第五章 悪意は人に向けるものではない……とか思う日もある

第31話 助手はそれでも、誰も不幸にはできない

「よぉ、目覚めはどうだ? 藤堂冷夏」


|坂野孝之≪さかのたかゆき≫は言いながら、冷夏の困惑した表情を眺めていた。それこそが、自分の身体能力の結果なのだ。

首筋に駆け上がる寒気のような快感に震えながら、頭の片隅では自らの身体能力を得た、最低な日のことを思い出していた。


~~~~~~~~~


孝幸は自分の出生を知った直後、蜜蘭を押し倒して首筋に手を回した。

乗りかかって手の平に体重をかけて指先にも力を込める。

蜜蘭ののど元を押しつぶす、生々しい感触を手の内で感じる。


(俺は……)

思考が、上手く働かない。

勝手に動いていた身体と同様に、思考さえも勝手に制御されているのか。

有り得ないことではない。

実際、自分の記憶――妹が人形と化した過去など、なかったのだ。記憶の改竄と同じように、今、この時、蜜蘭を殺害するのに邪魔な思考は閉ざされているのか。

(……いや、違ぇな)

首を絞められているのに瞬き一つせず、じっとこちらを見つめる蜜蘭の顔を見て、少しだけ、思った――思うことが出来た。

(俺はコイツが……ッ)

怒りが――何も考えられなくなるほどの怒りが、腹の底から湧き上がっている。

偽の記憶から始まって、自分の心身全てが蜜蘭とその妹の都合で作られている。

ありもしない家族……妹の記憶に思い悩んだ全てが、母親を思いやった感情の全てが……無価値だったのだ。

目の端に映ったスマホ――思えば、着信はおろかメールやSNSも入っていなかった。友人や知人――誰とも顔を合わせていないのだ、人形師へ依頼に来る人間以外には。


全ては――蜜蘭と妹の都合だけで、自分は発生した。

都合の良いように望まれ――いや、操られた怒りを、蜜蘭にぶつけたい。


そうでなければ、気が済まない。

後のことは知らない。いや、

後のことなど自分には、存在しない。

 

気がつけば……ギリッギリッと音が響いている。


ゼンマイの音だと、孝幸は思った。

人形と化した蜜蘭の妹が生んだらしい自分もやっぱり、人形なのだろう。

響いている異音が、その証明なのだろう。

そう、今、この時、蜜蘭を殺害しようとすることが、もしかしたら身体能力なのかもしれなかった。それが無性に、悲しかった。

今まで、助手として見てきた依頼者――人形に成り果てた者達とは違って、自分のこの身体能力は、望んでもいないものなのだ。

悲しかった……それ以上に悔しかった。

いや、そもそも何かを望めるほどに、生きてさえいなかったのだ。


「俺は――」

手に更なる力を込める。

もう何も考えたくなかった。

全部、終わらせたかった。


目を閉じる――何も見たくなかった。もしかしたら、自分の視界を先に終わらせたかったのかもしれなかった。

何も見ないように目をきつくきつく閉じて、手の力を限界以上に込める――と、不意に、頬に何かが触れた。


頬に伝わる温もり。

目を開く。

視線は既に自身の頬。

頬に触れていたのは……蜜蘭の手。

抵抗ではなかった。

どうやら自分は泣いていたらしく、それを拭うにように、彼女の手が添えられていた。

「俺は……」

悲鳴のようにそう漏らしながら、蜜蘭の顔を見やる。


彼女は微笑んでいる――優しい手と違って――嘲笑っているように唇を歪ませて。

 

孝幸はそう感じ取って、

「――ははっ」

蜜蘭の嘲笑が伝染したかのように、思わず、笑ってしまった。自分で自分を嘲笑う。

自然と、蜜蘭の首を絞めていた手の力が抜ける。


「あー何やってんだよ……俺は」

誰にともなく呟いて、首を絞めていた手と蜜蘭に馬乗りになっていた身体を投げ出すように、彼女の隣に寝っ転がった。


(ばっかみてぇーだな、俺)


大の字に寝ころんで、天井を見上げる。

天井を見上げながら、隣で寝ている蜜蘭が激しく咳き込んでいるのを耳にする。


(謝りはしないぜ……俺はお前と、お前の妹のせいで……)


怒りの残滓を己の内で自覚しながら、蜜蘭も呼吸を阻害されたら死ぬ、ただの人間であることを何故か、強く意識した。


「――もう、気が済んだのかい?」

かすれた声音で、蜜蘭が聞いてきた。

「そこそこな」

「実に中途半端だね、キミは」

「……ンだよ、死にたかったのか?」

「そこそこね……キミにならばやられても良かった」

「気色悪いな」

「うん、そうだね」

彼女の声からは倦怠感が滲んでいた。

孝幸もそうだった。

しばし、言葉も交わさずに、孝幸は気怠さを彼女と共有した。


「……なぁ、蜜蘭」

「なんだい?」

「あんたの妹は本当に、あんたに復讐したかったのか?」

「それは間違いないさ……ただ復讐とはいえど、私を苦しめたいだけで、殺したいほどでもなかった……のだろうね」

「分かンねぇーぞー?」

「私の妹は人形師の助手でね、依頼者の本心を探るべく動いていた。同じように、私は助手なキミに探られていた。私が本当に死にたいかどうかを」

「……はぁ?」

「私が本気で死にたいと願っていれば、その手助けをもしたかったんだ、私の妹は。復讐のついでにね。

私の助手らしく、私を手助けても置きたかったのさ。それも彼女の望みであり、かつ、望まれた通りの子として、キミは生きたというわけだ」

「良く分かンねー上に、やっぱり気色悪いな、お前も、お前の妹も」

「ふふっ……そうだね」

楽しそうに、蜜蘭が笑って続けた。

「しかしキミも人のことは言えないよ、首を絞めた女に、その直後に、こうして普通に話しかけているんだからね」

「ははっ……そりゃ、そうだな」

蜜蘭の笑いが少し、再び伝染して、孝幸も笑った。

「そういや、俺がお前の首を絞めてる時、なんで笑ったんだ?」

「さてね……キミにだけは何故か、言いたくはないね」

「訳分かンねぇーな。まぁ、お前のそういうトコ、慣れちまったけどな」

鼻で笑って、孝幸は更に口を開いた。

「俺は人間ではないんだな」

「そうだよ、私と私の妹の気色悪い都合でキミは出来上がっている……が、」

「……が?」

「キミはまっとうな人間ではないが、私の作る人形とも違う」

「ああ? じゃ、何なんだよ?」

「わからない」

「…………おいおいおい」

「キミ風に言うならば、人間(笑)? みたいな感じかな?」

「……てめぇ」

「人形(ニセニセw)でもいいかもね?」

「……ゼンマイの音、鳴ってたぞ?」

「勘違いだよ。その音はキミの歯ぎしりだったよ」

「あぁ? 嘘だろ?」

「本当さ、キミは泣きながら怒りながら、自らの歯を噛み締めていたよ」

 言われてみて気づく、ギリッギリッという音はもうしない。かすかに顎に痛みもある。蜜蘭が嘘をついている可能性も、無論、あったが。

「……はははっ、訳分かねぇーなー本当に」

何故だか、笑ってしまい、自分が人間か人形かどうか、少し、どうでも良くなって。

(ま……それよりも、だ)

急に思いついたコトを口走った。


「なぁ、俺でも……ちょいと新しい身体、頼めるか?」

「うん。キミが最初に工房に来た日にも言ったはずだよ、可能さ。人間だろうが、人形だろうが……私の手の入っていない身体ならば、私の人形へと変えられる。

まぁ、初めての事例ではあるから、品質保証は出来かねるけれどね」

「実験台でも構わねぇーよ、俺の身体なんぞ大したもんじゃない」

「私にそう言わないでくれよ、私の妹が死んででも生んだ身体なのだからね」

「……うるせぇよ。で、俺が欲しい、もうちょいマシな身体能力は――」


~~~~~~~~~


何時間か前の記憶を、孝幸は頭の片隅で思い返しつつ、藤堂冷夏の再訪を見届けた。

冷夏の瞳を――孝幸が望んだ身体能力を宿した瞳で見つめる。

 

ぎりぎり、とやや濁ったゼンマイの異音が身体の内で響くのを感じた。

ゼンマイの音が濁っているのは、身体機能の追加という、蜜蘭が言うには無茶な改造だったことと、冷夏の再訪に間に合わせるための、前例なき突貫工事だからかもしれない。

 

果たして、瞳に宿った身体能力通りに……冷夏は凍り付いたかのように動かなくなる。

しばらく――時間にして十分もかかっていないだろう――見つめて、はっと息を吐いた……正気を取り戻した冷夏を見届けて。


「よぉ、目覚めはどうだ? 藤堂冷夏」


上手くいったことを確信してニヤつきながら、孝幸は冷夏を見守るべく目を凝らした。

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