一日目の終わり



 一仕事を終えたかのようにエゾヒグマがリビングのソファにどっかりと腰を落とした。


 体の力を抜こうとして背を伸ばし、ゆったりと横になる。あのディザスターと呼んだ怪物は彼女自身の体に多くの傷と疲労を残したはずだ。


 なのに、その痕跡が全く見て取れない。傷どころか、破れた服装ですら元に戻っている。


「いんやぁー、だいぶ一息ついたなぁ!」

「あ、あぁ」


 快活な笑顔が無邪気に向けられる。見た目は整った顔立ちをしたボーイッシュ少女と二人きりだが、身内が殺された後に化物どもから逃走した後でなければロマンチックなシチュエーションだっただろう。


 彼女自身も大して体に残っていた傷に興味もないのか、彼女の興味はこの家の中に向けられているようだ。


「にしてもここってなんもないんだなー」

「そりゃあな。これはモデル住宅だからな」


 アキがそう言い終えると入り口に置いてあったパンフレットを広げて読んだ。

 

 利用客が家を買えるほどの高所得者がほとんどのこの場所ではホコリや汚れと言うモノがない。


 さして有名でもないこの地方都市でも移り住む人間はそこそこにいる。何十年前と比べて、大型ショッピングモールが駅と一体となることでちょっとしたニューシティだ。都会の喧騒に疲れた者たちが、自然と文明が程よく同居したこの町では入居者用のモデル住宅が建てられているのだ。


 ただ、アキたちとしては好き好んでここに逃げ込んだわけではない。防犯や隠れ蓑として優れている場所なら他にもあるだろうが、行く先々で出くわしたディザスターから逃げ、見かけた屍をしり目に逃げ続けていたら……ここにたどり着いた。それだけである。


「……もで、る? 住まない家を建てて何の意味があるんだよ」

「いわゆる家のサンプルだよ。家を買おうとしている客がどういったモノかを見てもらうために建ててあるんだ」


 この町の成り立ちや詳しい事は言う必要はないだろう。最低限でいい。


 エゾヒグマもそれに納得したのか、感心して部屋の中をじろじろと見つめている。


「なるほどなー、それで気に入ったら家を貰っていくのか。あぁ、だから食料とかないんだな」

「そりゃあ、あくまでモデルだからな。客がもしもその家で暮らすとしたらどんな内装になるのかを分かりやすくするために家具が置いてあるだけだぜココ」

「そっかぁ……うっし! そうと決まればここで寝泊まりすっか!」


 思わず声が出そうになる。


 確かに体は疲れてるし、休息は取りたい。だが、外には怪物がいる。


「へっ!? え、いやいやいや! お前見ただろ!? 外のあの怪物! 変に出れるわけねぇって!」

「……ああ、まだディザスターに怯えてんのか」


 ソファに身をゆだねながら笑みを浮かべる。その微笑みに、自衛出来るだけの力以外の何かの確信を得てるように見せながら。


「……お前にはいろいろ聞きたいことが山ほどあったんだ。。聞かせろ。お前、”何”なんだ? 町の異常現象について知ってんのか? あの怪物はいったい何なんだよ!」

「いろいろ聞いてくるなぁ……あーわかったよ。教える教える」


 頭を掻きながら煩わしそうにしている。


 大きな鼻息を立てて、その身を前のめりになって彼女は口を開いた。


「まず、俺は”エゾヒグマ”。この町の近くにある山で”フレンズ化”した”エゾヒグマのフレンズ”だ」

「ふ、”フレンズ”……?」

「あぁ、そうだぜ。動物が人間になる現象。それがフレンズ化だ。お前たちの言葉を使って話せば……人間になった動物ってところだな」

「は、はぁぁ……?」


 呆れた夢物語と笑い飛ばしかけたくなる。これが平時であればそうできたのだが、今は事が事だ。


 何よりも、あの時、雪の怪物に襲われた際には俺の後ろに”熊”が確かにいたのだ。エゾヒグマが助けてくれたことでそのアイツの事が抜け落ちていたが、まるで入れ替わるように彼女が現れて熊が消えた。


 熊が人間になって俺を助けてくれた。俺は、ひとまずは信じることにした。


 エゾヒグマもそれに納得したのか話を続ける。


「次は町の異常気象だが……これについはてひとまず置いておくぜ。お前がさっき触れた”敵”について言わないと理解できない」

「敵……? じゃあ、あれはやっぱり生き物なのか」


 突如起きた”雪”、ヒトを包み込む火災旋風、地を割る”地震”、空から落ちてきた”雷”。例にあげればキリがない。


「生き物でもあるし、そうでもない。生き物と自然現象の狭間にある”意識のある自然”、”人格のある災害”。それが”ディザスター(災害)”。お前たち人間を襲い、命を奪って回った怪物の正体だ」


 余裕を見せていた彼女の顔が、この時だけは引き締まって見えた。


「お前も見ただろ。意思を持ってオレたちや町の人間を襲った”雪”、”火”、”地震”、”雷”、”雨”……あれらはすべて、この町の人間の命をただただ奪うためだけに襲い掛かる一種の化物なんだよ」

「自然現象を模した怪物……ってことか」

「まっ、そういうふうに理解してくれれば助かる」


 彼女が説明し終えると、満足げに足を組んで寝っ転がった。


 これであの怪物たちの事を知る事が出来た。いきなり町の住民たちが襲われたのも、町が災害によって破壊されたのも、こうして逃げ回っているのも……すべてはあの怪物たちが来たからだった。


 恐怖で抑え込まれて抱いていた理不尽への怒り。彼女にぶつけるように言い放ってしまう。


「じゃ、じゃあなんで!? なんであんな怪物がこの町にやってきたんだよ! そもそも何で俺たちが……」

「そう、そこだ。そこでさっき説明しようとしてた二つ目に繋がる。オレたちとアイツらの共通点」


 指を折っていた彼女の手が、ふたつ目を立たせた。


 「なんで俺のような”フレンズ”や敵である”ディザスター”が出現したのか……俺たちは単純にポッとその場から生まれて出来たわけじゃない。俺たちを生み出す、根源的な物質が俺たちを生み出したんだ……ほら、それだソレ」


 立っている一本指がズボンのポケットに向けられている。


 この日、俺は何の用もなく外に出ただけでポケットには何も入れてないはずだ。


 だが、あのいさかいの中で何の疑問も抱いていなかった懐に違和感を抱く。何かが、入ってる。


「……えっ、コレ……」

「これ、お前の”おまもり”だろ? 自分で持ってたじゃねーか。気づいてなかったのか?」


 彼女の不思議そうな顔に俺は困惑した。


 リング状のわっかにレンズがはめ込まれ、首からかけるためのひもが付けられている。近所にあるショッピングモールのアクセサリー店に置かれてそうなものだがこれだけ大きなものがポケットに入ってれば気づきそうなものだ。


 なのに、これを所持した記憶もなければ、貰ったこともない。

 

 マジマジと座りながら見つめてくるエゾヒグマは納得したように溜息を吐いた。


「……やっぱりな。これには”サンドスター”が付着している。これが町で徘徊していたオレをフレンズに変えたんだ」

「サンド……スター……?」

「動物を人間に変質させ、環境を整えて変えてしまう”未知なる物質”。あの時、雪のディザスターに殺されかけたお前は身近にいたオレに……このおまもりを持って念じたんだ」


 まるで当事者のように語られてるが、俺は知らないし、言われても困るのだ。


 おまもりは煌々と輝いている。電気の通ってないこの家の中なのに、外からの月光だけが”おまもり”の神秘さを称えている。


 これがサンドスターの輝きだと言うのだろうか。獣を人に変え、現象を怪物へと変貌させた異様な存在が俺の手の中にある。


「そんな、だってこれは……」

「持っていたのに気づいていなかった、だろ? ……まったく、なんでだろうな」


 彼女でさえ、知らないとばかりに困っている。 


 知らない事と分からないことが内在して、なのに手の中で握られてる”おまもり”はただ輝きを漏らしている。


 秘められているのはサンドスター。動物を人に変え、自然を敵に変え、この町の無難とも言えた日常は永遠に失われてしまった。何の前触れもなく、理由もなく。


 ならば、この事態は誰のせいなのだろうか。突然降ってわいたサンドスターによる産物のモノか。


 だとしたら、このおまもりの所有者である俺にわずかな責任があると言うのだろうか。突然の災害による死者、荒らされた街、そして逃げる時に見捨てた母親の遺体すらも。


 おまもりは答えてくれない。立ち尽くして棒になった足がその場から動かすこともできず、手の平に置かれた不透明な物体から目を逸らせない。エゾヒグマも気を使って言葉をかけることもなく、部屋の中で静寂が満たされて……


 音が、した。


「そこで待ってろ。今見てくる」


 潜ませた言葉で俺に耳打ちをして、エゾヒグマはその体格に見合わない軽快な動きで上階へと向かった。


 このモデル住宅は三階建てとなっており、一階が物置と風呂場、二階がリビングとキッチン、三階に私室が三つほどと言ったように分けられている。


 今、エゾヒグマが向かっていったのは三階の私室のある方だ。あの階にもリビングと同じ様にモデル用の家具が設置されてるはずであり、隠れる場所は多いはずだ。


 だから、安心できた。奴らであるならば隠れる必要はない。むしろ、隠れている人物はきっと俺たちと同じ境遇のはずなのだから。


 ……わずか数分ほど経つと二人分の足音が上からやってきた。


「ま、まてっ! 待ってくれよ! 頼む、ここに籠らせてくれ!」


 出てきたのは見るもみずぼらしいおじさんと言ったところだった。


 見るところ年は三十半ばと言ったところか。肩まで伸ばした髪にぼさぼさのあごひげ、チェック柄のシャツとジーパン、背中にはリュックサックを背負っている。


 いい年をした大人ではあるが、事が事だけにおびえながら手をあげてエゾヒグマに階段を下りるように指示を受けている。あの大きな熊手が背中に当てられているのだからむりもない。


「……えっ、誰?」

「しらね。クローゼットの中に隠れてたぜ」


 その話を聞くだけでため息が漏れた。考えていたことは当たっていたようだ。


 ここに来るまでにも凄惨な光景が広がっていたのだ。このモデル住宅地付近でさえ、はっきり言って目も当てられないうえに異様な臭気が漂う場所となり果てているのだ。


 なによりもその男をみずぼらしいと思えてしまうのはボロボロとなった服装に肌が見えるところは軽い切り傷が目立っている。なのに服についてる大きなシミは逃げきれない犠牲者の返り血を浴びてしまったが故か。


 ここまでくると哀れを通り越して同情を禁じ得ない。


 彼を睨みつけるエゾヒグマを抑えて、俺たちは彼の話を聞いてみることにした。


「……き、キジヤだ。『キジヤ・ブン』。ほら、これ見ろよ」


 あわただしく懐を探るキジヤと名乗る男は胸ポケットをポンと叩いて焦っている。しばらくズボンのポケットに手を入れてる間に何かを思い出したのか、リュックサックからくしゃくしゃとなった紙切れを渡された。


 ジャーナリスト、キジヤ・ブン。


「……記者の人だったんですか」

「そ、そうだ。この町の惨状を見りゃわかるだろ! ここに逃げて来たんだ……っ」


 肩で息をするようにしてソファにぐったりと座り込んだ。


 彼の様子を見るに服を脱ぐことなく、そのまま隠れていたのかもしれない。気が張り詰めていたのか顔がこわばり、全身から緊張の糸で纏われているような雰囲気をしている。


 俺たちという不審者に対して注意深くなっていたのだから相当疲れているはずだ。口を挟むことなく、彼をソファに寝かせたまま話を続けることにした。


「……その、話の方は実は聞いていた。一階の方がやたら騒がしいと思っていたから”ヤツら”と思って隠れてたんだ。だから、その、聞こえていてな」

「安心してください。俺たちの方は危害を加えるつもりは一切ありません」

「そ、そうか。それを聞けて安心したよ。なにせ、ここに来るまでいろいろあったもんだからね」


 色々というところに重く伸し掛かる実感がエグイ。


 その点を詳しく話し合う必要はないだろう。その意図をキジヤという人も察してか、話を続けてくれた。


「……ここに来る途中、大勢の化物ども……ああ、キミたちで言うところのディザスターってやつらに出くわしてね。逃げるうちに……ううっ、すまん、思い出しただけで吐きそうだ……」


 吐き捨てるため息に淀んだ唾液がのどの変なところに入り込んでしまったのか、ほとんど嗚咽のようにしてせき込むキジヤの表情には悲壮感が見て取れる。


 そして、この俺自身も不思議に抱いていたエゾヒグマに対しても、キジヤは不思議そうに視線を移していた。


「……その、エゾヒグマちゃん、だったか。キミは、どこでその情報を手に入れたんだ?」


 その言葉は意外な物だった。


 彼女の話を聞いてるうちに、疑問点を解消するための要素としか思っていなかった俺はまず思うべき点を失念していたのだ。それは、彼女の情報源。


「だって、おかしな話じゃないか。キミは彼に出会うまで動物だったんだろ? 動物だったはずの君がどこでディザスターやサンドスターの情報を得た? ソース元はどこだ?」

「……んー……ああ、あれはサンドスターが集めた情報をオレが頭の中で引っ張り出してるんだよ」

「引っ張り出してる? 君の頭の中で潜在的に潜んでいるようなものなのか?」

「えっとさ、つまりさ、俺の姿やこの力だって人間がいままで書き残した情報をサンドスターが”エゾヒグマの知識”を集めて作った”見た目”なんだよ。サンドスターの知識やディザスターの事だって、そこから引っ張り出してきてる。サンドスターはいわば地球で集めた情報の保管庫ってわけ」


 彼女だけにしかわからない情報が抽象的概念を交えて解説された。


 さっぱりだ。理解不能だ。話の元の方もどこへ来たのか分からないのに彼女の会話内容で余計に混沌としている。


 だが、キジヤだけは何かを得たのだろうか。思い当たるようにして顎に指をあてている。


「……いや、待て。つまりはこういう事か? サンドスターは多くの”情報”を集めるプールがあり、フレンズ化をする際にエゾヒグマの特徴と動物としての特性をそこからサルベージして彼女に振り当てている……情報の保管庫……」

「あの、納得されても俺の方がわかんないんですけど……」

「ああ、すまない。いわば、サンドスターとはインターネットのクラウドサービスに近い何かなんだ。あれだってユーザーが集めたデータをクラウドに預けて、必要な時に引き出して使うんだ。おそらく、彼女がフレンズ化する際に……その、サンドスターからその情報を託されたんじゃないかな。まぁ、これは推測だけど」

「そんなっ、えっ、それって……そんな形のないあいまいな”情報”が、そんな風に集まる事ってあり得るんですか……?」

「ないこともない……とある心理学者が唱えた”普遍的無意識”と言うモノがある。これはヒトの意識と言うモノは無意識化の下で共有され、我々人間が同じように物事を考えられたりするのはそこから来ている……と、かなり昔に提唱された学説だ。このほかにも人間の脳は世代ごとに受け継ぎ、一部の界隈や集まりにおいては共通的概念を持つようになる。いわゆる”ミーム”なんかだってそうだ」

「……”形のない情報”を”形のあるエネルギー”に変える? それがサンドスター……?」

「あぁ……ただ、あくまで私の推測だ」



 話を終えたところで、俺たちは食事を取ることにした。


 この家はモデル住宅のため、食料なんてもちろん置いてあるわけもない。そうなれば、どこかへ逃げた時に食事は必要だろうと言う事でここに来る途中でコンビニへと寄っていったのだ。


 料金については触れられない。緊急事態という事で自分を許すしかない。


 持っていたのは簡単な菓子パンと冷めても食える弁当類。日持ちのする缶詰などをこれまた途中で拾ったバッグに詰め込んで向こう何日分かの食料を確保しておいた。ガスや水道、電気なんて通ってるわけがないから開けたらそのまま食べられるものが好ましい。


 キジヤさんの方にも食料を分けようとしたが、どうやらこの災害に巻き込まれる前に食料を買いこんでいたようだ。なんでも途中のホテルで泊まりこんで文字通りのカンヅメをしようとしていたとかなんだとか。


 食事を終え、腹もたまった俺たちは今後の事を話し合った。


「……その、キジヤさんはこれからどうします? 俺たちはこれから避難所に行く予定ですけど」

「いや、いくも何も……町の外があの惨状なんだから出る気なんてないだろ」


 それもそうだ。自分で言ってなんだけど。


 時刻はすでに九時を過ぎている。外の方は来た時のようにヒトの悲鳴が全く聞こえず、静かな夜の世界が町を包み込んでいる。


 あいつらも大人しくなるのだろうか。人格のある災害というくらいだから休息や睡眠を必要とするならば、それは俺たちにとって朗報だろう。


 できれば、そう信じたい。殺しつくして誰もいなくなったなんてことよりかは。


「……エゾヒグマ、ここって安全だよな」

「ん? ああ、安全だぜ。おまもり所有者にはな、結界が張られるんだよ」

「結界?」

「お前の持ってるおまもりにはディザスターからの攻撃を防ぐ”結界”が張られるんだ。これがあれば戦闘中、オレの後ろで無防備なお前の安全は保障されて、安心しておまもりを通してオレの力を引き出してくれる。そうでなきゃお前はまっさきにお陀仏だぜ?」


 言われてみればと振り返る。


 あの時、初めての戦闘では”雪”は俺を襲わずにエゾヒグマに戦いを挑んだ。司令塔である俺が死ねばエゾヒグマは力を発揮できないはずであり、それを狙わないと言う事は結界のおかげという事だ。


 つまり、今後の戦いにおいて俺が真っ先に命を狙われる可能性は低いと言う事か。


「オレの方が余計な力を使わなければ結界の範囲は広がる。大本はお前の想いや念じる力によって力が振り分けられるからな。このままジッとしてれば何事もなく一夜を過ごせるぜ」

「……だ、そうだ。どうする園長さん」


 話の内容を細かく聞いていたのか、すぐさまキジヤさんはしゃれっ気をキメて話しかけてくる。


 どうするもこうするもない。この場所が安全地帯であるのならば、休める機会に休んでおきたい。


「ここに留まりましょう。体を休めたら早めに避難所。それでいいかエゾヒグマ」

「いい判断だ」


 ほがらかな笑顔を向けてくる彼女に頼もしさと気安さを感じられる。今日一日において、やっと休められたような気がした。


 こうして、激動の一日が終わった。


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