第17話 本当に欲しいものは勝利ではない
「……すげぇ」
耳にゴングの残響がある間に和樹と城島が激しい攻防を繰り広げられ、孝幸はため息を吐き出すしかなかった。息を止めていたのだと、遅れて気づいた。
リングの上では、和樹と城島が距離を離して肩や腕、足をリズミカルに動かし、牽制し合っている。均衡状態と言うべきものだろう。
孝幸はふと横目、タイマーを見つめた。
(あの人達を、俺は復讐の道具に……)
その先を、心の内でさえ言葉にしたくないと、孝幸は何処かで感じていた。いや、何も考えて来ていない、準備もしていない。
(クソッ、俺は一体、何がしてぇーンだ)
芽生えた迷いはしかしリングで響く、拳を打ち付け合う轟音に吹き飛ばされていった。
~~~~~~~~~~
(相変わらず……うっとうしいな、オイ)
飛んできた強めのジャブ――己の拳で払う。
刹那、飛び込む。
同時、左のボディフックを打ち込む――いや、空振りだ。
(クソッ、消えやがンなァ! 相変わらずッ!)
飛び込み狭まった視界の外に抜ける、和樹の足。足もあるが、視界が狭まった瞬間を見抜ける感覚も、和樹独特の技だろう。
完全に、和樹の姿を見失ってしまった。
だがしかし、城島は幾度となく和樹と拳を合わせてきた。
耳がとらえる、和樹の靴音。
(ンの辺に居んだろォ、てめぇならよッ!)
勘で振り回した、右フック。グローブの感触。ガードされた。構わない。ガードする腕を壊すべく、身体を返して、渾身の力を込めて左。固い感触。肘で受けられた。左拳が軋む。苦痛でコンマ何秒か筋肉が固まる――逃げられる。
(……ガード上手いし、足は消えるし、打ち合ってくれねぇーし)
気づけば、再びジャブの弾幕に晒されている。
更には、左のジャブに隠した右の拳に常に狙われている。
(相変わらず、気に食わねぇー強さだよ、お前はッ!)
思いながら、今度はガードを固めて飛び込む。
ハイリスクハイリターンではない。馬鹿げた特攻も良いところだ。
事実、鋭くなった和樹の眼光。放たれるのは、こちらがガードで固めた両腕の隙を射抜く、拳を縦にした右ストレート。
(俺よ……)
縦拳の右ストレート。危機感に、脳が反応。引き出される極限の集中力。自分の全てが加速し、逆に自分以外の全てが遅く感じられる。
(オレはお前の、気に入らない強さがあったから、オレはッ!)
和樹に出会ってから、自分は強くなった。
そもそも和樹に勝つためにだけ、強くなっていたのだ。
結果……戦績は既に、和樹よりも上の日本ランカーだ。
でも、それでも。
本当の本当は日本チャンプというベルト、いや、世界のベルトをかけたリングで和樹と戦いたかった。
もっとずっと、この男と戦っていたかった。
(でも、コイツはもう本当には、ベルトを勝ち取る気がねぇー)
城島は、和樹の怪我を知った時から思っていた。本当に壊れたのは膝ではなく、和樹自身の闘志なのだと、彼の拳がそう言っている。
(……だから、オレはッ!)
和樹の右ストレートを潜り抜ける……抜けられる。
(俺の感謝で
和樹と腕を絡ませるように、城島は右のロシアンフックを――
~~~~~~~~~~
右ストレートを潜られた刹那、和樹は思った。
(ああ……本当に最高だ)
城島の迫り来る右のロシアンフック。
その速度はしかし、極度の集中力だからなのか、やけに遅く見える。
ただ避けるほどに、防ぐほどに身体の方は速く動かない。膝のせいではなく、人間の身体のそれが限界だ。
でも、だからこそ、最高なのだった。
(そう、俺は最高の相手に、最高の負け方を望んでいる)
城島誉には――対戦相手には決して言ってはいけないことだったから、口にしなかった。だが、本当の願望は最高の敗戦だ。
怪我に負けるよりも、敵に負けたい。
そうでなければ、終われない。
戦い続けたことに、価値がなくなってしまう。これまでの人生をかけていたボクシングに、心から納得できるような、決着が欲しい。
(お前が終わらせてくれ)
決着を、彼に、つけて欲しかったのだ。
そして最高の敵の最高の拳打を浴びる敗戦――その刹那前に。
――ぎりぎりぎり、と。
元通りに動く身体という身体能力を発揮した時とは違う、異音が身体の内から響く。
ただ、そんな異音も、すぐにかき消えた。
きっと、城島誉の、鍛え上げた拳の威力がそうさせた。
視界が暗闇に染まる。
唯一無二の親友が連れて来てくれたそれに、意識さえも沈んでいく。
途方もなく安らかであった――生まれる前に戻るように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます