第7話 屍人の街の屍姫 後編

 細い月が頭上へと差し掛かる頃、俺は館の中から上がってくる強大な魔力の気配を感じて目を開いた。

 細くても月があるせいで、漆黒ではない夜空に沢山の星が瞬いてさて、とても綺麗だ。

 俺は旅での生活が長く、野宿は当たり前。だから、ほんの僅かな気配でも感知出来るし、基本的に仮眠しかしない。

 というか、それが出来ないと一人旅など不可能だ。魔物に喰われちまうからな。

 それにしても、これ見よがしに魔力を振りまいてやがるな。どうやらやる気満々のようだ。レイラを大人しく返してくれれば楽だったんだがな……


 ガチャリ…… ギィ……


 暫くひさしの上で待っていると、扉の開く音が聞こえた。気配から察するに、操っているレイラに開けさせたようだ。慎重なこって。ワザワザ呼び出しているのに奇襲なんかしねえよ。

 2つの気配がエントランスまで出てくるのを待って、ひさしの上から声を掛けた。


「お~い。今日は天気も良くて星が綺麗だから、一緒に見ないか?」


 俺の声を聞いた瞬間、魔力の大きい方がひさしの下から庭へと飛び出し、一呼吸遅れて、もう一つの気配がそれに倣って庭へと移動した。

 俺はひさしの上で徐に立ち上がってエルラウラを見下ろす。


「まさかそんな所に居るなんてね。生命力感知にも全く引っ掛からなかったし、奇襲でもするつもりだったのかしら?」


 俺もただ休んでいた訳ではない。治療術で回復促進をしていた。当然、属性魔法での探知は出来ない。探知魔法が俺に届いた時点で無効化されるからだ。


「そのつもりなら声なんて掛けんだろうよ。俺はレイラを返してくれれはそれでいい。後は侵攻でも何でも好きにすればいいさ。あぁ、ただ、俺の患者には手を出すなよ? そうなれば、欠片も容赦する気はないからな?」


 特に凄む事もなく、用件だけを伝える。ああだこうだと付け加えるより、シンプルな方がこちらの意思を曲解されにくい。相手が穏便に済ませる気がなくても、わざわざこちらから挑発する必要はないからな。


「貴方はそれで良くても、私は貴方に用があるのよ。私達魔族だけでなく、人族、そして竜族にすらその名を轟かせるレック・セラータ。貴方を屠れば私の、そして魔水民の名声も上がって、御姉様や他の種族からも侮られないようになるのよ!」


 エルラウラのその言葉に、俺は盛大な溜息を吐いてみせた。


「おいおい。どうせなら『グラムゼラーに代わって魔王になるのよ!』くらい言えんのか? あの爺さん、そろそろ誰かに代わって欲しいと言ってたぞ?」


 グラムゼラーは現魔王。魔人の中でもかなり長命な純魔人だが、長命であっても歳は取る。長年魔族を率いるという責務にも疲れてきているのか、俺が顔を出すと、そういう言葉を漏らすようになっていた。

 ちなみに、グラムゼラーも俺の患者だ。


「そ、そんな不敬な事言える訳ないでしょ!! 私は、私と私の民の地位さえ得られれば良いのよ!!」

「そんな中途半端な覚悟でメルキアニアに勝てる訳ないだろ。あいつは、自分の民を守る為なら魔王どころか全ての魔族を敵に回す覚悟を持っているぞ。それが分かるからこそ、他の魔族や魔王も一目置いているんだ。メルキアニアに勝ちたいなら、まずはそこから変えるんだな。まあいい、お前がその気なら相手してやる。全てを賭けて掛かってこい」


 やっぱりガス抜きしてやらないと収まらないか。

 なら、俺もそれなりの力を以て相手してやろう。こういう時は半端な手加減をするとかえって拗らせてしまうからな。

 俺はひさしの上から跳躍し、敢えてエルラウラから距離を取って地面に降り立った。エルラウラに全力を出させる為だ。その全力を打ち破ってこそ、この戦いの意味がある。


「その余裕面も今の内よ!! 【クリエイト・マッドコープス】!! レイラも行きなさい!! レック・セラータの首を取るのよ!!」


 地面から数えるのも面倒な数の泥屍人がせり上がってくる。そしてその間を、表情と瞳の光を失ったレイラが駆け抜けて来た。

 レイラのあの表情、魅了術ではなく傀儡術を掛けやがったな?

 魅了術は相手の精神に作用して、自分に対する認識を書き換える魔法。掛けた相手を好意的に見るようになり、協力したくなるように仕向ける。

 認識を書き換えられただけなので、被術者の精神活動自体は正常で、魔法などの精神に依存する技術も普通に使える。

 だが、被術者の精神活動が正常という事は、魔法に抵抗され易いという事でもある。特に魔法の能力が高ければかなりの確率で抵抗されてしまうし、一度掛かったとしても、自力で解術されてしまう可能性も高くなる。

 一方、傀儡術は、被術者の精神を封印し、疑似人格を入れ込んで、身体だけを操らせる。

 当然、被術者が持っている精神に依存する技術は一切使えなくなるし、疑似人格の出来次第では人間味の欠片もなくなってしまうが、一度掛かれば自力での解術はかなり難しい。

 更に厄介なのが、封じられた精神を外から無理矢理解放しようとすると、急激な解放による負荷で壊れてしまう可能性がある事だ。真っ暗な場所に長時間いた者をいきなり直射日光の下に連れ出すと、眼が灼けて失明するのと同様だな。

 それはつまり、治療術を利用して一気に泥屍人共々解術する訳にはいかないって事だ。レイラを巻き込むむと拙いからな。

 エルラウラは、俺がメルキアニアを助けた事から俺が解術出来ると考えたのだろう。だから、レイラの長所である魔法能力を潰してでも俺の足枷にする事を選んだ。なるほど、メルキアニアに勝るとも劣らない智略の持ち主だ。


「なるほどな。俺への対策は考えてあるという事か。大したもんだ」

「お褒めに与り恐悦至極、とでも言えば良いのかしら? 分かったのなら……」

「なら俺も、その智略に敬意を表して、もう少し手の内を見せてやろう」

「!! 減らず口を!! 治療と解術出来る程度で何が!! さあレイラ!! 泥屍人と共にレック・セラータを殺りなさい!!」


 俺の挑発にあっさり激昂するエルラウラ。さっきまで利口そうな感じだったのに…… あれか? 脳筋種族に嫁いだから、少し頭が脳筋寄りになっちまったか?

 エルラウラの号令により迫りくるレイラと泥屍人。泥屍人共の動きは遅いが数が居てスペース的に邪魔だ。その間からそれなりの速さでレイラが襲い来る。魔法士系のレイラでも、並み以上の近接戦闘能力はある。他人ひとの上に立つ者はそれに相応しい能力を要求されるからな。

 並み以上に動けるから捌くのが面倒だ。なら、こうしてやろう。

 鋭くなった爪の付いた腕をを縦横無尽に振り回しながら迫るレイラ。

 俺はその腕を捌き、打ち払い、レイラの懐に飛び込む。


 トストストストストストス


 そして、人差し指を、両肩の付け根、首の根元二ヵ所、そして両太股の付け根に打ち込んだ。

 その途端に、手足の力が抜けたように崩れ落ちるレイラ。

 俺はレイラを抱えて一足飛びで泥屍人の群れから距離を取り、敷地の境の壁に持たれ掛けさせる。


「すぐ治してやるから、ここで待っててくれ」


 前髪をすくようにレイラの額を撫でてから立ち上がり、泥屍人共に、そして、エルラウラに向き直る。


「レイラ! 起きなさい! レイラ!!」

「無駄だ。経穴を突いて身体を一時的に麻痺させた。いくら傀儡術でも動かない身体は操れないだろ?」

「くっ! 解術したの?! まさかこんなにあっさりレイラを見捨てるなんて……」


 どうやらレイラを解術したと思ったようだ。確かにこれは、見ようによっては魔法に見えるかもな。


「誰がレイラを見捨てるか。これは点穴術といって、一切魔力を使っていないれっきとした技術だ。普段の体調管理にも使える便利な技だぞ?」

「知らないわよそんなの!! こうなったら、物量で押し潰してやる!!」


 質で劣るなら量で攻める。普通なら悪くない判断だ。使う駒が、犠牲なんて気にする必要のないものだから、多勢に無勢にしてしまえば楽に押し潰せる。

 もっとも、それは多数を一気に殲滅出来る力を持ってない相手ならの話。

 どれ、少しばかり度肝を抜いてやろうか。


「折角だから、とっておきのを見せてやる」


 右足を引いて半身になり膝を曲げて腰を落とす。左腕は曲げて肘を突き出すように前へ、右腕は拳を腰の高さで握り、肩を目一杯引いて力を溜める。


「エルラウラ、死ぬなよ?」


◇◇◇


 私と闘い始めてから、レック・セラータが初めて構えを取った。そして急激に高まる威圧感。

 レック・セラータの攻撃は単体格闘型。いくら泥屍人を一撃で倒せたとしても、数の暴力の前ではなす術はない。解術するにしても、一度にこれだけの数を出来る者は聞いた事がない。精々、自分の周り数体だけだ。

 だから、これで勝てる……筈だ。


「エルラウラ、死ぬなよ?」


 レック・セラータの言葉に、背中が粟立つような悪寒を感じ、咄嗟に魔法を行使していた。


「っ!? 【グラウンド・ウォール】!!」


 足元から土の壁が一気に立ち上がり、レックと私との間を遮った次の瞬間、


 ドゴオオオォォォン!!


「きゃあああぉぁぁっ!!」


 粉々に撃ち砕かれたグラウンド・ウォールの破片が私を襲った。顔と胸は交差した腕で辛うじて庇えたが、全身を破片が強かに打ち付ける。

 やがて破片が飛んで来なくなったのを確認して目を開けた私が見たもの。それは、下の部分が少し残っただけの砕けたグラウンド・ウォールと、その向こうに、拳を振り抜いた格好のレック・セラータ。

 私とレックの間の直線上にいた筈の泥屍人は跡形もなく消えていて、地面は大きく抉れている。

 あの男、何をやった!?

 あまりの事に呆然とした私は、レックが体勢を整えるまで待ってしまっていた。

 特に構えてもいないレックがこちらを見た。表情は真剣だが殺気や威圧感はない。

 だけど次の瞬間、レックの姿がブレるように消えた。


 ドゴオオォン!!

 ドガアアァン!!

 ズドオオォン!!


 そして、左右に分かたれた泥屍人の片側が、爆音と共に吹き飛んだ。


「い、一体何が!?」


 吹き飛ばされた辺りをよく確認しようと目を凝らす。

 だけど私が注意を向けたその時、


 ドゴオオォン!!

 ドガアアァン!!

 ズドオオォン!!


 今度は残った反対側の屍人達が爆音と共に消えた。 

 驚いてそちらを確認するが、砕けた屍人以外見当たらない。

 そして私は気付いた。レックが、姿を消す前にいた場所に佇んでいるのを。

 真剣な表情を向けるだけで、殺気や威圧感はない。まるで、『次は何を見せてくれるんだ?』とでも言いたげだ。

 レック・セラータ。コイツは間違いなく化け物だ。生半可な手では掠り傷一つ負わせられない。

 必死に対抗手段を考える私の目に、壁に寄り掛かって寝かされているレイラの姿が入った。レイラの寝かされている場所は土の上。

 私は口角を上げた。


「貴方がとっておきを見せてくれたのなら、私もそうしてあげるわ!! 【グラウンド・アポーツ】!!」


 私が魔法を行使すると、レイラの身体が地面に沈み込むように消え、私の足元で浮かび上がってくる。

 【グラウンド・アポーツ】は目視出来る範囲の、地面の上にある物体を自分の指定した場所に転移させる術。普通は無生物か死体にしか使えないが、傀儡術で精神を封印されている者は人形という扱いになるから効果を発揮する。

 そして、手元に引き寄せたレイラを使って、私のとっておきを行使する。


「闇よ、大地よ、水よ在れ! この者を贄に大いなる屍の巨人を産み出さん!! 【クリエイト・マッドギガントコープス】!!」


 ムゴオオオォォォ!!


 現れたるは腐肉の巨人。二階建ての旧領事館の屋根すら超える屍人が空に向かい咆哮する。


「やれ!! レック・セラータを薙ぎ払え!!」


 私の指示を受けたギガントコープスが腕を振り上げた。


◆◆◆


 エルラウラめ、レイラを生け贄にしての巨大泥屍人形成クリエイト・マッドギガントコープスとはやってくれる。

 腐肉で出来た巨大屍人ギガントコープスでも、その大質量から繰り出される攻撃は脅威だが、泥を利用して密度を上げれらた巨大泥屍人マッドギガントコープスは、同じ大きさでも更に質量が増している。俺ならともかく、普通の人族なら相当な数の軍隊をもって何とか倒せるレベルだな。前に会った勇者パーティーズでも苦戦は免れないだろう。

 それに、さっさと助けないと、レイラの肉体も腐肉に吸収同化されちまうな。

 振り上げられた巨大な腕を見上げながら、治療術、いや、純魔法を含めた全力を出す事を決意する。


 純魔法とは、この世界を創造した神の力。それは、術者の望む全ての事象を具現化する力だ。

 但し、それを使いこなすには、具現化する事象の具体的な原理原則を理解していなければならない。

 俺の治療術が治療する相手の身体の構造や状態を把握していないと効果が出ないのはその為だ。

 逆に言えば、必要な知識とそれに対する理解があれば何でも出来るという事になる。

 例えば、さっき俺が屍人共を爆殺したあの技は、攻撃する直前に攻撃する先の空気の振動を純魔法で止め、打ち抜く瞬間に解放してやる事で衝撃波を発生させる。これは、筒の両端を濡れた布で栓をして、片方の栓を棒で勢いよく押し込んでやると、結構大きな破裂音をさせてもう一方の栓が飛んでいく、この原理と同じものだ。押し込められた空気が多い程、そして、押し込む勢いが強い程、破裂音、つまり、空気の振動は大きく激しくなり、周りのものを粉砕する事も出来るようになる訳だ。


 さて、レイラを助ける方法だが、まず、精神こころが封印されているというのは、医学的に言えば、脳の記憶領域の一部分にレイラの脳活動電位が封じ込められ、同じ場所を周回ループさせられている状態だ。

 だが、いきなりこれを解放してしまうと、周りの脳細胞が急激な電位変化で損傷してしまう。だから、治療術で神経伝達を制御して麻酔を行う要領で、傀儡術を解術した瞬間に脳活動電位の伝達を一旦抑え、その後徐々に神経伝達の範囲を拡げてやれば元に戻せる。

 俺が何でそんな知識を持ってるのか? それは……いや、今はそんな事よりレイラを助けるのが先決だ。

 当然ながら繊細な調節が必要になる為、戦いながらというのは俺でも難しい。まずは取り込まれたレイラの身体を取り戻し、安全な場所でゆっくり治療しないと。

 俺が思考を巡らせている間にも、巨大屍人の剛腕が横薙ぎに迫る。

 俺はそれに対して、まるで普通の人間の蹴りを捌くかのように、肘を曲げ、前腕を立てて、その巨腕に叩き付けた。


 ドンッ!!

 ドガアァン!!


 叩き付けた所から巨大屍人の腕が千切れ飛ぶ。千切れた前腕が俺の後ろを、残った腕が俺の前を、振られた勢いのまま通過する。千切れた方はそのまま旧領事館の壁に激突して砕けた。


「本当に!! どれだけ化け物なのよ!! 貴方は!!」


 エルラウラが叫ぶ。化け物とは失礼な奴だな。

 薙ぎ払いが通じなかったと見るや、今度は反対の腕で、杭を打ち込む大槌のように拳を振り下ろしてくる。

 拳が届く直前、純魔法で筋力、骨格、神経伝達、思考速度強化を施した俺は、空気の壁を突き破って巨大屍人の眼前へと跳ぶ。

 "縮地"。多少鍛えた程度の人間では瞬間転移したようにしか見えない。

 そして俺は、巨大屍人の左胸に上から下へ手刀を叩き込む。


「はぁぁぁあああっ!!」


 ベキャアアアッ!!


 ムゴオオオォォォ!!


 胸骨の横辺りで左胸の肋骨を全て叩き折る。胸の内側に詰まった腐肉の圧力に負けて左胸が大きく裂けた。

 普通なら心臓の辺り。まるで手足を張り付けにされたように広げて腐肉に埋まるレイラの姿があった。

 一度着地し、間髪を入れずにレイラへと跳ぶ。

 レイラに取り付いた瞬間に治療術でレイラの神経伝達を制御。脳活動電位の暴発を防ぎつつ、レイラの救出を試みる。


「マッドギガントコープス!! レック・セラータを握り潰せ!!」


 巨大屍人がその巨大な手を俺に伸ばす。


「おぉぉぉおおおりゃあああっ!!」


 ブチブチブチブチ!!


 強引にレイラの身体を腐肉から引き抜く。同化されかかっていたレイラの手足の肉が引き千切られ、削がれて骨が露になり、背中の皮膚も剥がれて血塗れになる。

 間一髪、レイラの身体を確保した俺は、巨大屍人の身体を蹴り、離脱する。


 ムゴオオオォォォ……

 ズズゥゥゥン……


 俺に手を伸ばそうとしていた巨大屍人。だが、身体を維持する為の魔力供給元であるレイラを失って、そのまま前のめりに崩れ落ちた。腐肉がぼろぼろと剥がれ落ち、シュウシュウと煙を上げながら消滅してゆく。その向こうでエルラウラが呆然とこちらを見ていた。


「そんな…… 私のギガントコープスが、たった一人に……」

「エルラウラ。確かにレイラは返してもらった。後はそっちの好きにすればいい。それじゃあな」


 俺は血塗れのレイラを返り血で紅く染まった白衣でくるみ、踵を返して川の水面亭へと向かった。


◇◇◇


 永劫の闇の中で蹲っているワタシ。

 どのくらい経ったのかもわからない。

 レックは無事だろうか?

 ワタシの意識が無事であってもレックが無事とは限らない。レックを倒した叔母様が、そのままワタシを駒として使い続けているかもしれないから。

 何も分からない事が何より怖い……

 いっその事、狂えてしまったらどんなに楽だろう……


――レイラ


 不意に、誰かに呼ばれたような気がした。

 ふふっ……とうとう狂ってしまったみたい。そんな事有り得ないのに……


――レイラ


 何か、暖かいものに包まれたような気がした。

 幻聴に幻覚……もう、ワタシも終わりのようね……


――レイラ。もう大丈夫だ。だから、帰ってこい


 幻聴……じゃない?

 ようやくワタシは顔を上げた。そして周りが暖かな光に照らされている事に気付いた。

 ワタシを照らす光の先に、人影が見える。逆光で顔は分からない。でも、その眼差しはとても優しかった。ワタシが恋した眼差しと同じくらい。

 その人影がワタシに手を伸ばしている。ワタシはその手を両手で掴んだ。

 温かく、力強く、そして優しいその手に導かれ、ワタシは光の向こう側へと引き上げられた。


 ゆっくりと目を開けた。最初に目に入ったのは見知らぬ天井。


「ようやく目を覚ましたか。レイラ、気分はどうだ?」


 聞き慣れた心地よい響きが耳を打つ。声のした方向に首を向ける。そこにはワタシが望んでやまなかった顔があった。


「レック……無事で……良かった……」


 両の目から止めどなく流れ落ちる滴。その滴を優しく拭う温かい手。

 あぁ……夢じゃないんだ……


「すまん、レイラ。俺のせいで迷惑を掛けちまったな。もう大丈夫だ」

「違うわ。これはワタシが不甲斐なかったせい。レックのせいじゃ……」


 ワタシの言葉にレックはゆっくりと首を横に振った。


患者クランケに気を配るのは治療士としての責務だ。そして何より、好意を寄せてくれている女性に気を配れないのは、男として恥ずべき事だ。だから、済まなかった、レイラ。詫びと言っては何だが、して欲しい事はないか? 出来る限り応えるぞ?」


 えっ?! そんな事言われたらワタシ……

 『じゃあ、婚心の契りを……』と言い掛けて止める。先に聞いておかないといけない事があるから。


「ねぇ、レック。ワタシと婚心の契りを交わしてくれないのはナゼ?」


 レックがワタシを受け入れてくれない理由。

 もしワタシの事が嫌いなら、ワタシを助ける為に叔母様と対峙したりはしないだろう。

 なら、その理由を聞いて、努力して受け入れられるならそうする。だって、ワタシはレックと生涯を共にしたい。

 レックは思案するように暫く目を閉じ、再び目を開いた時、ワタシを真剣な眼差しで見つめていた。


「レイラ。それを教える前に、お前に伝えておく事がある。俺、ついこの間妻を娶ったんだ」

「えっ……?」


 レックの突然の告白に、ワタシの思考が一瞬停止する。でも、何とか頭を復活させてレックの話の続きを待つ。


「彼女は俺の弟子でもあってな、彼女が成人する今年、俺の助手として一緒に来てもらうつもり、だった」

「だった?」

「お前を呼び出したあの件だ。あの件で彼女は重傷を負った。傷は俺が癒したが、体力が十分に戻っていない。だから、今は連れてきていない」


 あの辺鄙な村の住人にレックの弟子? そういえばあの辺りにそこそこ腕の立つ治療士がいるという情報はあった。辺鄙過ぎて大して気にしてなかったけど、その治療士がレックの弟子だったなんてね……

 そうか。もう決まった相手がいたからワタシとの事を断って……

 ん? ちょっと待って? 

 ワタシがレックに出会ったのは10年前。今年成人のその娘は15歳よね。まさか5歳の幼女に……?

 とても痛い人を見る視線をレックに送ってやる。


「……途轍もなく盛大な勘違いをしているな? ユキカと知り合ったのは6年前。当時、先天性色素欠乏症アルビノで家から出られず、森民にも関わらず属性魔法の適正が全くなかった彼女の、人生の目標を定めてやる為に治療術を教えて弟子にしたんだ。そもそも、そんな下心を持って俺が治療する訳ないだろ? 結婚を切り出されたのも今回が初めてだ。まぁ、ユキカの事を憎からず思っていた事は確かだが」


 うっ……確かにレックは、種族なんて関係なしに分け隔てなく接する人だったわ。人族の癖に魔王様を治療したりしてるし。噂では、竜王や白竜妃とも知り合いだという。そんな人が下心満載で何かするとは思えないし、だからこそワタシも好きになったのだから。


「それで、俺が結婚した事を聞いて、それでもお前が俺への想いを募らせるというのなら、今までお前さんの想いを断ってきた理由を話す。俺の事を諦めるというなら話すつもりはない。どうする?」


 レックのその言い方から、婚心の契りを固辞している理由が、簡単に他人に教えられないものだと分かる。

 ワタシはレックから視線を外し、自分の心に問い掛ける。

 レックにとっての一番に成れないなら諦める? それとも、一番じゃなくてもいいからレックに愛して貰いたい?

 ワタシは再びレックの瞳を見つめる。


「レック。その答えを返す前に一つだけ聞かせて? ワタシが望んだら、二人目として愛して貰える?」

「そうだな……もしそうなったら、お前とユキカを、分け隔てなく愛する事を誓う。そして、俺の全てを賭けて二人を護る」


 やっぱりレックは誠実だ。そして、ワタシの聞きたかった言葉をきちんと言ってくれる。

 ならワタシも自分の心に正直になろう。


「ならレック、聞かせて? ワタシは、何を聞いたとしても、貴方を愛せるから」

「……分かった」


◆◆◆


「ならレック、聞かせて? ワタシは、何を聞いたとしても、貴方を愛せるから」

「……分かった」


 レイラの決意の籠った眼差しに、俺は応える事にする。


「俺がお前の想いを断ってきた理由、それは、お前の望みを叶えてやる事が出来ないからだ。お前は俺と一緒に一つ屋根の下暮らしたいと言っていたな? それを叶えてやる事が出来ない。そしてそれは、俺の能力ちからが原因だ。出来ない事を分かっていて、お前を受け入れて、お前を悲しませたくはなかった」

「レックの能力ちから? 治療術が原因で?」

「お前は俺の治療術を光属性治癒魔法の系統だと思ってるだろうが、それは違う。俺の治療術はそもそも属性魔法ですらない」

「属性魔法ではない魔法?! そんなものが!?」


 レイラが驚きに目を見開く。そりゃそうだろうな。レイラは才能もあるが努力家だ。才能に驕らず常に研鑽し己を高めてきた。特に魔法関連だと、得意な闇、地属性以外でも大抵の魔法は知っている。

 そのレイラですら知らないのだ。純魔法の存在を。

 まぁ、これを知っているのは、管理神共と竜王、魔王。そして、レイラの母、メルキアニア。後、ローリアがぽろっと漏らしたユキカ。この世界でも数名しかいない。


「俺の使っているのは純魔法。創造神エクスアシュアの持つ力と同じもの。属性魔法は、神でなくても魔法が使えるように、エクスアシュアが純魔法を格下げダウングレードしたものだ。六柱神は、その格下げダウングレードした魔法を司っているという訳だ。そして、世界を管理するだけとはいえ、神ですら純魔法は使えない。ある条件を満たしていなければな」

「六柱神ですら使えない魔法……そんなものを扱える貴方は一体……」


 得体の知れないものを見る目。そして恐怖。

 そうだろうな。彼女らの信奉する神ですら使えない力を持つ、理解出来ない存在が目の前に居る。怖がらない理由がない。


「俺はレック・セラータ。治療士だ。かつて、世界と運命に絶望した、な」

「せ、世界と運命に、絶望……?」

「余りに理不尽な運命と、それをもたらす世界を絶望し、憎み、そして神に挑んだ。その時、純魔法を会得した。だが、強過ぎる力は歪みを生む。俺から漏れ出る純魔法の残滓が、俺の周囲の世界を変容させてしまうんだ。俺は一所ひとところに長くは居られない。居られて、精々1ヶ月。だから、俺は旅を続けなければならない。旅が終わる時、それは俺の生命いのちの終わる時だ。但し、この影響は意思のある者には及ばない。」


 世界を壊さない為に、俺は旅を続ける。運命を越える為に定められた運命。

 一つ屋根の下、いつまでもずっと…… 

 愛する者に、そんな普通の幸せを与えてやる事さえ出来ない。


「そう…… ありがと、レック。話してくれて。その内容なら、定住さえ諦めれば、貴方と一緒に居られるのよね? もしくは、貴方の帰る場所を護るという選択肢もあるわ。えぇと、ユキカちゃん? だったかしら? その娘はどうするつもりなの?」

「まだ答えは聞いていない。療養中だったからな。2ヶ月、いや、ひと月半後に、村で披露宴を行う予定なんだが、その時に確認するつもりだ」

「そう。ならレック、改めて、貴方に婚心の契りを申し込むわ。定住出来なくってもいい。他に奥さんがいてもいい。ワタシは貴方と生涯を共にしたい。ワタシは貴方を愛してる。だから……」


 レイラの潤んだ瞳。その瞳を見つめながら、レイラの頬に手をやり優しく撫でる。気持ち良さそうに目を細めるレイラの顔に自分の顔を近付け、そして、唇を重ねた。


「ん♡ ん♡ んんっ♡」


 レイラの腕が俺の頭を抱き締め、レイラが洩らす甘い喘ぎを耳にしながら、唇を重ね合わせ続ける。

 舌を絡ませ、互いの温かさと柔らかさを確かめ続ける。

 やがて、どちらからともなく唇を離し、互いの瞳に写る互いと見つめ合う。

 ベッドに横になっているレイラの背に手を回し、レイラの唇が俺の首筋辺りにくるように抱き起こしてやる。


「ほら、レイラ。ガブッといけ、ガブッと」


◇◇◇


「ほら、レイラ。ガブッといけ、ガブッと」


 ちょっとレック! もうちょっと言い方ってものがあるでしょ!


「もう! いい雰囲気だったのが台無しじゃないの! でも、する事はするわ! あ~~~~む♡ むふふ♡」


 苦節10年。どんなにこの日を待ちわびた事か。


 ツプッ……


 いつもなら即座に治されて、ワタシの犬歯が刺さり切ることはない。でも今回はいつも程の抵抗感はなく、程なくしてワタシの口腔に鉄の味が広がる。

 あぁ……なんて甘美なんだろう……

 首筋に口づけしているワタシ頭を、髪をすくように撫でる温かく大きい手。

 きっとワタシは今、蕩けるような笑みを浮かべているんだろうな…… 

 ずっとこうしていたい誘惑を振り切って、ワタシは唇を離した。

 レックの首筋に付いた二つの丸い傷口から紅いドームが膨れ上がってくるのを見て、舌を這わせて舐めとる。一滴でも無駄になんてしたくない。

 まるで取り憑かれたように、その愛しい人の生命の源を舐め取る。

 やがて止まった甘露の雫。ワタシは頭をレックに預けて呟く。


「ねぇ……最後まで……しよ?」

「お前もユキカと同じ事言うのな…… 気持ちは嬉しいが、今日はこのくらいで我慢してくれ。やっとお前の身体を治しきったところだから、まだお前の体力が戻ってない。時間はあるんだから、今は無理をせず養生してくれ。お前の体調が落ち着いたら、まずメルキアニアに報告して、それからちゃんと愛してやる。約束する」

「……うん、分かった。レックの言う事を聞くわ。ンフフ♡ 愛する人に心配して貰えるのって、こんなに幸せな気持ちになるのね♡」


 例え他に妻がいたとしても、今この時だけは、レックはワタシのもの♡


「流石に腹が減っているだろうから、麦のミルク粥でも作ってくるな。それまで、もう少し横になってるんだ」

「うん。ありがと、レック」


 軽くワタシの頭を撫でてから、レックは部屋を出ていった。


「ムフフフフ♡」


 独り言のように笑みが溢れる。早く元気になって、お母様に報告に行って、そしてそして……キャーーーッ!!

 ベッドの中でクネクネしながら、レックとこれからするであろう事を妄想しまくる♡

 ひとしきりクネクネした後、ふと一人目の娘の事が気になり出した。

 この前の村の娘という事は、森民エルヴスの娘なのかな? そうすると、グラマラスな感じじゃなくて、スラッとした感じだろうか?

 ワタシはホントに幼女体型。ツルツルペッタ~~ンな感じだ。地民も魔地民も、女性は大体そんな感じだけど、お母様はもう少し背があって、大きくはなくてもちゃんと胸も出っ張ってて、昔からずっと憧れてた。ワタシも、もう少しお母様みたいに、色々欲しかったなぁ……

 少し寂しく思いながら、胸に両手を当てた時……


 むにゅん♡


 え? "むにゅん♡"??

 強烈な違和感に、思わず視線を胸に落とす。

 ワタシの目に、大きくはないが形の良い双丘が映った。

 え? え? どゆこと??


 むにゅむにゅむにゅむにゅ♡


 手に揉んだ感触もあるし、胸に揉まれた感触もある。


「レレレ、レックぅぅぅ!! ムネぇぇぇ!! ムネぇぇぇ!!」


 レックを呼ぶ為に、ワタシは叫んでしまっていた。

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