10 デートに行こうよ、お姉ちゃんたちと!
「で、どっちへ向かうのだ? オージよ!」
ホテルのロビーから飛び出していく直前、慌ててケモ姉が振り返る。
後に続こうとした剣姉とメカ姉も、はっと顔を見合わせた。
「そーよ。どこへ行くのかまだ訊いてなかったわ!」
「
「だって、言う前にみんな準備を始めるんだもの」
みんなとホテルの外に出て、他に誰もいない新宿の広い道路に立つ。
片側二車線の立派な道路から見えるのは、多くのビルが倒壊した、変わり果てた廃墟の街並み。
だけど空を見上げれば、太陽は変わらずに輝いていた。
「ええと、向かうのは……ここからだと南へ真っ直ぐかな」
その位置を確認すれば、おおよその方角はわかる。
昨日、剣姉と一緒に散策した渋谷方面。ううん、そのずっと向こうだ。
「このまま歩いていくと、ものすごく時間がかかると思うけど……白姉! 魔法を使って、みんなで長距離の移動ってできる?」
「なるほど。わたくしの空間転移魔法陣で、一気に距離を縮めるわけですね」
さっそく白姉が、身に付けた銀の腕輪を輝かせた。
「しかし、人が通れるほどの大きさになると――一度に転移できる距離は、せいぜい2000メルトル程度ですが」
「……メルトル?」
「こちらの世界の単位とは少し違うようですね。だいたい、ここから目視できる範囲くらいだと思ってもらえば」
真っ直ぐ伸びる道路の果てを、白姉が杖で示す。
ふぅん、と目を細めるのは剣姉だ。
「半里くらいだね! たぶん」
「ほほう。1
ケモ姉はまた別の単位を口にする。世界が異なれば、いろいろ微妙に違うんだろうな。
「2000メートルと同じだと計測します」
だけどメカ姉が、メガネのレンズを煌めかせて断言した。
「メートル……そっか、メカ姉の世界は、こっちと一緒の単位を使ってるんだね」
「
「だとすると、2キロメートルで――真っ直ぐなら50キロくらいのはず、だから。たぶん、二十数回で着けるんじゃないかな」
もしかして、けっこう大変な回数かも。僕の計算を聞いて、白姉が目を見開いた。
「にじゅう……!」
「ごめん、白姉。ちょっと無理かなあ」
「大丈夫だって、オージ! なんなら魔法なんかに頼らないで、アタシが負ぶって走ろっか? 昨日みたいに邪魔な瓦礫があったら、刻んで通ればいいしねッ!」
ほら、と身を屈めたのは剣姉だ。
鬼の剣姉の身体能力が高いのは知っている。僕くらいなら背負ったまま、軽々と廃墟の都内を駆け回れるだろう。
「待つがよい! それならば、この妾に任せい!」
だけど隣で同じように、ケモ姉が屈み込んだ。
確かに獣人の跳躍力もすごい。尻尾でぽふぽふ背中を叩いて、僕を誘った。
「ほうれ、オージ……妾の方がふかふかで、やわらかいぞ? ふふん」
「
「わ、わあ!? メカ姉!」
いきなり僕は後ろから持ち上げられた。
軽々とお姫様抱っこしてきたのは、なんとメカ姉だ。さすがはロボット、華奢な見た目なのに腕力がある。
「オージはしっかりくっついてください。落ちないように」
「……あの、それはいいけど。なんで、この体勢?」
正直、その、メカ姉のおっぱいが邪魔なんだけど。やわらかいんだけど!
「愚問です。この方がオージと会話しやすいと判断しました。あとオージの顔を見ながら移動ができるのが最大の利点です」
「あー! いつもいつもずるいわよ、このカラクリ人形ッ!」
「おのれ! またもそうやって、さりげなく妾のオージを独り占めしおって~~~! 今日という今日は、さすがに思い知らせて――」
慌てて剣姉とケモ姉が立ち上がる。
しかしメカ姉は冷静だった。
「
「なにそれ……いいじゃないッ」
「ほう! それならば、次は妾の番だからの!」
ころりと二人が納得する。
でも、あと一人の姉ときたら。
僕はそのとき目撃した。剣姉とケモ姉の後ろで、エルフの白姉が大きく杖を振り回したのを。
すいいいいいっ。
煌めきが弧を描き、空間を抉る。瞬く間に僕たちの前にできたのは、直径2メートルはある光の輪だ。
人が通れる大きさの魔法の【
「そこまでです。いつわたくしが、できないと言いましたか?」
にっこりと白姉が微笑む。
笑ってるけど、圧がすごい。そっとメカ姉が僕を地面に下ろしたくらいに。
さあ! と白姉が【
「行きましょうか、オージ。で、結局どこへ向かうのですか?」
「あ――うん。今回の目的地は、東京湾だよ」
「「「「トウキョウワン?」」」」
姉たちの声が重なった。
こういう言い方ではわからなかったかな。【
「つまり、海だよ!」
§
魔法の【
いきなり一気に視界が開けた。
なによりも僕には、潮くさいニオイですぐにわかる。
「出た……やった! 海だ!」
四人の姉たちと辿り着いたのは、整備の行き届いた埋め立て地だ。
すぐに目に飛び込んできたのは、巨大なループの建造物! 海を渡る、白亜の立派なレインボーブリッジに繋がる、海上から浮いた道路だ。
ここは確か、芝浦ふ頭、だったかな。僕は都内の地図を思い出す。
「ど、どうですかっ。これくらい、エルフの聖女たるわたくしには、たやすいことなのです――ぐふっ」
消失する【
「わ、危ない!」
杖にすがりついて堪える白姉を、僕は慌てて抱き留めた。
さすがに無理をしたんだと思う。連続で空間を跳躍してきた魔法使いの姉は、ぜはぜはと肩で息をしていた。
「大丈夫? 白姉!」
「ええ……平気ですともっ、ふふ。オージが喜んでくれるのなら……!」
「うん。おかげで日の高いうちに着いたよ。ありがと!」
僕はそのまま、ぎゅうっと白姉に抱きついた。
【ヒメ姉メモ】
感謝の気持ちはしっかりとハグで示そう!
というのは、ヒメ姉が決めた姉弟の約束なんだけどね。
もしかしたらちょっと、強く抱きしめすぎたかもしれない。
「はうっ!」
「し、白姉!?」
がくんといきなり力が抜けたエルフの姉を、僕はさすがに支えきれない。
代わりに引き受けてくれたのはメカ姉だ。肩の上に軽々と白姉を担いでしまう。
「お任せください、オージ。こちらはHI/MEが引き受けます」
「ありがとう……でも、白姉は?」
「
「――うふ、うふふふふ……オージが、オージのぬくもりがっ。オージの、オージの、オージの~~~~」
確かに、白姉は気を失ったわけじゃないみたい。担がれたままなにやらぶつぶつ呟いていた。
「呆れた。なにこの、幸せそうな顔!」
そんな白姉を覗き込み、剣姉が眉をつり上げる。
「心配することないわよ、オージ! ヒメリエルったら、オージの余韻に浸ってるだけなんだからッ」
「こやつめ……オージからの全身全霊の褒美を受けるとは、なんとうらやましい! くっ、それだけの対価を払ったということか……!」
ケモ姉がなんだか大げさだ。まあ、魔法の使いすぎでちょっと疲れただけかな、白姉は。
それよりも僕は、ようやく海に向き直る。
コンクリートとアスファルトで固められた、ふ頭。ここもやはりあちこちで取り巻くビルが崩れている。それでも吹き抜ける潮風に誘われて、僕は自然と足早に進んでいた。
自動車が放置されたままの狭い青空駐車場。その向こうにはちょっとした灰色の堤防があった。そこから身を乗り出せば、わあ!
深い青が真っ直ぐに広がり、きらきらと日差しを反射していた。無数の波が押し寄せて、堤防の下で白くしぶきを上げている。
火照ったコンクリートの熱気と、海の湿気にあてられて、パーカーのフードを脱ぐ。ああ! 涼しい!
「すごい。これって、つなぎ目のない石垣? こんなので湾をぐるっと囲っちゃってるの!?」
ついてきた剣姉が、ひょいと堤防の上に立つ。
「はー。こっちの世界ってほんと、やること大胆だよねー」
「なんだ? 風にのって……なんとも言えぬ臭いがするのう」
顔をしかめたのは警戒した様子のケモ姉だ。
「妙な湖であるのう、海とやらは。やたらと大きいようだが」
「あ。もしかしてケモ姉は海、初めて?」
「……聞いたことはあったがの。塩水の湖、だったか? それにしては生臭いような」
「海は、生き物のふるさとだから。たくさんの生き物が生まれて、ここで死んでいくんだ」
「
白姉を担いだままのメカ姉が、海面を見て告げた。
「生物の食物連鎖が作り上げる、生命の環ですね。命を喰らい、命を繋ぐ――」
「!」
僕の心臓がどきりと跳ねた。
同じことをヒメ姉も言っていたから。
『――ただの水じゃないのよね、海って。だから好き! 人工的なプールとかよりもさ』
夏になればよく、ヒメ姉は僕を海に誘ったものだ。
弟と一緒なら、ナンパ避けにもなるとか言っていた。ヒメ姉は水着の上にシャツを着てても、とにかく周りの目を引く美人だったから。
『ねえ、オージ。また二人で海に行こうよ。絶対!』
世界がこんなふうになってから、そんなとりとめもない約束をした。それは結局、ヒメ姉とは果たせなくなったけど。
違う。僕はまた来れたんだ。四人のヒメ姉たちと一緒に!
ただし今日の目的は、ただ遊びに来たわけじゃなくて。
ばちゃんっ。
「! 今の……」
ふいに聞こえたのは、海面が叩かれた音。
真っ直ぐ伸びるレインボーブリッジ。その真下に、一羽の鳥の姿があった。
廃墟と化した街の中では、いつしか見られなくなった存在のひとつ。だけど、いた! 白い翼を羽ばたかせ、橋をかわして青空へと急上昇する。
くちばしにくわえていたのは、たぶん魚だ。鱗の輝きが僕の目にもはっきり見えた。
よかった。やっぱり思ってたとおり!
「見た? みんな!」
僕は思わず興奮する。だけど他の姉たちときたら、きょとんとしていて。
「なに、オージ? もしかして珍しい鳥なの? あれ」
「ほほう。ならばオージのために獲ってきてやろうか! 強運の妾にかかれば、あれくらいすぐ手の届くところに……」
「飛行パターンを
「……ふ、ふ。オージのためなら……もう一踏ん張り、小型の【
メカ姉に担がれたままの白姉まで、腕輪に手をかける始末だ。
「違うよ。そっちじゃなくて、魚の方!」
ほら。僕は海面を示した。
地上が変わり果てても、どうやら海中は無事なようだ。実際に足を運ぶまでは確信が持てなかったけれど、間違いない!
だからこそ、食糧が取り放題というわけで。
「今日は、みんなと釣りをしに来たんだからね!」
§
「「「「つりぃ?」」」」
どうやら四人の姉たちは、釣りがなんたるか知らないみたい。
そういえばヒメ姉も魚釣りはしたことなかったっけ。
「だってさ、動物性タンパク質は必要だもの。魚が食べられればとりあえずそこは解決するよ」
僕がわざわざ海まで来たのはそれが理由。
畑を作るのもいい。でも、作物を収穫するにはどうしても時間がかかる。
また、新鮮な肉を得ることは難しくなってしまった。少なくとも都内では、養鶏場だってもう機能してない。
人がいなくなるということはそういうことだ。どうしようもない。
だから海だ。魚だ! 僕は堤防の向こうに広がる東京湾を一望する。
「
メカ姉が同意してくれた。
「人の体を構成するには、栄養バランスは大切だと分析します。特にオージは育ち盛りですから」
「なるほどねー。ただ遊びに来ただけじゃないんだ」
「くふふ、さすがは妾のオージだ。しっかり考えておるのう!」
剣姉とケモ姉が頷き合う。
「……お魚、おいしい~~~~~で、す」
メカ姉にまだ担がれたままの白姉も、たぶん同意してくれたんだよね? あはは。
「で、道具は現地で調達できるかなって思ったんだけど……ええと」
廃墟と化した周辺を見回すも、残念ながら釣具屋のひとつもなさそうだ。当てが外れた。
「うーん。ここは釣り禁止の場所なのかも。釣りのスポットなら、なんとかなるのかな?」
「すぽっと? よくわからないけど、そういう場所があるのね」
剣姉が堤防に立ったまま、数メートル下の海面を見る。
キンッ!
いきなり抜刀音が放たれた。
風を斬る、見えない一撃が裂いたのは、なんと海?
しぶきも上げず波がすっぱり断ち切られた。うわあああ、すごい! 真っ直ぐに、海の断面がぱっくりと見える!
けれども海面の裂け目は、瞬く間に消えていった。
「あー、やっぱダメね。川でならよくこうして魚を捕ったんだけど、これだけ深いとちょっとねー。水ごと魚を斬れても、獲るにはもっと浅くないと」
「……そんなことしてたんだ、剣姉?」
「川なら斬った岩とかで、堰き止めたりできたしね。ヒメガミはどうしてたの? アナタ山に棲んでたんだから、川魚くらい獲ったでしょ」
「妾か? なぜ、妾が食事を自分で調達するのだ」
ふふん、とケモ姉が鼻で笑った。
「そういうものは供物として、捧げてもらうものであろう?」
「ふえぇ……いい暮らししてたのねえ。神獣って」
「くふふ! 貴様も妾の前にひれ伏してもよいのだぞ、姫光よ」
「残念ながらアタシは、神仏は信じないタチなの!」
べーっと剣姉が舌を出した。
そういえばケモ姉は、神様として崇められてたんだっけ。剣姉と同じく堤防に上がったその姿は、確かにどこか神々しい。
でもすぐ、ぴょんと降りてきた。
焼けたコンクリートの上は、裸足のケモ姉にはちょっと熱すぎたみたい。足裏の肉球を確認しては、尻尾でぱたぱた扇いでた。ふふふ。
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