第33話 助手は未来に期待も不安もない
空が白み始めたのを、孝幸は病院の廊下の窓で見て取った。
背を預けている病室の扉、その小窓から中の様子をのぞき込むと。
(……はっ)
思わず、口元が綻ぶ。
病室――ベット。
冷夏の黒髪で形成された、黒い繭。
それがちょうど、破れられていくところだった。卵のようにひび割れることはなく、けれど、やはり生まれていくようにびりりと、破られる。
(よぉ……春也)
心の内で呼びかけるのとほぼ同じくして、黒い繭から春也が顔を出した。
寝たきり――冷夏の身代わりと化していた春也は、ゆっくりと目蓋を持ち上げて。
「姉さん……おはよう?」
と、口にした。寝ぼけたような……ごく普通の子供のような春也。
冷夏がすかさず、春也を抱き締めた。
黒い繭の残骸がどういう訳か、燐光を放ちながら消えていく。
不可思議な光の粒なかで、冷夏はそのまま何も言わず、弟を抱き締め続けた。
かすかに泣いてから……弟と笑い合ったのだった。
~~~~~~~~~
孝幸は工房の扉を開け放つと、蜜蘭に出迎えられた。
「お帰り、助手」
「おうよ、助手のお帰りだよ、この野郎~」
「……どうしたね? 気味が悪いほど上機嫌じゃないか」
呆れたように鼻で笑う蜜蘭にすれ違うように、孝幸は応接机に腰掛ける。
「春也、起きたぜ」
「うん、だろうね」
「で? 藤堂冷夏の身体能力は?」
「話をえらく急ぐじゃないか」
「俺は徹夜明けなんだよ、藤堂冷夏が病室で色々やってンのを邪魔されないように見張りをこなしたわけさ、助手らしくな」
「ふむ、ご苦労」
「│
とっとと色々聞いて、徹夜明けの俺はスッキリ寝たいわけ」
「ふむ、助手の安眠に一役買ってやるとしよう、雇い主らしく福利厚生代わりにね」
言いながら、蜜蘭は依頼者用の椅子に座った。背もたれをぎしっと軋ませて、口を開く。
「ま、キミは察しがついていると思うがね。藤堂冷夏の身体能力は……人形と化した者の身体能力を│
「おう、だいたい想像通りだな」
「静かに聞きなよ、助手らしく」
「分かってンよ~聞いたのは俺だしね~」
「うん、イラつく鼻歌、ありがとう」
鼻で笑った蜜蘭が続けた。
「順を追う。藤堂春也の身体能力は、冷夏の損傷を吸収する血と血管だった。
それを、藤堂冷夏の身体能力たる毛髪が春也の体内に侵入、常人の身体を模倣、置き換えていった。冷夏の毛髪が黒い繭を作り上げている時に、ね」
「人形から人間へのダウングレードってわけだ」
「うん。人工血管、臓器に近いね、人形版の」
「便利だな、おい」
「ああ、春也は冷夏の脳の損傷をも身代わっているから、脳さえもそうしたはずさ。
しかも、あの黒い繭は私の作った人形の身体能力を排除する働きもある。
私の結構な力作だった、あの血と血管は春也の身体から排除されているわけさ……生まれ変わりに近いね、そういう意味では」
「やり直しは効く、ってトコだなー」
はははっ、と高笑う孝幸に、蜜蘭はため息で答えた。
「いや、所詮は、身体能力さ。人形のそれでは人間そのものの身体とはやはり少し違う」
ため息で答え返す孝幸。
「…………ンだよ、春也の身体に何があるって言うんだ」
「二つある」
「もったいぶるな」
「一つは……血管を繕い切れないはずさ。言ったよね? 彼女の毛髪は所詮、模倣だと。なれば……春也の脳までも繕うことは……どうだろうね……難しいと思うよ。なにがしかの障害が発生してもおかしくはない」
「なにがしか……? はっきりしろよ」
「申し訳ないが、私としても初めての挑戦でね、人形化した身体に干渉するのは。
今までの経験……症例かな? ともあれ情報の蓄積がないから、私からは何とも言えない。想像だけで語るなら……」
「語るなら?」
「私の勘では運動障害……腕、いや脚かな? が使えなくなるだろう。きっともう、春也は己の脚で立てなくなる……というところだろうさ」
「……寝たきりよか、マシさ」
「かもね」
一瞬の沈黙、瞑目を経て、蜜蘭が再び口を開いた。
「……藤堂姉弟のアフターケアはこなすさ、何が出来るかは分からないけど。
私としても人形師としての腕が上がるだろうしね、願ったりさ」
「それは俺も喜んで手伝うさ、お前の助手としての腕は上げたくねぇーけどな」
ふっ、と鼻で笑った蜜蘭に、孝幸は聞く。
「春也の身体について――もう一つは?」
「うん、もう一つは冷夏と春也は共通の感覚を得る」
「なんだそりゃ?」
「聞きなよ。冷夏の毛髪が形成した黒い繭は光となって消えたろう? だが本当は消えてなくなってなどいない。あれは藤堂冷夏の毛髪が人の限界を超えた細さと収縮性を得て、春也の身体と繋がり続ける、その儀式のような工程なのさ。
よって、冷夏が強い感情を抱いたり、身体的な苦痛を得てしまうと、それが春也に伝わってしまう」
「双子の……テレパシー……シンパシー的な?」
「うん、まぁ、近いね。ともあれ、あの二人は生涯、血の絆なんかよりも強く、物理的に結ばれ、離れることができないだろうね、あらゆる意味で」
「それはまぁ……良いコトとしよーぜ、絆は大事さ。重かろうが軽かろうが、うっとうしかろうがな」
言い終えて、孝幸は天井を仰ぎ、盛大に息を吐く。本当のところ、自分が身体能力で見せた未来予想によって冷夏に何ができたのか、少し考える。
(無理心中決められるよか……マシだよな)
そう思う。思うものの、言い切れない何かが胸の内で残っている。
きっと蜜蘭が説明した後遺症のようなものが気にかかっているのだ。
しかしながら、今、どのような問題を誘発するかは分からない。
(ま、すぐに結論なんか出やしねぇーわな)
言葉にさえ出来ない感情を吐き出すように、更に盛大にため息をつく。
と、思い出したように蜜蘭が聞いてきた。
「私もキミに聞きたい。キミの身体能力……その眼を望んだ理由を」
「……分かってるんじゃねぇーの? じゃねぇーと、作れないんだろ?」
「それはそうなんだが、キミの口から聞いてみたいんだ。正確に言えば、キミが自身の願望……いや決心かな? それをどう思っているか、だね」
「いや……どうなんだろうな」
適当な言葉を続けて誤魔化そうとした孝幸だったが、蜜蘭の思った以上に真剣な眼差しに晒されて、思わず、口が滑った。
「俺は生まれながらに、まともな人間ではなかった」
「そうだね」
「……かと言って、人を襲うような、分かりやすい化け物じゃない」
「私は襲われたがね」
「あ、ごめんね~ごめんね~お前を人間だと思ってなかったんだ~」
「ひどい言いよう……というわけでもないか。私には、襲われる理由が充分にあるし、少なくとも、まともな人間じゃない」
「あ……そうそう、だからだ。きっと」
「……というと?」
「まともな人間じゃないお前にさえ、妹との……クソほど歪んじゃいるが、絆があった……人間らしく、な」
「……キミに言うと嫌みなのかもしれないけど。らしくも何も、私は一応人間だよ?」
「ああ、でも、まっとうじゃないんだろ?」
「そうだね」
「繰り返しになるが、まともじゃないお前と妹の絆……因縁があったから、俺が居る。で、俺が大事にしていた記憶の中での妹は、存在さえしなかった」
「うん……そうだね……」
「俺はお前の妹の腹から爆誕してから、何て言ったって、お前のトコに即行ったわけだ」
「私の妹が用意していた、あの男の服やら何やらで身支度を調えてね」
「……ンな俺は生後一月未満児なわけだ、笑えない冗談だな、ほんと。
それが普通に成長した人間っぽい言動が取れンのは、お前の妹の生活記憶が遺伝した的なことだったな?」
「違いないよ」
「違って欲しかったぜ~あ~あ~って、悪い。話が逸れたな」
「構わないよ、なんせ生後一月未満児だ」
「うるせぇよ……ああ、で。生後一月未満の俺は誰とも繋がり……絆ってのを形成していない。まともじゃない蜜蘭、俺はお前とだけしか絆はないんだ」
「まさかとは思うが、それ、恋愛感情ではあるまいね?」
「気味の悪いことを言うな」
「だね、失言だった。忘れてくれ」
「ああ、ンなコトじゃなくて……俺がこれから生きていくに当たって、とりあえずお前との絆……いや、因縁たる助手をやる……って決めたのさ。身近な人間関係を大事にすンのがまっとうな人間の生き方だろ?」
「らしいね」
「おう。まともな人間の真似から始めないとな、生後一ヶ月未満らしく、よちよちと。
ただ、ま~アレだ、僕は立派な人間になるんだッ! ってほど気張っちゃいないし、そもそも、まっとうな人間がどれほど知らねぇーし……そういや、俺、もう人形だしな~」
あやふやな決意とさえ言えない自分の感情を吐き出し終えて、孝幸はついでにと何度目かの盛大なため息を天井に吐き出す。
「ふむ、実に中途半端な決心だね。やっぱりキミは締まらない」
「さっきから、うるせぇぞ。つーかよ、色々語っちまったが……つまんねぇー話、俺がまともに生きていけそうなトコはとりあえず、ココしかないンだよなぁー」
「確かにね。キミは戸籍さえない」
「……しんどいぜ、いつか辞めてやるぜ、雇い主」
「…………まだ困るよ。藤堂冷夏の時がそうだったように、キミの身体能力はなかなかに面白い、私だけでは出来ない仕事が舞い込むことになる。
しばらく助手としてコキ使われてくれ……せめて私が飽きるまで」
「ちょっと待て。そういや、俺の身体能力って人形がらみじゃねぇーと発揮されねぇんだから、金とコネさえあれば普通っぽく生きていけンだな」
「聞いてくれ。コネもまぁ、いずれ私が用意しよう。だから、キミの身体能力で依頼者を困惑させて欲しい。それまでは助手として勤め上げてくれ給え――そして私を楽しませろ」
「いち早く辞めてぇから、給料増やした挙げ句、ととっととコネよこせ」
「キミは出来うる限り早く辞められるように善処しよう……更新だ、雇用契約の」
差し出された蜜蘭の手を孝幸は取り、握り合った手を少し力強く振って、素早く払いのけ、孝幸は応接机に寝転がる。
最初にこの工房に来た時もそういえば、蜜蘭と握手していたな、と思い出す。
最初の彼女との握手よりも、マシな気分であったことにかすかに口の端を持ち上げる。
安堵か嬉しさかが、睡魔を連れてくる。すぐに身を委ねた。
何となく、夢見は良さそうだなと心の何処かで感じて。
(あー生まれ直すのって、こんな感じだったか~春也くんよ~)
笑い合っていた春也と冷夏を思い出し、少し、余計なことを思った。
(俺も、いつか……生まれて良かったって思えンのかね~)
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