第28話 人形師の過去は助手の過去

蜜蘭は思い出していた。


【アイツ……死んだわ】


そう言って、工房を訪れた妹――│鈴蘭すずらんの顔を、蜜蘭は忘れることは出来ない。


幼い頃から、いつも良く動く顔面だなと冷めた心地で、けれど、ほのかに憧れていた妹の顔は、そう言った時ばかりは死体のようでさえあったのだ。


多分、自分に似ている、と蜜蘭は思った。

 

そして――

「そこに横たわっているのは……キミのではなく、

孝幸の背中越しにある、妹の顔は工房に訪れた時の顔とそのままだった。彼女は生きながらに死んでいたのかもしれなかった。


思い出が意識の片隅に、湧き出す。


唯一の友――妹の友でもあった――蜜蘭が救いたかった男が死に、

【そうか、あの男らしくごく普通に病に殺されたんだね】

などとしか、蜜蘭は思えなかった。


唯一の友の死を報告しに工房に来た妹に、思ったままを答えた自分の顔も、やはり死人と似ていたのかもしれない。


そして――

「俺に……分かるように言いやがれ」

膝をつき、伏せられたままの孝幸の顔とも、か。そう思いながら、蜜蘭は答えた。

「ふむ、私はキミに言ったね? キミは普通の人間じゃないと」

「……ああ」

「キミは多分、こう思ったのではないのかな? キミは私が作り上げた人形だと」

「遠回しな言い方はやめろ」

「……キミもなかなかに勝手だね。分かるように言えと、キミが言うから順追って丁寧に、説明しているというのに……」

「うるせぇ……」

「ならば、少し黙ろう」

言って、瞑目する。

都合は良かった。

意識は過去に浸食されている。


【僕を……普通の人間でなくしたら、キミは死ぬまで悲しむはずだ】


人形へと成り果てることで延命出来る――そう必死に伝えた蜜蘭に、唯一の友たる男は言った。


【僕には分かる。キミは、本当は……人間の身体を弄びたくなんて、ないんだ】


病に蝕まれている身なのに……そう言って微笑んだ、あの男の顔を、蜜蘭は忘れない。


それでも男を死なせなくなくて……自分の気持ちを汲んでくれることを、ずっと工房で待ち望んでいた。

待っても待っても来てくれない男――その代わりのように工房に訪れた妹の鈴蘭は、言ったのだ。


【本当に分かったの、姉さん? アイツ……死んだのよ】

【そうだね】

【姉さんは悲しくないの?】

【どうだろうねぇ……自分でも分からないんだ、困ったことに】

【あたしは悲しい……し、悔しい】

【……悔しい?】

【姉さんがアイツを助けなかったことが……ううん……あたしがアイツをここに連れて来なかったことが――そして何より】

【何より?】

【アイツが姉さんのために、助かろうとさえしなかったことが】

【……ああ、だから鈴蘭】

見たこともないような、鋭い眼光を浮かべる妹に、蜜蘭は言っていた。


【――キミも人形に成り果てに来たんだね】


うなずいた鈴蘭に、蜜蘭は不意に思い至っていた。


人形と成り果てた者の身内が自分に復讐に来なかったのは、もしかしたら、助手であった鈴蘭が秘密裏に防いでくれいたのかもしれないと。


(良い助手だったからね……妹ながら)


かすかに目蓋を上げ、ちらりと孝幸の手に握られたスマホを見る。

孝幸に不似合いなほど少女趣味なのも当然……かつて妹の鈴蘭が使っていたものなのだ。スマホの中にある写真には孝幸ではなく、外見的に似たあの男と鈴蘭が神社――正確には蜜蘭の修練場の前だ――映っているはずだった。

更に言えば、このマンションの一室も、鈴蘭が用意したものだ。

鈴蘭はきっと、人形に成り果てたあの男と蜜蘭、自分との三人で暮らそうと夢を見ていたのだろう。


(良き妹でもあったのだろうね)


再び下ろしかけた目蓋は、

「蜜蘭……話せッ!」

孝幸の呼びかけによって止まる。


過去に囚われた意識が、現実に呼び戻される。

「俺は一体、何なんだ?」

膝をついたまま、孝幸は顔だけを見上げるように振り向かせた。

(……あの男の顔立ちに良く似ている)

思いながら、鈴蘭の遺志を思いやりながら、蜜蘭は言った。

「あの男を救えなかった私を、妹は恨んだ。だから私に復讐する為に――人形と成り果て」

横たわり物言わぬ鈴蘭の顔を見、孝幸が目を逸らしていた鈴蘭の腹へと視線を移した。

衣服ごと腹の中から喰い破られているかの如く血にまみれている。

かすかに覗く、折れ立って牙のようなになった肋骨、巨大なミキサーにでもかけられたような│はらわた。それは当然だった。


「人形と成り果てた私の妹は……


孝幸の顔が凍り付くように硬直した。

混乱……いや、思考停止だろう。

けれど、構わず、蜜蘭は続けた。


「妹が欲しがった身体能力は、望み通りの胎児を孕む子宮だ」


孝幸の混乱は続いているようだった。

「だからこそ、キミはあの男に似た顔立ちと細い指を持ち、成人した姿で生まれ出た。

だからこそ、私の妹たる鈴蘭を、キミは自分の妹だと捏造された記憶……私が妹を人形となさしめたという真実も、キミの捏造された記憶に混入されている。私の妹はあの男に私よりも、自分こそを想って欲しかった――何故ならば」

何か言いたがったのか、孝幸の口が開き、閉じた。

構わず、蜜蘭は言い重ねた。

「私の妹はね、あの男が自分を想って――私を恨んで欲しかったんだよ。

そうして、あの男自身の手によって、私に復讐させたかったんだよ――我が妹ながらなかなかに狂っているだろう?」


言い終わるや否や、孝幸は立ち上がる。

おそらく、身体が勝手に動いている。

言われずとも工房に通い続け、かつ、助手としての業務をこなしていたのと同じように。

藤堂冷夏の凶刃から庇ってくれた時のように、否、冷夏の復讐から自らの復讐を守り通した孝幸が――鈴蘭の遺志で構築されたままの孝幸が、振り向きざま、その手を伸ばしてくる。


(これが鈴蘭の遺志……悪くはないね)


首に巻き付いた孝幸の指……救えなかった男と似た細い指の感触に、蜜蘭は思った。

思いながら、押し倒される。

孝幸の指が首を締め付ける力が強まっていくのに比例して、彼の顔が悲痛に歪んでいく。


初めて見る孝幸の泣き顔を目にして、思ってしまった。


(最後に目にするのが、あの男に似た、泣き顔ならば悪くないよね)


自分がこう思うことを、妹は見透かしていた。

だから、これら全てが鈴蘭の復讐なのだ――憎悪と優しさで贈られた、最後だった。


無論、予見してはいたが、現実にするまで、これほどまでに嬉しいものだとは思いも寄らなかった。だから、思った。


(やはり姉妹だね――私もあの男に、断罪して欲しかったんだ)

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