この終末、お姉ちゃんしかいないけど……ラブコメしよっか!

ひびき遊

プロローグ 終わる世界でのリスタート

 むせ返るような、あの鉄臭いニオイはもうしなかった。



「……なん、で、だよ!」


 かれた声でようやく漏れたのは、そんな言葉。

 大きく陥没し、舗装タイルのえぐれた広場。そこにうずくまるのは十二歳の僕、ただ一人だ。

 どれくらいここでこうしていたのだろう。もう、長い長い夜が明けていた。

 灰色の空の下、半ズボンのお尻は冷えてもう感覚がない。パーカーのフードをかぶった頭は重く、うつむけば顔を上げる気力が出てこなかった。


「どう、し、て……!」


 こんなはずじゃなかった。自分にはなにかできると思っていた。

 だけど結局、僕はただの子供。

 最後の最後で、見ていることしかできなくて。


「――残るのは……僕じゃない、はずだった、のに!」


 世界は僕一人を残し、ついに終わってしまった。

 静かだった。


「もう……僕、以外、は……」


 東京の新宿歌舞伎町。昼間でも賑わっていたこの場所は、今はその面影がない。周囲を取り巻く多くのビルが傾き、一部は完全に倒壊していた。シンボルとなっていた巨大な怪獣の頭も落ちて、小型のトラックを潰している。

 だけど騒ぐ者はもういない。廃墟の街だ。

 視界の端に、割れたアスファルトの隙間で咲く、小さな花がひとつあった。

 僕が名前も知らない、白い花。

 それも崩れてきた瓦礫に潰され、倒れている。後は枯れるのを待つのみだろう。


「本当に……ここ、には」


 僕の声だけが、広場にゆるりと吹き抜ける風に消えた。

 東京の一部だけじゃない。大阪も、北海道も、九州や四国も同じ。壊滅した日本国中の様子をテレビで見た。


「……誰も、いない、んだ!」


 他の国は? 知らない。

 わかる前に、テレビのチャンネルは映らなくなったから。

 インターネットもとっくに機能していない。街のあちこちには投げ捨てられたスマートフォンがいくつも転がっていた。


「ヒメ……姉……っ」


 つい、姉の名を呼ぶ。

 神代陽命かみしろひめ

 僕、神代央士かみしろおうじとは八つも離れた二十歳の姉。

 二年前に両親を事故で亡くして以来、僕を支えてくれた人。

 長い髪の似合う美人で、運動も勉強もできて、足が長くてスタイルもよくて。

 明るい性格で、行動力のカタマリで、いつもみんなの中心にいた自慢の姉だ。けれども僕が困っていたら、必ず側にいてくれた。

 どんなときでも真っ先に駆けつけて、寄り添ってくれたんだ。

 世界が破滅に向かっても、それはずっと変わらなかった。

 つい昨日までは。


『オージ!』


 僕の名を呼ぶ姉の声が、かぶったフードの中にまだ残っているように、今でもはっきり思い出せる。

 だけど、もう、そんなヒメ姉は。


「オージ!」


 え?

 最初は空耳かと思った。だって、そんなはずはないから。

 でも、まさか。


「……ヒメ、姉?」


 とんでもない光景が、ようやく視線を上げた僕の頭上で起きていた。

 なにもないはずの空中に、大きな光の輪がひとつ。そこを通り抜けて姿を見せた人がいた。

 真っ白なローブを着た、神々しくもあるその誰かの顔を、僕は一目で判別する。


「ヒメ姉!!」


 信じられない。でも見間違えるものか!

 手には金属製の杖のようなものを持っていて、見たことのない格好をしていたけれど。

 長い睫を瞬かせて、潤んだ瞳が、微笑みに細められた。

 いつものヒメ姉のやさしい笑顔。


「よかった……オージ! やっと、やっとです! わたくしは……!」


 僕はようやく立ち上がっていた。そこにゆっくりと、空からヒメ姉が降りてくる。

 なぜ? どういう原理で? わからない。

 それにちょっと、言葉遣いが違うような。


「オージだわ、本当にオージよ! あははっ!」


 あれ。


「ほう、この匂いはまさしく妾のオージよの!」


 えっ。


「オージを確認しました。99.999%適合。間違いなく本人だとHI/MEは判断します」


 は?

 もっと信じられないことが起きた。続けて次々に、さらに三人が姿を見せたんだ。

 同じように降りてくるその顔は、みんなそっくり。

 四人全員がヒメ姉!? こんなのウソだ!

 現に四人とも、顔立ちは同じでも格好はバラバラだし、髪と瞳の色も違うし!

 しかし、みんな確かにヒメ姉だった。

 四人が降り立ち、僕の細い体を次々に抱きしめる。


「オージ! ああ、ああ……本当に、オージなのですね! 会いたかった!」


「あぐっ」


「ねえねえ、次こっちに代わってよ。ん~~~~! オージ、ちゃんと食べてる? 元気出しなさいよね! もう大丈夫だから!」


「おむう」


「オージは妾のものよ、気安く触るでないわ。くふふ、オージ……愛らしいの、そなたは」


「むぐう」


「HI/MEの番です。オージの生命反応バイタルをチェック。データ計測のため密着姿勢を60秒維持します」


「ぐゅうう」


 代わる代わる僕は、四人のヒメ姉たちの大きな胸に挟み込まれた。

 うう。押し潰されそうになる、やわらかな感触はどれも同じだ。



【ヒメ姉メモ】

 ヒメ姉はおっぱいが大きい。愛?カップとか言ってた。そういうサイズらしい。

 ぎゅうっとされると息が苦しくて困る。



 なによりも、ふわりと鼻をくすぐったみんなのニオイを、僕はよく知っている。

 忘れるはずのない、忘れられない姉のぬくもり。どんなときでも安心できる家族のニオイだ。

 なんてこと。間違いなく、四人ともヒメ姉なんだ!


「ちょっとッ、いくらなんでも60秒は長いわ! 独り占めはナシよ!」


「そうですそうです、ずるいですよ、あなた!」


「邪魔をされると正確なデータがとれません。+60秒です。オージ、動かないで」


「ほほう、妾の前でよい度胸よのう。……ガラクタになる覚悟はできておるか?」


 四人になったヒメ姉たちは、ちょっと騒がしかったけれど。



 僕を取り巻く世界が滅びた、この日このとき。

 他の平行世界パラレルワールドとやらから、四人ものヒメ姉たちが駆けつけてきた。

 この終末世界でひとりぼっちになった、弟の僕を救うために。

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