すのに、主体が息子になっている。


「大したことじゃない。ちょっとした借金を拵えたんだが、返す当てがないと言うんだ。そこで助け舟を出した。私の紹介する仕事をやってくれれば、その報酬でご破算にしようとな」

「はあ、なるほど」


 どうして借金を作ることになったのか。それは本当に助け舟なのか。

 腕組みで堂々と胸を張った船場に、聞きたいのは山々だが聞けない。聞いて何か良くなるとも思わない。


「ただその間、家に帰れなくなる。すると彼は、家で独りきりだ。そこで私は、信頼できる男を思い出したというわけだ」


 ――やっぱりか。高校生を預かれとか、面倒くせえ。

 誰も見ていなければ、地面に手を突きそうなほどショックだった。だが毎度毎度というならともかく、初めての頼みくらい受けねばなるまい。まして相手は船場なのだ。

 自分の迷惑を抜きにして、高校生なら一人で留守番くらい出来ようにとも思う。

 けれどもそうすると、近所の住人に親だけが居ない状況を勘付かれてしまう。それを避ける為と察せる自分が悲しかった。


「二週間、預ってほしい。何もないとは思うが、無事に終われば別に報酬も出す」

「そんなにですか。すると俺は二週間、仕事が出来ないってことに?」

「いやそれはいい。自分の家に帰る以外は、どう過ごさせても構わん。それこそ仕事を手伝わせてもな」


 やはり帰してはいけないと条件が付けられた。彼らの近所には、海外旅行に行く前振りでもしてあるのだろう。


「分かりました。そういうのは苦手なんですが、船場さんの頼みですから。でも本当に苦手なんですよ?」

「分かった分かった。別報酬とまた別に、うまい飯を食わせてやる」


 ――そういう問題じゃないんだがな。

 この手の頼みごとを二度としないでくれ、とは察してもらえなかった。船場は上機嫌でヴェルファイアへと戻っていく。

 見送りに庭の端まで行くと、少年の母親が白い封筒を差し出した。ついさっき、船場から受け取ったのと同じ物だ。


「これは?」

「息子をお願いします」


 質問に答えずため息混じりに言って、母親は車に乗り込んだ。

 遠目にも感じたが、若い。見た目に船場と変わらなく思える。何だか疲れた様子がなければ、二十代と言って疑う者はないかもしれない。

 父親は声もなく頭を下げ、妻に続いた。こちらはいかにも、アラフォーという感じがする。


「そいつは滞在費だ。好きに使え」

「食費ですね、分かりました」


 運転席の後ろ。進行方向とは逆向きに据えられたシートにゆったりと座り、意味もなく船場は笑う。

 対面する夫婦は緊張に縮こまった様子が、ありありとした。


「じゃあ青二せいじ。その男を困らせるなよ」


 スライドドアを自ら閉めようと、船場が身を乗り出す。

 そこへ少年。ずっと堅く立ち尽くしていた青二が、ぼそっと言った。


「誰がヤクザの言うことなんか――」


 語尾は声に出さなかった。代わりに空気が凍り、寒々しい沈黙が訪れる。それは主に、青二の両親を中心として。

 二人は唖然と口を開けた。ムンクの『叫び』も真っ青な風に。


「わはははは!」


 静寂を破ったのは、船場の笑声だ。形無は氷結こそしていなかったが、内心で「おいおい」と少年の迂闊を呪い、黙っていた。


「私がヤクザか。すまないが、そういう世界に飛び込む度胸はないよ」

「あの、船場さん――」


 子の無礼を詫びようと、父親が口を利いた。が、船場に手で制される。


「青二、幼いうちは失敗するのが仕事だ。しかし何も知らないで怪我をするのは馬鹿馬鹿しいと、そろそろ学び始めたほうがいい」


 降りたときのまま、青二は船場に背を向け続けた。

 その後ろで両親と繋がる空気を断ち切るように、スライドドアが閉まる。電動式独特の、ゆったりと淀みのない動きで。


「じゃあな」


 シートに座り直した船場は、手元のスイッチで窓ガラスを下ろした。もう青二の両親の顔は見えない。


「その男は、ものをよく知ってる。教えてもらえ」


 その言葉を最後に、ヴェルファイアは走り出した。閉まっていく真っ黒なガラスに、ちょっと手を上げた船場が隠れていった。

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