第2話:危険な男

 はかな市の中でも、住宅地から離れた小高い丘に形無は住む。

 田畑を眺めつつ峠道を登り、この先もう家がないなと思った最後にある家がそうだ。親からもらった古い建物だが、敷地は広い。

 小箪笥や文机、小物を入れる小箱などなど。おかげで仕入れた古道具を、存分に庭先へ並べることが出来る。

 いわゆるアンティークと違い、処分されそうな物を引き取って直し、また売るのだ。その為にどれをどう手入れするか、掃除がてら点検していた。

 昨日、墓参りの後に買い取った物だけでなく、二トントラックを満載にするほどの宝の山だ。


「ん――」 


 ピィンピィン。と縁側に放り投げていたガラホが、癇に障る高い音で呼ぶ。

 軍手を外し、首に巻いたタオルで汗を拭く。忙しいのに誰だ、などと憤りはしない。反対にわくわくすることもなく、無感情に取り上げた。


『教えてください:船場せんばという人を知っていますか?』


 宝田からのメールだった。直接話せばぶっきらぼうなのに、文面だと柔らかく丁寧になる。

 ――あの年ごろの習性かね。


 と揶揄するのは心中に留め、すぐさま返事を打った。やるべきことを残しておくのは嫌いなタチだ。


『Re 教えてください:船場とはSESですか? フォークのことはよく知りません』


 シップスエージェントサービス。略してSESと呼ばれる会社の代表が船場といった。有名企業ではあるが、普通に生活する者なら経営者の名前までは知らないかもしれない。

 しかし警察には、あれこれ記録があるはずだ。船場という人、などと。ちょっと小耳に挟んだ風に尋ねる人物ではなかろう。

 ただし六年前。宝田がこの街を去って以降、急速に台頭したので彼が知らないのも無理はない。どうであれ、警察がどの程度の重要度を感じているか、推測させぬ為の文法なのだろうが。


「とぼけるには大物すぎるんだがな」


 メールの返信に船場の評価を書かなかった。

 代わりに、フォークのことはよく知らないと。これは隠語で、他にスプーンや箸などと言ったりする。フォークと言えば、危険な相手を示した。

 だから「どういう人物か知らないし、近付かない」と答えたことになる。


「おっと、シーワンだ」


 作業に戻ろうとした視界に、最近では見かけることの減ったC−1輸送機が飛ぶ。離陸して、どこかへ行くようだ。

 埼玉県の南西部に位置するはかな市だが、あれこれ説明せずに済む魔法の言葉がある。

 航空自衛隊の薄納はかな基地がある街と言えば、多くの人が「ああ」と膝を打った。


「さてと」


 工具を載せた作業台からお茶を取り、ひと息に半分ほどを飲む。形無家は高台にあってまだましだが、今年も酷暑になること間違いない暑さだ。

 変に高級感のあるネイビーブルーのガラホと揃えて置き、作業を再開――しようと思ったところで、また着信音が鳴った。


『ReRe 教えてください:了解です。関わらないでください』


 宝田からの再返信だ。船場と付き合いがないなら、今後もそうしろと。

 今度は返信しなかった。「はいはい」と口で応じ、先ほど置いた雑巾を取る。


 ◇ ◇ ◇


 のんびりと。ときに訓練に飛ぶT−4練習機を眺めながら、二時間ほど掃除を続けた。

 腹が減ったと思いガラホを見ると、午後零時を過ぎたところだ。


「いい性能してるな」


 自前の腹時計を褒めつつ、倉庫に数多く揃えた食料から何を昼食にするか考える。


 ――塩、しょうゆ。豚骨もあったな。

 手を止めての熟考の結果、焼きそばに決まった。もちろん頼んで作ってくれる誰かが居るでなく、形無が台所へ行かねば出てこない。

 午後もまた続きをするので、片付ける必要はなかった。庭の奥にある蛇口で手を洗い、縁側に足をかける。

 と、表の道に車が停まった。低い生け垣の向こうに、大型ミニバンが見える。

 乗っているだろう人物を予想し、作業台まで戻った。僅かに残ったお茶を飲み干しながら、待つ。


「噂をすれば、かな」


 窓も含めて何もかも真っ黒の、ヴェルファイア。普通グリルカバーだけは銀色なのに、そこまでも。

 スライドドアが開き、降りたのは思った通り船場だった。


「邪魔をしたか?」


 歳は三十と聞いている。サイドを刈り上げたソフトリーゼントに、暗いグレーのスーツが似合う。

 竹製の庭扉を勝手知った風に開き、大股で歩く。百八十近い身長に痩せた体型が、むしろ風格を感じさせた。


「いえ全然」

「それなら良かった。八月分だ」


 握手のできる距離で止まった船場は、暑くないのか、きっちり着こなした上着から白い封筒を出す。

 ありがたく両手で受け取り、確認の為にすぐ口を破りとった。中には一万円札が十枚、人肌に温まっている。


「たしかにいただきました。けど、まだ早いですよ?」


 情報屋としての基本料金。定期的に渡すリストの対価として、毎月貰っているものだ。ただしいつもは使いの若い衆が持参するし、時期も月始めと決まっている。


「遠慮するな。ついでがあっただけだ」

「ついで、ですか」


 聞き返す形無に、船場は顎で後ろを示す。肩越しに覗くと、車から高校生くらいの少年が降りた。

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