二日目
二日目の始まり
早朝。ぼやけた頭に射し込む朝日を受けて覚醒させていく。
体調には何の問題もなかった。手足は動くし、体のほうには何の違和感もない。いつだって、日常的に惰性で生きてきた自分の体そのものだった。
”いつもの”を実感し、不安が見えそうになる。これから先、自分が五体満足で居られるかは分からない。だから、今の体で感じられるように、意識を切り替えていきたい。
予定時刻より起きたからか、家の中は静かだ。エゾヒグマとキジヤさんもまだ寝ている。
他の部屋から引っ張って来た敷布団をこの一部屋に集めて寝たのだ。一人で寝るのは精神的にもやられてしまいそうで、固まっておけば安心できるからと三人で決めたことだ。
窓から町を覗く。
外の景色は何も変わり映えはしなかった。朝焼けで照らされた住宅街には昨日と変わらない日常が訪れることを町の住民に伝えようとしているみたいだ。
ただ、消えることなく道端に倒れ伏した亡骸さえなければ。
「よっ、起きてたのか」
「……ああ、おはよう」
エゾヒグマが起きたようだ。先日の激戦を終え、休める必要はあっただろうに彼女はもう元気を取り戻している。フレンズというのは頑丈なのだろうか。
隣に立ち、彼女も窓の外へと目を向ける。道端に転がるかつて人だった物を瞳に映し、何を思うのか。
「あのおっさん、まだ寝てるみたいだぜ。よっぽど疲れてたんだろうな」
「寝かせてあげろ。まだ起きるには早い時間だしな」
意識はしていなかったが、この部屋では中年特有の大きないびき声が響いている。疲労がたまると大きな声が出やすいと聞くが、命をかけた逃走はキジヤにどれだけのストレスを残したのだろうか。
共感出来てしまって不快感がない。眠る彼をそのままにし、そっとしておくことにした。
突然、彼女が俺に寄り添った。
「な、なんだよ」
「なぁ、”園長”はおまもりを手に入れただろ? お前は何したいんだ?」
昨日までの慄然とした凛々しい声が若干、甘い物へと変わった。
戦いの中で勇猛な雄叫びと共に敵を葬った戦士が、瞬時に女の顔へとすり替わり、俺に対して身を寄せて声をかけている。
「何かって……言われても」
言えるわけがない……というよりは考えてるわけがないのだ。
手にした力は偶然拾った産物で、あの時エゾヒグマを戦わせたのも生き残りたいのと……母親を殺された怒りからだった。
成し遂げたいことなんて、今は生きたいとしか思えない。それ以上の答えなんてない。
ならば、彼女は俺に何を言わせたいのだろうか。
「オレはお前のしもべで、お前の手足だ。お前が戦えって言うなら臓腑がつぶれ、手足がもがれ、頭が砕けても全力で戦うよ」
「……なに、言ってんだお前。なんで、俺なんかのために」
そっと伸ばされた手が俺の手に重なる。力強く振り回した熊手の時のように、武器を扱う握力はないはずなのに、重ねられただけの手を俺は振り払えない。
ジッと見つめる彼女の黒い瞳が底の知れない洞穴を思わせる。熊の巣は、熊が執着したモノを引きずり集めた産物が詰まっている。
俺も、そのうちの一つなのか、はたまた一人なのか。
「あ、あー……すまん、いいか?」
後ろからバツの悪い声が聞こえる。
傍から見ればちょっとしたラブコメのように思える光景だったのかもしれない。それが、何か得体のしれないふれあいだと思えるはずもなく。
彼自身はなるべく声をかけないようにしたのだろうが、状況が状況だけにゆっくりはしていたくないのだろう。
「待たせてすまない。外に出る準備を済ませてくるから……ちょっと待っててくれ」
キジヤが部屋を出ていった。リビングに置かれている荷物を纏め、これから向かう準備を済ませるのだろう。ただ、それだけの荷物を持ち合わせてはいないから手早く終わるはずだ。
これから、俺たちはジャパリモールへ向かう予定だ。
荒れ果てた町の中、横行するディザスター、亡骸だらけの町……混沌を極めた市内は下手に移動すれば命を落としかねない危機で満たされ、安住の地はない。
ゆえに、これからやることは何か。それは”安全な場所を見つけ、情報を得る”ことを最優先することにした。
昨日の事だ。
「キジヤさん、その、警察や救助隊を……それこそ自衛隊を待てばいいんじゃないですか。ここに閉じこもって、助けが来るのを待てばいいんですよ」
「……それは期待できない。警察や救助隊なんて、あの化物(ディザスター)がいるならば役に立つとは思えない」
「で、でもっ……」
「なら、逆に聞くよ。今、私たちの方で情報を得られることは出来るか?」
キジヤの言葉が冷たく響く。
彼の言う通り、今、俺たちはテレビを見ることができない状況だ。テレビのニュースがあればこの町や世間の様子を知ることができるだろうが、いかんせんこのモデル住宅にはテレビが設置されていなかったのだ。
ならば、携帯があるだろう。幸い、電波は届いているようで、電源をつければニュースを見ることが出来たのだ。
だが、情報は更新されていなかった。いくらタップしても更新してもディザスターや災害の情報については何も知らされない。昨日鳴った緊急地震速報のお知らせ以外には何もないのだ。
「ここで閉じこもって何もしないのは簡単だ。だが、ディザスターのような怪物がいるならば、それらに対する自衛の手段、さらには食料の問題を考えたら外出の必要必要性が出てくる」
「それでも、結界やエゾヒグマがいますよ」
「アキ君、考えてみてくれ。あのディザスターは”一番強い”のか?」
……それは俺が思い至らなかった部分だった。
そう、そうなのだ。あの怪物たちに対抗できる手段を得たとはいえ、エゾヒグマが自衛の手段だとしてもそれが最大とは言い切れないし、昨日の雪のディザスターも最大の弊害とは思えない。
地震や火災旋風に雷。あれらがディザスターの一種であるならば、本当に立ち向かわなければならない強敵はいくらでもいる。そうなれば、この家の中だって安全ではない。結界は耐えられるのだろうか……
「……外へ出歩ける手段(エゾヒグマ)がある。そして、情報を集めなければ命はない」
それ以上、俺は何も言えなかった。
……キジヤさんの準備が終わったようだ。まだ残っているカンヅメで簡単な朝食を済ませ、俺たちは外へと出た。
目指すはジャパリモール。昨日の惨劇が起きた場所……
※
ジャパリモールはこの都市内でもっとも巨大な大型ショッピングモールだ。いくつもの娯楽施設や商業施設、さらには有名な大型スーパーとも提携し、幅広い客層が利用している。
俺たちがそこに向かったのはモールでの日用品と食料品を求めるためだ。モール内にはどこにでもある一般的なスーパーと同じ様な商品が並べられているほか、海外輸入されている食料が多く保存されている。
食用目的以外にもあそこには大型寝具店や電気用品店も並んでいる。前者は寝るための布団を、後者はいざというときのための充電器や手回しのライトがある。
籠城のために、なるべく外出しないようにするための道具をため込んでおきたいからだ。
……この、血と破壊でまみれた街並みを見ると、強くそう思う
「静かなもんだな。町の中はなーんにもねぇ」
エゾヒグマの忌々し気な言葉に、陰惨な大通りを見て心を痛めているのが感じられた。
表通りは荒れ果てていた。電柱や街灯はへし折られ、巨人に踏み荒らされたかの如く道路がひび割れて土がむき出しになっている。昨日までは新品同然に走らせていた車は大きさを問わず潰れ、ひっくり返り、中には近場の建物のに頭から突っ込み、あれらに乗っていた者たちの混乱が愛で見て取れた。
暴風が通り過ぎたと言うのはこういう事を言うのだろうか。無造作に通りがかったモノを天上にまで噴き上げて、弾き飛ばすように投げ捨てられた設置物たち。秩序的に並べられた建造物が、ヒトの文明の終わりを告げているかのように無慈悲さを訴えているようだ。
何よりも、命が見えない。
昨日までこの道を満たしていた命の数々が忽然と消え、時間が経って黒々と変色した地面と壁。命の雰囲気が、生命ある声が、魂が、この場所には何一つとして感じられない。
悲壮感を煽る光景には、単に気が滅入るような現実を感じるだけじゃない。切実な問題ももう一つ抱えていた。
「……動物がいない」
見渡せば、ヒトどころではなかった。空を飛ぶ小鳥やカラスにハト、町の裏でひっそりと生きるネズミ一匹すら見当たらない。
エゾヒグマが言うにはフレンズを得るには”動物”と”サンドスター”が必要になる、というのだ。
現状、ディザスターと戦うことは避けられない。命を守るためならば、奴らとの戦いに備えて戦力は増えた方がいい。
しかし、戦力増強のためにフレンズを増やそうとしても今はどこにも動物がいない。
「まぁ、あの惨状だからな……そのおまもりから発せられるサンドスターがあれば適当な動物をフレンズ化して戦力に出来るけどよ……犬や猫どころかカラスやスズメすらいねぇ」
エゾヒグマも舌打ち交じりに街中を見ている。彼女としても一人で戦うのは苦戦を強いられる。
食料問題に戦う上での問題も浮かんできている。
……モールにはペットショップコーナーもあったはず。そこにいるペットたちをフレンズ化させて戦ってみるか、それとも……
着々とモールへとむけて足を進めていく。わずかにエゾヒグマが先に進んでいる中、キジヤさんがひっそりと俺に話しかけてきた。
「その、ヒラナリ君。ここから先にモールがあるのか? 道はあってる?」
「ああ、あるよ。この町は駅ビルを中心にして栄えている”西口側”と開発が進んでいない”東口側”で別れてるんだ。このままいけばジャパリモールにたどり着くよ」
「そ、そうか……なぁ、ヒラナリ君。この際、ちょっと聞いておきたいんだがな」
キジヤさんの視線がちらちらと先頭を歩く彼女を……エゾヒグマを見つめながらこうつぶやいた。
「……彼女は本当に”エゾヒグマ”なのか?」
「はっ……?」
「彼女は自分で自分の事をエゾヒグマだと名乗っていただろ? でもそれだとおかしいんだ。エゾヒグマは主に北海道に生息している動物だ。少なくともこの地は彼女が生息していた地域ではないし、ここ最近では熊が出たなんて話は……ないんだろ?」
不可思議な言葉に、俺は何も答えられない。
そんなこと言われても俺は知らない。動物の事とか言われても俺には熊の違いなんて分からないし、動物に詳しいわけでもない。専門的な知識はさっぱりだから、それらの知識の正しさを突き付けられても困る。
けど、先ほどの話が本当ならば、アイツの存在の不可解さが深まる。
先頭を歩くエゾヒグマへの疑念が深まり、キジヤさんとそろって彼女を見つめた。
「じゃあ……あの子は何なんだ?」
※
「……っ、止まれ。”いる”」
あくびをしていた彼女の雰囲気が一瞬で張り詰める。軽やかだった足が、地を重く踏みしめて近くにある建物をじろりとにらみつけた。
コンビニだ。あの災害を受けてか、横長四角形の建物はもはや”きれいに”と形容していいほどにガラスが割りつくされ、店内の商品ごと散乱させて荒れ果てている。棚のほとんども重なるように倒れてしまい、店の中を歩くのは困難だろう。
息を呑む。ひそりと「このまま逃げるぞ」と言って、俺たちはこの場から立ち去ることにした。
――……た、すけ、て……っ
冷たい氷を背中に当てられたショックというべきか。ようやくになって耳に届いた言葉が、かすれるように響いた子供の声があの崩れたコンビニから聞こえてきた。聞こえて、しまった。
三人でしきりに視線を代わる代わると変えて行く。焦燥感が高まり、生唾を呑みこんで、俺たちの間で一つの決断を下しかねた。
おそらく、あの声はコンビニからだ。理由は分からないけど、あそこには逃げることもできず閉じこもっている子供がいるのだ。
だが、あそこにはディザスターがいる。今あの中へと入っていくのは、自分たちから死地へと赴くも同然だ。
暗闇のコンビニの中は、獲物を待ち受ける獣の大顎を思わせた。
このまま逃げるか、助けるか。感情あるがゆえに、決して切り捨てられない。この生気を失った町の中で、ようやく拾い上げられた命の声。それを、戦える手段を持つ俺たちが何もしないで去っていいのか。
……ふいに、母さんの顔がよぎった。
答えは、出た。
「行ってくれるかエゾヒグマ」
「ああ、いいぜ」
「すいません、キジヤさん。一緒に来てくれますか。その、一人だと危険ですし」
呆れたような、観念したかのような。疲弊した笑顔を向けて、薄くうなずいてくれた彼は俺たちのあとをついて来てkる得た。
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