第36話 向けた刃はひっくり返る

「う…………」


 僕は目を覚ました。

 額に強い痛みを感じて、手で押さえて眉をひそめる。


 ……僕の体は頑丈だ、

 しかし何度も言うように人よりも頑丈なだけだ。


 即死する衝撃を受けても、骨折程度で済むだけだ。


 金属バットで頭を殴られても、傷一つもつかない。

 普通の人ならたんこぶや血が出るかもしれないが、僕にはない。


 そういう頑丈さだ。


 ただ、脳しんとうまでは防げない。

 あくまでも外側の問題であって、中身……臓器に至っては普通と言える。


 そりゃ、多少の耐性はあるだろう(父さんの麻痺毒も、僕は一瞬だが吸ってしまったけど、指先の痺れに留まっている。今のところ、動きに支障はなかった)。


 もしも内側まで頑丈なら、父さんの毒を脅威に感じてなどいないのだから。


「…………これは」


 起き上がる際に手をついた地面に転がる銃弾を見つける。

 腹部や胸に鈍い痛みが残っているのを察するに、僕は撃たれたらしい。


 その渦中で、額に弾丸が直撃し、僕は意識を失った――のだろう。


「情けないな……!」


 抱きしめていたはずの糸上がいないことに、自分自身への激しい怒りを覚えた。



「起きたなら、追うぞ、辰馬」

「……誠也」


 追う? 

 ……先生を……いや、糸上統の話か?


「それもあるが、なによりも、あいつはお前が守りたい相手なんだろ?」

「……死んでないのか?」


 僕が意識を失っている間に、てっきり殺されたと思っていたが……。


「なんの気まぐれか、あいつは自分の娘を殺さなかった。

 手負いの娘を背負って逃亡したんだよ……。

 今、父さんが追いかけてる。だから俺たちもすぐに追うぞ」


 父さんの目の前で、彼女の命を奪うことに意味があると自身で語っていながら、


 先生は、なぜ復讐を果たさなかった……?


「もっと酷いことを考えているのかもしれねえよ。殺せばそこで終わりだ、だが、生きたままならいくらでも利用価値がある。

 ……俺と同じだ、糸上春眞を盾にしていれば、少なくともお前が、手を出せないのと同じようにな。どうせ人質としての役割だろうぜ」


「違うよ。そんな深読みは必要ない、ただ単純なことだったんだ」



 気まぐれじゃない。

 人の感情は錯綜していながらもシンプルな一言にいきつく。


 自分の娘を殺さなかったんじゃない。


 ……殺せなかったんだ。



(1)


 娘である春眞を抱きしめ、人通りの多い町通りを糸上統が走っていた。

 背後から追ってきている、坂上臣から逃げ切るために。



 数分前。

 坂上辰馬から娘を引き剥がし、銃口を彼女の側頭部に突きつけた。


 坂上臣は、それを目の当たりにしていた。


 彼にとって大切な人物を、目の前で奪う。

 十一年にも渡って計画していた復讐を、やっと果たせる――、

 しかし寸前になって、統は引き金の異常な硬さに気付いた。


 引けないのだ。

 指がまったく動かない。


 戸惑ったが、途中で気付いてしまう。

 硬いのは引き金ではなく、指の方だ。


 つまり、

 娘を殺せない、覚悟のなさが露呈してしまった。


『なにをしてる? 殺さないのか?』


 足下に転がっていた痺れたままのガスマスクの少女が、動くようになった口で聞く。


『やはり人の親だな。復讐のためでも、娘は殺せないか』

「うるさいぞ、黙れッ、この人形がァ!!」


 少女の顔面を踏みつける。


「おい、統っ!」


「近づくなよ、臣……! 

 少しでも間違えたら、引き金を引いてしまうぞ……」


 坂上臣も、人質を取られてしまうと動けなかった。


 抱き留める娘の腹部からは、銃弾による傷が開いて、血が滴り落ちており、


 統が手を下さずとも時間が彼女の命を奪うだろう。


 しかし、それでは意味がない。

 統が直接的に奪ったという構図が必要なのだ。


 すると、気を失っている彼女が咳をし、血が吐き出された。

 口元に付着したそれを統の指が拭った。


 その際にバランスを崩した彼女の体を支えるため、体勢を変えようと持ち方を変える。

 統が手の平を不意に見ると、彼女から抜けていた数十本の髪の毛があった。


 幸い、白くはない。

 彼女は元の髪の色のまま、ただ毛が抜けやすくなっているだけだ。


 しかし、坂上統に過去を思い出させるには充分だった。


「…………日、和……?」


 似ていた。

 親子なのだから当然だろうとも思うが、そうではなく。


 一度見ているから分かる。

 命が尽きる寸前の表情が、似ていたのだ。


「……に、しない、で」


 娘の口からこぼれた呟きは、いつの日から想い続けていた願いだろうか。


 瞳から流れた涙が、統の手に落ちる。


「一人にしないで……パパ……!」


 彼女の太もも、腕、首から頬にかけて見えてくるまだら模様は、恐らく傷口から感染したであろう毒を証明していた。


 坂上臣の制御も完全には機能しておらず、

 彼の太ももに空いた傷口から漏れ出た可能性が高い。


 糸上春眞に、時間はもう残されていなかった。


「……僕は、なんてことを」




 統を追う臣は、途中で二人を見失った。

 人混みに紛れてしまったわけではない。


 駅前なので人は確かに多いのだが、統の背をずっと見ていたのだ、見失うはずがなかった。


 走っていれば尚更分かるし、歩いて紛れようとしていれば視覚的に分かる。


 なのに。


「……どこへ…………」


 バスのロータリーがある駅前の広場で、目標を見失い、立ち尽くす。

 周囲を見回すと――、

 自分に周囲の視線が集まっていることに気付いた。


「……なんだ、なぜ俺を見ている……?」


 駅前のビルにある街頭モニターには、政府からの臨時ニュースが流れていた。


 それは、ネットを開けばトップニュースとして扱われている。


 出遅れた辰馬と誠也も、追うよりも早く目標の居場所が特定できた。



「……父さんが、ばれた」

「あ? なんだよ、問題発生か?」


 誠也は独自のコミュニティに連絡を取っているのか、見ているページが違う。


 トップニュースを、偶然ネットを開いた辰馬のスマホが表示していた。


「報道制限が切れたんだ。

 先生が指示したのかもしれないな……、父さんはいま駅前にいる。

 十一年前に大量殺人を犯した能力者が、顔を変えてそこにいるという、

 政府の捨て身の報道がされてるんだ!!」


 政府によって監禁されている、とこれまで報道されていた。

 国民の安全性は保証されているという証明である。


 わざわざ代理を立ててまで、坂上臣が監禁されている映像を出していたのだ。

 だが、彼が外にいるということは政府は脱獄を許したことになる。

 信頼を落とす結果をわざわざ伝えてまで、糸上統は逃げ切ろうとしているのか……。


「おいおい、これはパニックになるぞ……、それに、あいつの身も危ねえ……」


 交渉を経て政府と付き合っている臣だが、

 国民を前にして彼と手を組んでいたと政府がばらすわけにもいかない。


 表向き、多少手荒でも、力でねじ伏せて捕縛するだろう。


「そもそもお前が裏切ったことで、父さんまでもが共犯にされかねないけどな」

「……マジで?」


「ま、俺も共犯なんだ、責めやしねえよ」


 十一年前の事件を繰り返さないためにも、臣は抵抗をしないだろう。

 春眞を取り戻すためとは言え、一般人までは巻き込めない。


 能力を多少制御できるようになったとは言っても、間違った時のリスクを考えたらそう頻繁には使えないし、繊細な作業も難しい。


 彼は動けないと見るべきだ。


「……僕たちで捕まえる」

「ああ、そのつもりで動いてる。にしても皮肉なもんだよな、先生が組織のトップなら、先生が考えたメニューで俺たちを鍛え上げていたわけだろ?」


「毎日のあの訓練を?」

「含めて、だ。お前の頑丈な体も、俺の頭脳も。あの人が作ったもんだ」


 統は己を守ってくれる守護獣と考えていたのかもしれないが、

 その獣は今、彼の手元にはいないし、首輪も破壊されている……。


 敵対という形で向かい合い――、


 当然、二人の牙は彼を貫くためにある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る