5  忘れていた姉との団欒

 ズ、ズ、ズ。

 かすかな揺れが、ホテル最上階のバルコニーにも伝わった。


「白姉? これ!」


「……ああら。思っていたより早く、ヒメガミが仕事を片付けたようですね」


 僕が胸から顔を離すと、白姉がほら、と近くの高層ビルを示した。

 それが今ゆっくりと倒壊を始めていた。ホテルより高かったビルが、みるみるうちに縮んでいく。


「終わったぞーーーー! ヒーメーリーエールー~~~~!!」


 舞い上がる粉塵を吹き飛ばして、ケモ姉の叫びが届いてきた。

 やれやれと白姉が、残念そうに僕から離れる。


「さすがにもう二人きりで、とはいきませんね」


 すいっ、すいっ。

 白姉の両手が、それぞれ指を立ててくるりと回った。手首の腕輪が鮮やかに煌めく。

 すると広いバルコニーに大きな光の穴が二つ、ぽっかりと出現した。


「……ふん! 自力でここまで駆け上がってくるとこだったぞ!」


 そのひとつからさっそくケモ姉が飛び込んできた。べーっ、と白姉に舌を出す。

 だけど側にいる僕を見て、すぐにやさしい笑顔になった。


「まあよい。妾のオージに免じて許してやろうぞ。のう、オージ~!」


却下ノウ。ヒメガミはオージから下がってください」


「ぬおっ!? なんだなんだ!」


 そこを邪魔したのは、もうひとつの穴から出てきたメカ姉だ。

 無駄のない動きでつかつかと詰め寄れば、さすがのケモ姉も足を止める。

 そのケモ姉を上から下まで、メガネをきらりと光らせて、メカ姉がチェックした。


「体毛に、微量の粉塵の付着を確認。そのままだとオージを汚染します」


「た、確かに妾はさっきまで建物を壊しておったが……!」


 慌ててケモ姉が、自分のふさふさ尻尾をはたいた。メカ姉の指摘通り、ちょっと砂埃が出る。


「不衛生です。故に今のヒメガミには、オージとの接触は許可できません」


「んぐうう! それは、道理だがっ」


「あの、メカ姉? 僕もそんなにきれいってわけじゃないから、別に……むぐう!」


「かわりにHI/MEがオージを抱擁します。ヒメガミのぶんも」


 言われたときにはもう、僕はメカ姉に抱きしめられていた。


「なんだとお!?」


「あー、ずるいわよッ、HI/MEったら!」


 もうひとつの声も加わる。メカ姉と同じ穴を通ってきた、剣姉だ。


「またそうやってオージを独り占めする! もー!」


「仕方ありません。この中で洗い立ての衣服を着ているのは、HI/MEだけですから」


「そりゃ、アタシが洗濯させられたからね! すっごく丁寧に!」


「抗菌、速乾性に優れたメイドロイド専用の奉仕服です。HI/ME以上に清潔な衣服を着た者は、ここにはいません」


 メカ姉が他の姉たちにも視線を向けた。

 うっ、と言葉に詰まるのは剣姉だ。着ていた甲冑の裏側を確認する。すんすんと、白姉もローブの匂いを嗅いでいた。


「確かにわたくしたちは、着の身着のままでこちらの世界に来ましたが……」


「HI/MEとはまるで違うと断言します」


 確かに、僕が一番よくわかる。密着したメカ姉の服はサラサラの肌触りだ。

 もともとメカ姉はロボットだから、汗も掻かないのかもしれないけどさ。


「では、きれいにすればよいのでしょう? 新たなる盟約に基づき、この世界の風よ! 吹きなさい――【浄化の風渦クリーンエア】!」


 白姉がなにやら強く呼びかけ、くるくるくるりと指先で輪を描いた。

 光の穴をまた作ったのではない。空いていた二つの穴が掻き消えると、バルコニーに風が舞った。それはすぐに竜巻のごときうねりに代わり、僕たちに襲いかかる!


「わぷ!」


 かぶっていた僕のフードが脱げるほどだ。

 ただし、一瞬で終わった。あっという間に消えてしまう。


「な、なんなの? 今のッ」


 乱れた長いツインテールを、剣姉が押さえていた。

 ぶるぶると体を振って、全身の体毛を整えるのはケモ姉だ。


「ヒメリエルめ。……風を操りおったな!」


「ええ。エルフのわたくしはこうやって、風の精霊の力を借りて、清潔に保つのです」


 ふふ、と白姉が微笑みながら近づいてきた。

 僕を抱きしめたまま固まっているのはメカ姉だ。表情こそ変わらないが、驚いている?


唖然フリーズ――他三名の汚染レベル、基準値を下回りました。こんなことが」


「これでわたくしがくっついても大丈夫ですね。オージ!」


「むぎゅうう」


「ずるいずるい! アタシも、もう埃っぽくないよ!」


「んむううう」


「妾も問題ないな! ふふん、待たせたのう……オージよ!」


「おむううっ」


 三方四方から僕は、姉たちの大きな胸に押し潰された。

 待って、あの、これはダメ。やわらかくてあったかいけど、どっちを向いてもおっぱいの壁ばかりで、逃げられない!


「あの……ひ、ヒメ、姉?」


「「「「なに?」」」」


 声をそろえて四人とも返答する。ほんと、こういうのはやっぱり同じヒメ姉なんだね。

 そうだ。だったら、もしかして。


「……そろそろご飯、食べない?」


「「「「食べる!」」」」


 またもや四人のヒメ姉が、声を重ねた。



               §



 空に輝く太陽が、ゆっくりと西の空に向かっていく。

 まだ日が沈むには早いが、廃墟と化した東京では一日二食で過ごしている。朝に食べたきりだから、僕もすっかり空腹だった。


「ここでいいかな。よっと」


 ごとり。僕はホテル最上階の広々としたキッチンに、小型のカセットコンロを設置した。

 電気のきてないホテルでは、立派なIHコンロも機能しない。だから公園でずっと使っていたのを持ってきたんだ。

 換気扇も動かないため、キッチン脇の小窓を空ける。これで臭いはこもらない。


「オージ。こちらはどこに運びますか?」


「あ、とりあえず今日使うものだけもらうよ」


 また公園と繋がった穴から、メカ姉がカートを押して運んでくる。

 僕が剣姉と一緒にとってきた食糧品がのったもの。そこから選ぶのは、スーパーの冷凍庫で発見したうどんの袋だ。

 一袋でちょうど五玉。常温で放置していたから、すっかり自然解凍している。


「あとは、レトルトカレーのパックと……残りはそこの棚に入れてくれる?」


肯定アイ。分類ごとに、的確に配列します」


 キッチン奥に据え付けられた、がらんとした棚が向き合うだけの空間。確かパントリーとかいう食糧置き場だ。そこにメカ姉が取り付いて、てきぱきと大量の保存食を収納していく。

 さすがはメイドのヒメ姉。けっこう大量にとってきたけど、任せておけば大丈夫だろう。

 でもメイドさんなのに、メカ姉には料理のスキルはないらしい。


「HI/MEには必要なアプリがインストールされていません。料理はオージの趣味でしたので」


 菓子類で済ませた朝食時に訊いたけど、そういう事情みたい。

 他の姉たちも同様だ。


「どうせアタシたち、サイズ一緒でしょ? 下着類はひとまとめで片付けちゃうからね~」


 乾いた衣類をまとめて抱えて、脱衣所隣のウォークインクローゼットに向かうのは剣姉だ。


「さすがは妾! こっちの世界の酒らしき瓶を見つけたのだー!」


 どこからか見つけてきたワイン瓶をケモ姉が、円形のガラステーブルに並べる。一本手に取ると、鋭い爪でコルク栓を突き刺して引き抜いた。


「うむ、この匂い……まだ飲めそうだのう! くふふ!」


「――――」


 白姉は公園に繋げた穴を閉じてから、ソファの上に立ったまま、静かになにやら呟いている。祈りのポーズなのかな? 両手を胸の前で交差させていた。

 みんな見事に、僕を手伝おうとしない。

 こっそり僕は笑っていた。ふふ、本当にヒメ姉なんだなあって。



【ヒメ姉メモ】

 機械が苦手なヒメ姉の、もうひとつの弱点が料理!

 両親を亡くして、二人で暮らし始めた最初はがんばってくれたけど、明らかにむいてなかった。「栄養バランスが」「カロリーが」とかすごく気にするものの、味が壊滅的なんだ。

 おいしいもの食べるのは大好きなんだけどね、ヒメ姉。



 とにかくヒメ姉に料理は任せておけないから、自然と僕が覚えたんだ。簡単なものしか作らないけどさ。

 今日もレトルトカレーを使った、お手軽なカレーうどんだ。さっそくお湯を沸かそうと、キッチンにあった鍋に水を張る。


「ああ、すごい」


 つい目を見張る。シンクのレバーを倒せば、普通にきれいな水が出たから。

 もちろん白姉の魔法のおかげだが、こういうの本当に久しぶりだ。


「……いいね!」


 清潔な水で手洗いができるだけでも感動する。こんな生活を取り戻せるなんて、思ってもみなかった。

 昨日の今頃はまだ、絶望の中にいたから。

 でも僕は、もう一人じゃないんだ。


「そろそろできるよ。テーブルの上、片付けてくれる?」


 キッチン棚にちょうど白い深皿が五つあった。そこに湯通ししたうどんを盛り付け、顆粒ダシをかけて混ぜ合わせる。ふんわりとカツオブシの香りが立ち上ってきたら、湯煎したレトルトカレーをたっぷりかけた。


「ほほう、なかなかによい匂いであるの! たまらんのう~!」


 ホールのグランドピアノの上に、ワイン瓶を並べていたケモ姉が飛んでくる。


「給仕はHI/MEの仕事ですが」


 無駄のない動きで横に並ぶのはメカ姉だ。一緒にトレイを持ってくるあたり、さすがはメイドさん!

 だけど尻尾でトレイを奪ったケモ姉が、五人分のカレーうどんをかっさらった。すごい、絶妙なバランスで尻尾にのせて運んでいく。

 かわりにメカ姉は、僕が見つけたプラ製のフォークやスプーンをとっていった。


「もったいないけど、このふっかふかの手拭い使うねー?」


 脱衣所にでもあったのか、真っ白なハンドタオルを持ってきて、剣姉がガラステーブルを拭いた。

 腕輪を煌めかせたのは白姉だ。くるくると片手を振る。

 すると僕のすぐ頭上で、小さな光の穴が現れた。キッチンの高くて手の届かない位置に吊られていた、グラスコップを次々と呑み込む。


「飲み水はわたくしがっ」


 コップが一瞬で運ばれた先は、カレーうどんが並べられたテーブルの上。コココン、と音を立てて配置されたコップに、別の光の穴から水が注がれる。

 さすがはみんなヒメ姉だ。連携がすごい。


「じゃあ、冷めないうちに食べよっか! ……あれ?」


 僕が適当に円形テーブルの端に座るものの、姉たちは席に着かない。

 絨毯の上で正座するのは、みんなと文化が違うのかな?


「勝負の方法は……朝のときと同じくジャンケンよね? ふっふっふ。アタシがまた一番に勝ち抜けても、恨みっこなしだからねッ」


「わかっています。もちろんわたくしも聖女の名にかけて、魔法を使うような不正はいたしませんから」


「ぐぬぬ、妾の強運も、同じ存在であるそなたたちの前には無力とは……。しかし今回こそは!」


「HI/MEの演算能力を一時的に凍結フリーズ。確率計算を放棄しました。乱数の世界に委ねます」


 せーの、で四人が拳を構える。


「「「「ジャンケンポン!」」」」


 あいこだ。全員が本気で悔しがり、もう一度身構えた。


「ええと、みんな? なにしてるの」


「四人のわたくしたちが座る位置を決めているのです。しばし待ってくださいね、オージ」


 白姉がにっこり。うんうん、と剣姉が頷いた。


「特等席の、オージの真後ろは絶対外さないんだから!」


「は? 後ろって?」


「オージの正面に一名、右に一名、左に一名。そして抱きかかえる形での、後ろに座る一名となります」


 メカ姉が解説したけど、んんん?

 ごめん。ちっとも意味がわからない!


「くふふ! 後ろにくっつくのが、一番『あーん』させやすいのだぞ!」


 ケモ姉は、体毛が逆立つほど気合い十分だ。


「右や左でもくっつけるが……正面は論外だのう! あの机の大きさでは、オージとの距離が詰められぬからの。座る位置ひとつですべては変わるのだ!」


「「「「ジャンケンポン!」」」」


 またもやあいこ。四人の決着はつかない。

 あの、でも。


「そんなに真剣にならなくても……」


 あーん、って。それは無理だと思うなあ。だって。


「あのさ、これ……麺だから。自分ですするよ」


「「「「ええっ!?」」」」


 姉たちがジャンケンの手を出したまま固まった。

 まったくもう。そんなにみんな、がっかりした顔されても困るよ、僕。

 食べさせてもらうほど、子供じゃないんだからね!

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