1 鬼の剣姉「姫光」

 世界は僕にやさしくない。

 だからだろうか。そんな世界の外側から、四人もの姉が僕を助けに来てくれたんだ。



「ねえねえ! ほんとに、オージだけで平気なのー?」


 四角い通気口の外から、心配する声が届く。


「大丈夫だよ。すぐ戻るから!」


 返答しつつ、通気口内に垂らしたナイロンロープを滑り降りた。

 ここは僕くらい小柄でなければ入れない。

 新宿から南下した、表参道あたりの地下の一画。だけどあちこちが瓦礫で埋まり、たまたま見つけたこの通気口だけが出入り口となった。

 そこから入るわずかな光が、狭い範囲を照らしている。


「えーと」


 パーカーのポケットの中をまさぐる。いろんなアイテムを詰めた中から、薄くたたんだLEDランタンを取り出した。

 キューブ状に展開できるコンパクトなやつ。だけど防水で、ソーラーパネルのついた優れもの。点灯すれば白い光が周囲の闇を振り払った。


「!」


 一瞬、びくっとしてしまう。淡く照らされた地下街でなにかが動いたから。

 でもすぐにゴキブリだとわかる。

 ふーーー。つい長い息を吐く。まだ慣れない。


「大丈夫……ここはどこも塞がっているから」


 アレが入ってくることは、ない。これまでもそうだった。

 それに、もう大丈夫なはず。すん、と鼻から冷えた空気を吸う。


 あの鉄臭いニオイはしなかった。


「……うん。ヤツらは全部、ヒメ姉が――」


 思い出したくない、すべてが赤に染まった記憶。

 だけど直後、痕跡ひとつ残らず消えていた。まるでなにもかも夢だったかのように。

 まだ僕は実感できない。目の前で起きたあの出来事が。


「だから、僕は……」


『いつだって――今の自分にできることをするの。そうすればきっと道は開けるよ、オージ』


 ヒメ姉の言葉がふいに思い出される。

 そのときのやさしい笑みを僕は忘れない。


『こんな世界でも、少なくともそう信じて……前へ進まなきゃね!』


「うん、わかってるよ。ヒメ姉」


 僕は近くに見えた薬局に入った。ここが目当てだ。

 何度も来ているから勝手は知っている。


「抗生剤、抗生剤っと」


 薬の知識は、まだスマホでネットが使えた頃に検索したもの。思い出しながらマクロライド系抗生物質の棚をあさる。

 確か、ペニシリン系よりも肺や気管支の病気に強いタイプ。何度か飲んだことがあるから、効き目もちゃんと体感している。

 今日の本当の目的地はここじゃない。

 でも僕は廃墟と化したこの世界で、なにが怖いかを知っている。病気がそのひとつ。


「一気に、四人も増えたからなあ」


 誰か一人でも体調を崩したら、絶対に薬が必要になる。僕はジェネリック医薬品も見つけて、多めにポケットにねじ込んだ。

 近くを通りかかったとき、ふと抗生剤の残りが少なかったことを思い出したのだ。


「……けど、あのヒメ姉たちに効くのかな?」


 ふくれたポケットのジッパーを閉じて、今更ながらそこに思い至る。

 だって、やって来た四人の姉たちはみんな、「普通」ではなかったから。



               §



「ほーら、掴まって!」


 細いロープで登ってきた僕が、一気に引き上げられる。


「うわ、わわっ」


 すごい力! 軽々と片腕で掴み上げられ、僕は通気口の外に降り立った。

 廃墟のビルが建ち並ぶ、青空が眩しい。目がしばしばする。

 目の前に立つのは、一緒に散策に出た「剣姉」だ。僕の無事を確かめて笑う。


「よし! どこも怪我はないわね、オージ!」


「うん。ちゃんと薬も手に入ったよ」


 剣姉。

 僕のつけた呼び名。だって来てくれた四人とも、みんなヒメ姉だったから。

 その名のとおり腰には長い剣をさげている。デザイン的には日本刀そっくりで、試しに見せてもらったけど、片刃の刀身が真っ直ぐな鞘に収まっていた。

 格好もどこか和風で、まるで戦国時代のサムライだ。大きな胸が邪魔になるのか胸元だけははだけていたが、肩やスネには朱色の甲冑を着込む。

 でも兜はかぶってない。たぶん邪魔になるからかな。

 剣姉の額から二本のツノが生えていた。


「それにしてもこっちの世界だと、地下にも住めるようにしてたのね」


 違う世界から来た、剣姉こと姫光ひめみつという名前のヒメ姉は、人間じゃない。

 赤い髪を緋色のリボンでツインテールに束ねた、カレンな見た目の「鬼」なのだ。


「四角い塔の数にも驚かされたけど……なんて国なの! 栄えすぎじゃない?」


「剣姉の世界は、どんな感じだったの?」


「こういう大きな建物は、お城くらいしかなかったわ。どうせ戦に巻き込まれれば、どこもかしこもぶっ壊れるしねー」


「けっこう殺伐とした世界なんだね」


「そう? フツーだけどね、フツー」


 あっけらかんとした剣姉とともに、僕は廃墟の表参道を歩き出す。

 すぐに広い青山通りに出た。乗り捨てられた自動車が、列を成したまま残されている。

 あれだけ人の多かったこの広い通りにも、もう他に人影は見られなかった。

 そんな光景はとっくに見慣れた。歩きながらも僕が今、つい目が行くのは。


「……どうしたの、オージ。アタシの顔になんかついてる?」


「あ、ううん。ほんとに剣姉って、鬼なんだなあって」


「これ?」


 剣姉が苦笑して、突き出た立派なツノを撫でた。


「むしろこっちのオージにツノがなくて、アタシの方が違和感あるけどね。でも平行世界パラレルワールドってのはそういうものなんでしょ。アタシやオージがいるけれど、ちょっとだけどこか違うものなのよ」


「うん。だから、僕たちは会えたんだね」


「そう! 世界を飛び越えてでも、アナタに会いたかったのよ、オージ!」


 ばん!

 剣姉が僕の背中を強く叩いた。一瞬息が詰まって、そのまま少しつんのめる。


「ごほっ!?」


「あっ。ご、ごめーん! こっちのオージは華奢なのね……気を付けるわ」


 剣姉が鼻の頭をかいた。

 その仕草を僕はよく知っている。



【ヒメ姉メモ】

 ヒメ姉は、ばつが悪くなると鼻に触れるクセがある。

 弟の僕もたまに同じことをしてるみたい。



 ああ、やっぱりヒメ姉なんだなあ。


「せっかく弟に会えたのに、また失うのは嫌だものね……」


 でもそう言った剣姉の横顔は、どこかさびしそうだった。

 少しだけ僕は姉たちから話を聞いている。どうしてみんな、世界の壁を破ってまで僕のもとへとやって来たのか。

 それは四人の姉たちの世界の僕は、もういないから。いろんな理由で死んでしまったらしい。

 詳しいことはまだ訊けていないが。


「剣姉。あのさ」


「あら、オージ。もしかしてあれかしら」


 たぶんごまかしもあったのだろう。剣姉がわざとらしく話を切り替える。

 指を向けたのは、見えてきた渋谷駅の側。

 大きな警察署の手前だ。そこには崩落した高速道路の高架があった。土台から崩れて、下の道路を完全に潰している。


「うん。ここなんだ、周りの倒壊がすごくて先に進めないのは」


 右や左を見ても同じ光景が続く。奥にそびえる警察署のビルも傾き、ドミノ倒しのように隣の建物を巻き込んでいた。

 おかげで高架の向こうは瓦礫の山だ。ちょっと通れそうにない。


「あっちにはまだ行ったことがないから、食糧があると思う。だから剣姉、手を貸して」


 渋谷では、もう少し東側に進めば確か、高速道路が地下に潜った場所がある。

 そこは地面の方が崩落していたが、比較的瓦礫が少なかったのを確認済みだ。小柄な僕でも手を借りれば、どうにか通って行けるはず。

 しかし剣姉は、潰れた高架の前から動かなかった。


「ここを真っ直ぐ通れればいいんじゃないの、オージ」


「え? でもそこは、首都高で完全に塞がってるから」


「さっきは……地下が崩れたらまずかったから、しなかったけどさ。これくらいなら」


 キンッ!

 硬質な音が響いた。

 なにをしたのか最初はわからなかった。わずかに剣姉の、腰の刀に触れた腕が動いたような?


「ほら――斬れたわ」


 剣姉が不敵に笑った。

 ずずずずずずずずずずずずずずずずずずず。


「はいはい、離れるわよオージ!」


「う、わあああっ!?」


 いきなり担ぎ上げられて、僕は宙に飛んでいた。剣姉が跳躍したんだ! すごく高い!

 一瞬で十メートル以上跳び上がったはず。勢いで、かぶっていたパーカーのフードが脱げた。そのまま剣姉は、斜めに傾いた近くのビル壁に着地し、真っ直ぐに駆け上がる。

 あっという間に雑居ビルの屋上へと到達した頃、眼下では横たわる高架が崩壊を始めていた。分厚いコンクリートの塊がすっぱりと断ち切られ、そこから土煙を上げてずれていく。


「んー、もうちょっと風通しをよくしようかな」


 さらに剣姉が、片手で僕を担いだまま、空いた右腕を動かしていた。

 キン! キン! キン!

 またあの音だけが響く。

 剣姉と密着していたからこそ、僕にもわかった。この音は鞘に刀が収められるときのもの。

 でも美しい刀身は目視できない。目にもとまらぬ早業で剣姉は刀を振るったのだ。

 その斬撃はなんと、百メートルほど離れても当たるらしい。

 斬った動作自体は見えなかったが、舞い上がる土埃が三度割れた。そのたびに高架の残骸が刻まれて、派手に吹き飛ばされていく。

 土埃も一緒に消し飛ばされて、残ったのはぽっかりと開けた空間だった。

 幹線道路に横たわっていたコンクリートの高架が、見事にえぐり取られていた。


「すごい……剣姉!」


「【剣鬼抜刀術・無影むえい】――鬼の一族にしか伝わらない、神速の剣術なのよ」


「わ、わ!?」


 また僕は宙を舞った。剣姉がビルの屋上から飛び降りたんだ。

 緋色のリボンに束ねられた、赤いツインテールがなびく。自由落下の浮遊感に、一瞬で冷や汗が噴き出た。みるみるうちにアスファルトの地面が迫る。

 衝撃は、剣姉が両足の着地で軽く吸収した。


「はい、オージ。立てる?」


「う、うん」


 ようやく下ろしてもらい、僕は自分の足で大地に立つ。脱げたフードをかぶり直した。

 目の前の斬られた高架もすごいが、ついつい頭上を振り仰いだ。さっきまでいた屋上を見てしまう。


「あんなところから一気に……鬼の身体能力って、すごいんだね」


「そう? フツーでしょフツー」


 剣姉はやっぱり平然としていた。


「別のアタシたちだって、これくらいはできるわ。それより先に進みましょ!」


「別の、ヒメ姉も?」


 確かに他の三人もそれぞれ、普通ではなさそうだった。

 ふと疑問が生まれる。

 剣姉がこれだけ強いのなら、同じ鬼だった弟の僕も弱くはなかったはず。なのに、どうして剣姉の世界の僕は死んでしまったのだろう?

 それはまだわからない。

 無理には僕も聞き出さない。姉弟といえども言えないことは、たぶんある。

 僕にだってヒメ姉に――最後まで言えなかったことが、あるから。

 後悔?

 そんなの、ずっとしてる。


 あの鉄臭いニオイがまだ、僕の側にまとわりついているような感覚とともに。


 でも、今更どうしようもなくて。


「オージ、こっちでいいの? で、どこを探せばいいんだっけ」


「う、うん。スーパーがあれば助かるんだけど。裏手にストックの倉庫があるはずなんだ」


「すぅぱぁ?」


「たくさん食糧品を扱っているお店のこと。大きな通りに面してるとは思うよ」


 今はなにより、食べ物の確保が優先だ。

 抉られた高架の断面の鋭利さに感心しつつ、僕は剣姉とともに通過する。その先はまた同じような、人の気配のない廃墟の東京が広がっていた。

 本当に、人の手がつけられていないようだ。建物はどれも無残な姿だが、ざっと見たところ略奪の跡がない。

 それだけこの街で生き残った者がいなかった、ということ。


「…………」


「オージ、暗いわよ! ほらほら!」


 ぎゅむっと背後から剣姉が抱きついてくる。

 大きな胸が僕の頭を挟み込んだ。後ろからなので息苦しくはなく、ただただやわらかくて、その。

 なんか、困る。すごく困る。


「け、剣姉?」


「心配ないわ、もうアナタは一人じゃない。アタシたちがいるもの」


 やさしい剣姉の声。

 口調こそ少し違うけれど、やっぱり同じだ。僕のヒメ姉だ。

 密着されて、剣姉のニオイがした。


「これからはいつでも側にいてあげるからね、オージ!」


「……剣姉は、それでいいの? 自分の世界に戻らなくても」


「別に。あっちにいる理由なんて、アタシにはもうないしね」


 軽く鼻で笑う気配。

 豊かなおっぱいに挟まれている僕からは、剣姉の表情は見えなかった。でもまた、あのさびしそうな顔をしているのだろう。


「僕も、離れないよ」


「オージ?」


「ずっとヒメ姉たちと一緒にいるから」


 抱きしめてくれる剣姉の腕をしっかり掴んだ。

 そうやって僕はまだ、この街で生きていく。来てくれた四人のヒメ姉とともに。


「ん~~~~~~~~~! なんて可愛いの! オージぃ~~~~!」


「ぐぎゅっ! く、苦しいぃぃぃぃ……剣、姉ぇぇぇ」


「あああ、忘れてた。強くやり過ぎたわ! こっちのオージは脆かったのよね……うっかりしてた。ごめーーーーん!」


 そのまま危うく絞め落とされるところだった。

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