第二章 戦う男の身体能力

第12話 次の依頼人はプロボクサー

[人形師・蜜蘭の作る人形を、どう利用するか]


スマホにメモった文章を見つめてから、孝幸は工房に訪れることにしていた。ちなみに蜜蘭に少女趣味と揶揄されたからこそ、スマホケースは維持でも変えてないつもりだった。


(……復讐利用法……思いつかねぇな)


ともあれ、佐伯舞華の依頼、一週間ほど、依頼人は一人も来なかった。

仕方なく所在なく、孝幸は工房の木扉を見つめている。

工房の応接室の椅子で、依頼人を待ち続けている。

漏れ出るため息。溢れ出る心の声。

(俺は何してんだよ……本当に。昼からもう、三時間くらい座ってるだけじゃねーか)

一週間以上も同じような時間の使い方をしている。それに慣れてしてしまって、もはや工房へと自然と足が向かうようになってきている。

更なるため息をつきながら、左の袖に忍ばせたナイフを意識する。

(普通に完全犯罪のやり方でも考えた方が良いような気がしてきた……遺体の隠蔽だしな、要するに)

とか、悪意を持て余していると。


「助手、給与だ」


工房の奥から回転扉で出てきた蜜蘭に、茶封筒を放り投げられた。ぱしっとそれを受け取った孝幸はおもむろに中を見る。三百万の束が見える。

「……多くね? 俺、二十時間くらいしか仕事してねぇーぞ」

言いながらも、孝幸は封筒をズボンのポケットにねじ込む。

「算数は嫌いでね」

「つーか、明細は?」

「ないよ、税金も嫌いでね。だからキミも払うな」

「……まっとうな金じゃねぇーってトコ?」

「もちろん」

隣に座った蜜蘭に、孝幸は聞いた。

「……そういや佐伯舞華から金貰ってなかったよな?」

「当然だね」

「じゃぁ、この工房の収入はどっから?」

「私の家は古くから、伝統だけが価値だと信じる権力者によって大事に飼われているのさ」

「……人形師として?」

「私の血筋は古い陰陽道の家系でね、遠い昔には医術もこなしていたんだ。その流れで詳しくは言えないが、老体をどうにかしたい権力者の御仁が居てね、私が人形師をやっているのもその一環なわけさ……まぁ、時折、占いやら呪いもやらされるがね」

「良く分かンねぇーけど……人形も陰陽道的なヤツなんか?」

西行さいぎょう反魂はんこんの術……その応用だね」

「……やっぱ分かんねーけど?」

「うん、最初から分かられるつもりもないよ。ついでに何となく隠していたけど、普通の人間が工房に辿り着けないことや、工房の所在地を明確に記憶出来ないのも、呪術的な結界によるものさ」

孝幸は口を開こうとして、途中で閉じた。木扉から鳴り響く、ノックの音によってだった。

口を閉じて、待ってみるものの。

(…………あれ? 入ってこないな。もしかしてこっちから許可を出さないと入ってこないとか?)

思いながらも、蜜蘭に一つだけ聞いておく。

「まさか、依頼人が来そうだったから出てきたのか? それは占い?」

「好きに解釈してくれ給え、説明が急に嫌いになった」

そう言い放つ蜜蘭にため息をついて、孝幸は扉の向こうにまで届くように、声を張った。


「どうぞ、お入り下さい!」

「失礼します」

入室して直ぐに頭を下げる一人の男。軍人のように無駄なく素早い。

孝幸は席を立ち、礼儀正しそうな相手に合わせることにした。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、お座り下さい」

「ご丁寧に、ありがとうございます」

頭を上げた男の容貌を、孝幸は観察する。

短髪で精悍な顔立ち、ステンカラーコートに包まれた身体は細身だが首は筋肉質で太い。年齢は二十代後半くらいだと、孝幸は見た。

(佐伯舞華に比べりゃ、まとも……というか、普通のヤツよかキッチリしてそうだな)

とか考えていると、男はいつまでも立ち続けていた。

(あ、やべっ……体育会系の人なら俺が立ってちゃ座れねぇか)

孝幸は慌てて席に座って、言っておく。

「どうぞ、おかけください」

「失礼します」

男は持っていたボストンバックを椅子の下に置きながら、座った。その際、左足を庇うように、右足からゆっくりと曲げて席についていた。

(座らなかったのは、礼儀じゃなく足が悪いせいか?)

思っていると、男の方から言った。

「自分の足のことならば、お気遣いなく。日常生活に支障はありませんので」

「――失礼しました。無遠慮に見過ぎましたか?」

「いいえ、お気になさらず」

にこやかに答え、男は続けた。

「自分は宮永みやなが和樹かずきと申します。よろしくお願いいたします」

坂野孝之さかのたかゆきです……こちらこそ」

孝幸が答えると、和樹の方から口を開いた。

「自分は一応、プロボクサーなんです。ですが、貴方のお察しの通り、左の膝をやってしまいましてね」

「……詳しく聞いても?」

膝前十字靱帯ひざぜんじゅうじじんたい損傷です。自分は足を使うタイプのボクサーで……もはやプロを名乗っていいものかどうか」

「その苦しみや悔しさは……僕には想像さえ出来ないですよ」

「ははっ……自分の話し方が悪かったようですね。さっきも申し上げた通り、この膝は日常生活には支障ありません。それに手術とリハビリさえすれば競技者としても、復帰が可能なのだと医師には言われています」

「……そうでしたか」

「はい。ですが、自分はもう二十八才……ボクサーとしては若くありません。それにA級ライセンスは持っていてもランキングにさえ……」

「……、」

「失礼、分かりませんよね」

爽やかな笑顔を挟んで、和樹は説明を再会した。

「自分は今年、ボクサーとしてラストチャンスだった。これから手術とリハビリに時間を費やしてしまえば……いえ、リハビリを上手く乗り越えたとしても以前のようなフットワークが刻めるかどうか……」

「……つまり、宮永さんがここに来た理由は――」

「ええ、自分は以前の足をいち早く取り戻したい」

真っ直ぐでまっとうな願いに、孝幸は思う。

(この人を……俺は復讐に利用するのか?)

内心に生まれた迷いを抱えながら、孝幸は聞いた。

「ラストチャンスをもう一度……つまりは試合に出ると?」

しかしながら、和樹は首を振った。

「いいえ、それはルール違反だと自分は考えています」

「では……何の為に以前の身体を取り戻そうと?」

「自分には一人、全力で戦いたい人間が居ます。同じジムで共に切磋琢磨した仲間で親友です……そいつとは試合してないんですよ。というのも、そいつとは同じジムでして……潰し合わないように、なかなか試合を組んで貰えないんです」

寂しさを滲ませるように微笑んで、和樹は言い重ねた。

「最後の相手は、そいつと……今まで培ってきた全ての力をぶつけ合いたい」

「……正式な試合ではなく?」

「試合形式で、自分は満足ですよ。それで今までのボクサー人生に……」

言い淀んでいた和樹に、蜜蘭が瞑目しながら言った。


「決着、かね?」


「え? ああ、ええ、そう……でしょうね。最高の相手と戦って自分の気持ちに決着をつけたい」

蜜蘭が唇の両端を持ち上げる。不気味なまでにゆっくりと微笑を深める、その様に、孝幸は傷口を連想し、尚かつ、理解する。

(宮永和樹さんの心根、解体始め……ってか?)

蜜蘭がその特技を発揮すべくか、唇を蠢かせた。


「命を賭けても惜しくはないのだね?」

「ええ……そういう気持ちで今まで、ボクシングに打ち込んで来ましたので」

「承知した。キミの渇望は……なかなかに峻烈しゅんれつそうだ」

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