第11話 人形師は狂った幸せをまき散らす
「……ってのが、佐伯舞華の
工房の応接室でそう言った孝幸に、蜜蘭は満足そうに頷いた。
「分かっていたことだけれど――彼女、
「あぁ? どういうコトだ、それ?」
「彼女はね、自分だけを愛してくれなくとも、愛されるならば自分なんて捨てられた。でも自分を完全に捨て去ることなど、人の身には不可能だろう? もっと言えば彼女は愛した男に、大切な友とも思われたかったんだろうさ、それは女の身では出来ないだろう?」
「…………愛愛言ってて全く恥ずかしくないのはともかく、だ」
孝幸は蜜蘭に見せつけるように盛大なため息をつく。
「ええっと、つまり佐伯舞華はあのクソ野郎主演な人生の、女優も助演も脇役も全部やりたかったってコトか?」
「うん、言い得て妙だね」
「アホだな、あの女」
「愛で道を踏み外すなんて、貴い愚かさだろう?」
蜜蘭の問いかけは、けれど、答えを求めていない――そう分かった孝幸は、鼻で笑って答えにならない答えを返す。蜜蘭も同じように鼻で笑ってから、口を開いた。
「愛で狂うのは貴い……が、まぁ、ありがちだったね」
佐伯舞華にもう飽きたと言うように、蜜蘭はふっと息をついた。
孝幸は舌打ちを堪える。
(愛で狂うのは、ありがち……ね)
妹の沙耶も、そうだった。
妹が愛したのは、あろうことか、実の父親だった。
(よりにもよって、何で、あのオッサンだったンだか……)
それはきっと沙耶自身にも分からなかったんだと、孝幸は感じ始めていた。
どうあっても遂げられない願いだとは分かっていたんだろうとも。
だから、妹は佐伯舞華のように人の身を捨てたのだ。
【ごめんね、兄さん】
一筋の涙を頬に伝わせながらも、妹は微笑んだ。きりきり、きりきりと静かに家の居間に鳴り響くゼンマイの音は泣き声のようで……でも。
謝罪を口にした妹の口からは、なかったはずの長い牙が覗いていた。
吸血鬼のようなそそれを、押し倒していた父親の首筋に突き立たせたのだ。
短い悲鳴を上げ、父親は気を失ったようだった。それだけでも充分に異常な光景だったが――――続きがあった。
異常の続きは、父親の顔から始まった。
目尻や口元のシワがみるみると消え、肌の張りを取り戻していく。
かすかに混じっていた白髪さえも黒髪へと戻っていく――若返っていったのだ。
異常は更に、連鎖した。
変貌を遂げた父親は目を開け、妹を見て、何を勘違いしたのか、母親の名前を言ったのだ。
けれど、その勘違いは妹にとっては望んでいた通りのものだったらしく。
【ずっと会いたかったよ……わたしと同い年の、貴方】
幸せに酔いしれた、妹の笑顔こそが何よりも壮絶だった。
恐ろしくなった孝幸は、その場から逃げ出した。
街を当てもなく彷徨った果てに、自分の正気を疑い、見たものを全て幻覚だと思い込んでから自宅に戻ってみると、妹と父親も居なくなっていた。
父親と妹はそれきり、姿を見せなくなった。今、失踪したこととなっている。
孝幸は見たことを、もちろん、母親には言えなかった。ただ何も目撃していなかったはずの母だが、どうしてか、核心だけは察したらしかった。
【そう、私は奪われたのね……血の繋がりなんて、その程度なの……】
母親は虚ろな目をして。
【悪いけど、しばらく貴方の顔も見られない】
家族を拒絶した。
(訳の分からない……出来の悪いコントみてぇな家族崩壊劇だったな、思い返すと。沙耶の、あの老化を吸い取る牙に比べりゃ、佐伯舞華の姿形を変える身体能力は大したコトはねぇーか)
孝幸はふと、思い至った。
(佐伯舞華の家族は……これから、どうなンだろうな)
と、蜜蘭が言った。
「次の依頼者はどんな渇望を抱いているのだろうね……楽しみだ」
笑みを浮かべる蜜蘭に、孝幸は思いつく。
(この女が大事にしてンのは……てめぇの作品な人形か。なら、それを台無しにしてやンのが良い復讐になる……か?)
孝幸は心の片隅で悪意を練りながら、具体的にどうすべきかを考えかけ、止めた。ふと思いついたことを口にする。
「なぁ……佐伯舞華はあンなクソ男とは別れてさ、普通に次の男を探してれば普通に幸せになれたンじゃねぇーのかな?」
「おそらくは」
「だよな」
「うん、けれど、それを選べなかったんだろうね。理由はきっと、本人さえも分からない。その人間の心の内にあるべくしてある……渇望とはそういうものさ」
孝幸は息を呑んだ。蜜蘭の言葉は奇しくも、妹が父親と失踪した動機の、自分の解釈と同じだったからだ。そんな共感が、けれど、孝幸は忌々しかった。
「……って言われても、な」
「いずれ、分かるさ。だからキミはこの工房に辿り着けたんだ。キミの内にも渇望が――」
「――ねぇよ、俺は気に入らないルールは守らないンだ、意地でもな」
「是非、良い依頼者になってくれ」
「耳、イカれてンのか? それともまさか、俺は日本語を喋れてないンですかねぇ~?」
「どちらでもないよ、私はただ私の言いたいことを言うだけさ」
「分かったよ、俺もそうする」
「その調子だ……キミとは上手く行きそうだよ、助手。佐伯舞華の時は良い助手ぶりだったよ。今後ともよろしく」
蜜蘭が手を差し伸べてくる。
「俺がお前と握手とかするように見えンのか?」
「見えないからこそ、求めてみたくなったのさ」
「それは嫌がらせって言うんだぜ……受けて立ってやるが」
言いながらも、孝幸は蜜蘭の手を握った。
(コイツをこのまま野放しには出来ねぇ……)
脳裏に過ぎる佐伯舞華の記憶に、
(俺はコイツに復讐する。手始めに、コイツが必死に作り上げた人形を使って、何か……)
心の片隅で育てていた悪意を確認した。
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