終わる日常
そのとたん、軽快な足取りが踏み外したかのように崩れかけてしまう。
歩いている場所は通行量も多い大通りで多くの車が行き交っている。ガードレールの横に沿って歩いていた俺は崩れかけた体を片手でレールにもたれかかって調子を取り戻そうと心掛けた。
その途中、俺をしり目に見ていく通行人がいた。親子連れであれ、同い年くらいの少年なんかが心配そうな目で見るが特に何かをしてくれるわけじゃない。厄介なものを見たと言う視線だけは向けてこないように、素振りだけを見せて残していく。
「おにーちゃん、大丈夫……?」
「えっ」
「おなか、いたいの?」
心配そうに顔を覗き込む子供が、腹の部分をさすろうとしてくれた。見たところ、小学生にもならない女の子だ。
……黄色い帽子に青い服。たしか近所にある幼稚園のだ。親と一緒に帰る途中だったのだろう。近くにいる母親が苦笑いで返してきたから俺もぎこちない笑みで返す。
「……大丈夫、なんでもないよ。ごめんね」
「ああ、こら。ご、ごめんなさいねご迷惑を」
「あ、あはは。いえ、大丈夫です」
ぺこぺこと頭を下げてくる母親の傍で園児の子はばいばいと手を振ってくれている。わずかばかりの意地も手伝い、手を振ってみせた。これ以上、あの子に心配をかけるわけにもいかなかった。
深いため息を吐いて眉間をきゅっと握る。
だいぶ楽になり始める。深呼吸をしておけば気持ちも落ち着きを取り戻し始めた。
……白昼夢と言えばいいのだろうか。たまに、夢想じみた何かが脳裏によぎり現実からの視点を奪い去っていく。思い当たるふしもない記憶に惑わされるが、深呼吸とちょっとの休憩があればすぐに終わる。
山の中を歩き、四季の変化を感じる。そんな人里から離れた場所で、俺はちっちゃい”何か”に出会った……そんな、夢。
「……ふぅぅぅぅー……っ」
ときおり、歩いていると頭がくらりとなって足元がふらついてしまう。
こういった症状は中学に上がり始めてから強く表れるようになった。あの頃は授業中に僅かばかりに集中力が途切れ、授業中の黒板を書き写すのに厄介くらいだとしか思わなかった。
歩いている途中に意識が途切れやすくなったのは高校に上がってからだ。通学途中や帰宅途中のことはもちろんのこと、休日に遠方へ出かけるとたびたび起こる。
医者に掛かった事もあるが問題は見当たらないらしく、ストレスによるものではないかと言われた。
……思えばその通りかもしれない。父さんが亡くなってから母さんは俺を女手一人で育ててくれた。金銭面に関しては父さんの残してくれた金と母さんの仕事で賄えるが、日常的な火事炊事については母さんが負担している。
俺も出来る限り食事や洗濯もやるように心がけているが、中学ごろに表れ始めた体調不良のこともあって「アンタは無理しなくていいのよ」なんて言ってくるから……気が気でない。
(……負担に、なってるだろうなぁ)
ストレスがきっかけとなって意識を手放しやすくなったと言うのならば、きっとこういう所にもあるに違いない。
確かに母さんにとって俺は大事な一人息子ではあるんだろうが、それで蝶よ花よと大事にされても俺だって気が気でない。外出するときも心配そうにするが、こっちだって気を付けているのだから。
……足取りもだいぶ調子を取り戻し、俺は歩き始める。
通行途中のため、車や自転車が通らないかと注意を払って周りを見回すなどをするように心がけている。倒れるなどして周りに迷惑をかけるような真似はしないようにしたい。
「……あっ、アキ」
「おう、カスミ……ぁ゛っ」
知り合いとばったり出くわしてしまった。我ながら情けない悲鳴が漏れた。
肩にかかるほどの黒髪とキッとした強気の瞳。小学校以来の腐れ縁であるシジマ・カスミだ。
彼女は俺の症状を知っている。何かと世話を焼きたがる性格の為か保健室に行くときも付き添いで一緒に行ってくれるのだ。そこをクラスメイトにからかわれることもあるが、彼女はそんなの知った事かと鼻で笑うのだから本当に頼もしく思う。
半そでにジーパン姿を見るにこいつも近所に出かける予定だったのだろう。ここらへんで遊びに行ける場所と言えば駅前にある大型総合ショッピングモールくらいだ。
が、俺が変な声をあげてしまったのはカスミに出会ったからではない。その隣にいる人物に俺は驚いてしまったのだ。
「ちょっと、寝てなきゃだめでしょ」
「……悪かったよ母さん」
ほっそりとした体は去年に比べてさらに頼りなく見えた気がした。自宅の中では目にしたり話す機会が多いだけに日常に溶け込むと違和を感じる事は出来ないが、第三者を交えると客観的に見えてしまう。
「あんた体調は大丈夫なの? 今日は休日なんだからゆっくりしていた方がいいのに」
「いいって。家にいたって暇なままだしさ。歩いてる方が気分転換になるんだ」
「そう……でも本当に調子が悪かったらまっすぐ帰ってくるのよ。あんた変にイジを張ったりするんだから」
薄い胸をぽんと叩いたカスミが口を挟んできた。
「大丈夫ですよおばさん。いざって言うときは私が首根っこひっつかんでも持ち帰りますから」
「俺は猫か何かか?」
「ふふっ、ありがとうカスミちゃん。それじゃあ私は先に家に帰るから、あんたは気をつけなさいよ」
呆れ顔でいながらも頬がこけている母さんは笑いながら帰路についていった。
見送る背中はとても小さい。子供の頃は大きく見えた生みの親は昔と変わらず、買い物袋を手に持ちながらすっさすっさと足取り早く去っていく。
ジッと母を見つめる俺を見かねて、カスミはそでをちょいちょい引っ張って来た。
「ほら、行きましょ。いくんでしょ? ”ジャパリモール”」
「ああ、そうだな」
二人と並んで遊び場所へと向かっていく。
ジャパリモール。ここの所、全国規模で展開している大型ショッピングモールだ。スーパーなどの生鮮食品を扱っているのはもちろんこと多数の企業が関係する販売店は洋服、音楽関係、スポーツ用品、本などの雑貨、ゲームセンターなど数え上げたらきりがない。こんな地方都市では俺たちのような若者には大変ありがたいな娯楽施設だ。
道すがら、カスミは道端の小石を蹴りながら歩いている。なにか持て余すとペンをくるくる回したりと変な癖が時々目立つ。
「あ、ニュースやってるよ……あ、小笠原の隕石だって!」
「……例の無人島問題か。あの話、まだ続いてるんだなぁ」
駅前ビルのモニターには新たなニュースが入ってきている。
話の内容はやれ”小笠原諸島付近に落下した隕石”、”海底火山によって隆起した無人島”だのとテレビスタジオに出演している人物たちはあれこれ説明してくれている。
ただ、いまは小難しい話を聞きたくもない。あの無人島が誰のものになるか、どこの大きな財団が所有するかで白熱しているが俺には関係ない事だ。
カスミも興味をなくしたのか俺の日常話に切り替えてくる。
「ねぇ、ちゃんと一日三食食べてるの? しっかり食べなきゃ倒れちゃうんだからね」
「分かってるって。育ち盛りなんだから食わないわけないだろ?」
「ふふっ、でしょうね。じゃあ今度、夕飯つくりに行ってもいい? 食事のバランスが取れてるか心配だしさぁ」
今の話を聞いてギョッとする。
カスミは昔から俺に対してなにかとおせっかいをかけてくるが、その中でも労力を使ってるのが家に来て夕飯を手伝いにくることだ。
元々、火事炊事なんかは得意としてるため、彼女自身の性格と相まっていまでは俺の世話をするために有効活用している。こいつがつくった飯は本当にうまいのだ。
だが、問題はそこではない。俺が驚いているのは食事を作ってくれることではなく、俺の家に上がり込むことその物。
「お前……いいのかよ。”彼氏”いるのにさ」
カスミは去年あたりから付き合い始めた彼氏がいる。
相手は俺と同じ学校の生徒。背も高く勉強もできてスポーツもできる万能超人な上になかなかのハンサムな奴だ。俺も会った事がある。
だからこそ、それでいいのかよと突っ込まざるを得ない。コイツはもうすでに一人の男性とお付き合いする年齢だ。それを義理とか同情とかで俺につきっきりだとカスミに悪いし、周りからも変な噂を立てかねない。
「大丈夫よ。彼、私のこと信頼してくれてるもん。それにアンタの家に行く時とかはしっかりと話をつけてあるしさ」
「……まぁ、いいけどさぁ」
なんともまぁ、律儀だと言わざるを得ない。
子供のころから俺の事を気にかけ、なにかと世話を焼きたがるのはカスミ自身が俺に恋愛感情を抱いているわけではない。単純な理由、それは友達だから。大切な友達は助けてあげたいから。
好きな男もできて、しっかり者だからこそ俺を気にかけてくる。けれど、それは恋愛感情ではなく友情によるもの。精神的、性格的な動機によって動き、他者を思いやれる。それがカスミという少女だ。
……何事においても自分とは関係ないと思っている俺とは大違いだな。
モールが近づく。駅の近くだけあって、大勢の人たちが集まっている。家族連れ、同年代の男子と女子、ご老人に見張りの警備員、ペット連れ……ヒトの出入りできる入り口でこれほどだ。駐車場のほうも満車だろう。
盾に並べられた煌びやかなアーチを潜り、燦然と輝く噴水広場の中央にはギリシャ神話を思わせる銅像が建てられている。広場を中心としたここからはテーマごとに分けられているいくつものエリアがあり、それぞれが広い世代に対応した店が開かれている。
楽し気な空気、浮ついた雰囲気、さながらここは”遊園地”……”ジャパリモール”。
「ねぇねぇ、ゲーセン行こうよ。新しいレーシングマシーンが出来たらしいよ!」
楽し気に興奮するカスミをしり目に、俺自身はどうやって暇をつぶそうかと考えていた。
元々、空虚な時間を娯楽で満たしたかったのだ。遊べるものなら何でもよかったし、退屈させてくれない物であればなんだって歓迎するつもりだ。
ただ、横ではしゃぐ幼馴染の様を見ていると暇はしないだろうという事に期待を持てた。
――不快な機械音が携帯からこだました。
「えっ、これって……”緊急地震速報”!?」
電源を切っていたはずのそれは、耳と心に不安感をかきたてるように鳴り響く。
俺の方にも緊急時用の黄色い画面とでかでかと映し出されている”地震です”の文字が堂々と映し出されている。
その後も続々と各所から鳴り始めた。さきほどまで陽気に歩いていた親子連れの内の父親のほうが携帯を見た瞬間に青ざめ、焦り始めた親子はそのままモールに入っていった。
あの親子だけではなかった。この場にいる者たちの携帯から次々に大規模地震を告げる黄色い画面を見た瞬間、半ばパニック状態になって慌てふためき始めた。
――ね、ねぇ、地震がくるの!?」
――どうしようっ、ど、どこか隠れてないと……
――建物だ! 急げ!
――わぁ、バカ、押すな!!
広場は混沌に落ち始める。
子供たちは泣き始め、大人たちは助かりたいがために我が先にとモール内へと押し入っていく。力の弱い子供や老人の一部は邪魔だとばかりに押し倒され、冷静に行動できる大人の制止も振り切って彼らは建物の中へと逃げ込んでいった。
あれだけ陽気な空気が流れていた広場が焦燥と混乱に満ちた喧騒によって包まれた。笑顔は悲しみに、歓声は怒号に、まだ来るかもわからない災害が人々から理性を奪い去った。ひとかけらも残さず。
「アキ! 私たちも逃げないと!」
「あ、あぁ……あ、えっ……?」
ふと、俺の頬に冷たいものが触れた。
「ちょ、どうしたのアキ……えっ、”雪”……?」
”雪”が、ふってきた。
ふわりふわりと綿毛のような白い小粒が浮かんで落ちる。地面の熱に触れた途端にその形を残さず消えていく様はまさに冬の時期に見られる自然現象そのものだ。
気づけば、外の空気が寒くなり始めている気がした。肌に刺すような極寒と震え上がる気温は”冬”の季節と形容できる。
……だが、今は”夏”だ。夏の時期に雪が降るなんてありえない。ましてや、空には”雲一つない”のに!
「キミたち何をしてるんだ!」
「お、おじいさん……」
「さぁ、早くこっちに来なさい! これから大きな地震が――」
心配して見かねていた老人が俺たちに話しかけてくる。この状況である程度、冷静さをうしなわなかった貴重な大人だ。
カスミは腕を引っ張られるようにしてモールへと連れてかれた。俺もそれに続いて建物の中を目指そうとして――
「急ぎなさい。大丈夫だ。慌てず騒がずおちついで゛、ぇ゛っ゛っ……?」
”雪”が、老人の胸を貫いた。
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