ガラス瓶の友だち
降雪 真
第1話
幼いころから、人には見えないものが見え、人には聞こえないものが聞こえた。
それを人はお化けというらしい。
でもそれを誰かに言ったことはない。だって僕にはどうでもいいことだから。
「……これで帰りの会を終わります。
最近子どもの失踪事件が増えているから、くれぐれも不審者には気をつけるように」
先生の言葉が終わると同時に、わっとクラスメートの皆は立ち上がり、蜘蛛の子を散らしたように教室から出て行った。サッカーをするために飛び交う名前に、僕の名前が呼ばれることはない。
僕がいつものように独りで帰ろうとしたときのことだ。
「なぁレオ、一緒に帰らないか?」
その日は珍しく、近所に住むケンちゃんが声を掛けてきた。何のドッキリか、もしくはいじめだろうか。僕は咄嗟に周りを見るけれど、教室には既に僕らしか残っていなかった。
「……別にいいケド」
僕がそう答えると、ケンちゃんはにぃって、いつものように笑うのだった。どうやら今日の放課後は、ろくなことにならないようだ。
「知ってるか?」
帰り道、ケンちゃんは後ろ向きで歩いてにやにや笑いながら言ってきた。
「通学路の途中に古い屋敷があるだろ?
じつはあそこ、出るらしいんだよ」
ケンちゃんはそう言って僕の顔色をちらちらと窺ってくる。怖がる顔が見たいんだ。だけど僕がなんてことない顔をしていると、つまらなそうにぷいと前を向いてしまった。
「お前お化けが見えるらしいじゃんか。変なこと言って気を引こうとする可哀そうな奴って、皆言ってるぜ」
違う。僕はお化けが見えるなんて一度だって言ったことない。ただ見えたものを見えたって言っているだけだ。皆と同じ当たり前のことじゃんか。
「だから今日は霊感少年のレオ君に、お化け屋敷のせんにゅうしゅざいをお願いしたいと思いまーす」
いつの間にか後ろに回り込んだケンちゃんは、そう言って僕の肩をがっしり掴んで押してきた。どうやら今日はこのまま帰れないらしかった。
噂のお化け屋敷とは、通学路の途中にある洋館のことだ。古いが大きなお屋敷で、かつては大金持ちの一家4人が住んでいたようだ。
だがあるとき家に強盗が入った。親は殺され子どもはその後行方知らずという噂だ。いまや誰も住んでいないだろう家は寂れ、所々崩壊している。危ないから決して近寄るなと、クラスの誰もが一度は親からきつく注意される、そんな場所だった。
実際訪れてみれば、当然門扉は固く閉ざされていた。ところがケンちゃんはそんなこと気にすることなく、慣れた様子で防護柵に沿って歩いていくのだった。
僕が仕方なくついていくと、ちょっと目を離した隙にケンちゃんがふっといなくなってしまった。驚いて辺りを見渡す僕。すると突然腕を掴まれた。
「わっ」これにはさすがに思わず声を出してしまった。
するとケンちゃんが笑いながら草むらから出てきた。どうやらこの中に隠れていたらしい。そのまま引っ張り込まれると、道路からは草で見えないところで柵の一部が壊れているらしく、ぎりぎり子どもが入れる隙間があったのだった。
中に入ってみると、洋館は外から見たよりもなお薄暗く、気味が悪い。
たくさんの生き物の声がした。僕はすぐにここがヤバい場所だったわかった。
「ねぇケンちゃん帰ろうよ」
だから僕はそう言ったのだが、ケンちゃんはそれを見て喜ぶばかり。
「さぁ霊感少年レオ君は、呪われた屋敷で何を見るのでしょうか。早速突撃したいと思います」
スマホを向けて撮影しながら、実況者のように解説し始めるのだった。僕が進むのを躊躇っていると、バシッとお尻を蹴ってきて、先に進めと顎で促す。僕は大きなため息をつくと渋々中へ進むのだった。
ぎしりぎしり
洋館の中はもう長いこと掃除もされてないようで、埃は溜まり、朽ちてきているようだった。注意しないと腐った床板を踏み外しそうになる。
だがそんな中を、ケンちゃんは臆することなく進んでいった。
「ねぇ待ってよ」
ケンちゃんは僕の言うことなんて聞いてもないようで、足の歩みを緩めようともしてくれない。
「ここにはな」
それどころかカメラをこちらに向けながら、ぼそぼそと話を始めるのだった。
「仲のいい兄妹がいたんだ。
妹は俺らと同じくらいの歳で、それは可愛い顔をした女の子だったらしい。
年の離れた兄はそれはもう妹を可愛がった。
……だけどある日そんな二人を悲劇が襲った。二人の仲を妬んだ両親が、兄から妹を引き離そうとしたんだ。
兄は必死に妹を守ろうとした」
ケンちゃんは何かに憑りつかれたように話続ける。気のせいか、どこからともなく女の子の笑い声が聞こえた気がした。
「だから兄は両親を殺し、もう二度と妹を奪われないように、とある場所へ妹を隠した」
ケンちゃんはそう言って、ぴたりと、ある場所で歩みを止めた。何だろうと息をするのも忘れ見守っていると、ケンちゃんが何やら燭台を動かした。するとギッという音とともに、そこには壁がずれるようにして隠し扉が出現したのだった。
思わず怖気づき後ずさりしようとする僕。だけどその手を、ケンちゃんはがっしり握って離さない。「助けて! 離してよ」僕は必死に暴れたけど、抵抗もむなしく、僕はずるずると中へと引っ張り込まれていった。
部屋の中には照明など一切なかった。ケンちゃんがごそごそと何かして後ろの扉が閉まると辺りは闇に包まれた。目は見えなかったが、そこがごみごみと物に囲まれているのはわかった。恐る恐る周りにあるものを触れてみると、つるつるとしたガラス瓶のようなものに手が触れた。
何だろうと目を凝らすが暗くて見えない。とそこで、やっと僕はスマホを持っていることを思い出し、ライトをつけた。
ぼやっと辺りが照らされる。
僕は思わず目を見開いた。そこにあったのは見たこともないほどたくさんのガラス瓶。何段もの棚に、隙間がないくらい、いくつものガラス瓶が並んでいた。
だけどそんなの全然なんてことなかったんだ。ライトを近づけてじっと目を凝らそうとして、僕は思わず息をするのも忘れてしまった。だって中には猫や犬、カエル、魚などたくさんの種類の生き物がぎゅうぎゅうと詰め込まれていたのだから。
なんだコレ……あまりのことに僕はスマホを落としてしまった。周りがふっとまた闇に包まれる。
するとすぐ耳元で、ケンちゃんの声がした。
「ここは妹がさみしくないように、兄が友だちを集めた特別な部屋なのさ」
ケンちゃんはそう言いながら僕のスマホを拾いあげ、ガラス瓶のひとつひとつをゆっくりと照らし出す。
「妹は猫が好きだったらしい。だからここにはホラ、たくさんの猫がいるだろう。三毛にペルシャにスコティッシュ。優しい兄はどんな妹の願いも叶えた」
そこでぴたりと、ケンちゃんの動きが止まった。
「だけどたった一つ。兄が許せないことがあったそうだ。
ある日妹は言った。
『外に出たい、もうお兄ちゃんなんて嫌い』ってね。
兄は信じられなかった。妹のために、兄がどれだけどれだけつくしたことか。
……だから兄は可愛い妹を閉じ込めた。もうこれ以上うるさい口をきかないように。もう二度と傷つかない、可愛らしい妹のままでいられるように」
ぴかりとケンちゃんがあるガラス瓶を照らし出した。それは棚に中央に置かれ、一際大きく、そうヒトの首が丸ごと入る大きなものだった。そして中には。
「うわーーー!」
僕はたまらず悲鳴を上げてそこから目を逸らした。生首なんて初めて見たのだ。
それを見たケンちゃんは、ケタケタと腹を抱えて笑っていた。そしてさらに言うのだ。
「なぁレオ。いくら動物のお友達がいたって、仲良く話ができるお友達がいなければ可哀そう。そう思った兄はどうしたと思う?」
僕はゆっくりと周りを見渡す。まさか、そんなことがあるはずがない。
「そうだよ、お前ももうわかってんだろう。
兄はここに、妹と同じ年齢の子どもを招いた。妹が寂しくないようにってな」
妹の首のすぐ隣には、僕もよく見たことのある首があった。
そう、そこにあったのは、ケンちゃんの首だったのだ。
「なぁレオ、お前もここに、一緒に暮らそう」
そこに部屋の外からぎしりと足音がした。
誰か来る。僕は慌ててゲラゲラ笑うケンちゃんのいる部屋から飛び出した。なるべく音を立てないようにゆっくり、だけどなるべく早く。
心臓がばくばくとうるさい。息は切れ切れで過呼吸のように辺りに響く。そうする間にも、小さかった足音はどんどん大きく近寄ってくる。
もう駄目だ。そう諦めかけた時だった。
僕の裾を、誰かの手が引っ張った。
その誰かは、躊躇う僕を気遣う様子もなく、ぐいぐいとどこかへ引っ張っていく。初めは抵抗しようとしたが後ろの誰かはそうしている間も着々と近寄ってくる。僕はやむを得ずついていくことにした。
しばらく歩くと、その子はカーペットの一部を指差し言った。
「早く、ここなら見つからない」
逃げている間も距離は着々と縮んでいた。迫りくる足音に、僕は藁にもすがる気持ちでカーペットをめくると、そこにはなんと引き戸があったのだった。もうすぐ後ろでぎしぎしと足音がする。もう迷う暇もない。僕は引き戸を開けて、素早く中へもぐりこんだ。
中は真っ暗。狭くて動くこともできやしない。
僕は体を抱きかかえるようにして、ただ必死に足音が遠ざかってくれることだけを願っていた。
ぎしぎしぎし
足音が徐々に近寄ってくる。
ぎしぎし……ぎし
そこでぴたりと足が止まった。すぐそば、頭の上に誰かがいる気配がする。僕はあっと言いそうになるのを、口を手で塞いで必死に防いだ。
もう駄目だ。僕はいますぐ扉が開くんじゃないかと怖くて怖くて仕方がなくて、だけど目が離せないままただ扉を見上げていた。
「大丈夫、私、この場所に隠れてお兄ちゃんに隠れんぼで見つかったことないんだから」
耳元で声がした。
僕以外誰も入るスペースなんてないはずなのに。
……ぎしぎしぎし
それからすぐに足音は遠ざかっていった。
「はー」。足音がしなくなってしばらくして、僕はようやっと大きく息をついた。生きた心地がしなかった。
もしかしてまだ外には誰かいるんじゃないか。そんな恐怖は僕の頭にこびりついていたけれど、もうここにいるのは限界だった僕は、目をぎゅっとつむりながらそろそろと扉を開けた。
恐る恐る目を開けて見てみると、外はもう日も暮れ、窓からは月光が部屋の中へと差し込んでいた。
「ね、言ったでしょう」
僕はそこで、見覚えのある少女が悪戯っぽく笑いながら立っているのを見た。
そこから僕は少女の案内で屋敷を脱出することに成功した。
洋館から出て振り返り見れば、そこには笑顔で手を振る少女と、忌々しそうにこちらを睨みつけるケンちゃんがいた。
やっぱり、お化けが見えているかなんて関係ないや。
僕は踵を返しながらそう考えていた。
生きていようと死んでいようと、怖い人は怖いし優しい人は優しいよ。だから怖い人にだけは気をつけないとね。
僕は慎重に夜道を歩く。
この月夜の中を徘徊する、妹想いの殺人者に遭遇しないことを願いながら。
ガラス瓶の友だち 降雪 真 @poyukichi1214
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