第三章 家族愛の身体能力
第19話 次なる依頼人は、小学生
プロボクサー宮永和樹の死の翌日、孝幸は夕方頃に工房の応接室に辿り着いていた。
机に頬杖をつきながら、木扉から目を逸らし、ぼうっと壁を見る。
(人が死ぬのを直接見るってのは……)
昨日より続く、頭の隅にこびりついた記憶。
(気分の良いもんじゃねぇーな、やっぱ)
軽く舌を打ちながら、目を閉じて、奥歯を噛み締める。
そんなことでは倒れ伏した宮永和樹、顔を歪ませて和樹の名を呼ぶ城島誉の記憶は消えない。
そして……城島誉のその後。
孝幸が調べたところによると、城島誉は自身の、そして所属ジムの公式SNSで引退表明していた。理由は明言されていなかった。
ただ宮永和樹のリング上での死亡事故との関連が囁かれていた。
(この結末までも宮永和樹の渇望だったのか?)
考えてもどうにもならないことに再度舌を打ち、更に。
(死亡事故……警察の発表じゃ、いきなり死亡事故として処理されてやがった)
正直、孝幸は警察に事情聴取されることも覚悟していた。蜜蘭の作った人形が現代医学でも判別がつかないほど人間と酷似しているならば、当然、リング上で死んだ和樹は変死体。事件性も疑われるはずだった。
だというのに。
(俺に事情聴取もなく……ってことは)
蜜蘭の言葉を思い出す。
【私の家は古くから、伝統だけが価値だと信じる権力者によって大事に飼われているのさ】
孝幸は想像した。
(権力者……伝統、ま、国だわな。そっから蜜蘭を庇うために、警察に圧力がかかったってことかよ? おいおい、マジか? 国ってまだ、そんなやり方が通っちまうのか?)
深く深くため息をつく。
(ともあれ……俺はもう後戻り出来ない)
宮永和樹、佐伯舞華、妹の沙耶の、人形と成り果てた姿が思い浮かぶ。
(これからも、いや、これ以上の犠牲者を出す前に、俺は復讐を……)
――――と、背後から蜜蘭の声がした。
「……おや? 昨日の今日で来ているとは思わなかったよ。てっきり心身の調子を崩したと思っていたけどね?」
隣に座られた気配に、孝幸は目を開ける。
蜜蘭の言うとおりだと、内心で思った。
(ここに来て助手やんのが、いよいよ本格的な習慣になっちまったか)
思えばもはや、工房へと何も考えずとも足が向かってしまうのだ。そんな内心と事実を蜜蘭に言うのははばかられたので、代わりに言う。
「体調はクソほど悪いけどな、アンタに傘を返しに来ないといけなかったろ?」
「……傘、見あたらないよ?」
「忘れたんだ、文句あるか?」
「文句はないが、言いたいことはあるね」
「ンだよ?」
「本当に何故、来たんだい?」
「……」
「キミは宮永和樹の死に心が応えた様子だった……それはそうさ。人の死を初めて目の当たりにすれば普通はそうなる。なのに、何故だい?」
「……うるせぇな」
「あぁ、忘れてた……そういえばキミは私に悪意があるんだったね。それでかな?」
「違う。勘違いだぞ、それ」
ため息混じりに言ってみせて、孝幸は話を逸らそうとする。
「……ってか、変な絡み方すンなよ、心がやられちまった人間によ」
「うん? それはすまないね」
「謝られるとはな、意外だった」
「一応、気遣うという概念はギリギリ知っていてね」
鼻で笑った蜜蘭に見せつけるように、孝幸は盛大なため息をつく。
「なら不調を押して出勤した健気な助手に、特別手当でもくれや」
「ふむ、ならこうしよう」
急に、蜜蘭が机に蜘蛛のように両手をついた。
「キミは私に悪意……」
這いつくばるようにして孝幸の目を覗き込んでくる。
「……違う……恨みだね」
蜜蘭の断言に、孝幸の心臓が跳ねる。それさえも、蜜蘭が得意の心理解剖で見透かされていたのか。
「キミは私に恨みを晴らしていい――存分に復讐するがいいよ」
蜜蘭は口元を蠢かせるように、微笑んだ。
「うん、我ながら名案だね。キミの復讐に私は抵抗しない――大人しく殺されてもやろう」
「……おい」
「うんうん、何なら私の遺体の処理やらも根回しも手伝ってもいい。もちろん生前にね……なかなかに楽しい死に方だ。
「……何を言ってンだ、てめぇは」
「キミが隠しているつもりの望みの通りに、私はキミの復讐に付き合うと言っている」
「………………おいおいおい」
言いながら、孝幸は蜜蘭から目を逸らす。
「何度も言わせるな、俺はアンタに悪意なんて持ってない」
「ふむ、分かったよ……その嘘から付き合おう、まずはね」
孝幸の横目に見える蜜蘭は、つまらなそうに背もたれに寄りかかる。虚空を見つめ始めた彼女に、孝幸はふと聞きたくなったことを独り言のように呟いた。
「なぁ、復讐されてもいいって、なんで思うンだ? 理由を聞いといてやるよ」
「ん? 簡単だよ、復讐されたくない理由が特にないからさ」
「…………んだよ、死にたいってことか?」
「違うよ、死にたい理由も生きたい理由も今はないということさ」
「あ? なんだ、そりゃ? つか、今?」
「生きたい理由はあったかもしれないが、もう忘れてしまったよ」
「……相変わらず、訳分かンねぇーな。あのよ、」
言いかけた孝幸を遮るように、工房の扉がノックされた。
「すまないが、依頼者の対応が先だね」
蜜蘭が表情を改めると、再びのノック。
次いで、失礼します、と小さく甲高い声と共にランドセルを背負った少年が入って来た。
孝幸は上げかけた声を、口の中で噛み潰す。
(……子供? 小学生五、六年生くらいかァ? なんだァ? 捨て身で願うようなコトなんてあンのかよ?)
と、その少年は軽く頭を下げ、ランドセルを下ろしつつ席についた。
「僕は│
落ち着いた様子で、春也は続ける。
「すぐに本題から入っても……」
「待て、待て待て」
耐えきれず、孝幸は声を上げた。
「藤堂くんよ、ここは子供が来るには早いンだ。隣に座ってる、変な女にヤバい身体にされちまうんだぞ?」
「はい、分かってます」
「分かってねぇーよ、人生捨てるにゃ早すぎるって。大して始まってもねぇーだろ」
眉間に皺を寄せた春也に、孝幸は両手をかざす。
「分かった、分かった。子供ってだけで悪く言い過ぎた。ついでに俺らも悪かったな。今度から扉にR15って看板出しておくって。だから、帰ってゲームでもやってろ」
「――帰れません」
「あのよ、」
「僕の姉さんの人生がかかってますっ!」
あまりに必死な声と春也の泣き出しそうな顔で、孝幸は口を閉じる。
(……姉のため、ねぇー)
脳裏を過ぎるのは、自分の妹の記憶。
そのせいか、孝幸は春也の依頼を聞くだけ聞くことにした。
「……悪かった。全面的に、俺が悪かったよ、何か絡みにくいヤツだったよな、俺は」
孝幸は春也を見つめる。
「で? 姉の人生がかかってるってのは?」
「……僕の、」
嗚咽を抑えるように深呼吸をしてから、春也は話を始めた。
「僕の家族は先月、交通事故に遭いました。僕たちの車に、おじいさんが運転する車が突っ込んできたんです。父さんと母さんは……死にました」
「……ああ、そりゃ……キツかったな」
「……はい。姉さんは……その、」
「無理に急いで喋ンなくてもいいぞ……俺はいくらでも待つから」
首を横に振った春也が続ける。
「姉さんは植物状態って、お医者さんに言われました。ずっと寝ています」
「ってことは藤堂くんの依頼は……」
「ええ、ご想像の通りです。僕は姉さんを助けたい……僕がどうなってもいいから」
真っ直ぐに見つめてくる春也に耐えきれず、孝幸は首を巡らし、壁を見つめた。
(俺は……)
ふと意味もなく、孝幸は思った。
(沙耶があんなになる前に知ってたら、俺もここに来てたのかな?
いや、どうだろうなぁー?
沙耶の望みが親父とどうこうなりたいって望みだったし……つーか、)
昔のことを考えている場合ではないと、孝幸は壁から春也へと目線を戻す。
「植物状態から意識戻ったって話もあるんじゃなかったか? お前じゃなくて、医者がどうにかするトコだろーよ?」
「それはそうなのですが……」
言い淀みながら、春也はうつむく。そのまま、独白するように続けた。
「……姉さんは僕を助けてくれたんです」
「は? 助けた?」
「はい、前から車が突っ込んで来た時、抱きしめてくれて……それで――」
うつむく春也からこれ以上聞き出すのははばかられて、孝幸は口を開く。
「……だから、今度は僕が――ってトコか?」
「はい」
事故に遭ってからよほど考え抜いたのか、小学生とは思えないほどに固い決意を持っているかように、孝幸は感じられた。
何をどう言っても春也はその願望……蜜蘭が言うには渇望だろう……を曲げたりしないだろうとも。
「……」
それでも何か言おうと言いあぐねていると。
「……身代わり」
不意に蜜蘭が呟いた。
「……えっと、」
答えていいものか分からなそうな春也に、蜜蘭が問いかけた。
「姉の身代わりになりたいんだね、キミは」
春也はゆっくりと、頷いた。
「うん、キミの渇望は純粋なまでの自己犠牲だね」
蜜蘭はいつものようには、笑ってはいなかった。
「さぞ綺麗だろうね――人間ではないかのように」
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