第29話 唐突に、もう一つの復讐――依頼人の場合
冷夏は目蓋を、見開いた。
「……え?」
間の抜けた声音が口から漏れて、そのことに自分自身でも驚く。
驚きが覚めやらぬままに、けれど、自らの目が勝手に周囲を見渡す。
繁華街の煌びやかな明かりが差し込む、薄暗い裏道。寂れた雑居ビル。地下へと続く、薄汚れた階段。
思い出せた――人形師の工房へと続く、地下階段だ。
(わたしは……?)
かすかに頭を振って、冷夏は沈思する。
(病室で……そうだ、春也の頭を子供の頃みたいに撫でてて……それで)
まず思い出すのは、自らの声音。
【ごめんね……あんたと幸せを分かち合って生きていけないなら、わたしは不幸になりたいんだ】
その後の記憶は曖昧……いや、思い出そうとしているうちに、霧がかった街の情景が浮かんでくる。
病室の非常灯、夜に浮かび上がるほどに明るい駅、ホーム、街を行き交う人々、裏道。
浮かんできた光景の記憶に、理解する。
どうやら自分は夢遊病者のようにさまよい歩いて、ここまで来たらしい。
春也に告げた、自らの感情に誘われていたかのようだった。
(わたしは……不幸になりに来たんだ、幸せにはもうなれないから)
思って、地下階段を下る。自分の足音が響く。共鳴したかのように、心に浮かび上がる感情の群れ。
(春也はもう、春也じゃない。幸せはもう、ほとんど終わっている。もう終わらせたい……だから、復讐がいい)
階段を下っていくにつれ、工房の入り口たる木扉が近づいてくる。視界が狭まっていくにつれ、意識も収斂されていく。
(ええ、わたしの不幸に人形師を道連れにしよう)
木扉を開け放つ……と。
「……来たか」
出迎えたのは応接机に座っていた助手……坂野孝幸だった。今日、はっきりとは分からないが数時間前に出会った彼だった……だというのに。
(……何かが……違う)
かすかな違和感を覚えた。
彼の表情にはあったはずの、沈鬱さがない。どころか、かすかな笑みを浮かべている。何かが終わったような、吹っ切れたかのような表情だ。
いや、何よりも、違和感の正体は彼の瞳だった。黒かったはずの虹彩に、ほのかに赤みが差しているように見えた。彼の瞳を何故だか、じっと見つめてしまっていた。
その最中、彼は鼻の頭を掻いた。
(ああ……そうだ、わたしが言ったサイン)
どうやら彼は、自分の復讐に協力……邪魔しないでいてくれるらしい。少し、安心した。息を漏らし、瞬きをする……と。
孝幸の背後に、人形師の蜜蘭が姿を見せていた。
……再びの、強い違和感。冷夏は眉をひそめる。
ただ、違和感の原因が何か、孝幸の表情や瞳の色の違和感のようにはっきりとは判別出来ない。
……当の蜜蘭は語らず、足音も立てず、孝幸を横切った。
一瞬、人形師と孝幸の間に流れた何か。
特に、孝幸が人形師の首筋をちらっと見たこと。それこそが違和感の正体だと、冷夏は直感した。
が、違和感の正体を突き止める間はなかった。
人形師は目の前で立ち止まり、すっと手を差し出してきた。
「キミの新しい身体、用意は出来ているよ」
差し出された人形師の手を、冷夏は何の疑問も湧かずに取った。
子供のように手を引かれ、工房の奥……不思議な仕掛け扉を潜る。
何の疑問も湧かない。
人形師に誘われるままに、歩き進む。
背後で仕掛け扉が閉ざされる音が響くと同時に、暗闇が訪れる。
何も見えない。
頼りなのは繋がれた人形師の手と。
「目を閉じてくれ」
やけに響く彼女の声だけだ。
「……ええ」
言われるままに目を閉じ、手を引かれるままに、歩かされる。
何故だか、疑問は湧かない。
「ここから先は階段になっている」
人形師の声と手に導かれるまま上っていく……短い階段が途切れたところで、肩を触られ、寝かせられる。
次いで、手が引かれ、何かと手を握らされる。それは人の手の形をしていたが、硬く、冷たかった。
人形、という言葉が心に浮かんだ瞬間、意識が遠のいていった。
微睡み……に近い感覚。
違うのは、隣り合って寝る人形とふれあった肌が解け合うような感覚。
「…ぅ……)
得体の知れない快感にうめく。
その快感に意識が溶かされていくような感覚。
やがて、その快感さえも遠のいていく。
~~~~~~~~~
「……え?」
そうして、気がつけば。
「……終わった……のね?」
冷夏は自分が立っていること、自分が目蓋を開いていることに遅ればせながら気づく。目が拾うのは、どうやら小高い木組みの祭壇らしきところに居るということと。
「うん、寝覚めは良いかい?」
眼前に人形師がやや窶れたように顔で立っているということだった。
「……ええ」
人形師が口を開く。
「さて……身体能力の解き放ち方だがね、」
「説明は、要らないわ」
言って、冷夏はゆっくりと人形師へと手を伸ばす。
体内で異音……きりきり。きりきりという音が響く。
何とも、心地が良い。心臓が熱い。送り出される血が鼓動に伴い熱を伝えていく、腕に、指先に……有り得ないことに爪の先にまで。
「ふむ、自分で繕っておいて何だが……戯画じみているね」
ぽつりと感想を漏らす人形師の言葉を遅れて、冷夏も理解する。
自分の爪に、不可思議な色味の火が灯っている。
指先の皮膚が焼き、ただれ、水疱と焦げが生み出されていく。
(人体発火……? これが、わたしが欲しかった身体能力……?)
正気か怪しい自分の思考。
身体の方が正気のように、着実に動作。
指先にまで及んだ炎を灯しながらも、その手が人形師の顔……特に気に食わない瞳へと伸びていく。
人形師は動かない。
自分が作ったものを見定めるかのように、発火している指先を、ただただ見つめている。
(わたしがしたかったのは……│
妙に納得して、冷夏は己の意志で発火した指先を人形師の眼球に突き入れる。
ぐちゃりという感触。
どういうわけか、半分以上焦げた指先でも感じられる。
……が、しかし、それ以上に。
「もう、いいだろ?」
横合いから声と共に振り下ろされたナイフ。
その刃に発火した指が切り落とされた。
その痛覚の方に、冷夏の意識は占められた。
「――、」
声にならない声を上げ、冷夏は一歩下がる――つもりが、小高い木組みの祭壇から転がり落ちてしまう。
転がりながら、急いで、立て膝をつく。
見上げると、こちらを見下ろしている坂野孝幸と人形師が見えた。
坂野孝幸はニヤりと、口の端を持ち上げた。
孝幸はナイフ……皮肉なことに自分のモノだ……をシャーペンのようにくるくると手で回して手遊びしている。
(裏切られた――……)
冷夏は歯がみする。
そもそも孝幸は最初から、冷夏に復讐させる気なんてなかったのか。
それとも、人形師との何か取引があったのか。
もしくは、孝幸自身、人形師への復讐を奪われたくなかったのか。
冷夏は思った。
(……いずれにせよ、)
ナイフで自分の指先を斬り落とすほどの力を持つ孝幸をしりぞけて、人形師をどうこうするなど難しいだろう。
(わたしは、失敗した)
身を翻して、工房から駆け出る。その前に、見つけてしまった。
人形師の瞳。発火していた指先を突き入れたというのに、焼け焦げてはいない。
孝幸に切り落とされた指先。発火し続けているというのに、木組みの祭壇には延焼してはいなかった。
何かが……おかしい。
悪夢のように、つじつまがあわない。
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