7 それとも、お風呂にする?

 シャンデリアの吊られた、立派なピアノの置かれた吹き抜け空間。そういえば、そこには緩やかならせん階段があった。

 赤絨毯の張られた段差を上がれば、その先にあったのは広い脱衣所だ。

 雰囲気はまるで温泉旅館! 脱衣カゴの並ぶ棚には、もう白いローブと艶やかな着物が。剣姉が外した甲冑と刀は隅にまとめられていた。


「あの……剣姉、メカ姉? 別に僕が一緒じゃなくてもいいんじゃあ」


「なんでよ? 姉弟だもん、裸の付き合いくらいいいでしょー?」


 しゅるり、と剣姉は装束の腰紐をほどいていた。わ、わ!

 メカ姉は僕の後ろから、パーカーのジッパーを手際よく降ろす。


肯定アイ。脱ぐのを手伝いましょう、オージ」


「うわあ! だ、だから僕、後で入るからいいって!」


否定ノウ。それは非効率です」


「へ? だって……」


「ヒメリエルがさー、火の精霊の力を借りて、水をお湯にしてるんだって。それってけっこう魔力の消耗が高いみたいよ」


 露わな姿になった剣姉が、大きな胸に巻いた布をほどいていく。


「だから長時間の維持は避けたいんだってさ」


「それに明るいうちの方がよいとの判断です」


「あ……」


 メカ姉の指摘通り。脱衣所に入る外の光は、夕暮れに染まっている。

 やがて日が沈む。廃墟と化した東京の闇は深く、怖い。

 僕に、他の選択肢はなかった。



               §



 覚悟を決めた僕は手早く裸になると、剣姉やメカ姉より早く大浴場へ飛び込んだ。

 ちゃんとタオルも一枚取ってきた。慌てて腰に巻いて、股間を隠す。

 僕も年頃なんだよ、もう!

 その、ヒメ姉とはずっと一緒に、お風呂に入ってたけどさ。



【ヒメ姉メモ】

 世界がこんなふうになるまでは、ヒメ姉とのお風呂は日課だった。

 一人だと僕は、ついシャワーで簡単に済ませるタイプだからか。ヒメ姉曰く、「成長の過程を確認するのが楽しみ」とかで、じっくり付き合わされたものだ。

 だけどビーチで使うエアクッションを敷いて、一緒に体を洗い合う必要って、あったのかな?



「でも、ほんとに露天風呂なんだ……!」


 ホテル屋上の大浴場には天井がなかった。

 広がるのは大展望だ。真っ赤に燃える大空に、ちらほらと星が煌めいている。


『人が減って空気が澄んだから、ほら。東京の夜空もきれいになったよね』


 いつかヒメ姉が星空を眺めて、そんなことを言っていた。


『こんな世界にだっていいことだってあるよ、オージ』


「――来てくれたのですね、オージ!」


 空に見とれていた僕に声がかかる。

 外から入ってくる冷えた空気のせいだろう。防風用の柵で覆われた露天風呂は、立ち上る濃い湯煙に覆われていた。

 その向こうに見えたのは、目を見張るほど立派な岩風呂と。


「白姉?」


 たぶん、そう。近づけばはっきりと見えてくる。

 湯船の真ん中に浮かぶ大岩に、真っ白な肌と髪のヒメ姉が腰掛けていた。もちろん裸だ。

 なんて、きれいなんだろう。姉弟なのについ見とれた。

 茜色に染まる中、湯煙の幻想的な雰囲気が、耳の尖ったエルフの白姉とぴったりなんだ。まるで絵画を見ている気分。だけどそこに、ちゃんと白姉は実在していて。


「この設備は湯浴みのためのものですよね? 精霊に訊いて再現してみましたが、どうですか?」


「う、うん! 完璧だと思うよ」


 白姉の濡れた白い乳房に、二つの小さな桜色が。僕は慌てて視線を逸らした。

 かわりに見つけるのは湯船の側に空けられた、魔法の穴だ。そこからじょぼじょぼと、お湯が注ぎ込まれている。

 他にも少し離れた壁際の、高い位置にも穴がひとつ。細いお湯の滝が勢いよく落ちていた。


「すごいよ。あれ、打たせ湯ってヤツだよね?」


「あら。そういう名前なのですか、あちらは」


 白姉は知らずに再現したようだ。

 僕も詳しくは知らないが、確か立ったままお湯に打たれるもの、だったはず。

 その側には座り込んで泡だらけになっている、もう一人の姉がいた。


「あれ、ケモ姉?」


「オージ? そなた、もう来ておったのか!」


 ばしゃばしゃと、やかましく石畳の床で跳ねるお湯のせいか、ようやくケモ姉が僕に気付いて振り返る。

 立ち上がったその体は、え、え?


「ケモ姉って……そうだったの!?」


「ん? なにがだ、オージ」


「いや、だって……!」


 シルエットがまるで違った。金色の体毛が濡れて、体に張り付いているせいもある。

 だけどケモ姉の胸も、お腹も、お尻も丸出しだ。毛が生えてない!


「そっか。顔周りにも毛がないし……服で隠れてた箇所はこうなってたんだね」


「ただの獣かと思うておったか? 妾は人に近いからこそ、神と崇められておったのだぞ」


 確かに人そっくりだ。ケモ姉の体のラインはやっぱり、白姉と同じくヒメ姉のまんまで。


「さ、オージ♪ ともにゆるりと湯船に浸かろうぞ~。くふふふ!」


 むんずと僕の腕を掴み、岩風呂に誘った。


「いけませんよ、ヒメガミ」


 そこを白姉が制した。


「残念ですが、それでは入ることを許可できません」


「なんだと? ヒメリエルよ、そなたはまた妾の邪魔をしよるのか!」


「だって。そのまま入ったら、せっかくのお湯が汚れてしまうでしょうに」


「ぬお?」


 白姉の指摘通り。ケモ姉の全身には、大量の泡がついたままだった。


「だ、だってこれ、ようわからんが……ぜんぜん泡が落ちぬのだ! 最初は液状だったくせに、ずっとモコモコしおるのだ~~~!」


「わたくしも同じものを使いましたが、洗い流せばきれいになりましたよ」


 ほら、とばかりに岩の上で、白姉が真っ白な足を組み替えた。


「オージのために用意した湯船です。汚さずに使うべきですよね?」


「くっ! そなたの言うことはいちいち、道理であるの!」


 泡だらけの頭の上で、二つの耳がぺたんと折れる。残念そうに僕の腕を放すと、ケモ姉は打たせ湯の下に引き返した。

 確かに、体をきれいにしてから入るのがマナーだものね。


「ささ、オージはどうぞ♪ わたくしと一緒に、まずは二人だけで! ふふ、うふふふふふふ」


「僕も体を洗ってから入るよ、白姉」


「ええ? ああ、はい……くすん」


 本当に、お湯で体を洗うなんて久しぶりだ。


「くそっ、なんだ? 洗っても洗っても、尻尾から泡が出てきおって! おのれ~~!」


 ケモ姉が泡と格闘する、打たせ湯の近くに洗い場が並んでいた。

 僕は踏み台のような椅子のひとつに腰を下ろす。

 正面の鏡に、やせっぽちの僕が映った。こうして自分の姿をゆっくり見るのも、久しぶりかも。

 子供だ。ひ弱で、なんの力もない。

 僕は、こんな僕が嫌いだ。


「…………」


 胸の真ん中には大きな傷の跡があった。きちんと塞がっているが、生々しい。

 二年前のときのもの。両親と交通事故に巻き込まれ、僕だけが生き残った名残だ。

 あの日から、僕は変わった。嫌でも変わるしかなかった。

 変われたと思ったのに。


「結局、また一人で……」


「どうしたの、オージ? その古傷」


 鏡の中にひょい、と角の生えた頭が並んだ。


「……剣姉!?」


「いいね! 正面からの傷は、逃げずに戦った証だもんね~」


「そういうわけじゃないんだけど……わ、わ!」


 いつの間に近づいてきたのか。後ろから鬼のヒメ姉が抱きついてきた。

 特徴的な長いツインテールはほどかれて、タオルでくるりと巻かれている。来るのに時間がかかったのはそのせい?

 それよりも、その。ふにょんっと、すごくボリュームのあるやわらかな感触が、僕の背中に密着していて。


「あの、その、ええとっ」


「あはは! オージったら、どきどきしてる? アタシにもわかるよ」


「そりゃ……するよ! こんなに、くっつかれたら」


「わー! 姫光ったらずるいですよ、オージと洗いっこでもする気ですか!?」


 ばちゃんばちゃんっ。岩の上からお湯を蹴って、白姉が抗議した。

 べーっと剣姉は舌を出す。


「いいじゃん、これくらいー。どうせヒメリエルはお湯の温度調節で、湯船から離れられないんでしょ?」


「うっ。それは、だって。火と水の、相反する性質の精霊を、両方制御してるんですよ? 直接こうして対話しないと……」


「オージのために適温を維持しといてよね。背中を流し合うくらい、アタシに任せときなってー」


「うう、うううう~~~!」


却下ノウ。オージのお世話をするのは、メイドロイドであるHI/MEの仕事です」


 剣姉だけじゃなかった。振り返ればそこに、銀色の髪を下ろしたメカ姉が。

 やっぱり全裸だ。透き通るような肌には、うっすらと分割線が走っている。それを除けば本当にヒメ姉のまんまだ。豊かな胸のふくらみも、腰つきも、僕にはまだない大人の茂みも。

 だけどメガネはつけたままで。


「さっそくHI/MEが洗いましょう。お任せください」


 すでに準備万端だ。手には泡のついた濡れタオルが握られている。

 しかし屈み込んで、洗い出したその背中は。


「きゃあ!? ちょっとッ、HI/ME~~?」


「オージの背中が、ずいぶん広くなったとHI/MEは判断します。さすがは男の子です、成長が早いですね」


「こ、こっちじゃなーい! アタシアタシ!」


「おや?」


「なにをどうしたら大胆に間違えるのよ、このカラクリ人形ッ!」


「――湯煙の影響で、サポートグラス越しの感度が低下しています」


 剣姉に叱られて、メカ姉が立ち上がって一度離れた。

 メガネが真っ白なほど曇っている。まさか、そのせい?


「あのさ、メガネ取ればいいんじゃあ。メカ姉……」


「良い提案ですね。さすがはオージです」


 メカ姉が手のひらを打つ。


「しかしながら、サポートグラスの接続部コネクターは非防水です。本来は専用のキャップがあるのですが。そのため湿度の高いここで外すと、不具合を招く可能性が」


「……メカ姉、僕そっちじゃないよ」


「おや?」


 今度は少し離れた、湯船の方の白姉を向いていた。

 どうもメカ姉とお風呂は相性が悪いみたい。


「もー! いいからアナタはアタシの邪魔しないで! オージ、一緒にごしごししようね~♪」


「いや、あの。自分でできるから、僕っ」


「遠慮しないの! ほーら、こっち向いて。き、き、気持ちよくしてあげるから、ねッ」


「あ、ダメ……んひゃああう!」


 すごく変な声が出た!

 剣姉に触られたからじゃない。いきなり横から抱きついてきた、泡にまみれた姉がいたから。


「くふふふふ! 泡だらけなのだから、最初からこうすればよかったのだな。ほれほれ~」


「ケモ姉!? あっ、ちょっと、そこ――あうぅん!」


「敏感であるのう、妾のオージは。気持ちよいか? ほうれ、ここを妾の胸でやわらかく挟んで……」


「ダメ! そんなにしたら、なんか、なんかっ!」


「小さくとも、立派に硬くなってきおったのう? くふふ、やはりオージも男であるの」


「な、なにしてるんですか、ヒメガミーーーーー!」


 白姉がばちゃばちゃと水音を立てていた。


「なんて、なんて……うらやましいことをっ!」


「はっ。あまりのオージの悶えっぷりに、つい見とれちゃったけど――ほんと、なにしてんのヒメガミ! アタシがオージを気持ちよく……じゃない、きれいにするんだってばッ!」


「ふふん。泡立ちならば妾の体が一番であろうて」


 ケモ姉に続き、剣姉まで体を泡だらけにして抱きついてきた。

 あああ、もう! ダメだって、これ!


「オージの興奮度が急上昇しているのを感知。HI/MEも参戦します」


 メカ姉は一人、なぜか打たせ湯に突進していった。

 それをどうにか捉えるのがやっとだ。僕は、すごく気持ちよくて、頭の中が真っ白になって。

 ばしゃあああああああああああ!


「わあ!?」


「ふぎゃっ!」


「な、なにッ? なんなのーーーー!?」


 大粒の雨がいきなり降り注ぎ、僕たちを襲った。

 違う、大量のお湯だ。

 ずぶ濡れになって見上げる、僕とケモ姉と剣姉。その頭上には滝のごとくお湯を吐いた、大きな光の穴ができていた。

 やったのは、湯船で腕を振り上げた白姉だ。


「これで皆さん、まとめてきれいになりましたね。さあ、おとなしく湯船へどうぞ♪」


 いつもの穏やかな笑顔が怖い。僕たちは従うより他になかった。


「――今、何かありましたか?」


 メカ姉だけは相変わらず、曇ったメガネでさまよっていたけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る