第14話 ボクサーの友情確認は戦うコト

次なる依頼人・プロボクサーの宮永和樹みやながかずきを尾行していた孝幸は思う。


(男臭い体育系の世界だなーボクサーらしく)


ニット帽と眼鏡で変装した孝幸はけれど、ジムの中に潜入してはいなかった。ジムのビルの一階にある古本屋で、和樹のボストンバックの底……その布地を切りさき入れたカード型の盗聴器によって、和樹達の会話を聞いていたのだった。


(あのクソ雇い主は工房を出る時の記憶が消去されるとか言ってたが、きっと違う。記憶が消えるんじゃなくて、記憶出来ないくらいに意識が弱まってンだ、ありゃ)


工房の階段を上って帰りつつある和樹の様子を思い出して、孝幸は結論づけた。

(宮永さんは声をかけてもバックを盗っても無反応だったもンな……ならまぁ要らなかったな、コレ)

後ろ腰に忍ばせたスタンガンの重みに、そう思った。

(ともあれ……尾行は格段に楽になった)

懐に忍ばせた盗聴電波の受信機、そこから伸びるイヤフォンから聞こえてくる和樹の声に、孝幸はニヤける。

(あのバックには親指くらいのサイズのICレコーダー、ついでにGPS発信器まで仕込んである。更に更に、かけてる眼鏡にはカメラがついてるヤツだし……死角はねぇな)

ここまで考えて、孝幸は内心首を傾げる。


(かなりの出費をしてまで、俺……本格的に探偵やってる場合だっけか?)

などと、孝之が自分を訝しみ始めた頃だった。


『お前はボクシングファンには有名だから……個室の居酒屋の方がいいか?』

『いいけど、俺は飲まねぇーぞ。スパーでちょっと打たれた挙げ句に、減量中だからな』

和樹と城島という男の会話に、孝幸はスマホで個室の居酒屋を検索。当たりをつけつつ、GPS発信器を使うために、地図検索の用意をしておく。

(マジな話……俺、探偵向いてるンじゃねぇーの?)

天職かも知れないと思って、孝幸は将来、探偵をやっている自分の姿を思い描く。と、同時に蜜蘭の顔、並びに家族の顔が次々と浮かんでしまった。下っ腹からみぞおちにかけて、重苦しい不快感が増していく。


(まず復讐だ……それが終わらなきゃ、俺は何も始められない)


妹の、おそらく形見となってしまった少女趣味のスマホケースを眺め、今の自分を再認識する……が、しかし。

(俺は普通の身体に戻りたいっていう、宮永さんを俺の復讐にどう利用……)

考えようとしたが、何も思いつかなかった。


     ~~~~~~~~~


和樹達はジムから歩いて駅近くまで行き、適当な個室居酒屋へと入っていた。店内は掘りごたつのような和風の作りで、つまみも和食が中心だった。

「あーうめぇーッ!」

ほっけを摘みながら、城島誉が日本酒の熱燗を煽った。

「おい……おいッ! 俺が頼んだヤツだろ」

日本酒を取られた和樹が、ぼやく。

「っていうか、打たれたから酒は飲まないんじゃなかったのか? そもそも減量中だろ?」

「いいじゃねぇのよ……久しぶりの居酒屋なンだ、オレは。つーか、お前と飲むのも久しぶり過ぎンだから、今日ぐらいはいいって。その分、明日走りゃァいいだけよォ!」

「……確かに城島は体重落ちるほうだからな」

「お前と違ってな」

言ってから、城島はかすかに舌を打つ。

「いや、お前はもう減量なんてしなくて良かったンだったけ。良かったな、おめでとうございますねッ! クソッ」

「訳分からんこと言うなよ」

ため息混じりに、和樹は続けた。

「城島、酒……弱くなってないか?」

「……久しぶりだかンな」

詫びるようにそう零してから、城島は急にほっけの骨を箸で取り始めた。執拗なまでに小骨を取り続けたかと思えば、不意に告げた。


「なぁ、考え直せよ……和樹」

「何をだ?」

「とぼけンな、ボクシングに決まってンだろが」

「城島の話って、それか?」

「だから、とぼけンな。てめぇなら、分かってたろーが。オレが止めるだなんてコトは」

「まぁ、ね」

「相変わらず、そういうトコはムカつくぜ。全部分かってますみてぇな冷めたツラして距離取ってジャブ突いて……アウトボクサーってヤツはやってて楽しいのかね?」

「楽しいよ、もちろん」

城島との思い出に、和樹は自然と笑った。

「特に城島みたいなインファイターだ。闘牛なんじゃないかってくらいの猛攻をいなす緊張感は独特さ……中毒性のある快感ではあるよ。多分、他では味わえない」

「ならよォ、」

「その楽しさに、俺の足はもうついてこないんだ」

「……手術」

「時間が掛かりすぎる」

「根性と気合いで」

「どうにかなるかよ」

「……」

「城島の方こそ、分かってるはずだ。俺の強みは足だ」

「漫画みてぇに目の前で消えやがっからな、お前は」

「そうさ、そんな無茶な足の使い方で膝に負担をかけ続けて、俺はこうなった。例えリハビリしたとしても、俺は自分のボクシングを続ければ続けるほど、怪我を繰り返す」

「……、」

「……俺らはもう三十間際のオッサンだろ? 怪我は治りづらくなるし、体力は下がり続ける、どうしたってな」

「てめぇの引退に、オレは口を出すなってか……」

天井を見上げた城島はそのまま、和樹を説得するための言葉を探すかのように、天井を見つめ続けた。

あーと口を半開いた城島を見つめていた、和樹の口元がかすかに綻ぶ。

城島は余計な気を遣わず、けれど本音で和樹のボクシングを認めている――そんな城島に、和樹は思う。

(……やっぱり、コイツだけだ)

和樹は決意を込めて言った。


「口を出さない代わりに、城島。お前には手を出して欲しい」

「……はぁ?」

「最後に、俺はお前と試合形式のスパーで、全力で戦いたい」

「それが、お前の話ってコトか?」

「ああ、そうだ。試合前のお前に頼むのは心苦しいが……」

「馬鹿言うなっ、オレは構わねぇよ……けど、お前の」

「膝か?」

「決まってンだろ? お前は賢いクセに時々クソほど馬鹿だな」

「ははっ、かもな……だからかもしれない」

言葉を選んで、和樹は続けた。

「馬鹿な俺は、普通の手術じゃない手術を見つけられたんだ」

「何言ってんだ、お前?」

「まぁ、聞けよ。その普通じゃない手術は嘘みたいに凄くてな」

和樹は人形師の顔を思い浮かべ、左膝をさする。

「この膝はすぐに元通りにはなる、リハビリも要らない……ただ一日だけだろうな、ボクシングができるのは」

「おい、オレにも分かるように言ってくれ」

「詳しくは言えないんだ……城島のためにならん」

「……ってことたァ、ヤバめの方法てトコか。良く分かンねぇけど」

少し悩んだそぶりを見せた城島はしかし、すぐにニヤけた。

「お前が良く分かンねぇのはいつものことだな。分かったよ、てめぇを信じてやる」

「はっ、お前くらいだよ……こんな雑な説明で納得してくれるのは」

「うるせぇな、気持ち悪りィな、お前よか馬鹿で悪かったな」

城島のリアクションに少し笑いながら、和樹は続けた。

「とにかく、俺の膝は治る……一日だけな。だが、さっきみたいに膝を治した方法を詳しくは言えない事情がある。それじゃ、会長もトレーナーも理解してくれるとは思えない。

だからセコンドはナシ。口の固いレフリーだけは俺がつれてくる……場所はウチのジム、鍵はどうにかできるだろうしな……それで良いか?」

「本当はダメなんだろうが……」

言いながら、城島の顔に凶暴とさえ言える笑みが浮かんでいく。

「……良いね、昔の決闘みたいでよ」

城島の凶暴な笑顔の意味が、和樹には分かっていた。

頭の中では既に、城島は自分と戦っているのだ。

そして、それは全くもって自分と同じだった。


(高校の時からだったな。同じ階級で同世代で、でも戦い方は違って。スパーリングパートナー。漫画みたいな――奇跡のようなライバルだった)


城島とジムで出会ったことを思い出す。


(高校生の時は俺の方が強くて……でも、ちょうど卒業してからか、勝てなくなった)


城島に負けた悔しさをモチベーションに、和樹は強くなった。

実際、城島への敗戦以来、戦績は劇的に良くなった。

それでも、城島誉には勝てていない。

(俺の限界は膝の怪我よりも明確に、城島……お前がずっと昔から示してくれていたのかもな)

ふとかすかに笑いながら、和樹は言った。


「俺は城島――お前と最高の勝負をするためだけに、長い間、ボクシングをやっていたのかもしれない」

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