6 ねえ、ご飯にする?
というわけで、僕の真後ろに座るのだけはやめてもらった。
「いただきます!」
広いバルコニーに面した明るいリビング。そこで円形のガラステーブルを仲良く囲み、ようやく食事だ。
「いっただきまーす」
ぱん! と勢いよく剣姉も手を合わせる。
他のみんなはばらばらだ。メカ姉はメイドさんだからかな? 品よく、会釈で終わらせた。
かわりに目を閉じて、まだお祈りをしているのが白姉だ。
「ほう。熱々だのう~」
まったく気にしないのはケモ姉で、早々にカレーうどんの器を持つ。
だけどケモ姉は、僕が持ってきた割り箸を器用に使いこなした。ずずっ、と見事に麺をすする。
「……うむ、うむ! ぴりりと辛くて、こんな味は初めてだが、美味であるの!」
「口に合ってよかった。かけてあるのはカレーっていうソースだよ」
僕もちゅるりと頬張った。
ああ、うまい! やっぱりカレーは最強だ!
ちょっと僕には辛口だったけど、それがいい。うどんとよく合う。
「ふわぁあ……おっいしーい!」
もう一人、箸で食べる剣姉が目を見開いた。
「おうどんはアタシの世界にもあるけど、これはぜんぜん違うわ! それでいて、もしかしてちゃんとおダシの風味もある?」
「そっちにもダシの文化があるんだね。お手軽にだけど、風味を足してあるよ」
「――
メカ姉がフォークでうどんを上手に絡め取り、ぱくっと一口。
やっぱりロボットだけど、しっかり食べられるんだよね。
「味も申し分ないと理解します。香辛料のバランスが見事です」
おいしいかどうかははっきり言ってくれないが、たぶん大丈夫。メガネの下の無表情が、少し和らいだように見えたから。
「な、なんですかこれは――!」
食べて絶句していたのは、ようやくお祈りを終えた白姉だ。スプーンでまず、カレーの部分だけを食べたようだけど。
「ダメだった、白姉?」
「……朝の食事のときも思ったのですが、こちらの世界の食べ物って、ちょっとおいしすぎませんか!? 単純に甘いとか辛いとか、それだけじゃなくてっ」
心配したが違ったみたい。興奮して、テーブルの端をとんとん叩く。
「うま味が濃いのです~~~! こんな贅沢してよいのですか、オージ!?」
「あはは。気に入ってくれたのならよかった」
僕はエルフについては知らないけど、薄味の食文化なのかな。四人の中で一番喜んで、フォークとスプーンの両方を使ってカレーうどんを食べていく。
「おいひい! おいひいのです~~!」
「でも白姉、ちょっと気を付けた方が……カレーうどんってさ、どうしても」
ぴちっ。
手遅れだった。白姉の真っ白な服に、カレーが飛ぶ。
「あ、ああっ! なんてことですかあ!」
「……こんなふうにはねるから、気を付けて食べてね」
ホテルにはティッシュの在庫がまだあった。貴重だけど使わせてもらう。
すぐ拭いても、黄色い染みができてしまった。がっくりと白姉が落ち込む。
「うう、わたくしの聖女の証たる、ローブがあ~~~」
でもまだもぐもぐ食べ続けるあたり、本当に味は気に入ったみたい。
「くふふ。運のない女よのう!」
ケモ姉が、優雅な箸運びを見せながら笑った。
「神獣の妾にかかれば、こんなもの。はねても当たるものではないぞ」
「うん、ケモ姉はうまく食べてるけど、口の周りがカレーまみれだからね」
「な、なんだとお!?」
はいはい。僕がティッシュで拭ってあげた。
「ふっ、ダメね、みんな。こういうのはねッ」
きらん、と剣姉の眼光が鋭く光る。
そのときには抜刀術のように、すべてが終わっていた。一瞬で手元が掻き消え、カレーうどんを口いっぱいに詰め込んでいる。
「こうっ、はねるより速く、食べちゃえば――もぐもぐ」
見事なほどに、あちこちにカレーのしぶきを飛ばしていた。あああああ。
「あれ? あれえええ?」
「剣姉が一番ひどいよ!? どうしてカレーうどんでスピード勝負するの!」
「勝てると……勝てると、思ったのッ」
なんで勝ち負けが出てくるの、剣姉?
「解析不足ですね。HI/MEの計算によれば、このように静かに食べれば、99.8%の確率ではねることはないと出ました」
メカ姉がフォークでくるりとうどんを巻いて、静かに口元へ運んでいた。
「これこそが勝利の方程式です」
だからなぜ勝負になっているんだろう。
しかし、そう簡単にいかないのがカレーうどんだ。
ぴちちっ。
「
「はいはい、ティッシュね。メカ姉」
メガネについたカレーの汚れを拭いてあげた。
「悟りました!」
白姉がカレーうどんの器を手に、声を上げる。
「おいしいのに、あなどれない……。それがこちらの食事なのですね!」
「「「わかる」」」
他の三人が同意した。
あはは。ほんとこういうときは息がぴったりなんだから、ヒメ姉たちは。
でも。
「ちゃんと味わっておいてね。こういう食事ができるのは、今だけだと思うから」
「えっ。そうなのですか、オージ?」
「レトルト食品は日持ちするけど、やっぱり消費期限があるからさ。あちこちで見つけられても、たぶん……食べられるのはあと一年くらいが限界だと思う」
世界がこうなり、食品の製造や流通が止まってずいぶん経つ。今あるのを食べ尽くせばそれで終わりだ。
缶詰などはまだもつから、完全に食べ物がなくなるわけじゃない。栄養不足も、薬局でビタミン剤を確保すればある程度は補える。
それでもやはりこのままじゃダメだ。何年か先が、見えない。
「だから、自分たちで食べ物を作らないと」
「
メカ姉の言うとおり。僕は頷く。
「一応、準備はしてたんだ。僕だけだと手が足りなかったんだけど……今はほら、ヒメ姉たちが来てくれたから」
なんとかなる。こんなにすごい力を持った四人がいれば、きっと!
窓の外を見ると、太陽がずいぶん傾いてきていた。
「その話はまた改めてするね。さっさとご飯、食べちゃおう!」
§
姉たちとの夕食を終えて僕は、ロイヤルスイートの奥にある和室へと足を向けた。
小上がりっていうのかな? 四畳半ぶんの畳が敷かれてあるだけのスペース。そこに実は、公園から持ってきた荷物をとりあえず置いていた。
たいしたものはないけれど。
「……確か、ここに。あった!」
その中の小さなリュックから、僕は一冊の手帳を取り出す。
もともとはヒメ姉がスケジュール帳にしていたもの。今時アナログなのがヒメ姉らしい。そこを開けば無地のページにびっしりと「これからのこと」が書かれていた。
やがては食べ物がなくなること。
補うには、自分たちで畑を作らなければならないこと。
そのために必要な野菜の種も、実はリュックに確保してある。生花店を見つけたとき、パッケージになっていたのをいくつか持ってきたんだ。
お店自体は枯れて腐った花に埋め尽くされて、見るも無惨だったけれど。
「これを使うときが来たんだね、ヒメ姉……」
和室の凝った丸窓からも、廃墟の東京が一望できた。
もう空はすっかり茜色だ。濃くなっていく影に沈む街並みに、意外と多くの緑がある。
都会のあちこちに植物が茂っていた。土を耕すためにはそれなりの広さが必要だが、いくつか候補地も考えてある。手帳にもヒメ姉がメモしていた。
『今は無理でも、いつかきっとこれが役に立つ日がくるよ――オージ』
「――っ」
だけどそう言ったヒメ姉本人は、もう。
「オージ。洗い物が終わりました」
メカ姉が和室に現れた。メイドさんらしく、食後の後片付けを引き受けてくれていたんだ。
「あ……うん。ありがとう、メカ姉」
「どうかしましたか。オージの声が平均より21%トーンダウンしています」
「ええ? そんなのわかるの、メカ姉?」
「
そっとメカ姉が僕の手を取った。
「それはHI/MEにココロがないからかもしれませんね」
「えっ」
「HI/MEはメイドロイドです。生体パーツを多用していても、体は機械でできていますから」
「そんなことないよ。メカ姉だって間違いなく、僕のヒメ姉さ」
僕には、それだけは確信を持って告げられた。
メカ姉は驚いたのだろうか。眼鏡の向こうで軽く目を見開いて、やがて嬉しそうに細めた。
「
「うん」
「ですから、なにかあるのでしたら話してくださいね」
「……話さなきゃいけないことがたくさんありすぎて、どこから話したらいいのか、僕にもまだわからないんだ」
僕は素直に打ち明けた。
白姉に抱きしめてもらったぬくもりが、今でも思い出せる。
「僕は――早く大人になりたかった。ヒメ姉を支えてあげられるくらいに。でも」
「オージ?」
「僕は結局、甘えてるんだ。来てくれた四人のヒメ姉たちにも」
「
「へ?」
「
「ぷっ、あはは!」
メカ姉に真顔で言われると、ちょっと面白い。僕は思わず噴き出していた。
「そうなんだね、ヒメ姉たちって」
「皆、自分たちの世界では、もうできなくなってしまったことですから」
「! それは……」
僕が自分のことを話せないように、四人の姉もまだすべてを打ち明けてはいない。
きっと同じなんだ。
簡単には口に出せないこと。その前に、心が張り裂けてしまうから。
それができないメカ姉も、やっぱり心を持っていると僕は思う。
「ですからオージには、HI/MEたちに付き合ってもらいます」
ずっと掴んでいた腕を、メカ姉が引っ張った。
「うん」
「ねー。呼びに行って、いつまでかかってるの?」
そこにひょっこりと剣姉がやって来た。
食事のときも着込んでいた甲冑を全部、外している。腰に刀も帯びていない。
白姉が、ホテルの水道を使えるようにしてくれた。だからガラス張りのシャワールームで順番に、水浴びをすることになったのだ。
でも剣姉の赤い髪は、左右できちんと縛ったままだ。濡れた様子もなかったから、シャワーはまだみたい。先に白姉かケモ姉が入ってるんだろうな。
「ヒメリエルとヒメガミはさっさと上がったよ。あとはオージの準備だけなんだからねッ」
「あ、もう二人はシャワー終わったの? 僕は最後でかまわないけど……」
「……まだ言ってないの?」
「
「まー確かに、びっくりさせようって話だけどさ~」
剣姉がにやにやしてる。なんだろう。
「アタシ言うよ? 言っちゃうよー?」
「
すっとメカ姉が、上を指さした。
なに?
「ヒメリエルが見つけて黙っていたのですが、この真上が大浴場と繋がっています」
「上!? って、ここが最上階のはずじゃあ。え、お風呂?」
「屋外空間に設けられた設備です」
「それって……露天風呂だ!」
「
「そーそー! 入るわよ、オージ♪」
剣姉も僕の手を引く。
「ヒメリエルがさ、魔法を使ってお湯を出せるようにしてるから! こっちの世界でも湯浴みの文化はあるんでしょ? あんなに立派なお風呂なんだもん。一緒に楽しまなきゃ損だよ、損~!」
「待って、僕も、一緒に? ヒメ姉たちと?」
「そー」
「だ、ダメだよ、そんなの!」
困る。すごく困る!
だけど剣姉とメカ姉ときたら。
「ダーメ!」
「
【ヒメ姉メモ】
割とヒメ姉は強引だ。こうと決めたら譲らない。
特に自分のためじゃないときは。
それが僕もわかっているから、最後はしぶしぶ付き合うんだけどね。
「こっちの世界でどうなのかは知らないけどさ、アタシのところじゃこう言うの。お風呂はこの世に現れた極楽だってね! サッパリしよー!」
「オージはリフレッシュする必要があると、HI/MEも判断します」
僕は二人にずるずると引きずられていく。
こうなったらもう、逆らっても無駄なんだ。あああああ!
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