第35話 最低最悪なシナリオ通り

(坂上辰馬)


「臣、君は自覚していながら、なにも言わなかったよね?」

「…………」


「僕が姿を眩ましたからか? 探そうともしなかっただろう。恐らくだけど、君が気付いた時には既に拘束されていたとみるべきだ。不自由でありながらも、ある程度の願いなら叶えられる環境に身を置いていたにもかかわらず、僕に一言もなかったのは、なぜだ?」


 先生は僕や誠也には目も向けず、父さんだけを見る。


 銃口を、向けていた。


「大量殺人を犯し、殺人鬼として、能力者として拘束された。

 ……意図的でないのは、調べもつく。鳴門雛緒がストーカーに襲われていたために、助けようとしたら能力が意図せず発動してしまったと……。

 だから政府も能力者を保護観察するという建前で、君には人殺しの罪状を言い渡さなかった。無罪とは言わないが、殺人とまでは言わない。あれは単なる事故。君が常に政府から監視されているのが、罰と言えばそうだろう」


「統、お前は……、政府の人間なのか?」


 違う、先生は、育児院の院長先生――のはずだ。


「政府じゃない、そっちじゃあないよ、臣」


 話を戻そう、と先生が懐から手帳を取り出した。

 それは、血痕の染みがある、日記帳だった。


「日和のだよ」


 ぱらぱらとめくり、ページを進ませる。


「君は、日和と会っていたみたいだね。

 日和が亡くなる一年前に、ばったりと」


 父さんが認めた。


「ああ。……だが、隠していたわけではないぞ。

 俺からお前に報告するのもおかしいだろ。

 日和がお前に話しているものだと思っていた」


「いいよ、それは別に。気になったのは、それから度々親交があったのに、どうして葬式にこなかったのかだよ。彼女――雛緒は来ていたのに」


「生活圏内が近かっただけだ、約束して会っていたわけじゃない。

 葬式は……悪かった、足が重かっただけだ。けど、墓参りには、ちゃんといったぞ」


 父さんたちは知り合いだったらしい。

 会話を聞いていると、友達だったようだ。


 誠也だったら知っていたのかもしれないが……いや、誠也も知らないか。

 僕に隠しておく内容でもない。

 誰かによって、伏せられていたと考えるべきだろう。


 政府でなければ、組織から……?


「統」


「これが聞きたかったことだ。少し待ってくれ。……日和が一番最初に吐血した時、僕はこれが彼女を死に至らしめた病気の始まりだと思っている。

 日和も当時は気付かなかったみたいだから、連続したページに記載していた。

 因果関係なんてないかもしれない、でもさ、臣。

 僕は、こうとしか考えられないんだよ」


「…………俺も、そうなんじゃないかって、思っていた」


「君が能力者だと発覚した時に、すぐに思い出した。

 日記帳も見るまでもなく。

 なぜなら毒殺された大量の死者は、まるで日和を思い出すかのようにそっくりだったからだ」


 吐血し、髪を真っ白に染め上げ、急激に痩せていく。

 周囲に撒き散らした強い毒は、一瞬にして被害者をその状態にさせた。

 それは、映像や資料で確認している。


 糸上の母親も、確かに同じ症状だと先生から語られていた。


「日記帳でページが連続していれば、それはほぼ、連日と見ていいだろう」


 日付が書かれていたりいなかったりと大雑把な部分も見られるが、二日おき、三日おきに書かれた日付を数えていけば、書かれていない日付も分かる。


 日和と呼ばれた女性の性格から、一日書くのをサボってしまったら、その日のページを空白にして次のページから書き始める、とする性格には見えない。

 しかし、毎日欠かさず書いているなら、連続するページの間に、挟まっている空白の日付もないはずだ。


 だから、連日の話で間違いはない。


「臣、君と出会った次の日に、日和は吐血している。……そして、衰弱して死に至った」


 先生の言いたいことが分かってきた……。


 父さんが能力者だと発覚したのは大量殺人事件であるが、能力自体を使わずとも所有していたのは、いつだったか――それは本人でさえも分からないだろう。


 父さんの能力自体が、いつどういうタイミングで発動するのかも分からない。

 糸上のようにハサミで切る、というトリガーもないのだ。

 ただ普通に話しているだけで、その言葉と共に、呼吸のように毒が漏れている可能性もある。


 弱い毒が。


 数日では死に至らしめられないほどの微力な毒が漏れていたら。


 積極的に人付き合いをしないタイプの父さんと、会話をしていたなら――。


 確実にその時、父さんの毒が、彼女を蝕み始めたと言える。


「わざとじゃない、それは分かるよ、臣。けど君は自分の能力が気付かぬ内に他者を殺してしまっていると理解した。雛緒を助けるために犯人だけを狙ったつもりが、周辺一帯を毒で染めてしまった……これは自由の利かない能力だ、と。

 なら、聡明な君なら、思い至ったはずだ。

 過去にこの毒のせいで、殺してしまったかもしれない誰かを、思い浮かべたはずだ。

 発覚したのがその時であって、発現したのがその時とは限らないだろう?」


「……分かっていたさ。俺の毒が、日和を殺したのだと」


「だったら……どうして僕になにも言わなかった、一言もなかったッ! 

 その一言があれば、僕は――――復讐しようとは思わなかった……とは、言えないな」


 銃声が響き、父さんの太ももに風穴が空く。


「ぐっ……!」


 慌てて傷口を塞ぐ。

 父さんも意識して毒を制御できているが、傷口から漏れてしまう毒は別だ。


 ガスタンクに溜まっているガスの出し入れを、コックを捻って調節できても、タンクに穴が空いて漏れたガスに関してはどうしようもない。


 父さんが自身の手で塞がなければ、周辺一帯が毒で染まる。


「復讐、か……だから俺を殺すってのか……統」

「いいや、僕が狙ったのは、雛緒だよ」


 急に、先生のメガネの奥の瞳が、見えなくなった。


 どうして……っ、

 父さんを恨むのは分かる。

 だが、母さんは関係ないはずだ。


「復讐なんだ、僕と同じ苦しみを味わってほしい。気持ちを共有したかった。僕はこんなに苦しんだんだぞと、言いたかった……だから、臣にとって大切な人を奪うことにした」


「おかしな話だ。今でこそ、雛緒は俺の中で大切な相手だったが、当時、俺はあいつのことをなんとも思っていなかった。まさかとは思うが、十一年前のあの事件以来、雛緒が母親役をやることまで仕組んだとでも言うのか?」


「積極的に言い寄られて、しかもストーカー被害で困っている彼女を助けてまで、なんとも思っていなかった、と言われても嘘にしか思えないけど……臣の推測は正解だよ。

 雛緒が臣にとって大切な相手になるように、僕が仕向けたと言える」


 実際は、ただ偶然が重なった結果であり、終着点だけを決めて、中間は臨機応変に策を差し替えていたと先生が語る。


「臣が監禁されている二年の間に、僕は色々と準備させてもらった」


 僕と誠也が引き取られる前。

 その間に、先生は育児院を買い取り、政府と関わりを持ち――、


「君になにが欲しいかと訊ねれば、家族が欲しいと答えるはずだと思った」


 心中を暴かれたことに驚いていた父さんだが、先生は当たり前だろと言わんばかりだ。


「友達なら、それくらい分かるよ」


 父さんの身の上話は僕たちも知らない。

 ただ、人並みに幸せな家庭で育ったとは言いにくい。


 家族を欲した部分や、一般的な家族の生活に固執するその方向性から、まともな家庭でなかったからこそ、憧れがあるのが見えていた。


「そして――


「作った……?」


 思わず、声が出た。


 先生が、創設者……?



「先生が、組織の……!? 最高責任者なのか!?」



 嘘みたいな話だが、納得はできてしまう。

 育児院の先生であり、組織を管理する責任者なら、この二つの橋渡しは簡単だ。

 トップが同一人物なのだから仲介は必要ない。


 あとは政府に話さえ通してしまえば、父さんの身柄も確認できる。


 育児院から選ばれた僕たちが父さんの家族として過ごせば、

 組織と関わりを持つ僕たちから父さんの動向も逐一把握できる……。


 先生は、そうまでして、父さんに復讐をしたかったのか……?


 僕は、抱きしめる糸上を見下ろす。


「……大切な娘を、蔑ろにしてまで、父さんを苦しめたかったのかよッ!」


「そうだよ、辰馬。子供には分からないよ、僕にとって日和がどれだけ大切な人だったのか……それが突然、奪われたんだ。親友だと思っていた相手からね。

 事故なら、僕も、少しくらいは躊躇った。無理をしなければいけない場面で、諦めていたかもしれない。政府と交渉をするなんて、昔の僕からは考えられない行動だ。でもそれができたのは、憎しみが強かったからなんだ。

 ……臣が、ごめんと一言、謝ってくれたら、それで良かった。でも、なかったんだよ……しかも自覚していながら隠し通そうとした、知らない振りをした――だから! ……許せなかった。

 そんなやつだけど、同じ苦しみを味わえばきっと、臣は僕に謝ってくれるだろうと、小さいけど、期待したんだ!!」


 なのに! 


 と先生が声を荒げた。


「君は幸せそうだ。二人の子供に囲まれて、信頼されて――、大切な人を奪われたって言うのに、君は僕の気持ちなど分からなかったようだね……っ!」


「勝手なことを……! 俺がなにも感じていない、無感情だとでも言うのか!?」

「そう見えるんだよ、臣」


 先生が銃口を誠也に向け、迷った素振りを見せて、僕に向けた。


「臣の大切な人を奪う……一人じゃ足らなかったみたいだ。しかし、君たちと正面から戦って勝てるとは思えないし、組織において重要な素材だ。あまり潰したくはない。

 だから――仕方ない。これは、仕方のないことなんだよ」


 先生が、自分を納得させるように、仕方ないを連呼する。

 銃口が僕の目線から下がり、糸上に向いた。


「少なくともこれはただの保険だった。春眞の生活を上岡に扮する臣に任せたのは、雛緒が君にとって大切な人にならなかった場合の代替案でしかなかった。

 春眞は素直だっただろう? 見た目も日和に似て可愛いし、愛情を充分に受けていないから、人から与えられる好意の特別さに飢えていた。ちょっと優しくしたら子供のように懐いてくるあの子を、愛おしく感じなかったとは言わせないよ」


「お前……っ、じゃあ、家に長く帰らなかったのは……っ!」


「愛情を教えてしまったら、君と関係を繋げられない」


 父さんと親密にさせるために。

 我が子を父さんに依存させ、同時に父さんからも、糸上を失いたくない大切な人にするために――糸上が得られたはずの人並みの幸せを、放棄した。


 復讐のためにか?

 そんなくだらないことのために。


 ――お前の、自分勝手な行動に……ッ。



「なんで糸上が、振り回されなくちゃならないッッ!!」



「それはね、辰馬」


 先生の指が引き金にかかった。


「春眞の父親が、僕だからだよ」


 連続する銃声が鳴り響いた。

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