3 神獣のケモ姉「ヒメガミ」
止める間もなく真っ昼間の公園で、メカ姉が黒い下着姿だけになる。
ヒメ姉がたまにつけてた、ストッキングをつるガーターベルトとかいうタイプ。その裸はロボットなのに、本当に人そっくりに造られていて。
「ぼ、僕……他の二人の様子を見てくるね!」
「あっ、オージ! 一人で勝手に動いちゃダメよ、行くならアタシも」
「
虹色の輝きが煌めいた。公園を出ようとした僕は、思わず振り返る。
「
かざしたメカ姉の手のひらに、小さな宝石のようなものがついていた。
レンズ? 結晶? そこから光が放たれていた。そして僕の見ている前で虹色の光は収束し、一瞬で物質に変わる。
すごい! 明らかに質感を持った、虹色の壁ができていた。それもたくさんだ。追いかけてこようとした剣姉の周りを、きれいに取り囲んでいる。
ヒガンバナ。その名のとおり、まるで花のツボミのような檻だ。
「わあ! ちょっと、HI/ME~~~~!」
ひとつが高さ3メートルくらい。幅は60センチ程度。それらの壁は真ん中から湾曲していて、折り重なって剣姉の頭上も塞ぐ。
メカ姉が作る大きな「盾」。
これが本来の、護衛用メイドロイドの力? 今は剣姉を中心に、たくさんの枚数が地面に突き刺さっていた。
「逃がしません。約束通り、HI/MEの服を洗って干してもらいます」
下着姿のメカ姉は盾の外だ。でも隙間から手を差し出すと、剣姉の足下に、虹色の新たな桶と洗濯板を作り出した。
さっき剣姉に跳ね飛ばされた方は、もうない。自在に消すこともできるみたい。
「だってオージが、オージが! 今日はアタシがジャンケン勝ったんだから、一緒に行動する日なのー! 後で洗うから、それで」
「
「融通、効かない~~~! このカラクリ人形!」
「人形ではありません。メイドロイドです」
「うるさいわね、アナタなんて人形で十分よッ」
脱いだメイド服を剣姉に渡して、ついにメカ姉は黒い下着にまで手をかける。
「ええと、一人でも平気だから!」
僕は慌てて公園を飛び出した。
§
ああ、びっくりした。メカ姉の裸体はロボットなのに、人間そっくりなんだもの。
でも。
「あははっ」
歩きながらつい笑う。
剣姉とメカ姉。鬼とロボだけれど、やっぱり僕のヒメ姉だ。
「ヒメ姉と一緒にいると、楽しいや」
久しぶりに笑った気がする。本当にヒメ姉たちが来てくれてよかった。
もう笑えないかと思った。昨日のことを思い出す。
廃墟と化したこの街で、たった一人になって。
けれど今、僕はちゃんと笑ってる。
『オージ――笑えているうちは人間、大丈夫なものよ。うん!』
「……だよね、ヒメ姉」
ヒメ姉の教えが、僕の中でちゃんと生きていた。
散乱したガラスの破片だって、意識せずとも避けて歩ける。パーカーのフードをかぶるのは忘れない。なにかが降ってきたとき、少しは頭を守れるように。
あと、一番気を付けることは。
「傾いた建物には近づかない……なんだけどな」
新宿の高層ビル街に出て、僕の足が自然と止まった。
都市計画の行き届いた、整然としたきれいな街並みも、今は昔だ。目の前に見えたのは、他の建物も巻き込んで倒れ込んだ、巨大なビルの残骸だった。
たぶんこれがつい先ほど倒壊したものだろう。地面に大きくめり込んだコンクリートの巨体から、まだ土埃が揺らいでいた。
これは危ない! ずっとこの街で生きてきたから一目でわかった。なにかのはずみで、僕の背丈の何倍もする残骸が、まだ崩れてきそうな気配がある。
このあたりに二人のヒメ姉がいるって話だけど、大きな声で呼びかけるのもやめた方がいいかも。とりあえず他の道から回り込むことにした。
ズシン!
「え――わあっ!」
足下が揺れた? 地震!?
ぐらり、と見ていた視界が傾く。
違う。僕が歩いていたすぐ側の、高層ビルのひとつが、いきなり倒れ込んできたんだ!
ビルの影が、僕をすっぽりと包み込む。ダメだ、逃げられない! スローモーションのように見えながらも直感的にそう悟った。
嫌だ、こんなところで死ぬなんて!
『生きてオージ。私のぶんまで――』
そうだ。
僕はあのときヒメ姉と、最後に!
「そう焦るでない、オージ」
いきなり腕を掴んだ、力強い手があった。
それでいて全身の体毛でふわりと僕を抱きしめた、その相手は。
「匂いでそなたが来ているのはわかっておったぞ」
「……ケモ姉!」
獣のヒメ姉、で「ケモ姉」。
黄金色の体毛を持つ獣人だ。煌びやかなかんざしをつけた頭から、ぴょこんと耳が立っていた。
ヒメガミという名のケモ姉は「神獣」だという。確かに神々しい雰囲気がある。キツネ系、なのかな? 格好はどこか中華風な、金の糸がふんだんに使われた着物を着崩して、ヨウエンだ。
ふさふさの尻尾にはなぜか、無骨な鎖が絡んでいた。
なんて、見とれている場合じゃなくて!
「オージよ、動くでない」
でもケモ姉は、大きな胸に僕を押しつけたまま逃げようとしない。
頭上では傾いたビルが途中で折れて、破片をまき散らしながら落ちてくる。
「平気だ。妾を誰だと思っておる」
「…………!」
僕は、ケモ姉の胸の谷間に顔を埋めた。
直後に衝撃。
でも揺れたのは空気と、僕たちの立つ地面だけ。
「――っはあ!」
ようやくケモ姉の胸から顔を離す。周りにはビルの残骸が山のように落ちていた。
しかし、僕とケモ姉は無傷だ。すべての破片が僕たち二人を避ける形で、地面にめり込んでいた。もうもうと舞い上がる灰色の土埃さえ、風に押されて逃げていく。
「よく微動だにせんかったのう、オージ」
「……ケモ姉のこと信じてたから」
ニオイがやっぱり、ヒメ姉と同じだったから。
「くふふふふ! 愛いヤツだ、オージは!」
「ふぎゅうっ」
「それはそうと妾に逢いに来たのか? ん? ん?」
「……こっちに、ケモ姉たちがいるって聞いて。でもほら、今みたいにビルが崩れて、ここはかなり危ないから」
また押しつけられたケモ姉の胸から、僕は必死に顔を上げる。
「なんだ。いらぬ心配だぞ、オージ」
ケモ姉は平然としていた。
「妾は神と謳われた獣なのだ。落ちてきた破片ごときが、妾の美しき体に触れることなど許されるはずもなかろう」
「え? ええと」
「オージ。妾は強運の象徴でもあるのだぞ」
運? 確かに納得するしかない。
もう半歩、立っている場所が違っただけできっと、僕たちは大量のコンクリート片に押し潰されていたはず。
それにビルの瓦礫は、よく見れば真っ直ぐに隙間を空けていた。ちょうど歩いて通れるくらいに。
「ほれ出るぞ。ここは埃っぽくてかなわぬわ」
「う、うん」
僕はケモ姉に手を引かれ、瓦礫の山からあっさり抜け出した。
「……でもね、ケモ姉。本当に運がいいのなら、そもそもビルが崩れてくることもなかったんじゃあ」
「くふふ、さもあらん! 妾を【悪運の獣】と呼ぶ者もおるからの!」
楽しそうにケモ姉が笑った。
「しかし案ずるでない。そもそもこれは、妾が蹴り倒したものなのだ」
「えっ」
「ほれ。あれだ」
ケモ姉が着物の長い袖を持ち上げて、遠くを指した。
ちょうどさっきのビルが倒壊して、ぽっかりと開けたその向こうに、まだ真っ直ぐ立っている立派な黒いビルがある。
「あれをヒメリエルが、新しいねぐらにすると言い出したのでな」
「あそこを?」
「建物自体はしっかりしておったぞ。少々中は荒れておるが、あやつが片付けにいっておる。しかしせっかく見つけたねぐらだが、近くの建物が倒れてくれば、巻き込まれるやもしれぬからのう。そこで妾の出番というわけだ」
ゴッ!
ケモ姉が鎖の絡む尻尾の一振りで、側の瓦礫を無造作に払い飛ばした。
すごい! 一撃で、中に入っていた鉄筋ごとコンクリートが粉々だ。
これなら確かに、ビルの壁や柱も壊すことができるだろう。
「これで二本目。まだあと邪魔な大きいのが一本残っておるがな」
「あ。じゃあその前の、倒壊したビルも……」
「うむ、妾の所業だな。どこをどう壊していくかで倒れる方向が違うせいで、勘働きが大事でのう」
ケモ姉は頭の上の耳を動かした。
運というか、感覚がとびきり優れているのかもしれない。破片が落ちてこない位置がわかったのも、きっとそういうことなんだ。
「どうだ、妾はすごいであろう?」
「うん」
「くふん! ならば……ほれ。なでるがよいぞ!」
いきなりケモ姉が屈み込むと、耳のついた頭を突き出してきた。
「たっぷりなでなでするのだ、オージ!」
「ええっ? 僕が?」
「他に誰が、妾をねぎらうのというのだ?」
「それは……」
「う~~~~! ヤだヤだ! 妾はがんばったのだ! 偉かったのだあ~~~~!」
ついには尻餅をついて、子供のように手足をじたばたさせ始めた。
ああ、こういうヒメ姉を僕は見たことがある。
【ヒメ姉メモ】
いつも大人なヒメ姉だけど、実はけっこう甘えん坊さん。疲れているときはよくダダをこねた。
でもそれは僕が家族だから見せてくれる、素のヒメ姉なんだろうな。
こうなったらもう止められない。ちゃんと甘えさせてあげるまでは。
「はいはい、ケモ姉。わかったから」
しょうがないなあ。僕が腕を伸ばせば、暴れていたケモ姉がぴたりと止まった。
その頭をなでなでする。
なでなで。
なでなでなでなで。
「くふふふふふふ~ん♪」
満足げに微笑んで、ケモ姉は上機嫌に尻尾をふりふり。耳をぴこぴこ。
「やはり、ちゃんと触れてくれたのう。さすがオージぞ♪」
「なに? そりゃ触るよ、ヒメ姉なんだから」
「……神獣の妾に臆さなかったのは、弟だけなのだ。またこうして触れ合える相手に逢えたとは……妾の強運もたいしたものよ」
「むぎゅうっ」
「くふふふ♪ たまらんぞ、オージ♪ 我慢しておったがこうなればもう、このまま味見を……」
れろんっ。
気付いたらまた抱きしめられて、頬を舌で舐められた。強烈な愛情表現だ。
「ケモ姉!? お、落ち着いて――」
嫌じゃない。嫌じゃないけど、困る。すごく困るよ!
「ん~~~~! オージの匂い、いいのう~。くんかくんか!」
「汗臭いよ、僕! ダメっ」
「むしろそこがよいのだ! ほれほれ、もっと嗅がせい……くふ、くふふふふふふ♪」
「あぁんっ、ケモ姉、くすぐったいよう~~~」
僕のフードを剥ぎ取って、ケモ姉がすりすり。抱きしめられたままなので僕は身をよじるのが精一杯だ。
あーん、とケモ姉が大きく口を開いていた。尖った犬歯が近づいてくる。
「耳くらいしゃぶってもよいであろ、オージ」
「え、え? あの、僕っ」
「いただきまぁす、であるぞ♪」
かぷっ。
ケモ姉がかぶりついてきた。
だけど、そこは僕の耳じゃない。ひょいと横から差し出された、細い腕だった。
「~~~~!? なんだなんだ! ぺっ、ぺっ!」
慌ててケモ姉が離れる。毛を逆立てて威嚇した。
その腕はなんと、すぐ側に現れた、宙に浮いた光の輪から飛び出したもの。
空間に開いた「穴」だ。
そして腕は僕のフードをかぶせ直すと、やさしく抱きついてきた。
こんなマネができるのはただ一人。銀色の細い腕輪をつけた、真っ白な腕に見覚えがあった。
「――白姉!」
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