第20話 小学生でも家族のためなら、覚悟する

再来訪の期日を決めなかったことに不安そうだった春也が工房を後にした直後。


「……じゃ、ストーキングってくるわ」

孝幸は席を立つ。

「助手」

蜜蘭の声音が背中に響く。

「何だ?」

春也をすぐ追わねばならない孝幸は言葉を最小限に、振り返る手間さえ省いた。

その意味を理解し、おそらく共有していた蜜蘭も短く言った。

「前言撤回する、キミの復讐を私は受け入れない」

「それが当たり前だ、アホ」

言いながら、自分の口元が勝手に緩む。

(……なんで、ちょっと安心してンだ、俺は……)

自分の胸の内を察し、また、自分でも驚いた……が。

「早とちりするな。藤堂春也の人形を作り上げるまで、私は死にたくなくなった」

今度は勝手に自分の口が舌を打つ。

「……詳しくは後で聞く」

勝手に動いてしまう身体が、孝幸は自分でも理解できなかった。


~~~~~~~~


藤堂春也は気がつけば、病院前の歩道に立っていた。

(動画で聞いた通り、工房の場所……記憶がない)

自己分析しながら歩き出し、病院の正門を潜る。駐車場を横目にし、見慣れてしまったロビーを歩き、面会の受付を済ませる。

と、ロビーに並ぶ椅子で同じくらいの年の男の子がスマホ……おそらくゲームだろう……に夢中なのを見かける。少しだけ、ため息を漏らす。


(僕も……ああだったな)


やや冷めた心持ちを抱きつつ、通い慣れてしまった病室へと向かう。上っていく階段を何故か数えながら、再びのため息。


(姉さんとも、一緒のゲームで遊んだな)


廊下を歩いていると、顔見知りになってしまった看護士、点滴を杖みたく使う老婆やその身内らしき中年男性などと顔を合わせる。それぞれに軽い挨拶を交わして。


「……」

姉の病室の前で、春也は足を止める。足音がしないように気をつけた。病室の中から話し声が聞こえたからだった。


聞き取れるのは、

『ということでして、│遷延性せんえんせい意識障害は……』

『はぁ、辛抱して待つしかないのですか。しかしですな……その、相手からの慰謝料は思ったよりは貰えず……』

姉の病状を説明する医師と、祖父の消沈したような声音だった。


(良かった、入らないで。子供には聞かしてくれないだろうし)

春也は何度目かの、ため息をつく。

(にしても、じいちゃん……何回同じ話を聞けば気が済むんだろ)

姉の病状説明は春也が覚えているだけでも、十回を超える。年を取るとはそういうことなのだと、春也とて理解している。

また姉の病状を受け入れたくないのだろう、祖父の気持ちも分かる――でも。

(姉さんの、意識が戻る可能性は低い)

その事実を受け入れたくない気持ちは、春也も分かるのだ。

だから都市伝説のような、うさんくさい人形師なんかを試してみようと思った。


と、病室の扉が開いた。

「春也くん……お見舞い? いつも偉いね」

姿を見せたのは優しげな笑みを見せる黒縁眼鏡の医師と、綺麗なまでの白髪の祖父だ。

「毎日来なくとも良いんだよ、じいちゃんが来るから」

「ううん、僕が来たいだけだって」

嬉しさと苦しさを等分させたような笑顔で、祖父は頷く。

「そうかい。じいちゃんは先生と話があるから……」

「分かった、姉さんと待ってるね……あとで一緒に帰ろう」

言うと、祖父は何度か頷いてから医師と共に歩き去っていった。小さく丸まった祖父の背中を見送りながら、春也は思う。

(じいちゃんが病気にならなきゃいいけど)

両親が死去した今、祖父母が両親代わりとなってくれている。

いや、昔からそうだったかもしれない。生前は共働きだった両親だったから、祖父母が家に来てくれて面倒をよく見てくれたものだった。

不意に祖父母と遊んだ記憶が、脳裏を過ぎる。遊んでいれば良かった過去はもう、終わったのだとも、春也は思った。


春也は病室の扉を後ろ手に締めて、手狭な個室へと踏み入る。

ベット脇に設えられた椅子に腰掛け、改めて横になっている姉の姿を見つめる。


姉の寝姿。閉じられた目蓋の長いまつげが頬に影を落とし、高い鼻梁からはかすかに寝息が聞こえる。血が繋がっていても、姉の姿はおとぎ話の眠り姫を連想するくらいに綺麗に春也には見えた――たとえ高い鼻の片方に、栄養を通す為の管が通っていても。


「……│冷夏れいか姉さん」

呼びかけるが、姉の冷夏の返事はない。

わずかな期待が、春也の胸の内で押しつぶされる。

それでも、少し待つ。

答えは、やはり、なかった。

(今日も目覚めてくれない……ね)

心の中で呟くと、奇妙なことが浮かぶ。おとぎ話で、眠り姫はキスによって目覚める。自然と春也の目が、姉の唇を見やる。

「……うわ……それは」

顔を歪めて、春也はうめく。抵抗感しかない。姉を綺麗だと思うものの、それだけ。姉とは半分しか血は繋がっていないとしても、姉に向ける感情は家族としてのそれだけだ。

想像してしまったことから逃れるように、

「そういえば、冷夏姉さん」

春也は事故に遭う前のように、ごく普通に語りかけた。それが良いことだと医師に言われたし、春也自身が調べてもやはり話かけるべきだとされていた。


「聞いたことなかったけど、高校で付き合ってる人とかいなかったの? 映画みたいだけど、その人のお陰で目覚められる……とか、あってもいいよね」

答えはない。

(……ま、だよね。馬鹿だな、僕は。もし彼が居たなら見舞いに来ないはずはないし、居ても来ないんだとするなら……そいつは彼氏なんかじゃない)

実際、冷夏のお見舞いに来てくれたのは同じ高校の女子生徒だけだった。制服が同じだったから、間違いないだろう。

ただそれでも来てくれたのは最初の一月くらいで、今はもう訪ねて来てくれる人は居なくなっていた。

(もともと、姉さんは遊ぶ暇も……)


両親は小さな工務店を経営していて、家を空けることが多かった。だから家事をやるのはもっぱら冷夏だった。春也の面倒も……それが面倒だと分かったのは最近だが……みてくれていた。それでも冷夏の愚痴は、春也は聞いたことはなかった。

「……ごめん、変なこと聞いちゃった」

答えない、眠り続ける冷夏に春也は再び口を開く。

「それはそうとさ、聞いてよ。英語の塾ね、じいちゃんまだ通えっていうんだ……意味ないと思うんだけどなー翻訳アプリあるんだし」

昔から春也はその日にあったことを、こうして冷夏に話すことが多かった。冷夏は聞き役に回ってくれていた。何気ない家の居間での時間が、春也にとって一日の楽しみだった。

貴重だったのだ……今になって思えば。

「どう思う? 冷夏姉さん。英語なんて喋れなくてもいいよね……」

言いながら、何となく、春也は懸命に手と背を伸ばし、冷夏の頭を撫でた。もしかしたら、いつか自分にしてくれたことを返したくなったのかもしれなかった。

「ねぇ、冷夏姉さん――」

声が聞きたい、と春也は思っていた。女の人にしては少し低めの、落ち着いた声をもう一度だけでも聞きたかった。


「僕を庇ってくれたのは……どうして?」


目蓋を閉じた。

事故の時の記憶が鮮明に甦る。

家族で久しぶりに、水族館に行こうとしていた。春也の希望だった。車の後部座席に姉と並んで座っていて、突如、襲ってきた衝撃と暗闇。

姉に抱きしめられた、と分かっても身動きが取れなかった。

後で知ったことだが、姉は壊れた座席に挟まれていたのだ――両親の身体を巻き込んで壊れた座席に。

「――、」

姉を撫でていた手が不意に止まり、春也は息が詰まった。


閉じられた冷夏の瞳から、すっと一筋の涙が伝ったからだった。

 

悲しいくらいに綺麗だと、春也は思った。

(生きている――まだ生きてるんだ)

冷夏の頬を伝う涙を、春也はやや乱暴に指で拭う。

その最中、冷夏の頬に水滴が散る――自分が零した涙だと、春也は遅ればせながら気づいた。


(僕は姉さんを泣かせたくはない)


再び、春也は語りかけた。

「僕が今度は姉さんを助けるよ」

冷夏の頬に落ちた自身の涙を拭い、また自分の目元を拭って、春也は言った。

「僕が姉さんを、こんなふうには泣かせない」

事故の衝撃から身を挺してくれた時の姉のように、春也は冷夏を抱きしめた。

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