2 メイドロイドのメカ姉「HI/ME」

 食糧品を見つけるのは難しくなかった。

 三階建てのスーパーをすぐに発見し、バックヤードに入った僕と剣姉は、買い物カートいっぱいに保存食を詰め込んだ。がらがらと道路にやかましい音を立てながら、来た道を引き返す。

 生鮮食品は残念ながら手に入らない。臭いもしなくなるほどに乾ききっていたから。


『逆に考えよう! 虫も湧かなくなったから衛生的にはマシよね? たぶん』


 いい方にとるヒメ姉の言葉が思い出される。

 何事にも前向きで、朗らかであること。きっとそれは、この終わった世界で生きていくには大事な思考だ。


「シャシン、だっけ? 本当に、本物そっくりの絵ねー!」


 剣姉はレトルト食品に興味津々。重いカートを片手で押しつつ、手に取ったパッケージのひとつをつぶさに眺める。


「これがこっちの食べ物なのね。中に入ってるのは、これは人参? こっちはタマネギで――うん、見たことのあるものばっかりだわ!」


平行世界パラレルワールドって、文化は違うみたいだけど……そういえば言葉はちゃんと通じるし、食べるものも同じなんだね」


「そういえばそうねー。別のアタシたちのことは、そんなによく知らないけどね」


 剣姉が首を捻る。


「でもHI/MEったら、昨夜も今朝も食べてたわね。体全部がカラクリ仕掛けなのに、ほんとよくできてるわよねえ」


「メカ姉? うん、昨日言ってたよね。確かにロボットだけど……生体パーツとかいうのをたくさん使ってるから、細胞を維持するには、口から食べ物を摂取するのが手っ取り早いって」


「だっけ? へえー」


 HI/ME。

 僕が「メカ姉」と呼ぶことにした、機械でできたヒメ姉だ。


「お帰りなさいませ、オージ」


 渋谷から新宿近くまで移動した、代々木あたりにある小さな公園。まともな遊具もないここを僕は、長らく拠点としていた。

 そこに戻ってくると、メカ姉がわざわざ出迎えに現れた。青いメイド服のスカートを上品に持ち上げる。

 ロボットが当たり前のようにいる世界から来たというメカ姉は、クールなメイド型ロボだった。

 正確には「メイドロイド」というらしい。銀色の髪を編み上げて、カチューシャで品よくまとめている。かけているメガネには時折、光のラインや数字が走った。それも体の一部なのかな。

 顔や手足にはうっすらと分割線があった。でも触っても皮膚はやわらかいし、ちゃんとぬくもりもあるんだよね。さっそく僕に抱きついてきた。


「め、メカ姉? むぎゅうっ」


「オージの生命反応バイタルを簡易チェックしますね。30秒間今の体勢を維持してください」


「こら、またそうやってすぐくっつくッ! アタシがついてたのよ、オージになにかあるわけないわ!」


 強引に剣姉が引き剥がしてくれる。

 はあっ、苦しかった。胸が、その、すっごくやわらかいんだよなあメカ姉も。

 それにやっぱりニオイが同じ。間違いなくヒメ姉だった。


「油断も隙もあったもんじゃないんだから、このカラクリ人形ッ」


「人形ではありません。メイドロイドです」


「どっちでもいいわよ、そんなの」


「よくありません。HI/MEは人そっくりに作られた、特別な護衛機なのです。オージの姉としてモデルされています」


 メカ姉が誇らしげに、大きな胸に手を当てる。


「HI/MEの生体パーツはオージの細胞をもとに造られたものです。人工血液はそのままオージに輸血も可能ですし、いわば遺伝子レベルで姉弟というわけです」


「ゆけつ、いでん……? アタシにはそういうのさっぱりだけど……そっちの世界のオージの、要は一部を使って、HI/MEの体は造られてるってこと?」


肯定アイ


 こくんとメカ姉が頷いた。

 アイ、という返事はメカ姉独自のもの。はい、とかイエスの意味みたい。

 ん? でも、それって。


「なら単純に、カラクリ人形のアナタの方が後に生まれてるんじゃないの。どうしてそれが姉になるのよ」


 剣姉の言うとおり。そう、妹の方が正しいんじゃない?


「それは論理的な質問ではありません」


 メカ姉の方がきょとんとしていた。


「弟は姉が守るもの。違いますか」


「確かに! わかるわッ!」


 剣姉が思いきり同意していた。メカ姉とがっちり握手までする。

 ふふふ。すぐわかり合えるのはやっぱり、同じヒメ姉どうしだからなのかな。

 あれ、そういえば。


「ねえメカ姉、他のヒメ姉たちは?」


 カートを押して公園に入る。敷地内にある公民館の、駐車場として使われていたような広場のどこにも、残り二人の姿はなかった。


「ヒメガミとヒメリエルでしたら、あちらの方角およそ1400メートルです」


 メカ姉が真っ直ぐに公園の外を指さす。

 その向こうにあるのは新宿の、都庁周辺。東京で一番の高層ビル街だ。だけどここから見えるいくつかのビルが、明らかに傾いてそびえていた。


「居住空間の拡張がお二人の引き受けた役目ですが、材料を見つけるよりも、新しく住める場所を探した方が早いとの合理的判断に達したようです。候補地の調査に出向いています」


「あ、そっか」


 僕は公園の片隅に拠点として使っていた、扉の壊れた公民館の中を見る。そこにあるのは小さなダンボールハウスだ。

 雨風と夜の寒さをしのげればよかったので、こんなもので事足りていた。しかしいきなり人数が増えて、五人ではさすがに手狭だ。

 実際四人の姉たちが来た昨日、一晩一緒に寝てみたが、大変だった。その、いろんな意味で。


「けど大丈夫かな……。あっちは建物が脆くなってそうだから」


 ド、ン。

 地面が揺れた。地震、ではない。

 またビルが倒壊した音だろう。もう慣れたから、なんとなく揺れ方でわかる。

 ただしそれは僕の見ていた、高層ビル街の方からみたい。新宿の空に、ゆっくりと粉塵が巻き上がっていた。


「あああっ、だからなるべく近づかないようにって言ったのに!」


報告レポート。問題はないようです」


 すかさずメカ姉が応えた。


「二人の動態反応を感知。無事です」


「そ、そうなんだ……」


「ヘーキヘーキ! あのコたちも、アタシみたくヤワじゃないもの」


 剣姉も笑い飛ばした。


「んーでも、よく二人の位置がわかるわね。アタシには遠すぎて、さすがに気配も掴めないのに」


肯定アイ。HI/MEの感覚センサー感度良好ビンカンです」


 メカ姉が、数字や記号の煌めくメガネに触れた。


「半径2000メートル圏内ならば、動いているものを感知可能です。ネットワークに接続アクセスできればさらに広範囲をカバーできるのですが、こちらの世界の規格とは異なるようで、今はこの程度が限界です。しかし気温、湿度、お天気情報くらいは算出できます」


 びしっと指をさして示すのは、公園内の外灯に結んだビニール紐に干した、洗濯物の数々だ。


「本日の晴れ間が明日正午まで続く確率は89.2%です」


 実は公民館の雨樋を改造して、公民館の中にある洗い場に雨水を溜めていた。ヒメ姉と一緒に作ったんだ。

 もちろん飲料水には向かない。でも生活用水として使える。公民館のトイレを利用するにも、もちろん洗濯するにもだ。そしてメカ姉は今回、洗濯担当だった。ビニール紐には僕の着替えが干されていた。

 んん? だけど、なんだか数が多いような。


「メカ姉、こんなに僕の半ズボンってあったっけ」


「古着屋が感知範囲内にありましたので、予備を確保しておきました」


「……僕のじゃないのもある?」


 明らかに女物のパンツも混ざっていて、さすがにちょっと赤面する。

 ヒメ姉の下着を洗うのは慣れてるけど、でも透けてる! 透けてるのがあるよ!


肯定アイ。ついでにHI/MEたちの肌着も、余所で発見しました。ブラジャーの方は適合するサイズがありませんでしたが」


「へー、アタシたちのぶんまで洗っといてくれたのね。って、なにこれ?」


 剣姉が驚いた声を出す。それは足下にあった、虹色に輝くもの。

 見たこともない半透明の素材でできた、大きなタライ?


「E素材エネルギーマテリアルで生成した、洗濯桶と洗濯板です」


 泡だらけのタライの中から、同じく虹色の板をメカ姉が掴み上げた。

 オケ? 洗濯、イタ?


「本来は防御用の絶対防壁シールドを展開するものですが、自在に形状変更が可能です。洗剤以外の品が入手困難であったため、こちらで代用しています」


「なるほど! 確かに洗濯するなら必要になるものね!」


 剣姉が納得した。たぶん使ったことがあるんだろう。

 だけど僕にとっては初めて見るもの。


「ええ? もしかしてこれで、手洗いしたの?」


肯定アイ。HI/MEの仕事は完璧パーフェクトです」


 確かにメカ姉の言うとおり。干された洗濯物はすべて、染みひとつなくきれいだった。


「でも手間だったでしょ。向こうの洗濯機、使えたのに」


 僕は公園隣の、アパートの一階を見た。

 実はこのあたりにはまだ電気が来ている。それが、こんな場所を拠点にしている理由だ。


『たぶん無人になっても、原子力発電所がまだ自動で動いてるから、じゃないかしら。ああいうのって、勝手に止まる方が危ないみたいだし』


 いつかそんなことをヒメ姉が言っていた。

 このあたりは倒壊の被害が少なくて、電線も無事に残っている。

 だからアパートの外に置かれた洗濯機のひとつに、公民館から水を運び込めば使えるって、メカ姉にも教えたはずだけど。

 ぷい、とメイドのヒメ姉がそっぽを向いた。


「まさか、メカ姉。……機械が苦手なの?」



【ヒメ姉メモ】

 ヒメ姉は機械の操作が不得手。ボタンがたくさんあるとダメみたい。スマートフォンも電話とメールしか使えないレベル。

 テレビのレコーダーなんか、リモコンのどこを押したらいいか何度やってもわからなくて、いつも僕が代わりに録画予約をしていた。



「そんなことはありません。HI/MEはこちらを使った方が、きれいに洗濯できるとの合理的判断に至っただけです」


 ごまかすのもヒメ姉と同じだ。メカ姉は波状の溝がたくさんついた板を、誇らしげに掲げ持つ。うんうん、と隣で剣姉が同意していた。


「そうよね。やっぱり洗濯ときたらこれしかないわ!」


肯定アイ。E素材エネルギーマテリアルで作っただけのことはあります。こうして物質化しているように見えますが、HI/MEが空間軸上にリアルタイムで更新形成し続けているものです」


 う、うん? メカ姉が難しいことを言う。


「つまりエネルギーの供給が断たれない限りは、これを物理的に破壊できる方法は理論上存在しません。かみ砕いて表現すれば、ものすごく頑丈なのです」


「ええと、それって」


 そこまでややこしいことができるなら、洗濯機くらい使えるんじゃあ。


結論リザルト。これを使えば大変よく汚れが落ちます」


「そ、そうなんだ」


肯定アイ。機械で行うのとは比べようもありません」


 手洗いしたメカ姉も機械だよね、とは指摘できない雰囲気だった。

 しかしエネルギーマテリアル、だっけ。そんなものを生み出す力があるんだ、メカ姉は。


「ふーん。それ、HI/MEが作る盾と同じ素材ってこと? 面白いわね」


 キンッ!

 聞き覚えのある硬質な音が、剣姉から響いた。

 同時にメカ姉の手から洗濯板が吹っ飛んでいた。ついでに足下の洗濯桶も、派手に泡をぶちまけて転がる。


「わあ、すごいわ! 桶も板も無傷じゃないの! まさかアタシの抜刀術で斬れないものがあるなんて――あ」


有罪ギルティ。おっしゃりたいことはそれだけですか、姫光」


 うわ! メカ姉が、全身ぐっしょり濡れて泡だらけだ!

 というか、さっきまでいた位置とは違う。瞬時に僕の前に移動して、スカートも持ち上げて、飛び散った桶の水を防いでくれた?

 護衛用メイドロイドって、きっとそういうことなんだと思う。


結論リザルト。あなたはHI/MEの服を洗うべきです」


「ごめーん、アタシが悪かったわ! 興味本位だったのよ。ちゃんとやるから、許してー!」


 メカ姉に詰め寄られて剣姉はたじたじだ。

 でもいきなりここで脱ぎ始めないで! メカ姉!

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