第23話 あなたの不幸を代わってあげたい

深夜、病室へと忍び込んだ藤堂春也は、姉の寝顔を見つめていた。


「……、」

春也は口を開きかけて、止める。言うべきことはない……はずだ。

「――」

口を引き結んだ春也はベットの上掛けをそっとめくり、姉の手を両手で包み込むように握り、ベットの脇にある椅子に腰掛けた。

思い浮かべるのは、己の身体を縛る鎖。心の枷。引き千切る。


【一度解き放ったが最後、もう二度と人間には戻れないよ】


人形師のそんな声音を思い出す。

(……じゃぁね、みんな)

仲の良いクラスメイトの顔、祖父母の顔が脳裏に過ぎる。それらをしかし、眼前の姉の寝顔と泣き顔の記憶が塗りつぶす。

躊躇はすぐに終わった。


心の内で、己の身体をとらえる鎖が粉々になる。身体の内から耳慣れない、きりきり、きりきりという異音。

共に覚える開放感。


姉の手を握りしめていた自らの両手――はっきりと青白く浮かんでくる静脈。通常のそれと違って、数が多い。加えて、浮かび上がった静脈が蛇のように蠢く。


異常は止まらない。


静脈……毛細血管が、皮膚を突き破ったのだ。血にまみれていく両の手。

異変はまだ、終わらない。

細く長く│うごめく無数の毛細血管が幼虫の如く、姉の冷夏の手にまとわりつき、彼女の手へと次々と侵入していく。


姉の手も血にまみれていく。


血にまみれて握り合う春也と冷夏の手からはしかし、血は│したたることはなかった。


「……う、」

うめき声が自然と漏れるが、春也自身には痛みはない。初めての感覚に驚いただけだった。握り合った手を伝って冷夏の身体に侵入していく、血管群。そこから流れ込んでくる何か、いや、吸収してくる冷夏の何かに驚いたのだった。

意識が遠のいていく心地を覚えながら、ぼんやりと思った。


(僕に――言うことはない)


思っていたのに、


「もう泣かないでね、僕が一番大切だった……│冷夏れいか姉さん」


自然と、口をついて言葉が出た。

瞬間、意識は消えた。


~~~~~~~~~


藤堂冷夏とうどうれいかは目蓋を開いた。開けたことに驚いた。夢じゃないかと思いながらも、身を起こす……いや、できなかった。力が全く入らない。


それでも。


視界の端、ベット脇の椅子でうなだれている弟の姿を見逃さなかった。

「……春也?」

しばらく喋れていなかったからだろう、軽く咳き込み、声はかすれていた。

もしかしたら、誰にも聞き入れられないほどの小声なのかもしれなかった……けれど。


「春也くんは眠っています……これまでの貴女のように」


病室の扉に背を預けていた白衣の男が春也の代わりに答えるように、言った。


(……だれ?)

冷夏はずっと病室内に居たらしい男に驚く。けれど、何故か、怖くはなかった。

もしかしたら、男に悪意がないと感じたからかもしれなかった。

「……」


男はこつこつと歩み寄って来て、冷夏の枕元にスマホを置いた。


「……、」

質問しかけた冷夏を遮るように、男は口を開いた。


「信じられないでしょうが、春也くんは貴女の病を身代わりになりました」


訳の分からないことを、男は言った。

それを自覚しているかのように、男は咳払いを挟んで、こちらに質問させないような間で続けた。

「春也くんは常人のものではない血管によって、自分の健全な脳幹部と貴女の損傷したそれを……


言われて、冷夏はうなだれた弟の顔……鼻に通されたチューブを見つけた。


「ただし通常の臓器移植と違って切り貼りするのではなく、脳を細胞単位で血中に溶かし、尚かつ貴女の血管に送り込み……まるで自己再生させるかの如く入れ替えていく……というところでしょうか。

……と言っても信じられないどころか、理解しづらいでしょう。説明していて何ですが、僕も良く分かってないのです」

男は苦笑した。

「要点は二つ、一つは貴女の身代わりとなり春也くんは寝たきりとなったこと」

次いで男は冷夏の枕元に置いたスマホを操作し、背を向けた。

「もう一つ。僕と春也くんが何よりも分かって欲しい、いや、信じて欲しいのは……春也くんは眠りながら涙を流す貴女を見ていられなかった、ということです」

優しさの滲む声音に、冷夏は聞いた。

「貴方は……誰なの?」


「助手です……春也くんの」


そう言って、白衣の男は出て行った。


~~~~~~~~~


孝幸はトイレで白衣や適当に作ったIDなどの変装用具をバックに入れ、病院を後にしていた。

夜空を見上げながら、正門を潜って当てもなく歩き出すと。


「……終わったのかい?」


背後にいつの間にか蜜蘭がついてきていた。

振り向かずに歩いたまま、孝幸は口を開く。

「ついさっき、藤堂冷夏は目を覚ました……春也の望んだ通りに」

「私が施した身体能力通りに、ね」

「身体の内部を交換できるチューブとしての、血管と血……エグいな、相変わらずよ」

「藤堂春也の、」

「呼吸器か? つけてはきたぜ、一夜漬けで不安であったけど。まぁ、自発呼吸はしてたから……呼吸器つけなくても良かったかも知れないけどな」

「うん、良い助手っぷりだね」

「黙れよ、ンでよ……いきなり寝たきりになった春也に、いきなり目覚めた藤堂冷夏さん……この状況、医者は対応できるのか?」

「私も良い雇い主でね、根回しは済んでいる。藤堂冷夏の担当医は昨日、あの病院を辞めざるを得なくなっている。

ついでに言えば、新しい医者が明日、赴任してくるわけさ」

「……権力って素晴らしいな、振るう側に立てればな」

「悪態ついでに探りを入れない方が賢明だよ、助手? 私の背景など知って良いことなど何一つないのだからね」

鼻で笑って不満を表明していると、蜜蘭が聞いてきた。

「……藤堂冷夏への後処理は?」

「置いてきた春也のスマホ、遠隔操作でカメラ使えるようにしてあるから彼女の姿を見られるぞ?」

「いや、キミの口から聞きたいね」

「……彼女、呆然としてたよ。俺の言うことが訳分からんってのもあるだろうし……まだ頭がはっきりとしてねぇってコトだろうけどな」

「いや、彼女は……」

少しの間をおいて、蜜蘭が話題を変えた。

「まぁ、彼女も次第に分かるだろうさ。藤堂春也が本当に望み続けたことが何か、ね」

「次第にっていうか……今、分かるだろうよ」

「ふむ、やはり純粋な善意は美しいね――洗練された暴力のように」

孝幸は答えかけて、結局、何も言わなかった。

孝幸自身、春也が人間の身体を捨てるのを止めきれなかった。

蜜蘭の言う通りに春也の善意に押し倒されたからだったからだろう。

(止めろ……とは言えなかった)

春也を止めたくとも、口は動いてくれなかったのだ。


~~~~~~~~~


冷夏は助手という男が置いていったスマホで再生され始めた動画を見ていた。

「……春也……」

呟きに答えるかのように、撮影された春也が口を開いた。


『冷夏姉さん、久しぶり』


画面の中で、春也は笑った。


……現実の、ベット脇の椅子にうなだれ、鼻にチューブを通された春也とは対照的に、生き生きとしていた。


そのことに、冷夏は喉が詰まった。


『コレが見られてるってことは男の人がスマホを置いていってくれたんだと思う』

冷夏の脳裏で白衣の男が過ぎる。

『その男の人が言ったこと……全部、本当だよ。僕が姉さんの身代わりになった。この動画も、男の人に頼んで撮って貰ったものなんだっ』


嬉しそうに自分にあったことを話す春也は、冷夏の記憶の内にあるままの弟の姿だった――それが無性に悲しかった。

再会するならば、こんな形ではなくて……冷夏はそう思った。


『今度は僕が寝たきりになると思う。だから、伝えたいことが二つある』

二本立てた指を、春也は一本折った。


『信じられないだろうけど、


思い描く未来に微笑みかけるように、春也の口元が綻んだ。

『方法は簡単だよ、寝ている僕の手を握ると姉さんの――そうだな、病気とか――が僕に移植される。勝手にね。

あ、最初は驚くかもしれないね、こう、グロいから。手術を生で見るみたいな感じで。まぁ、それは慣れてよ。

ああ、そうそう、あと病気以外でも……忘れたいほどの嫌な記憶とか悲しさとか怒りでさえ、僕が身代わり出来る。そういう身体になったんだ、僕は』

自慢するかのように、春也は言った。



春也が何故、こんなにも嬉しそうなのか、冷夏には分からなかった。

冷夏の気持ちを置き去りにしながら、当の画面の内にいる春也は立てていた指を握りしめて手を下ろした。


『二つめ。姉さん、起こすのが遅くなってごめんね。それと、あ、伝えたいことがもう一つあった』

指を立てかけ、それを止め、春也は真っ直ぐにこちらを見つめた。


『どうか幸せになってね、僕の代わりに――もう泣かないでね、姉さん』

動画が終わり、ブラックアウトする直前。

『姉さんが泣きたくなったら、僕が代わりに泣けるんだからさ』

弟の最後の言葉が響いて。


「無理言わないでよ……春也」


春也の消えたスマホを見つめながら、冷夏は言った。言うと自然と、とめどもなく涙がこぼれてきていた。

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