第26話 復讐者同士は、話し合う
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「話があるの」
呆けたような表情で、男は息を弾ませている。顔は青白い。まともに話が出来るかどうか、少し、怪しかった。
(でも……)
冷夏は思う。
(この男は人形師を守る)
思い出すのは、ナイフを止めた助手の姿。異様なまでに素早かった。それだけでなく、力も尋常じゃなかった。ナイフごと男に握りしめられた手は今も痺れている。
ただ――男は自分で自分の行動に驚いていた様子だった。
「話……俺に?」
ようやく返事をした男に、冷夏は思考を寸断して言う。
「ええ、誰にも聞かれたくないから……そうね、歩きながら喋りましょう」
「あ、ああ」
彼と横並びになって、街中を歩く。夕方過ぎの、繁華街の外れ。雑居ビルがひしめくそこでは人通りは少なかった。
(そういえば動画で言ってた通り……工房の場所は忘れてる。なら結局、依頼する時か、身体を貰う時じゃないと……わたしが人形師に復讐する機会はないわけね)
短く考えてから、冷夏は口を開いた。
「まず謝らせて」
「……」
「信じて貰えるか分からないけど、わたしは貴方も人形師も本当には刺す気はなかった」
「……何となく分かってる。春也の身体が元に戻せるか、確かめたかった……だろ?」
「……ええ」
うなずいて、横目で彼の顔を伺う。
顔色は悪いままだが、話は通じそうだと冷夏は判断した。
「人形師が春也の身体を元に戻せるなら、脅してでも、そうさせるつもりだった」
「っても、いきなり刃物ってのはどうかしてるぜ?」
「……そうね。やっぱり……」
息をついて、冷夏は思考を巡らした。
(この男……やっぱり人形師の助手なんだ。春也の身体……未来を奪った人形師に荷担した男なんだ)
腹の底が熱くなり、怒りで意識が真っ白に染まる。意志で、抑える。助手への敵意まで見せるべきじゃない。
(……それに)
思い出すのは、刺さしたはずの男の手が元通りになった光景。
「わたしはやっぱり、あの人形師が憎いのよ。だから貴方に、私の復讐に協力して欲しい」
「……協力?」
「貴方も身体を、人間のものじゃなくされたんでしょ? しかも騙されて……もしくは知らないうちに」
「……」
男は答えない……ので、冷夏は畳み掛ける。
「自覚したのは、ついさっき……違う?」
男の顔は努めて表情を消そうとしているかのように、頬がわずかに痙攣した。その仕草で、冷夏は自分の言ったことが間違いではないと思った。
結局、男は何も答えなかった。
冷夏もあえて何も言わなかった。
沈黙しながら歩いて、信号機の前で立ち止まる。過ぎ去っていく車を眺めていると。
「俺のコトはともかく……」
小さな声で、男は言い続けた。
「あんたが復讐して……何が、どうなるっていうんだ?」
彼の声音は、春也が人形と化した、その決意を尊重しているかのように、冷夏の耳に響いた。実際、医者に変装して春也の動画を冷夏に見せた彼は確かに、そうだった。少なくとも冷夏はそう記憶している。
「……」
今度は冷夏が沈黙で答える番だった。
彼も付き合ってくれているのか、何も言わない。
信号機の色が変わって、冷夏は彼と共に歩き出す。
「わたしは……家族と一緒に過ごす時間が結局は一番、好きだった」
このことを誰かに伝えるのは初めてだと、冷夏は言った後で気づいた。
「理想的な家族……だなんてことは決してなかったけど。もっと言えば、複雑な家庭環境ってとこだったんだけどね。母親、再婚だったから」
彼は黙って聞いている。相づちも打たないし、返事もない。ついでに無表情。だけれど、そんな彼に何故か、全てを話したくなってしまった。
「わたしと血の繋がってない父とはやっぱり、変な距離感……気を遣い合う、他人みたいな感じがずっとあったし。母子家庭だった頃から、家事はわたしの仕事。
再婚しても、血の繋がらない父親が小さな工務店やってたから忙し過ぎて、わたしはずっと家事担当。学校と家事の両立だから、もしかしたら専業主婦よりも忙しかった……とは思うよ」
「確かに理想的じゃねぇーな……生活感、溢れてるぜ」
かすかに微笑んでから、冷夏は続けた。
「……でしょう? でもね、みんなでわたしの作った料理を食べてくれてるのは……好きだったのかもしれないな。何でも美味しいって下手なお世辞を言ってくれる他人みたいな父親、本当に美味しそうに食べてくれる大食いな母親。それに……ちゃんと文句を言ってもくれる春也」
「……文句か」
「ひどいでしょう? 何にもしないくせに文句は上手いのよ、アイツ」
「……ずいぶんと、嬉しそうに愚痴るんだな」
彼は笑っていた……自分が笑っていたからだと、遅れて気づいた。何かが悔しくて、少し怒ったように口にした。
「手伝ってもくれたからね、春也は。両親と違って……いえ、それだけじゃないか。春也との時間は子供の頃から嫌いじゃなかった……かな」
「……そういうもんか? 姉弟って」
「他の人は知らないけどね、小学生のわたしは初めて見た赤ちゃんな弟、可愛く思ったし。出会って良かった、って母親気分も味わった。もちろん子守は大変だったけど、友達と遊べないのは嫌だったけど、それでも弟との遊ぶのもいいって思ってた」
「いい……家族だったんだろうな」
「そうかな? わたしは……自分の時間なんてまるでない、こんな家に生まれなければ良かった、って頭の何処かで思ってもいたんだよ。事故でめちゃくちゃになるまでね」
「…………、」
「失って大切さに気づく……だなんて、浅い言葉だと思ってたけど。
実際、わたしは家族との時間が大切だった、って失ってから気づいちゃった。
わたしもだから、きっと、何かが浅いんだと思う」
「慰める……立場じゃねぇーな、俺は」
「そうね……あなたと人形師が、わたしの残された唯一の家族を壊したんだから」
彼は口をつぐんだ。謝って済むことじゃない、と言っているかのよう。
彼とは何処か、話が合うのだと冷夏は思って。
「貴方への復讐は……そうね、あなたの手を刺したことで終わりでもいい」
半ば本気で言った。
「でも、わたしの復讐に力を貸してくれると嬉しい」
「なぁ……気に障るかもしれないけど、言わせてくれ」
「……どうぞ」
「復讐心を、春也に移植……」
彼が言い淀んだ、先が分かる。ある種、正しいことも。
今の春也は冷夏の身代わりだ。
復讐心さえも、寝たきりの春也に代わって貰える。押しつけることができる。
きっと、春也自身もそう望んでいる。
しかも、春也は復讐を実行できない、身動きができない身体なのだ。
だからこそ、絶対に、冷夏は嫌だった。
「それ以上、言わないで」
「すまない、忘れてくれ」
「……人形師への憎しみ。あなたにも、あるんじゃないの?」
「……具体的に、どうして欲しい?」
「邪魔をしないでくれればいい」
「俺がやるって話じゃないのか?」
「わたしは自分の手でやらないと気が済まない」
「なら、俺は罪を被ればいいのか?」
「……は?」
「あんたの将来も大事だろ?」
男の顔を、冷夏は見つめた。真剣に見返してくる、男は言った。
「俺が邪魔しないとして……あんたが無事に復讐を遂げたとして、あんたの将来は台無しになる。また、何かを失って気づくんじゃないのか?」
本気でこちらのことを案じているらしい男は正しいことを言っている……けれども、酷く滑稽に見えてしまった。
かすかに笑って、冷夏は口を開いた。
「助手さん、名前は?」
「坂野孝幸……だけど?」
「言っておくけど、特に意味はないよ、知りたかっただけ」
眉を潜める孝幸に、冷夏は口を開いた。
「わたしはもう、気づいている。わたしの将来が台無しになったとしても、わたしは何も変わらない。結局、わたしは家族との時間が大事だったと、もう一度、気づくだけよ」
「……とにかく、俺は何もするなってことか」
「ええ……もしも、わたしの復讐に付き合ってくれるなら……」
目を伏せた孝幸の顔を見て、冷夏は口を閉じた。
今ここで、孝幸に協力を確約させることは難しいと感じて。
「なら、なんだ?」
孝幸はそれでも会話には付き合ってくれている……からこそ、冷夏は続けた。
「もし付き合ってくれるなら……わたしが工房にもう一度行った時にでも、そうね、鼻でも指で掻いてくれる?」
「もしも、俺がそんなサインを出さずに邪魔するなら?」
「貴方にも、ついでに復讐するだけね」
「……分かった、あんたが復讐をやめる気はないってコトも、な」
「ありがたいわ、理解して貰って」
言って、冷夏は独り言のように口ずさんだ。
「……わたしの幸福はもう終わっている。
なら、もう終わり方を望むしかないのよ」
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