第7話 From she(C) to he(H)!!

「私じゃないって、どういうことだ…?」

「そのままの意味だよ、君が探している人は私じゃない。

私は…君が盗まれたものを取り戻したりしていない」

彼女はそう言うと、手に持っていた紙袋を俺の右手に掴ませた。


「…さよなら」

彼女はそう言うと、こちらを振り返ることなく校舎の方へ走っていった。


…それじゃあ、誰が。


俺は目の前の視界が崩れ落ちそうになる錯覚を覚える。

もう、他の作戦など何もなかった。


やはり、ダメなのか。俺は彼女に、「ありがとう」の一言すら伝えることはできないのかーー。


その時だった。


校舎の屋上から、大きな、とても大きな鳴き声が校庭まで響き渡った。


俺は瞬時に顔を屋上に向けた。


耳に届くこの声を俺は確かに聞いたことがあった。

いつだ、いつだ。


…そうだ、あの日だ。


入学式のあの日。



その瞬間、俺は駆け出していた。

下駄箱で運動靴を脱ぎ捨てると、上履きすら履かずに走り出した。


一足飛ばしで、階段を駆け上がる。

1階、2階、3階、そして…屋上。


俺は勢いよく、屋上へと続く扉を開けた。

瞬間、柵の近くから俺の方を振り向いた…

違う、あの子じゃない。


屋上に響き渡る鳴き声はもっと高い所から聞こえた。


どこだ、どこにいる。


俺が頭を上げ、声のする方向を見た瞬間、思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。


「はは、ははは…。お前か。お前だったのか…」

塔屋の上。そこには、空を仰ぎながら鳴き声を上げる一匹の猫がいた。

俺が入学式のあの日に助けた、1匹の猫が。


『彼女』の足元に置かれた菫の花束。それが、俺が今まで探していた人物が『彼女』であることを物語っていた。


その時、屋上にいたもう一匹の猫が俺のスラックスを必死に引っ掻いていた。

何かを訴えているみたいに。


俺は反射的にその猫に頷くと、塔屋の梯子を上がっていった。

登り切ったその瞬間、『彼女』の声が止んだ。


「君が、今まで…」

しかし、『彼女』は背中を向けたまま何も答えない。


俺は一人ごくりと喉を鳴らした。

…俺は彼女にどうやって、3年間の想いを伝えればいい…?


しばらく考えた後、ある考えが俺の頭に閃いた。


俺は手に持っていた紙袋を握りしめると、『彼女』の横にまで歩いて座った。

そして袋からリボンを取り出すと、彼女の傍に置いた。


「よかったら、使ってくれ」

『彼女』は俺の方を向くと、驚いたように大きな瞳を丸くした。

海のように澄んだ、とても綺麗な瞳だった。


『彼女』はしばらくの間、リボンを見つめていた。


やっぱり、いらないか…

俺がそう思い、置いたリボンを掴もうとした時だった。


「いてっ」

突如、掌に走る柔い痛み。

『彼女』が俺の掌を甘噛みしていた。


「いてて、どうしたんだよ」

俺がそう言うや否や、『彼女』が取った行動に俺は思わず目を丸くする。


「お前…」

視線の先の『彼女』は、リボンを咥えながらまるでせがむように俺に顔を突き出していた。

俺は後頭部を軽く掻いたのち、『彼女』からリボンを受け取る。

そして、リボンの輪を緩めたのち、『彼女』の首にゆっくりとかけた。


「慣れてないんだ、これで許してくれよな」

『彼女」の首にかけられた、あまりに不器用なリボンの輪。

けれど、『彼女』はとても幸せそうにはにかんだ。


しばらくの間、俺と『彼女』は一緒に座りながら空を眺めていた。

何も言わずとも、何かが通じ合っているような、そんな不思議な感覚を覚えた。


…どれほどの時間が経っただろうか。

気づくと、日は沈みかけていて、すっかり辺りは薄暗くなっていた。

3月のまだ肌寒い寒気が周囲を満たす。

その時、隣の『彼女』がブルっと体を震わせた。


別れの時間だった。


「そろそろ、お別れだな」

「…」

「それじゃあ、元気でな」

「…」

「お前のこと、俺…」

俺はそこまで言いかけて、口を噤んだ。

意味のないことだと思ったからだ。


俺は立ち上がった。『彼女』も同時に立ち上がる。

最後に、俺と『彼女』は向き直った。


しばらくの間、交差する視線。

間も無くして頷き合うと俺と『彼女』は背を向けた。


もし、彼女が人だったのならどんなによかっただろうか。

そんなくだらないことを考えた時だ。


背後から、『彼女』の甘えるような声が聞こえた。

俺は思わず後ろを振り向く。その時だった。


『彼女』がこちらに向かって走り出した。

次の瞬間、『彼女』は大きく飛び上がった!


間も無くして『彼女』は着地すると、呆然としている俺に向かって悪戯っぽい笑みを浮かべた。


そしてプイっと前を向いた『彼女』は塔屋の下に向かって降りていった。


「…あいつ」

俺は呆れがちに笑いながら、左頬を押さえていた。


彼女に口付けをされたその頬を押えながら、俺はゆっくりと梯子の方に向かったのだった。










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