はかな市の古道具屋

須能 雪羽

第一幕:戻りたい放埒の日々

第一節 招かれざる客

第1話:古道具屋の裏の顔

※ この物語はフィクションです。登場する名称、法制、出来事等すべて架空のものです。


「夏ってのは、色々あるよな」


 ブリキのバケツに汲んだ水が、夏の太陽を白く撥ね返す。形無かたなし毅人たけとは来る途中に買った、真新しい雑巾を浸した。

 固く、固く。洗濯機の脱水にも負けぬほど絞って、墓石を拭いた。まずは天辺から。次いで正面、その次に側面。

 クリーム色のカーゴパンツに黒いTシャツという姿は、掃除にもってこいと言えた。


「たぶんこれ、大島石なんだよな。張り込んでもらったな」


 周りの墓に比べて、どっしりとしている。百七十に一センチ足りぬ身長では、磨くのにつま先立ちをする必要があった。

 古道具屋という職業柄、物の材質を見定めてしまう。白と黒とグレーの、はっきりしたコントラストが美しい。

 どの面もまだ新品と見紛うほど、つやつやと光っている。刻まれた戒名が、一人分のせいもあるだろうか。


「七年か――」


 たまき大姉。その下にある没日は、平晟へいせい二十六年七月二十五日。参っている今日は、平晟三十三年の同じ日。

 毎年こうやって数えるたび、数字が一つずつ離れていく。至極当たり前ではあったが、形無の心情として納得できない。

 自分は二十八歳にもなったのに、行年として書かれた十九歳という数字は変わることがない。その事実が残酷に過ぎるだろう、と。


「まあまあ、可もなく不可もなく。のらりくらりと生きてるさ」


 清掃を終え、線香を上げて拝んだ。花を包んでいた新聞紙に、抜いた雑草を残らず入れて巻く。バケツと柄杓を手に、去り際もう一度振り返る。


「じゃあまた、来年な」


 言って、歩く。墓の前に立ってから、十分少々の早業だ。

 ――冷たいって怒ってるかもな。


 とは思うものの、何を話せばいいのか見当もつかない。拝むのにしても、何と祈ればいいのか分からない。

 安らかにとか冥福をとか、白々しくてそんな言葉は使えなかった。

 ――そんなこと言う資格は、俺にはないからな。


 整然と並ぶ、およそ百五十基ほどを横目に、そそくさと山門へ。出てすぐの左右に、石の仁王像が立っている。

 訪れたときは普通に二体だったはずが、なぜだか今は三体に増えていた。


「ああ、宝田たからださん」

「お、こんなところで会うとは偶然だな」


 真ん中。つまり形無の正面に居たのは、宝田重三郎じゅうざぶろう

 仁王像と比べるには、以前よりも腹が出っ張ってきた。しかし五十一という年齢からすると、素晴らしく鍛えられている。

 ノーネクタイのワイシャツに、パリッとした紺のスラックスが太い手足に窮屈そうだ。髪の毛の具合いは、逆に近付いた。


「偶然って、四年ぶりなのはそうですけど。戻ってきてたんですね」

「この春だ。お前さんに連絡しようとは思ってたんだが、異動したては忙しくてな」


 宝田は警察官だ。正確に言えば、刑事課の刑事。県北の署に行っていたが、戻ってきたようだ。

 春の異動ならば四月の頭で、三ヶ月以上も電話の一本も出来ないほど忙しかったと彼は言った。


 ――進んで会いたくはないよな。

 同感だ。と推測した気持ちに、勝手に共感した。


「帰るのか?」

「ええもう参ったんで」


 提げていたバケツを、ちょっと上げてみせる。宝田は「そうか、またな」とすれ違って、山門をくぐった。

 あちらから用件がなければ、こちらからもない。それが互いの位置関係だと弁えている。

 実は異動してきたのも知っていた。だが以前に交換した電話番号はそのままだったし、メールも使える。連絡があれば、拒否するつもりはなかった。


 ――つまり、そういうことか。

 環に対し思うのとは違って、空虚感はあっても寂しさはない。どんな関係もいつかは終わる。その段階が進む途中ということだ。

 むしろ気楽だと、構えた息を吐き出して駐車場へ足を向けた。


「ああ、そういえばな」


 呼び止める声。清算終了の箱へ入れかけた関係を、引き戻す。振り向くと宝田は、山門をくぐった真下でこちらを見ていた。


「はい?」

「まだ生きてるのか。その、こっちのほうは」


 言いつつ、キャッチャーミットのごとき宝田の手が自身の耳に触れる。


「現役ですよ」

「そうか。じゃあまた連絡する」

「いつでもどうぞ」


 宙に手刀を切る素振りをして、今度こそ去った。墓のほうへ向かったようだが、バケツや花どころか、手に何も握ってはいない。


 ――線香くらい、ポケットに入れてんのかな。

 何なら残ったのを、やっても良かった。けれどもやはり、こちらから提案するのは違うように思う。

 知りたいこと、やってほしいことがあるなら、言ってくれればいい。そうすれば可能な限り調べて教えるし、提供できる物も渡す。

 それが今の形無と、宝田の関係。


「出来ることは心をこめて、出来ないことは出来ません。こちら古道具屋でございます」


 CMソングっぽい曲を即興で唄い、白の軽トラックに乗り込む。宝田がそうしたように、もう一つの仕事は口に出せない。

 裏社会の話を刑事に流す。情報屋が、形無のもう一つの顔だ。


「さて、どこか流して帰るかね」


 今は古道具屋として。民家に眠る商品を得るべく、始動したエンジンを静かに吹かしていった。

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