はかな市の古道具屋
須能 雪羽
第一幕:戻りたい放埒の日々
第一節 招かれざる客
第1話:古道具屋の裏の顔
※ この物語はフィクションです。登場する名称、法制、出来事等すべて架空のものです。
「夏ってのは、色々あるよな」
ブリキのバケツに汲んだ水が、夏の太陽を白く撥ね返す。
固く、固く。洗濯機の脱水にも負けぬほど絞って、墓石を拭いた。まずは天辺から。次いで正面、その次に側面。
クリーム色のカーゴパンツに黒いTシャツという姿は、掃除にもってこいと言えた。
「たぶんこれ、大島石なんだよな。張り込んでもらったな」
周りの墓に比べて、どっしりとしている。百七十に一センチ足りぬ身長では、磨くのにつま先立ちをする必要があった。
古道具屋という職業柄、物の材質を見定めてしまう。白と黒とグレーの、はっきりしたコントラストが美しい。
どの面もまだ新品と見紛うほど、つやつやと光っている。刻まれた戒名が、一人分のせいもあるだろうか。
「七年か――」
毎年こうやって数えるたび、数字が一つずつ離れていく。至極当たり前ではあったが、形無の心情として納得できない。
自分は二十八歳にもなったのに、行年として書かれた十九歳という数字は変わることがない。その事実が残酷に過ぎるだろう、と。
「まあまあ、可もなく不可もなく。のらりくらりと生きてるさ」
清掃を終え、線香を上げて拝んだ。花を包んでいた新聞紙に、抜いた雑草を残らず入れて巻く。バケツと柄杓を手に、去り際もう一度振り返る。
「じゃあまた、来年な」
言って、歩く。墓の前に立ってから、十分少々の早業だ。
――冷たいって怒ってるかもな。
とは思うものの、何を話せばいいのか見当もつかない。拝むのにしても、何と祈ればいいのか分からない。
安らかにとか冥福をとか、白々しくてそんな言葉は使えなかった。
――そんなこと言う資格は、俺にはないからな。
整然と並ぶ、およそ百五十基ほどを横目に、そそくさと山門へ。出てすぐの左右に、石の仁王像が立っている。
訪れたときは普通に二体だったはずが、なぜだか今は三体に増えていた。
「ああ、
「お、こんなところで会うとは偶然だな」
真ん中。つまり形無の正面に居たのは、宝田
仁王像と比べるには、以前よりも腹が出っ張ってきた。しかし五十一という年齢からすると、素晴らしく鍛えられている。
ノーネクタイのワイシャツに、パリッとした紺のスラックスが太い手足に窮屈そうだ。髪の毛の具合いは、逆に近付いた。
「偶然って、四年ぶりなのはそうですけど。戻ってきてたんですね」
「この春だ。お前さんに連絡しようとは思ってたんだが、異動したては忙しくてな」
宝田は警察官だ。正確に言えば、刑事課の刑事。県北の署に行っていたが、戻ってきたようだ。
春の異動ならば四月の頭で、三ヶ月以上も電話の一本も出来ないほど忙しかったと彼は言った。
――進んで会いたくはないよな。
同感だ。と推測した気持ちに、勝手に共感した。
「帰るのか?」
「ええもう参ったんで」
提げていたバケツを、ちょっと上げてみせる。宝田は「そうか、またな」とすれ違って、山門をくぐった。
あちらから用件がなければ、こちらからもない。それが互いの位置関係だと弁えている。
実は異動してきたのも知っていた。だが以前に交換した電話番号はそのままだったし、メールも使える。連絡があれば、拒否するつもりはなかった。
――つまり、そういうことか。
環に対し思うのとは違って、空虚感はあっても寂しさはない。どんな関係もいつかは終わる。その段階が進む途中ということだ。
むしろ気楽だと、構えた息を吐き出して駐車場へ足を向けた。
「ああ、そういえばな」
呼び止める声。清算終了の箱へ入れかけた関係を、引き戻す。振り向くと宝田は、山門をくぐった真下でこちらを見ていた。
「はい?」
「まだ生きてるのか。その、こっちのほうは」
言いつつ、キャッチャーミットのごとき宝田の手が自身の耳に触れる。
「現役ですよ」
「そうか。じゃあまた連絡する」
「いつでもどうぞ」
宙に手刀を切る素振りをして、今度こそ去った。墓のほうへ向かったようだが、バケツや花どころか、手に何も握ってはいない。
――線香くらい、ポケットに入れてんのかな。
何なら残ったのを、やっても良かった。けれどもやはり、こちらから提案するのは違うように思う。
知りたいこと、やってほしいことがあるなら、言ってくれればいい。そうすれば可能な限り調べて教えるし、提供できる物も渡す。
それが今の形無と、宝田の関係。
「出来ることは心をこめて、出来ないことは出来ません。こちら古道具屋でございます」
CMソングっぽい曲を即興で唄い、白の軽トラックに乗り込む。宝田がそうしたように、もう一つの仕事は口に出せない。
裏社会の話を刑事に流す。情報屋が、形無のもう一つの顔だ。
「さて、どこか流して帰るかね」
今は古道具屋として。民家に眠る商品を得るべく、始動したエンジンを静かに吹かしていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます