"世界一"可愛い彼女の作り方

青キング(Aoking)

第1話 彼女を持たざる者

「はあああああ、彼女欲しいなあ」


 のどかで平穏な空気が流れる昼休み中の教室で、石田雄洋は机に腕をだらしなく投げ出した格好で呟いた。

 石田は生まれてこの“彼女”という存在を数秒たりとも持っていたことがない。

 ましてや年齢の如何を問わず、女性からまともに男性として相手にされた経験さえ覚えにないだろう。

 彼を男性として扱ってくれるのは戸籍ぐらいなものである。

 そんな非モテの権化とも言える石田には何の関係もなく、教室の隅ではクラスの女子グループが恋バナに真っ最中であった。


「うちさ、先週の金曜、○○に告られてさー」

「え、マジ。そんでどうしたの?」

「付き合うわけないじゃん。うち○○に興味ないし」

「それはわかるわー。身長は高いけど、別にそれほどカッコいいわけじゃないしね」

「それより、うち他に好きな人いるしー」

「聞きたいなぁ。だれだれ?」

「言うわけないじゃん。前の彼氏と別れたばっかだしぃ」

「確か三か月は付き合ってたんだよね?」

「違うし、三か月と二週間だし」

「そんな細かく覚えてるわけないじゃん」


 石田は彼女の会話をこっそりと盗み聞きして、一人勝手に憤慨する。

 三か月も付き合っておいて、なんで別れたんだよ。学生生活の三か月を棒に振る気か。

 心の内でそう毒づきながら、一日すら女子と交際したことのない己の身の上を思い、心に寂しさが忍び寄った。

 女子の恋バナに興味を失い、締め切った窓の外のグラウンドに目を遣る。

身体の疲れでも絞り出すように盛大に溜息を吐く。


「はああああああ、彼女欲しいなぁ」


 窓の外に悩める男の嘆息が漏れる、とそんなちょっと粋なシーンを想像して吐いた溜息だが、石田の溜息は締め切った窓を跳ね返って、彼の辛気臭い顔に戻ってきた。


「何アイツ、キモ」

「窓際でたそがれてるんですけど。どうせたそがれる出来事もなかったはずなのに」

「あーそれ私も思った―」

「やっぱりー?」


 石田の溜息がよほど大きかったのだろう。先程まで恋バナで盛り上がっていた女子グループが。俄かに石田を見下す口調でわいわいと駄弁り始める。

 自分の事を話していると察した石田は、彼女たちに首を振り向け、努めて目を細め睨みつける。

 しかし陰キャで体格が特段いいわけでもない石田の眼光は、彼女たちには弱った犬が吠えているに等しく、一切の脅威も感じなかった。


「なんか睨んできてるんですけど、キモ」

「キモいを超して、もはや吐きそう」

「えっそれはヤバくない。ほぼゴミ溜めじゃん」

「ゴミ溜めww。それいい例えだわ」


 何が面白いのか、彼女達は腹を抱えて笑い出した。

 遠慮ない嘲りを含んだ嬌声は、否が応でも石田の耳に聞こえてくる。

 くそっ、言いたい放題言いやがって――。

 内心の憤懣を昂らせながらも、言い返す勇気は湧いてこなかった。

 石田は怒りが行動に繋がらない自分の臆病を、歯噛みしたいほど憎らしく思った。


「おー、おー。石田君、あそこまで言われて悔しくないのかい?」


 窓越しの曇天を眺めて憤懣が落ち着くのを待っていた石田の席に、いかにもおちょくった口ぶりで一人の男子生徒が近づいた。

 男性生徒の名を吾妻恵大といい、サッカー部でスポーツ万能、軽薄そうだが調った目鼻立ち、クラスの垣根を越えて女子生徒と関係を持ち、彼女が出来た別れたの噂に絶えないモテモテの陽キャリア充だ。


「……なんの用だよ?」


 前触れもなくちょっかいを掛けてきた吾妻を、石田は苛立った目で睨み返した。

 吾妻はわざとらしく恐がって身を引く。


「うわ、怖いよ石田君。そんな怖い目で俺を見ないでよー」

「……」


 関わり合いになりたくない石田は、無言で窓に視線を戻す。


「ちょっとー、石田君? 無視ですか?」


 嘲笑を浮かべながら石田を再び振り向かせようとする。


「うっさいな。なんだよさっきから!」


 嘲笑いされる苛立ちを抑えきれず吐き捨てる。

 石田の反応を楽しむ吾妻は、ケッケッと下卑た笑い声を出した。


「石田君。女子を睨むのはよくないな」

「なんだよ突然。何が言いたいんだ?」

「石田君には彼女は一生できないよー、っこと。まあ、態度が良くても彼女はできないだろうけど、ブッ」


 言葉尻で耐えかねたように噴き出す。

 目の前の害意ある男子を殴りたい衝動が、沸々と石田の胸に湧き上がってきた。

 だがそれと同時に、一部分では彼の言うことを肯定してしまっていた。

 確かに俺に彼女が出来るはずがない、と。


「心外だ。吾妻恵大」


 石田の怒りが自戒で沈みかけていた矢先、クラスの外から不意な横槍が入った。

 吾妻と石田がクラスの外の廊下に目を遣ると、眼鏡をかけた落ちぶれの書生じみた外見の男子生徒が、卑屈な目で吾妻を敵対するように見ている。


「俺を呼び捨てにした奴はお前か?」


 イラっとした吾妻が書生みたいな男子に凄むように訊くと、男子ははっきりと頷いた。


「そうだけど何か?」

「心外ってどういうことだよ。眼鏡くん?」


 へらへらと鼻につく笑みを浮かべながら吾妻が尋ねると、度の強い眼鏡をかけた書生みみたいな男子はちらと石田を一瞥して頷きかけ、吾妻に断固たる視線を合わせる。


「彼女が出来ないなんてことはない。ただ本気を出していないだけだ」

「ブッ、ハハハハハ」


 眼鏡男子の言葉を聞いた瞬間、吾妻は堰を切ったように大笑いし出した。


「何がおかしいんだ?」

「いやぁ、おかしいだろ。彼女が出来ない理由を本気を出してないから、だなんてよー。あーウケるウケる」


 眉をしかめて尋ね返す眼鏡男子に、腹を抱えて笑いながら告げる。


「本気を出したところでお前には彼女は出来ねーよ。男としての価値がないからな」


 眼鏡男子は目を見開き言葉に詰まった。言い返したところで、相手の主張を否定する根拠はないのである。


「おいら達にも彼女は作れるっす」


 唐突に教室の最前列から声が響いた。

 吾妻が振り向くと、声の主である短躯で豚のように丸々と太った小柄な男子生徒は口の端から零れそうになる涎を拭ってから続ける。


「今まで彼女がいなかった過去は変えられないけど、彼女がいるという未来は作れるっす」

「屁理屈こねないと自分を受け容れらないとは、なんか可哀そうだなぁ」


 精一杯の自己保身の台詞を吐き出したデブ男子を、吾妻はいたぶられた弱者を見るような優越感のある哀れみの目で眺めた。


「そんな目で見るなっす!」

「お前が俺よりも可愛い彼女を作れる日が来たら、土下座して謝ってやるよ。まあそんな日が来る前に俺が墓に入っちまうけどな」


 そう言って、おどけたように肩をすくめた。

 彼に好意を持つ女子達や彼におもねる男子達の笑い声が弾ける。


「なあ、吾妻」


 見世物を楽しんでいるかのような笑いで満たされた教室が 不意の石田の声で一瞬にして静まり返る。

 吾妻が不快感の露な顔で石田に向き直る。


「なんだ?」

「もしも彼女が出来たらほんとに謝ってくれるのか?」

「きちんと謝ってやるぜ――そうだ、いい事思い付いた」


 嘘を吐いたつもりはない請け負った吾妻の頭に、大勢の生徒の前で土下座する石田と眼鏡とデブの姿が映った。

 高みから見下ろす愉悦に浸りながら、吾妻は言葉を継ぐ。


「石田と眼鏡とデブ、お前らに提案がある」


 呼んだ三人の視線が彼の口に集まる。


「お前ら三人の中で誰か一人でも誰が見ても可愛い彼女を作って連れてこられたら、俺は全生徒の前でお前らに土下座してやるよ。でももし連れてこられなかったら……」


 クラスの生徒からたまたま居合わせた廊下の生徒を含め、周囲の視線が吾妻に向けられる。

 吾妻は少し考えてから、ニヤリと余裕を湛えた笑みで告げた。


「僕は童貞ですって書かれた紙を背中に張って、卒業するまで過ごすんだな」


 救いない嘲弄が教室いっぱいに響いた。

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