8 やっぱり、お姉ちゃんにする?

【ヒメ姉メモ】

 本気でヒメ姉が怒ると、周りの温度がすっと下がる感じがする。本当に怖いんだ!

 きれいな顔立ちのぶん、迫力があるというか。

 きちんと反省しているのを見せれば、すぐに許してくれるけどね。



 ざぶんっ。僕たちはようやく、広い岩風呂に浸かった。

 うわあ、あったかい!


「はーーーーーー……」


 口からつい、魂が抜け出るような声が漏れた。

 ちょっと熱めのお湯だ。それがいい。久しぶりのお風呂のぬくもりが、僕の体に染みていく。

 他の姉たちも同じみたい。


「おふぅうう、なかなかであるのう~~。山二つ越えたところにあった温泉を思い出すわ」


 ケモ姉がすっかりとろけた顔で、頭の上の耳を垂れさせていた。


「ほんとほんと。湯浴みはやっぱりサイコーだよねッ」


 お湯の中で剣姉がのびをしたと思ったら、すぐにふにゃあと肩まで沈む。


「しかしこっちの世界って、すごいね。こんな大きなお風呂、贅沢すぎだよー」


肯定アイ~~~~~」


 相変わらずメガネが曇ったままながら、メカ姉もなんだかゆるゆるの表情だ。


「ふーーー……湯浴みの文化とは、よいものですねえ」


 岩から降りてお湯に入った白姉も、ご満悦。

 よかった。すっかり機嫌は直ったらしい。


「これだけのお湯を適温に保つの、けっこう大変なんですよぉ? わたくしの世界だと水浴びが主流で、こういうのは初めてで……ああ、でも、そのかいがありましたね~~~」


 はふううう。四人とも、一斉に幸せの溜息を漏らす。

 あはは。どの顔もみんなそっくり! 弟の僕も、今は似たような顔してるかな。

 だけどこの時間はそんなに長く続かない。露天風呂から見上げた空は、澄んだ茜色を失って、どんどんと紺色に移ろっていく。

 もうすぐ夜だ。僕は湯煙をさらっていく風が、より冷えてきたのを感じた。

 闇は怖い。本当に。

 この廃墟の東京で、どうしても体が恐怖を覚えていた。抗えない。真っ暗になる前に露天風呂から出ないと。

 でも体はほこほこで、頭だけがしゃっきりと冷めていて。


「こんな時間が、ずっと続けばいいのに……」


「わたくしも、同じです。オージ」


 ちゃぷんっ。白姉が上気した顔で、お湯をすくう。

 魔法の力なのかな? その手の上でお湯が玉になり、ふよふよと踊った。


「いえ。わたくしたち、ですかね」


「そうだねー。最初にアタシのところに、世界を飛び越えてヒメリエルが来たとき……こうしてまたオージと会えるとは、アタシも本気で信じてなかったもん」


 あは、と剣姉が軽く笑った。

 それは僕がまだ訊かされていない、四人の姉たちの物語。


「考えてみれば、そっか。最初からヒメ姉たちは、四人一緒じゃなかったんだ」


「ええ。姫光の世界へ【平行転移魔法陣】が繋がったのが、初めてでしたね」


 白姉が、後ろの岩にもたれて遠くを見る。


「でも姫光と会うまでに、わたくし一人で幾千と、違う世界を渡り歩いたことか……」


「そ、そんなに?」


「エルフは長寿の種ですからね。どれだけかかってでも、オージのいる可能性を探ろうとしたのです。でもさすがに諦めかかっていた……そのときに」


「アタシと出会ったんだっけ」


 うんうん、と剣姉も感慨深そうだ。


「あのときのヒメリエルって、ずいぶん荒んでたよねえ」


「そうでしたか!?」


 ばちゃん、と白姉の手からお湯の玉が落っこちた。


「うう、かもしれません……! しかし姫光と出会えたことで、別の世界にもわたくしがちゃんといて、弟であるオージもいたとやっと確信が得られましたから」


「希望が見えたんだよね! それでアタシも、一緒についていくことにしたの。どこかの世界ではきっと、生きてるオージもいるはずだからって」


 僕を見る剣姉の目が優しい。

 それが、最初の二人の出会いなんだ。


「しかしながらオージの存在する確率を、偶然に頼るのは論外だとHI/MEは判断しました」


 メカ姉がメガネの曇りを指で拭って、話に加わる。


「HI/MEがヒメリエルの特殊な計算式を解析して、手直ししたため、精度は格段に向上したのです」


「……メカ姉が三番目なの?」


肯定アイ。次のヒメガミのもとへは一発でした」


「そー! すごかったのよ! それまでアタシとヒメリエルで、何十回と世界をさまよってたのにね! オージがいるいないの確認も、それはもう手間でさー」


「ふふん。だがそうしてでも、妾のもとに来るまでは、生きたオージを見つけるには至らなかったのであろう」


 最後の、四人目のケモ姉がなんだか偉そうだ。

 あれ。その手には、いつか見たワインの瓶が?


「神獣たる妾の強運があったからこその、僥倖ぞ! こうして無事にオージと相まみえたのは。くふふふ!」


「HI/MEの計算では、オージの生存する世界との邂逅には、最短でもあと数回はかかるはずでした。何度再計算しても間違いなかったのですが」


「計算外の遭遇ってヤツね~」


 剣姉が白い歯を見せると、メカ姉も頷いた。


結論リザルト。理論値を越える結果です。確かに幸運としか言い様がありません」


「しかし――本当にあったとはのう。こんな穏やかな世界が……」


 紺色の空に、欠けた月が姿を見せた。

 そこに向かってケモ姉が、持ち込んだワイン瓶を掲げる。


「静かでよいの、ここは。神と崇められることもないが、邪神と蔑む者もおらぬ。オージと、妾たちだけの世界ぞ」


「暮らしていくにはいいよね。アタシは、合戦がないのがいーよ!」


 ケモ姉も剣姉もたぶん、荒んだ世界から来たみたい。こんな廃墟の世界の方がいいだなんて。


「オージとの暮らしの快適性を維持するには、食糧問題など解決すべき課題は多いですが」


 メカ姉が冷静に分析する。


「……そうですね。それに」


 なんだろう。ふいに白姉が口ごもった。


「白姉?」


「その――この先のことも、考えなければ、ですね。ええと、姫光?」


「へ!? あ、アタシに振るの? それって、あの話だよね? あのさ、ほら、こういうときは……HI/ME! お願いッ」


肯定アイ。このオージの世界に来てから、HI/MEたちが結論づけたことがあります」


 あたふたした二人にかわって、メカ姉が続けた。


「それはこの世界に残った人類は、おそらくオージのみということです」


「……うん」


「つまり単純なことです。オージが天寿を全うすれば、この世界の人類が滅亡してしまいます」


「そんな、大げさな」


 僕は苦笑いした。


「でも人類滅亡だなんて。そもそも僕一人なら、もう滅んだのも同じことだよ」


「いいえ。回避する簡単な方法がひとつ存在します。オージが子供を作ればいいのです」


「えっ、僕?」


肯定アイ。つまり――」


 湯煙のせいで、メカ姉のメガネがすっかり曇っていた。


「――おや? どこまで話しましたか」


「大事なところで……このカラクリ人形! その先でしょッ」


 ばしゃあっ! 剣姉が湯船のお湯を飛ばした。

 ふふん、と鼻を鳴らすのは、ワインの残りを飲み干したケモ姉だ。


「まったく、これくらいずばっと言えぬのか。要するにだな、オージ」


「ケモ姉。なに?」


「そなたは、妾たちと……」


「うん」


「その……ごぽぽぽぽぽ」


 なぜかケモ姉が顔を半分沈めたので、なにを言ってるのか泡になって聞こえない。


「い、いかぬな。こちらの酒は酔いが回るのが早いのう、オージ」


「ちょっとー! アナタも言えてないじゃないの、このへたれッ!」


「なにい? 姫光、そなたこそ自分で言えぬくせに、押しつけるでないわ!」


 あああああ。ばちゃばちゃと、お湯の掛け合いになってしまった。

 止めた方がいいのかも。


「ねえ、白姉。剣姉とケモ姉なんだけど……あれ?」


「いいわ! こういうときはヒメリエルに、きっちり言ってもらいましょ! ねえヒメリエル!」


 剣姉が呼びかけても、反応はなかった。すっかり薄暗くなった岩風呂に、白姉の姿がないのだ。いつの間に一人で出たの?

 ぶくぶくぶくぶく。

 水面になぜか泡が出ていた。待って、これまさか!


「白姉!? うわ、溺れてるううう! 手を貸して剣姉え!」


「うっそでしょ! なにやってんのよ! って、どこお!?」


「妾に任せい! たぶんこのあたりであろう……ほれ!」


 ざばあああっ! ケモ姉が片腕で、湯船に沈んでいたエルフの姉を救出する。

 白姉の顔は真っ赤で、返事がなかった。


「ヒメリエルの生命反応バイタルを簡易チェック。残念ながら、無反応です――」


「いや、違うよメカ姉! それぜんぜん白姉じゃないからね!」


「おや?」


 こっち! と僕は岩風呂の縁を掴んでいたメカ姉の手を、白姉の腕に持って行く。


結論リザルト。どうやらのぼせただけのようですね」


 よかった。大事には至らないみたい。僕たちはほっとする。


「まったくもー! エルフって、意外と貧弱なんだからあ!」


 そう言いながらも剣姉が率先して、気絶した白姉を担ぎ上げた。やれやれ。



               §



 変わり果てた東京の夜が、また来た。

 ホテル最上階のメインベッドルーム。天蓋のついた大きなベッドの端っこに、寝間着代わりの大きなシャツを着て、僕は寝転がる。メカ姉が昼間に手に入れてくれてたものだ。

 傍らには明かりを落としたLEDランタンが、ぼわっと淡く光っていた。

 これがないと完全に闇だ。

 まだ眠れない。闇が、怖い。光をじっと見つめていても、じわりとシャツに汗を掻く。

 はあ。さすがに溜息が漏れた。

 もうすべては終わったというのに、まだ僕は。


「う……う~~~~~ん」


 もぞり。

 すぐ側で、起き上がる気配。ベッドの真ん中で寝ていた白姉が、やっと目を覚ました。

 脱衣所にあったバスローブを一枚羽織ったエルフが、身を起こしてきょろきょろする。


「あら? ええと、わたくしは……」


「大丈夫? 白姉。お風呂で、のぼせちゃったんだよ」


「オージ! えっ、あ――そういえば、途中で、ふわぁっと意識がっ」


「はい。お水あるよ」


「……いただきます」


 ベッドの高さに合わせた棚。その上に用意してあったコップを渡せば、白姉が中身の水をこくこく飲み干した。


「はあっ、ひとごこちつきました」


「よかった。火照りも、もうないよね」


 どれ? 僕は手を伸ばして、ぺたりと白姉のおでこに触れる。


「……うーん。まだ熱いような?」


「い、いえ、平気です。ところで……わたくしとオージだけなのですか?」


「三人ならサブのベッドルームの方だよ。ここ、ほんとに広い部屋だよね」


 らせん階段を上がった二階の、脱衣所の隣。そこにツインのベッドとソファーベッドが置かれていた。


「みんなはそっちで寝るってさ。僕一人で、白姉の様子は見れるしね」


「なるほど、そういうことですか。――初めてを、譲ってくれたのですね。感謝しかありませんっ」


「ん? なにが?」


「いえ、あの……」


 こほん。白姉がベッドの上で座り直した。乱れていたバスローブの前を合わせる。


「あのですね、オージ。湯浴みで皆が話したこと、なんですけれど」


「……話が途中で終わったやつ?」


「そう! それです! って、私も途中で気絶しましたけど、結局――」


「うやむやになっちゃったけど、なんだったの? 白姉」


「あああああ、もう! そこから? そこからなんですか?」


 ばふ、ばふ! 白姉がふかふかの枕を叩いた。


「と、とにかくですね――オージ! わたくしたちは決めたのです。そう、これはこの世界で人類を滅亡から救うための、いわば必然的結論なわけで!」


「うん」


「わたくしたちと、あの、順番に」


「うん?」


「……皆まで言わないと、わかりませんか」


 どういうこと?

 ランタンだけの明かりの中。急に白姉が黙った。

 ベッドの上でもじもじしている。さらり、とこぼれ落ちるのは長い白髪だ。

 なん、だろう。雰囲気が妙だ。白姉の瞳が潤んでいる?

 そんな目でじっと見つめられると、僕の胸がどきどきしてきた。


「白、姉?」


「オージ。わたくしは……わたくしはっ。ああ!」


 ぎしり。白姉が手をついて、こっちに向かって身を乗り出した。

 互いの吐息がかかるほどに、僕たちは近づいて。


「その前に! お、おトイレです!」


 慌ただしく白姉がベッドから降りた。


「白姉? 真っ暗だけど、大丈夫?」


「闇の精霊が導いてくれますから平気です。待っててくださいね、オージ!」


 ちょっと水を飲ませすぎたかも。僕は苦笑しつつ、ころりとベッドに寝直した。

 ふわ、とついあくびが漏れる。

 そうだ。今日はいろんなことがあって、大変で。


「お待たせしました、オージ! さあ続きをいたしましょう! でもわたくし、まだ、恥ずかしながら初めてで……いえ。きっとこの日、このとき、この世界で出会ったオージのためにとっておいたのです! ですから、あのっ、やさしくしてくれると嬉し――あら?」


 戻ってきた白姉の声を聞きながら、僕は抗えないまどろみに落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る