第37話 クラスメイト
(2)
傷を負う女の子を抱えていても、
周囲から指を差されたりしないのは、街頭モニターが注目を集めているから――ではない。
その要素も、ないわけではないだろうが、
それよりも強く影響しているのが、糸上統が持つ能力であった。
レンチキュラーと呼ばれている。
見る角度によって絵が変わるカード……と言えば、身近なものだろう。
統はその効果を自分の体に付加できる。
つまり、他人から見れば、今の統は、統が意図した姿に見えているはずだ。
角度によっては真実の姿が見えてしまうが、狭い幅だ。
数秒もしたら別の絵柄へと変わってしまう。
見ている人物により、その角度の方向が変わってくるので、統の本当の姿を捉えることは難しいだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ、春眞、待っていてくれっ!」
信号の待ち時間に、彼女が離れてしまわないように話しかける。
背後を見る。
坂上臣は追ってこない。
能力と、統には覚えのない報道によって、どうやら逃げ切れたらしい。
「政府も大胆な判断をしたものだね……」
統の目的地は病院だ。
と言っても、普通の病院ではない。
もっと言うなら病院ではなく、組織の研究所に中にある、医療室へ向かっている。
追っ手がいると入れないため、撒く必要があったのだ。
第一の障害を取り除いた今、改めて研究所へ向かえる。
やがて、信号が青になる。
「……――!」
横断歩道の先に、誠也と辰馬がいた。
思わず声が出そうになったが、こっちは能力を発動している。
向こうに自分の姿が見えるはずがない。
挙動不審な行動は、見える絵柄を変えていても違和感を伝えることになる。
堂々とすれ違えばいい。
それでこの危機を脱することができるだろう。
一歩、二歩と近づく。
出発場所が悪かった。
彼らに最も近くすれ違う場所にいたために独り言も聞こえるほど接近することになる。
呼吸にも気を遣わなければならない。
相手の所作一つで、心理状態を把握するように教えたのは、
部下を通じていながらも元を辿れば統なのだから。
距離が縮まっていく。
やがて、すれ違っても気は抜かなかった。
彼らはすれ違う際に、統を一瞥したものの、違和感を抱いた様子はなかった。
信号を渡り切る。
背後で車が走り出したのを見計らい、やっと安堵の息を吐いた。
「見つけたぞ」
「!? たつ、ま――あがァッ!?」
辰馬の拳が、統の腹部に突き刺さった。
両足が浮いた統の体が地面に倒れる。
依然、能力は作用しているため、周囲から注目を集めることもない。
少年が一人、ごく普通のサラリーマンと話している姿が見えていることだろう。
手放され、ふわりと落下した春眞を辰馬が抱き留める。
軽い体のため、羽毛の塊を受け止めたようだった。
「……どうして……分かったんだ…………っ?」
統の質問に答えたのは誠也だった。
「俺も能力者なんだ。そんでよ、相手に対抗する形で俺は能力を生み出せる。
今回はあんたの能力の対になる能力が俺の手元に生まれたわけだ」
あくまで対抗であり、無効化ではない。
そう、誠也は統の偽装を見抜いたわけではなかった。
「意識的に人混みを選んで歩いていただろ? 偽装してんだから当然だろうな。木を隠すなら森の中、ってか。だから人通りの少ない場所に、あんたが紛れたがりそうな人混みを作ったんだ」
「作った、だと……?」
「作ったというか、見せた、か。
言ったろ、あんたの対抗するための能力が俺の手元に生まれるってよお。あんたが自身を偽装できるように、俺は周囲を偽装できる。
本家のあんたほど精巧ではないが、ようは鏡だ。あんたの背後の景色をそのままあんたの前方に映した。駅から遠ざかるあんたは、前方に見える駅前の人混みだけを間違って見てたんだよ」
実際は人通りの少ない通りに、統は誘い出されていた。
あとは簡単だ。
エージェントとして磨いた技術で、怪しい人物を上から順番に確認していけばいい。
一発目に正解を引き当てたのは、彼らの技術力の賜だ。
いや。
教えていた人物が優秀なのか。
「あんたのスパルタが、あんた自身を追い込んだわけだな」
誠也の手が統の胸倉を掴んだ。
「今の気持ちはどうだよ――飼い犬に手を噛まれる気分はよぉっ!!」
「僕のことは、後でいくらでも餌にしたらいい。ただ、今だけは協力してくれ」
統の必死な表情に誠也が顔をしかめる。
次に、辰馬の震えた声が誠也を振り向かせた。
「おい、糸上っ――なんだよ、これっ、どんどん、染みが広がって……!!」
彼女を蝕む毒が、体の八割を侵食していた。
(3)
「俺に近づくなあッッ!!」
毒を持つ能力者だと知られている坂上臣に近づく者は、普通ならいない。
一般人はパニックの中、それでも危険を感じて彼からは離れていく。
だから近づいているのは、彼を捕縛しようとしている警察関係者だ。
見慣れたガスマスクをはめていても、しかし、毒はフィルターを突き破る。
装備に命を預けていると、あっという間に命が散っていくだろう。
それは、臣の望むことではなかった。
死者が出れば政府はさらに臣を危険視するだろう。
自ら近づき、被害に遭っていながらこれを理由にして身柄を拘束するつもりだ。
手元に置いておきたい気持ちは分かるが、
当たり屋のようなやり方をしなくてもいいだろう……。
「犠牲を出す前提で作戦を考えるな、バカ野郎ッッ!!」
滅多なことでは感情を表に出さない彼の叫びが、警察側の士気を上げてしまった。
威嚇のための銃口がこちらを向いているが、
下手に衝撃を与えると毒の範囲が広がることも向こうも分かっている。
そのため、場が膠着してしまっていた。
睨み合いが続く中、一つの声が場を動かした。
「父さん!」
「――辰馬か!?」
警察によって作られた、坂上臣を囲う円の外側に、糸上春眞を抱く辰馬の姿があった。
「糸上に毒が回ってるっ、頼む父さんっ、解毒して、糸上を助けてくれっっ!!」
「ああ、分かった! 待ってろ、すぐにそこへいく!」
しかし、複数の銃口が一斉にガチャリと音を立てた。
一歩、動いただけの臣に重圧が迫っていた。
「邪魔を、するなよ……! 女の子が苦しんでいる……俺が、助けられるんだ!!
お前たちのプライドのために、救える命を犠牲にするわけにはいかないだろうがッ!」
『その女を始末しろ』
警察の一人がそう言った。
耳を疑う言葉にもかかわらず、周囲の警察は合わせたように頷いた。
『感染者だ、これ以上、被害を広げるわけにはいかない』
「お前ら……正気なのか……?」
『殺人鬼の言い分を、誰が聞くと思う?』
マスクのレンズの奥に見えた瞳には覚えがある。
人の本質をレッテルで決めつけ、言い分に聞く耳を持とうとせず、
まるで自分こそが正しいとでも言うかのように、個人の世界で完結している。
そういう人間。
唾棄する感情に、傷口が開くのも忘れて、臣が叫ぶ。
「お前らァ!!」
『……やれ』
行動は迅速に。
一部の銃口が、糸上春眞に向いた。
撃たれたのは糸上春眞ではなく、警察関係者同士の、仲間割れだった。
『なにをしている……どういうつもりだ、貴様!』
『い、いえ、違うのです、体が、勝手に……!』
標的ではなく仲間を撃った一人が他方から責められている内に、次の被害者が出た。
『あ、あ……わた、私……っ、違っ、違うんです、体が、本当に勝手に!』
『ふざけるなァ! 体が勝手に動くだと!? もっとマシな言い訳はできんのか!?』
すると、吠えていた男の手が動き、近くにいた警察官を撃った。
『――――っ』
そして、十秒もしない内に警察官がばたばたと倒れていく。
残された一人は、場を見回し、混乱しながらも臣に銃口を向けていたが、
背後から殴られた一撃で、意識を失った。
「……これ、父さんの仕業?」
「違う……、俺の毒に、こんな効果はない……」
だったらこれはなんだ……?
表情に出ていた疑問に答える声があった。
「特定されるとまずいから言わないけど、俺たちの能力だよ、坂上」
「…………」
そこにいたのは、十人以上の、男女含めた、集団だ。
「びっくりしたぜ、十一年前、お前が大量殺人鬼として逮捕されたの見てさ。皆葉が死んじまって、お前の方が壊れるとは意外だなとは思ったんだが……、統にも連絡つかねえし、なんかおかしいとは思ってたんだ。やっぱり印象操作されてたか。警察もずりぃよな」
「同窓会、誘いたかったけど、監禁されてたから誘えなかったの、ごめんね。でも安心してよっ、糸上くんも誘えなかったから。今度、二人を迎えてしようって企画してたんだよ」
「ほらな、やっぱり俺の言う通り、坂上は無愛想だけど内心は優しい奴なんだよ、あんな報道でこいつを悪く言う奴は、所詮なんにも知らない奴ばっかりだって」
「とかなんとか言って、最初は酷い奴だなって非難してたじゃん。
あんたってば、思い切り印象操作されてたわよね」
「う、うるせぇよ!
クラスメイトの無罪を信じるのは当然だろ、あれはジョークだっつの、バカ!」
臣に投げかけられているようで、彼らは好きなことをただ言い合っているだけだ。
まるで立食パーティのような、統率のない集団に、懐かしさを感じる。
……教室だ。
自分の席があるのに立ち上がっては移動する、やかましい喧騒。
居心地の良い、うるさい環境だった。
集団でいても、確かにそこにはグループが存在しており、
坂上臣で言うなら、隣には皆葉日和、糸上統が、寄り添ってくれていたはずだ。
くだらないことを喋り、日和の暴走気味な行動に呆れて、
統と共に苦笑いをして、クラスという輪の中に混ざっていく。
日和を通じて、クラスの輪に混ざれたのだ。
「なに呆けてんだ、坂上。……もしかして、覚えてないのか?」
「……逆に、どうして俺のことを、覚えているんだ……?」
臣の言葉に全員が呆れ混じりに笑った。
「俺は、なにも与えられなかったぞ。
つまらない人間だった……、
一緒にいたって面白くもなんともなかっただろ」
「確かに面白くはなかったな。愛想悪いし、反応ねえし、すぐに自分の世界に戻っちまうような奴だったよ、お前は。でもよ、お前は有名なんだぜ? 縁の下の力持ちってな。
表に出ないけど、誰よりも雑用をこなして、面倒に思える毎日の掃除や備品のチェックを怠らずに、教室を居心地の良いように整えてくれていた。
……ちゃんと見てんだぜ、みんなお前のこと」
「あたし、坂上くんに相談したら、悩み事が解決したんだよー。
言いにくいことをずばっと言ってくれるからありがたいって思ってたんだ、ありがとー!」
「オレだって助けられたんだぜ? 骨折して松葉杖生活だった時、お前だけがいつも気にしてくれてたじゃねえか。あれ、すっげえ嬉しかったんだ。
ったく、皆葉の葬式の時、ちゃんと来いよ! オレたちで慰めてやろうと思ったのによ!」
「坂上、お前は一人じゃねえぞ。俺たちは、お前が殺人鬼じゃねえって分かってる。お前みたいに優しい奴が、大量殺人なんてするもんか。事故に決まってる。能力者だからって負い目を感じることはないんだ、安心しな、俺らも能力者だ」
彼らが互いに見合わせ、頷いた。
「探してみれば、能力者なんてたくさんいる。お前だけが特別じゃねえんだぜ? だから不幸そうな顔すんな。苦しむな。つらいならよこせ、俺たちが分かち合ってやる」
たとえ不名誉なレッテルを貼られても、
大衆がそれを信じて悪意による眼差しを向けてきていても……、
人の本質を見てくれている人はちゃんといる。
自分で自分をどれだけ卑下しようとも、
自身で気付かない魅力を、見つけてくれている人が絶対にどこに存在している。
困っていたら、駆けつけてくれる。
そういう人間は、必ずいるものだ。
「……でも、俺に、いるとは思わなかったな……」
「今日、集まれなかった奴が多いだけで、本当はもっといるんだぞ?」
坂上臣は、自分の価値を分かっていなかった。
「俺も、捨てたもんじゃなかったんだな」
『当たり前だろ』
声が揃った。
『皆葉日和とつるんでたお前が、悪人なわけがないだろ』
…………、
皆葉日和を基準にしてるのか、と思ったが、嬉しくないわけではない。
「ま、それは冗談にしても、お前を見てれば当然、分かるっての。あとは後輩の雛緒ちゃんがお前のことを俺たちにたくさん聞いてきてな。加えて、聞いてもいないのにお前のことをべらべらと喋ってたんだよ。付き合いたての彼女みたいに浮かれてな。あんな可愛い子が自信を持って自慢してたんだ、気付いていなかった奴もお前に詳しいだろうぜ、きっと」
「あいつ、そんなことをしてたのか……」
しかし、高校生の時の話、のはずだが……。
雛緒と本格的に絡み出したのは大学に入学してからだ。
初対面よりも前に、雛緒は臣のことを知っていたということになる。
もっと早く声をかけてくれれば良かったのに……、
そう言いたいが、彼女はもういない。
彼女の真意は、もう聞けなかった。
「真意もなにも、分かりやすいアピールだろ」
彼が言う。
「お前をどこかで見かけて一目惚れして、でも話しかけられないから情報を漁ってチャンスを窺ってたってところだろ。ストーカーだとか言ってやるなよ、可愛いじゃねえか。
お前はクラス以外でも、こうして好かれる人間なんだよ」
自信を持て。
その言葉が、強く胸に突き刺さった。
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