幕間その1・虚ろに生まれた命
オレは何もない所から生まれた。
母親の腹の中でぬくぬくと温められて外界へと至るための産道を渡って来た記憶は辿っても見つけられない。あったのは、何もない寒空の山の中で冷たい木の葉をまぶした土の上だったのだ。
ゆっくりと体を起こして周りを見渡す。立つこともできるし歩くこともできる。教えられたわけではないはずのオレの”四本足”は歩むことを記録してあり、のたのたと歩を進めていった。
ここが山の中だと気付けたのはすぐにでも端の方に行けば、どこまでも広がる山並みの景色と向こう側に広がる”鈍い鼠色の木々”がオレの目にとどまったからだ。
その時、オレの頭の中に”山の中”と”人の住む町”であることが思い浮かんだ。この土地は昔は山とどこまでも広がる平原が広がる自然の土地だった。時が経ち、ヒトは技術と能力を持って開拓してこの土地に一つの地方都市が生まれたのだ。鈍い鼠色の木々……いわば、ヒトが建てたビル群はヒトの技術の結晶なのだ。
次に脳内で巡ったのはヒトの危険性だった。あそこにあるのはヒトのナワバリに足を踏み込めば力の強いオレの腕で何人かは葬れるが、その後にやって来るのはヒトの技術の結晶による処理が行われてしまう。
だから、オレは立ち寄らないことを心掛けた。
オレだって生きていたい。母親の腹から生まれ落ちたわけでも、誰かがオレをこの場所に放置したわけでもない。ただ、気づいたらここにいただけのオレはむざむざと処理されるよりも生きて平和に暮らしていたい。
この土地は豊かだ。木の実が実り、川には魚が泳ぎ、自然によってもたらされる食糧はいくらでもここにあるのだ。オレの脳裏にはオレの種族が選んだ選択のいくつものが浮かび上がるが、そのどれもヒトの逆鱗に触れたことによる報復を受けている。
じっと眺める地方都市を目に焼き付け、なにを言わずともオレは山の中へと戻っていった。
途中、オレと同じようにムシや野良の獣が視界に映りながらもオレの方に意識を向けることなく去っていく。オレはまだ”子供”だけど、自分の命を惜しんで去っていくようだ。
……ちょうどいい感じの穴を見つけた。本来であれば大人ほどのオレと”同じ種族”がやる作業もヒトほどの知識を持つオレであればやるのには苦労はしない。
入ってみると、これがまた過ごしやすかった。時間はかかってとっぷりと暗くなってしまったが、広々とした穴の中では遮るものも阻むものもないから大の字で寝れてしまうのだ。まぁ、オレはヒトじゃないから丸々ように眠るんだが。
※
あれからどれだけの時間が経っただろうか。
唐突に意識が生まれ、唐突にあの場所にぽつんと居て、唐突に始まったオレの山中生活はほどほどに快適で不平不満もなく悠々自適に満喫していた。
ぶんぶんと空を飛ぶ鳥や羽虫は目で追っているだけで楽しいし、ときおり通りすがる獣がいたりすると少し楽しくなる。特に道端に落ちた枝や寒くなったときに出来る氷を踏んだりしてぱきっ、ぱりっと遊ぶのが季節ごとの娯楽になったりするのだ。
それに、季節の移り変わりだ。この山は四季の変化に流されて色とりどりに変化していく。桃色の葉っぱ、熱い空気と共に青々と照らされる森、寒くなり始めると赤々と燃える山並みをうっとりと見つめ、はらりと散った木々に寂しさを覚えながらも冬ごもり時期でジッと空を見つめる。
あの地方都市が見える高所ではいろんなものが見える。山の途中にある灰いろの道……頭の中から”道路”と呼ぶことを教えてもらい、あの道路に”車”と呼ばれる四角い箱が通り過ぎていく。あそこにはクマの出没注意の看板が建てられたり、山の中だけあって動物には注意を払っているようだが、彼らにとって幸運なことにオレは何もしようとはしないのだ。
ヒトはヒト、オレはオレ。すみわけを考えなければ、両者ともに傷ついてしまうだけだ。
だから、オレは今でもヒトに対して何もしようとはしない。両者、干渉さえしなければ何も問題は起きないのだから。
……それに、ここらへんは単なる通り道って言うだけで建物らしきものは何もない。ヒトが通り過ぎるだけで、留まることは決してないのだ。
眠い目をこすり、オレは穴の中へと戻る。住み慣れた穴倉の空気にすらも生活感漂う風と臭いがしっかりと定着し、月日を重ねるごとに大きくなる寝床の土にどっかりと寝そべる。
見つめる先には何もない。暗い空虚の空間をぼんやりと見つめるだけだ。
「いつまでここにいるんだろう」
オレは思うのだ。自分は死ぬまでここにいる。まだちっちゃい子供だけど、大きくなればいつかは成長して大人になる。
でも、その時のオレはどうなっているだろうか。オレのそばに子供はいるのだろうか。そもそもオレは生まれてきたと言うよりはいつの間にか”いた”のだ。子供の作り方も生み方も知らない。いや、もっと言えばオレは自分が雄か雌かもわからない。
ぼやけるような毎日を過ごし、なんてこのない日常がこれからの空虚な延長線上にあり、それを持っている物で空虚でないように埋め合わせていくしかない。その事に気づき、じゃあ何のために生きているのか自問自答しかけた。
「……えっ? ”子熊”……?」
突如、穴の入り口から聞こえてきたヒトの子供の声が、空虚で終わるはずだったオレの生活を終わらせた。
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