第32話 復讐者の幸福は不幸である

冷夏は孝幸の目を睨み付けた。

じっと見つめてくる彼の瞳に、冷夏は確信した。


「貴方、私に何をしたの?」


ニヤつきながら、孝幸はもったいぶるように応接机の上で足を組んだ。

「うし、良く聞いてくれた」

「……早く説明して」

「急かすなよ、俺は別にネタばらししなくてもいいんだぜ?」

「条件があるなら、」

「ないない、ないよ。ごめんごめん。喋るから、そう怖い顔すンなよ」

「……」

「いやいや、単に嬉しくてしかたないってだけさ。身体がそこそこ思い通りに動くってのは気持ちいいもんだな」

 孝幸の言葉の訳の分からなさに、冷夏が眉を潜めると。


「あんたは違ったろ?」


孝幸の強い眼差しに襲われた。

何かを見透かされているような心地がして、冷夏は口をぎゅっと閉じる。抱き締めるように、身体に腕を回した。

さきほどまで身体能力の人体発火で弟の春也と無理心中じみたことをした。

その実感が、身体のそこかしこに残っていた。


「……な? あんたは思い描いていた通りの身体を、この工房では得られなかったんだ」


得意げに、いらだつほど得意げに、彼は語り始めた。


「ちなみに俺は違うよ、俺の目……人形師に貰い立てな俺の目の、身体能力はな――この工房に来るヤツの心に隠された渇望をソイツ自身に見せつけられるんだ。


 まぁ~精度の高いシュミュレーションだと思ってくれ……ほら、整形手術とかする前に、完成予想な顔面とかをCGで見せるだろ? アレの人形工房バージョンさ。


そうそう、ちなみに目を合わせることで、俺の目の身体機能は発揮される。

ま、助手業の暇つぶしで読んだ漫画を参考にしてみたんだ。

ああ、実際やると気分が良いな」


ニヤニヤと、彼は満足そうに息をついた。

冷夏は彼の語り口と浮かれよう、そう、楽しくて仕方がないという態度に怒りを感じつつも、彼の言ったことをゆっくりと理解した。


「つまり……私は、」

「そうさ、あんたはこのまま人形へと成り果てると、弟くんと無理矢理に焼身自殺を図る」

彼のうってかわった冷静な断言に、冷夏はしかし反論出来ない。

身体には春也と共に燃え落ちたと、身体が覚えている。

「さて、藤堂冷夏さん。どうやらあんたは、弟の春也がうとましかったらしいな。

可愛いヤツを可愛がるには、器量が必要だ。足りねぇと、あんたみたいに心が無自覚に疲弊する。愛情にも限界はあるわな、だから責めはしない。

責めるヤツが居たとすれば、言ってくれ――俺がストーキングでもかまして精神的に追いつめてやるよ……ムカつくからね。


あ、ちなみにだけど、あんたに見せつけた未来予想は俺も見えてるから。俺の目が映している光景だから当然だけどな」


 熱を込めたような孝幸の語り口は、冷夏を逆に冷静にした。静かに、冷夏は認めた。


「あんたの言ってることは多分、真実よ」


言いながら、冷夏は自分の言葉に傷ついた。彼の身体能力とやらを疑う思考が、自分の言葉で死んでいった。

だからかもしれない、一応、彼に悪態をついておく。


「…………ただ言い方が気に入らない」


「ありがたい。そンぐらいの不快感を与えたかった」

 言って、孝幸は真剣な顔をした。

「何故かって言うとな、俺は藤堂さんには、こンな不愉快な工房からお帰り頂きたいわけなんだ。俺が見せて、あんたが見た未来予想図。ロクなもンじゃなかったろ? だから人形になんてならず、まっとうに生きてくれ」

ニヤけた顔が一瞬だけ、真面目なものへと変わった孝幸に、不意に、冷夏は聞きたくなってしまった。


「……一つ質問があるわ。人形へとなることを│いとう貴方こそ、その目を……どうして?」


彼は再びニヤけ顔を復活させた。

だが少し、そこには寂しさのようなものが滲んでいる。


「……一応、人形工房の助手だからだな。ただ雇い主が嫌いでね、嫌がらせに客を追っ払おうって腹づもりだな」

「歪んでるわね」

「それが、人形になるってコトさ」

「…………もし、それでも、私がそれでも、春也と共に全てを終わらせたい、と言ったら?」

「力づくでも止める……と言いたいとこだが、俺は人を殴ったりするのも嫌でね。

工房の奥に入っていくアンタの背中に、思いつく限りの悪口を吐いてやるだけさ」

彼の言いように、冷夏は少し笑う……と。


「しょうもない助手だね」


工房の奥から、人形師の蜜蘭が現れた。孝幸に見せられた人形師とは違って、蜜蘭の首には黒皮のチョーカーが巻かれている。


冷夏は何故かそれを注視してしまいながら、蜜蘭の言葉を耳にする。


「さて、藤堂冷夏」


こつこつと下駄を鳴らしながら、蜜蘭は応接机へと歩いてくる。


「仕事をする気のないどころか、仕事の邪魔をするのに熱心なクソ助手の、言葉と身体能力を信じて受け入れ……帰るのも自由だよ」


蜜蘭が孝幸の隣に並び立った。人形師のその顔は何故か、晴れやかだった。何かが変貌した蜜蘭と孝幸は言外に、


(わたしに帰るように言ってる)


直感し、困惑し、冷夏は口ごもった。

心に浮かんでは消える、記憶。

人が変わったような孝幸の話。

それより孝幸が見せた、未来予想。


(わたしの望みは不幸……わたしと弟の二人っきりの不幸)

そして何よりも、春也の寝顔の記憶。

(でも、弟の幸せは私の不幸の肩代わり――)


心に浮かんで消える幾つかの矛盾した感情と事実。それらが混ざり合って浮かび上がった心に――未来への希求に従って、冷夏は唇を開いた。

「わたしは――」


~~~~~~~~~


真夜中、冷夏は春也の眠る病室に居た。

春也の寝顔を見下ろし、ふと笑う。


(助手の彼――彼の悪口、聞いてみたくもあったな)


そんなことを思った自分に気づき、驚く。


人形師の工房、奥へと進んだ自分に、けれど、彼は宣言していた通りに罵倒を投げてこなかった――酷く分かりづらい、彼の歪んだ優しさなのだろう。

そんな少し前の記憶を思い出し、冷夏は目蓋を閉じた。

そして直前まで見ていた春也の寝顔に、胸の内で語りかける。


(運が悪かったわね……わたしみたいなのがお姉さんで)


思い浮かべるのは、己の身体を縛る鎖。心の枷。


【一度解き放ったが最後、もう二度と人間には戻れないよ】


 人形師のそんな声音を思い出し、尚かつ、孝幸が見せた未来予想を思い出す。


孝幸の未来予想と実際の人形師蜜蘭の施術の差異を思い出す。


これら全てが、きっと心の枷の一部だと理解しながら――引きちぎった。

躊躇はしなかった、微塵も。


きりきりと、身体から異音が響く。

自身の決断を労う、祝砲のように聞こえる。

嬉しかった。たまらなく。

「――、」

ゆっくりと目蓋を押し上げる。

春也の寝顔。病室のベット。目の前にかざした、自分の手。

不可思議な色の炎は……灯っていない。

助手がその身体能力で見せつけてきた、未来予想とは違う。

身体能力を発揮させる前の、ただの人間の手のひら。


……何一つ変わらないように見えて、一つだけ異変。


ベットのシーツの端、うねるようなシワがついている。それを成さしめているのは、うようよと這いずり上がっている、

幾筋もの黒髪が束を成し、何匹もの蛇のように波打って這い上がっていく。


(思った通りに――動かせる)

冷夏は新しい身体の感覚に、微笑んだ。

己の髪……頭皮を引っ張るような感覚はあるものの痛覚には至らない。

いかなる理屈かは分からない。

ただ今や春也を囲むほどに伸ばした毛量……黒い絨毯のような毛量でさえも手足のように操れる。

更に毛髪を増やすことも可能だと身体が知っている。


(あの助手の言うとおりね、身体を思った通りに動かせるのは心地良い)

新たなる身体能力の感覚をすぐに掴み終えて。


「春也――ごめんね」


いよいよ、冷夏は黒髪の毛先を春也へと殺到させた。

春也の身体へと侵入していく毛先の感触――くすぐったいようなそれに身震いする。

構わず、春也の身体の隅々にまで毛髪を侵入させる。


果たして、冷夏が形成していくのは春也を内包した、黒い│まゆだった。

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