第8話 結婚不安症候群とコンプレックス
『レレレ、レックぅぅぅ!! ムネぇぇぇ!! ムネぇぇぇ!!』
俺が川の水面亭の厨房を借りて麦ミルク粥を作っていると、レイラの謎な叫び声がこだました。何奇声を上げとるんだアイツは……放っておく訳にもいかんか。
「おかみさ~ん、鍋、みててもらっていいですか~?」
「あいよ~! 一昨日連れ帰ってきたかと思ったら、お熱いねぇ~!」
「彼女はさっき目を覚ましたばかりですよ……ちょっと様子を見てきます」
おかみさんにお粥の鍋をお願いして部屋に戻る。
「お~い、どうかしたか~?」
部屋の扉を閉めて振り返ると、呆然とした表情でベッドの縁に腰掛けている黒髪の、美幼女、ではなく、
「レック!! ムネが!! ほら!! きゃあっ!!」
黒髪美少女が簡素な室内着をたくし上げ、双丘を露わにして俺に駆け寄……ろうとして躓いた。
「おっと! おいおい、まだ完調じゃないんだから、いきなり立ち上がると危ないぞ?」
転びそうになった彼女を抱き止める。マッドギガントコープスに吸収同化され掛かって、手足の欠損や皮膚の損傷が酷かったのをようやく治しきったところだ。急に動ける筈もない。
「ご、ごめんなさい、レック、ありがと……って! どうなってるのコレ!?」
抱き止められて少ししおらしかった彼女だが、用件を思い出して再び服をたくし上げ、双丘を見せつけてくる。ちなみに、ワンピースタイプの室内着で、治療の為に下着は着けさせられなかったので、服をたくし上げると下も丸見えである。
「言いたい事は分かったから服を戻せ。ちゃんと説明するから、まずはベッドに戻ろうか」
「ふあっ♡」
俺はレイラを横抱き、所謂お姫様抱っこをしてベッドへと運ぶ。抱き上げられたレイラが妙な声を上げ、顔を赤らめている。やり手の支配人のくせに、こういう反応は見た目通り可愛らしい。
レイラをベッドに座らせ、隣の俺のベッドの枕や上掛けも持ってきて背もたれを作ってやる。まだ病み上がりだから、負担は少なくしてやらないと。
「まず、お前を救出した時の状況だが、お前はエルラウラの傀儡術で精神を封印された状態で、エルラウラの道具として襲い掛かってきた。だが、数で押してもダメだと分かったエルラウラは、お前を
「
「吸収同化されかけて、手足の先は欠損、皮膚もボロボロで、3日掛けて、さっきようやく再生修復出来たところだった。でだ、再生修復する時に、お前の中のメルキアニアの血が強く出るようにしたんだ。お前、前に『お母様のような
そもそも巨大泥屍人にされたのも、俺の油断が原因だ。まさか実の姪にあんな事するとは思わなかったからな。
体型を大きく変えてしまうと身体に違和感が出てしまうが、それはこれからの
「そっか…… ウフフフフ♡ レック、貴方やっぱり世界一の男よね♡ ワタシの望みを何でも叶えてくれる♡」
「"何でも"は無理だけどな。まぁ、そういう訳で、体型が随分変わってるから、しばらくはゆっくり動くようにな」
「ん、分かったわ。ところでレック、どこかに鏡ない?」
「流石に姿見はないな。そんな高級宿じゃないし。手鏡なら持ってるが」
「レックが手鏡? 何に使うの?」
「患者の診察の時に使うのさ。直視しづらい場所を見たり、光を反射させて患部を見やすくしたりとかだな」
「なるほどね。それでいいから、貸してもらっていい?」
「ちょっと待ってろ…… ほら」
「ありがと♪ ~~♪」
手鏡を渡してやると、レイラは近付けたり離したりしながら、楽しそうに自分の姿を確認し始めた。
「それじゃ、俺は粥を作ってくるからな」
「ん♪ ありがと~♪」
俺はレイラに声を掛けると部屋を後にした。
◇◇◇
バタン!
「ふぅ……」
レックが部屋を出たのを確認すると、ワタシは手鏡を持った両手をだらりと太ももの上に下ろした。
レックには随分迷惑を掛けてしまった。
レックに出逢う前からノスフェラウ家の娘として努力してきた。
レックと出逢ってからは更に努力を重ねた。レックの隣に立ちたかったから。
最近はそれなりに腕も上がったと自負もあったけど、現実はまだまだ全然だった。
「純魔法、ワタシも覚えられないかな……」
ワタシより先にレックの妻になった女性、ユキカを、レックは弟子だと言った。つまり彼女も純魔法を使えるという事だ。
レックの話からすると、大きな心理的負担を乗り越える事がカギのようだけど……
そうだ! 身体の調子が戻ったら、その、ユキカという女性に会いに行ってみよう! レックが受け入れてくれたのだから何も問題はないのだけど、どうせなら自分の口できちんと話をしておきたいし、純魔法習得の糸口くらいは掴めるかもしれない。
そうとなれば、まずは身体を治す事が先決ね。
程なくして、レックがお盆にお粥の椀を乗せて戻ってきた。
◆◆◆
レイラが目を覚ましてから3日、食事療法と運動療法、何よりレイラの努力により、日常生活程度なら問題ないくらいには、レイラは身体を動かせるようになっていた。
「レイラ、運動がてら、一緒に外に行かないか?」
「!? デート?! デートよね!? やったわ!! ワタシ憧れてたの、街で手繋ぎデート!!」
レイラの立場だと、おいそれと街歩きなんて出来なかっただろう。冒険者ギルドへの報告や、旅の準備などの用事もあるが、その後はゆっくりレイラに付き合ってやるとするか。
「そうだな。先に用事をいくつか済ませてから、服を買いに行ったり、食べ歩きしようか。身体が大きく変わったから、服も買い直さないと駄目だし、今までよりも腹も減る筈だ。それに……」
「それに?」
「今のレイラの笑顔がとても綺麗だった」
「っ!? そそ、そんなコト!?」
「今までのレイラってさ、俺に取り入ろうとして、媚びたような笑顔だっただろ? でもな、さっきの笑顔は自然だった。そんな笑顔を見られて、俺は嬉しかったよ」
「!! ワ、ワタシは…… ううん、そうかも。中々レックに受け入れてもらえなくて焦って…… でも、焦る必要はなくなったし、だったら、もう片意地張らないでおこうって……」
そう言って頬を染めたレイラの笑顔は、肩の力が抜けて、とても魅力的だった。
「それでは参りましょうか、レイラお嬢様」
左手を胸に当て、右手を差し出す。執事のような気取った仕種を真似てみるが、格好がいつもの白衣と指ぬき手袋だから、滑稽な事甚だしい。
「プッ! ヤダ! レックそれ似合わないわぁ~! 普通にして普通に!」
「うむ。自分でもそう思った。よし、それじゃ行こうか、レイラ」
「ん♪ エスコートよろしくね、レック♪」
握った手の温かさに、俺とレイラは、互いに笑みを交わした。
◇◇◇
レックと手を繋いで街を歩く。何度か通った道だけど、いつもと違って見える。ただ手を繋いでいるだけだけど、安心感と幸福感がすごいの♡
今までそういうカップルをかなり冷めた目で見ていたけど、ごめんなさい。謝ります。気持ち、よく分かりました。
「~~♪」
何気ない食べ物の屋台が、
ふと目を上げてレックの顔見る。
ワタシの見上げる視線とレックの見下ろす視線が重なり合った。ワタシを見るレックの視線はどこまでも優しい。ワタシはレックの特別になれたんだと実感させてくれる。
その視線に笑顔を返すと、レックも笑顔を返してくれた。
あぁ~~ん♡ シ・ア・ワ・セ~~♡
そうして通りを歩いて行くと、ある建物の前に辿り着いた。ここは……
「冒険者ギルド?」
「この前の一件をエスペラルに報告しとかないとな。レイラは只の被害者って事で口裏を合わせてくれ」
「ん。分かったわ」
手を繋いだまま中に入っていくと、ギルドの食堂にたむろする有象無象が一斉に視線を送ってくる。そしてワタシ達の繋いだ手を見ると、一様に妬みの感情が籠った。
フフ~ン♪ アンタ達にワタシの幸せは分けてあげないわよ~~♪
「レック・セラータだ。エスペラルに報告がある。取り次ぎを頼む」
「ははは、はいぃぃぃ!!」
ガンッ! バンッ! バタンッ!!
凄い音をさせて向う脛を机に打ち付けながら、転がり込むようにして職員室の扉の向こうへと消えた受付嬢。
「レック、何かやったの? 今の娘、大慌てだったけど……」
「今の姉ちゃん、前もあんな感じだったぞ? まぁ、その内慣れるだろうさ」
「レック・セラータ様ですね? 応接室にご案内します。こちらへどうぞ」
レックと一緒に少し待っていると、別の女性職員がワタシ達を応接室へと案内してくれる。
「こちらに掛けてお待ち下さい。只今、お飲み物をお持ちします」
勧められたところに座って少しすると、さっき案内してくれた職員がトレイに三人分のティーカップとティーポットを乗せて現れ、ワタシ達の前と向かいの席に飲み物を置いて部屋を退出した。
「まあまあのお茶ね。ワタシが普段飲んでるのよりは幾分落ちるけど」
「地方の冒険者ギルドごときで最高級茶葉とか使ってたら逆に引くぞ?」
他愛もない話で時間を潰していると、職員側の扉から一人の女性が入ってきた。彼女がこの街の冒険者ギルドのマスター、エスペラル・リィルね。容姿は中々のものだけど、何か、とても疲れてるようね。
「レック、ようやく終わった……?」
「エスペラル、お前、凄い顔になってるぞ? 寝てないのか?」
「寝られる訳ないでしょ…… あの後、冒険者何パーティーかに依頼して、他に魔族が潜んでないか確認して、アドルが関わってたり、アドルが閲覧していた情報を精査して、本部宛てと他のギルド宛てに報告書書いて送って、後は貴方の報告待ちのところまで何とか片付けてたのよ……」
「そうか。じゃあ、手早く報告を済ませるから、その後ゆっくりやすんでくれ」
「ところで、そちらの女性は?」
ワタシに目を向け、正体を尋ねてくる。
「彼女はレイラレミア・フェラウノス。名前を聞いた事くらいはあるだろう?」
「フェラウノス商会の……」
「お初に、で宜しかったですわよね? フェラウノス商会支配人、レイラレミア・フェラウノスですわ。レックとは十年来のお付き合いですの。この度、魔族に拐かされていたワタクシをレックに助けていただいたのですわ」
ワタシの人族領での偽名は名も姓も途中から前後を入れ替えたもの。この程度でも意外と気付かれなかったりする。
「レックが急いでいたのは、そういう事だったのね」
「婚約者が拐われれば急ぎもする」
今、さらっと自然に"婚約者"って言ってくれた! 受け入れられたのが実感出来て、ちょっと嬉しい♡
「それは当然よね……って! 婚約者!? あのレック・セラータが!?」
驚愕の表情で固まるギルド長。アハハ、面白い顔~♪
「俺を何だと思っとるんだお前は。添い遂げたい相手が出来たら結婚もするぞ?」
「もう一人居るものね~♪」
「マジ?! 二人!?」
ワタシの告白で、更に驚愕の表情で固まるギルド長。この人の顔芸、面白~い♪
「こらこら、煽るなレイラ。話が進まん。で、報告するぞ?」
ワタシが魔族である事とワタシと叔母様の関係は伏せて、レックが今回の事態の報告をしていく。ワタシが拐われたのは人族の情報を得る為だったのだろうと言うと、ギルド長は納得した顔で頷いていた。
「分かったわ。それで本部への報告は送っておくから」
「それじゃ、俺からの報告は以上だ。さっさと終わらせて、ゆっくり休めよ?」
「ありがと、レック。ところで、報償金なんだけど……」
叔母様という上級魔族の撃退とワタシという要人救出。普通に依頼として受けていたら金貨200枚は下らない大仕事よね。
「む、そうだな…… 金貨20枚くらいでいいぞ?」
「「安っ!?」」
思わずギルド長とハモってしまった。レック、商会のトップとして、相場崩すのはどうかと思うのだけど!?
「俺はギルドから依頼を受けた訳じゃない。大切な
「うぐっ…… それを言われると何も言えないわね…… 分かったわ。金貨20枚ね。はい、小切手を渡すから、カウンターで受け取ってちょうだい」
「了解だ。それじゃ、行こうか、レイラ」
「ん♪ それでは失礼しますね、ギルド長さん♪」
退出しようと立ち上がったワタシ達に合わせてギルド長も立ち上がり見送ってくれる。
「何処かにいい男、落ちてないかな……」
ぼそっと落としたギルド長の独り言はスルーしてあげて、応接室を出たワタシ達は、カウンターで報償金を受け取り、冒険者ギルドを後にした。
◆◆◆
「さて、それじゃ、次は服屋に行こうか。普段着や旅装束も必要だが、レイラにはアレも必要だからな」
「アレ?」
「
「!! レック、ありがと! とっても嬉しい♡」
幸せそうな笑みで俺に抱き付くレイラ。俺からもしっかり抱き寄せる。
俺たちの甘い雰囲気に当てられた通行人が口から砂糖を吐き出しているが気にしないておこう。
「この街で仕立てのいい服屋となると、やっぱりここだよな」
フェラノ服飾店。大きな街には必ずある大手の服飾店だ。
「ちょっと! ここ、ウチの系列店じゃないの!」
そう、フェラノ服飾店を経営しているのはフェラウノス商会だったりする。
「ついでに身分を隠して抜き打ち監査でもしてみたらどうだ?」
「! それ、面白いかも♪ もしかして、そこまで考えてくれたの?」
尊敬の混じったレイラの眼差しに、苦笑しながら告白する。
「抜き打ち監査はさっき思い付いた。品揃えや品質を考えると、元々ここに来るつもりだったんだ。ま、客にそう思わせられるのも、普段のレイラの努力の賜物だな」
俺の言葉に、照れと嬉しさの混ざった笑顔を向けてくれるレイラ。
「ワタシの、というより、従業員の努力の賜物なんだけど、誉められるのは素直に嬉しいわ♪ それじゃ、中に行きましょ♪」
「お~いレイラ、目が支配人のそれになってるぞ~?」
チリンチリンチリン♪
ドアベルの音に反応し、素早くかつ優雅に応対に出てくる店員。中々見事だ。
「いらっしゃいませ、お客様。本日はどのような御用件でしたでしょうか?」
「今度、俺と彼女は結婚するんたが、俺達二人分の結婚衣装を一揃えと、彼女の旅装束、それと彼女の普段着も幾つか見繕ってもらいたい。予算はこのくらいで」
さっき貰った報償金金貨20枚に、更に金貨10枚加えて、金貨30枚の入った袋を店員に渡す。店員は中身を二度確認し頷く。
「予算は金貨30枚ですね? 結婚衣装は、こちらの地域の物で宜しかったでしょうか?」
「あぁ、それで頼む。ほら、採寸してもらってきな」
「えぇ♪ 店員さん、よろしくお願いしますね♪」
レイラ、また目が支配人のそれになってるな…… まぁ、楽しそうだからいいか。
俺も別の部屋で採寸してもらい、試着用の衣装を合わせてみる。
そういえば、採寸の時、羽織っている白衣を脱いで、腕輪が見えていた筈だが、店員は欠片も表情に出していなかったな。中々教育の行き届いた店員じゃないか。あの冒険者ギルドの受付嬢に爪の垢でも飲ませてやって欲しい。
俺の衣装の組み合わせも決まり、レイラに見てもらうために試着室から店内に戻ると、ちょうどレイラも衣装を着て戻ってきた。
「……」
「……ちょっと。何か言ってくれないのかしら?」
レイラの試着しているのは、濃いベージュをベースとした、この地方の民族衣装風の結婚衣装だ。レイラの黒髪にも合っていて、大人の魅力を醸し出している。
「! あぁ、すまん。あまりに綺麗で見惚れてたんだ。すごく綺麗だぞ、レイラ」
「ん♡ レックも、とてもよく似合ってる。すごく素敵♡」
大きな姿見の前に二人で立ってみる。レイラの腰に手を遣り抱き寄せると、鏡の中のレイラは頬を染め、嬉しそうに微笑んでいた。
「お二人共、とてもお似合いでございますよ」
「ん。気に入った。これで仕立ててもらいたいが、四日後には街を出る予定だ。三日で出来るか?」
「そうでございますね……確認致しますので、少々お待ちいただけますか?」
「なら、その間に他の衣装も見せてもらおうか」
「承知致しました。お着替えになられましたらご案内致します」
「分かった。ほら、レイラ、着替えてきな」
「ん♪」
再び試着室へと向かうレイラを見送ってから俺も試着室へと戻り、いつもの服に着替えて店内に戻る。しばらくして着替えたレイラが戻ってきてから、今度は二人で旅装束と普段着を見る。
外套は魔物除けの為に白色の前開きの物を。中に着る服は、上は黒の丈夫な長袖のアンダーシャツに、これまた丈夫な紺の
もっとも、レイラが地上で敵に襲われる事など考えられないが。相手が地面の上にいるのなら、感知範囲も攻撃範囲も極めて広く、敵だと認識した瞬間に
普段着は、レイラが今まで着ていたゴスロリ衣装からロリを抜いたような衣装を選んだ。背丈に合わせて大人っぽさを演出したのだろう。
「前は"可愛い"という感じだったが、今は"綺麗"という言葉がぴったりだ。すごく綺麗だぞ、レイラ」
「んフフ、ありがと♡ すごく嬉しい♡ 憧れてたの、そう言われるの♪ これ、このまま着て帰っていい?」
「もちろんでございます。ご来店時にお召しになられていたものは、別に袋にお入れいますね」
「ありがと♪ 助かるわ」
屈託のない笑顔。レイラを救えて、本当に良かったと思う。
「お客様、納期の確認が出来ました。職人が三日で仕上げると申しております」
「そうか。急かしてすまないな。これで職人達に美味しい物でも食わせてやってくれ。今日は実に良い買い物が出来た。贔屓にさせてもらう」
追加で金貨を5枚ほど渡しながら例を述べる。店員も、レイラに負けず劣らず明るい笑顔だ。
「ありがとうございます。職人達も喜びます。それでは、三日後にお待ちしております」
「よろしく頼む。それじゃ行こうか、レイラ」
「ん♪」
◇◇◇
「~~♪」
とってもいい気分♪ レックと手を繋いで街を歩いて、二人で結婚衣装を買って、ハザーで食べ歩きして。
だけど、その気分も川の水面亭が近付いてくるにつれ沈み始めた。
とても楽しかった。
とても嬉しかった。
とても幸せだった。
でも、あまりに楽しくて、あまりに嬉しくて、あまりに幸せで、"これが夢だったらどうしよう?"、"この後、とんでもない不幸が襲ってきたらどうしよう?"、そう考えてしまう。
部屋にたどり着いた頃にはすっかり落ち込んでいた。
「顔色が悪いな。疲れたか? 晩飯までまだしばらくあるから、楽な服に着替えて、少し休むといい」
ワタシの様子に気付いたレックが、ワタシをベッドの縁に座らせ、着替えを持ってきてくれた。
ワタシがのそのそと衣服を脱ぐと、レックが受け取り、シワにならないようにクローゼットに掛けてくれる。
下着姿になったワタシは、膝の上に畳まれた室内着を置いたまま、震える声で呟いた。
「レック…… ワタシ達、結ばれるのよね……? ワタシをアナタが愛してくれるのよね……?」
怖い……
でも、聞かずにはいられなかった……
確かめずにはいられなかった……
不意に、膝の上の室内着を見つめながら震えるワタシの身体を温かいものが包み込んだ。
顔を上げると、レックがワタシの隣に座り、横からワタシを抱き締めてくれていた。
「不安か?」
「……目を覚ましたらアナタがいて、嬉しい事や幸せな事がたくさんあって…… でも、たくさんありすぎて、もしかして、これは夢なんじゃないかと思って……」
「そうか……」
「きゃん!?」
突然、強い力でワタシはベッドに押し倒され、そして唇を奪われる。
「ん! んんっ!」
重ねられた唇が離されて、ワタシが目を開くと、ワタシに覆い被さったレックの瞳がワタシを覗き込んでいた。
「ならレイラ、俺がお前を愛してる事を、お前の
「……ん。お願い。ワタシが二度と忘れないように……」
ワタシ達は抱き締め合い、愛し合い、繋がり合った。時に優しく、時に激しく、互いを求め合い、そして、レックの愛がワタシの中に注がれた。その熱がワタシに教えてくれる。これは夢などではないのだと。
ワタシは求めた。何度も何度も。
「レック、お願い……もっと注いで……アナタの愛を……」
たくさんの愛を注がれて、幸福に浸りながら、ワタシは眠りについた。
あ……晩ごはん、食べそこなっっちゃったな……
◆◆◆
レイラが寝入ったのを確認して、俺はベッドを出た。そして手早く衣服を身に着けると、宿の外へと向かった。
もう晩飯の時間も過ぎ、通りの人影は疎らだ。時折聞こえてくる酒場からの騒ぎ声を聞き流しつつ、水路の脇にある路地へと入った。
路地をしばらく歩くと、水路横の通路へと降りる階段が現れる。その階段を降りたところで俺の背中に声が掛かった。
「態々こんなところに来てもらって悪いわね。あの子は満足してくれた?」
俺は溜め息ひとつを返事とする。
「それで、ちらちら魔力を垂れ流して俺を呼んだ理由は何だ? と聞きたいところだが、どうせ手を貸してくれとかなんだろう? エルラウラ」
数日前にやり合ったレイラの叔母、エルラウラ。それが声の正体。
もっとも、垂れ流していた魔力の質で分かってはいたんだが。
「察しが良くて助かるわ、レック・セラータ。封言呪を掛けられているから、詳しくは話せない。でも、手を貸して欲しいのよ」
「構わんぞ。ただ、レイラが目を覚ます前に戻りたい。とっととリープで送ってくれ」
「いえ、あの、頼んでおいてなんだけど、そんな簡単に信用していいの? 深い
「どうするも何も、溺れたりしないぞ、俺は」
「……貴方本当に人族?」
自分で頼んでおいて、ジト目で俺を見るエルラウラ。
「俺は只の治療士だ。ほら、さっさと送ってくれ」
「分かったわよ……我、望むは流水の道。我の思い描く場所へと我と彼の者を運ばん。【ウォーター・リープ】」
エルラウラが使ったのは、レイラの使うグラウンド・リープの水属性版。目の前の水路はナラクド川に繋がっている。つまり、ナラクド川に繋がっている水場で、エルラウラの行ったことある場所なら転移出来るという訳だ。
転移し終わって辺りを見回す。どこかの川岸。川幅的にナラクド川ではないから、ナラクド川に流れ込んでる支流の一つだろう。勿論、魔族領のだ。人族領の支流には当然、水民がいるのだから。
「ここはアドパラ川。ナラクド川に注いでいる支流の一つよ。ここからもう少し下流に私達の街、ハムートあるのよ。只ね……」
「街の民を人質にお前に言う事を聞かせてた奴が、あんたが失敗した事を知って、街を見せしめにしようとしている。そんなところか?」
「! 貴方何処まで……」
「あんたやシャールラグルが従うレベルとなると、前宰相のグラッツ辺りか? あいつ頭悪そうだったからな。で、正面切って戦うならまだしも、川の上流から毒でも流されたら、あんたはともかく民が持たない。だから、あんたがやり合ってる間、そっちを俺に何とかしてもらおうって事だろ?」
「……」
エルラウラは黙って俺を睨む。事情を事細かに知っている俺に不信感を抱いたのだろう。ま、当然だが。
「お前、自分の姪っ子を過小評価し過ぎだぞ。レイラがもう手を打ってくれてある。ほら」
ズドオオオオンッ!
突如として、更に川の上流から炸裂音が鳴り響く。驚いてそっちの方を見るエルラウラ。程なくして、俺達の背後に一人の女性が転移してきた。
「親子揃って、人の後ろに
「久しぶりね、レック。それにラウラも」
「ア、アニア御姉様?!」
現れたのはエルラウラの姉、そしてレイラの母、メルキアニア。魔地民の長。見た目は美少女だが、落ち着きと貫禄は少女のそれではない。
「レイラから連絡を受けて、こちらも色々調べていたのよ。そうしたらレックがいい感じの
「俺の
「それで、今回の騒動の黒幕が前宰相のグラッツで、民を人質にラウラが従わされていると分かったから、私が出向いて来たという訳よ。災難だったわね、ラウラ」
メルキアニアの表情は、妹を気遣う姉のそれだ。だが、エルラウラは俯いて肩を震わせていた。
「また……まただ…… 姉様どころかその娘にさえ…… どんなに努力しても……どんなに民の事を考えても…… 私は誰にも……」
俺は大きく溜め息を吐いた。家族に対する
「エルラウラ、お前さん、色々勘違いしているぞ? メルキアニア、あんたが
「……そうね、まともな
「え……?」
魔法に関してだけ言えば、エルラウラはメルキアニアに優るとも劣らない。巨大泥屍人を10セクド掛からずに召喚出来るのはエルラウラくらいだ。
「こと魔法に関してなら、お前さん、メルキアニアに優ってるぞ? それに、ほら」
「貴方達……」
俺の指差した川の中から、いくつもの人の上半身が顔を出す。エルラウラの守ろうとしていた魔水民達だ。口々にエルラウラの名前を呼んでいる。エルラウラを心配して、危険を顧みずやって来たのだろう。
「いい仲間達じゃないか、エルラウラ。お前は家族に引け目を感じているようだが、もう少し周りを見てみろ。そんな事を感じる必要はないのさ。胸を張れよ。お、そうか、胸でもメルキアニアに勝ってるな、お前さん。って、おっとっと」
「何を言ってるのかしらぁ~? レック・セラータぁ~?」
メルキアニアが、こめかみに怒りマークを貼り付けた笑顔で睨んでくる。メルキアニアよ、事実だ。怒っても事実は変わらんぞ?
「フッ! フフフフフッ! そうか! 落ち込んだり、焦る事なんてなかったのね! なるほど、貴方は治療士だわ、レック・セラータ。改めて礼を言わせて貰うわ」
「これからは義理の叔母だからな。少しくらいの手助けはしてやる。だが、俺にだってやる事はある。頼るのはほどほどにしてくれると助かる」
「へぇ~、義理の叔母、ねぇ~」
「じゃあ、私は義母でいいのかしら? レック?」
「その辺りは、レイラと二人で、4日後に改めて挨拶に出向くつもりだ。当日は出掛けないでいてくれると助かる」
「うふふ♪ 分かったわ。その時は盛大にもてなしてあげましょう」
「ほどほどで頼む、ほどほどで。それじゃ、どちらでも構わんから、リバイドの街中に
「私が連れてきたのだから、私が送るわ。御姉様、また後日に」
「えぇ。また会いましょう、ラウラ、レック」
これで家族間のごたごたも、少しはマシになるだろう。
さて、レイラの元へ戻るとするか。
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