第31話 地獄の底で
誠也の足下にハサミが落とされ、刃が地面に突き刺さる。
斜めに立ったハサミの真上で、誠也が足を振り上げた。
「?」
「これを壊せば、そいつはもう能力を使えないぜ?」
誠也の言葉に糸上を見る。
……糸上は、否定をしなかった。
「いいよ、もう……能力ばっかりに、頼ってもいられないから」
「そうかよ」
振り下ろされた誠也の本気に、糸上が息を飲んだ。
後悔を押し殺すように目を背ける。
……あのハサミじゃないと、能力を使えない……?
なら。
見過ごす理由はないな。
ハサミが踏み壊される寸前で、間に足を挟むことに成功した。
ガッッ!!
と僕の足の甲と、誠也の足の裏が衝突する。
ハサミの持ち手の寸前のところで、
ギリギリ……ッ、と力が拮抗していた。
綱引きの中心線は、揺れていながらも明確に、どちらへも動いていない。
これは加減によって生まれた拮抗だ。
僕がちょいと力を入れたら、誠也の力なんて簡単にひっくり返せる。
停滞を壊すように、誠也の呼吸の隙を狙って、足を振り上げる。
足裏を持ち上げられ、上体を逸らした誠也が綺麗な後転をして僕との距離を離した。
破損箇所のないハサミを地面から引き抜き、糸上に返す。
「やっぱ、勝てねえよな……」
誠也が小さく呟いた。
「お前は、あの苦痛を耐え抜いて、その体を手に入れたんだもんな……」
僕と誠也が受けていた訓練のことだ。
「別に、欲しかったわけじゃない」
「分かってる、俺たちは巻き込まれたんだ……あいつに、選ばれたせいでな」
もしも。
父さんが僕たちを家族にしようと選ばなければ、普通に過ごせていたはずだ。
今もまだ、育児院にいたかもしれないけど、それはそれで一つの家族の形と言える。
まったく別の里親が見つかり、引き取られていたかもしれない。
そういう未来だって確かにあったはずなのだ……。
別の形の幸せもあった――、
だからって今が不幸せだと言うつもりはない。
こっちだからこそ、出会えた人がいたのだから、後悔する道程ではなかった。
誠也とも、育児院の中で顔見知りではあったが、
あれからこうも近い存在になるとは思っていなかった。
同い年だけど、タイプが違う。
訓練を受ける前から、僕はおとなしくて、誠也はアグレッシブだった。
僕は感情を隠すことが多くて、誠也は荒れることが多かった。
正反対だった、と言っていいだろう。
それは今も変わらない。
組織に矯正されても、僕たちの本質までは変えられなかった。
「なあ、誠也」
育児院を除けば、僕と誠也は、最も長く、古い付き合いだ。
たとえ敵対しても、おいそれと切り捨てられる相手なんかじゃない。
「無駄だ、俺に媚びても、見逃してやらねえよ」
「一緒に逃げようぜ」
失笑されてもおかしくなかった、
ふざけんなと怒られても、罵られても……。
そう予測はできていた。
だが、誠也は舌打ちと共に目を伏せた。
想像もしなかった反応だった。
「くればいいじゃん」
僕の背後から顔を出して糸上が誘った。
「なに意地張ってんの?」
「黙れ……ッ! なにも、知らねえくせに……ッ」
誠也に睨まれて、糸上が再び僕の背後に隠れた。
場をかき回して自分の身はさっさと引っ込める……、
厄介な場になることが多いが、
今に限れば、誠也が見せる数少ない本音を垣間見せてくれた。
誠也の言い方は、まるで、一緒にいきたいけどいけない理由があるみたいだった。
組織になにか握られてる?
生殺与奪という点は、僕も同じく握られているけど……。
思えば後先考えず糸上のために反発してしまったが、
これからどうしようか、考えてもいなかった。
逃亡劇は避けたいところだから、組織自体を潰すのが濃厚か。
もし、誠也がなにか握られているなら、
どうせ壊滅させるのだ、なにを握られていようとも、
向こうの手がなくなれば握ってもいられないだろう。
だから、組織が、裏切った誠也に手を下すこともなくなる。
……しかし、誠也は僕の手を掴まなかった。
勝算が一つもないことを見抜かれたか。
「……俺はお前みたいな、強い精神力を持ってないんだよ……俺は、逃げた腰抜けだ」
だから未だにここにいる――、誠也はそう自虐した。
「自分が可愛くて、お前を裏切ったんだぜ? なのに、お前はそんなことなんて忘れてやがる。
お前との強さの差に、大きな隔たりを感じてんだ――そして、尊敬していた」
尊敬?
……僕の方が、誠也のことを尊敬してる。
「その時から俺は、お前を補佐するために動くと決めたんだ」
仕事の下準備、現場でのフォロー、汚れ役を買って出ていたらしい。
思い返せば、僕は直の戦闘以外で、苦労した覚えがなかった。
全て、誠也が代わりに引き受けてくれていたからだ。
「…………なんでだ」
「言ったろ、お前を裏切った負い目だ」
「裏切られた覚えなんてないぞ」
「今のお前はもう気にしてないかもしれねえよ。
でも、あの時のお前は、俺が逃げたことを知ったら、非難の目を見せたはずだ――」
『もういやだ……訓練なんて、苦しいことばかりだ……!』
『せいや……一緒にがんばろう。もう少し耐えれば、きっと終わるよ』
その時の僕の慰めは嘘になった。
今になっても訓練は続いてる。
当時とほとんど変わらないメニューで、僕の体を苦しめていた。
本当に苦しかったのだ。
慣れてしまうと毎日こなすウォーミングアップ程度に感じてしまうが、
でも当時、僕らはまだ六歳……七歳頃だ。
習い事とはレベルが違う。
幼い頃から格闘技を習っているようなものとは言え、基本的に安全性は保証されていない。
死と隣り合わせで、逃げようとすればさらに深い苦しみが与えられる。
つまり、拷問だった。
逃げたいけど、逃げたことで受ける苦しみに比べたら今の方がマシだ……、
そう思って僕は続けていた。
別に、精神が強いわけじゃない。
逃げられないから逃げなかっただけだ。
そもそもあんな苦しみを受ける必要なんてないのに、
さらに酷い仕打ちが待っていると分かったら、まだマシな方で受け入れてしまう。
……今でこそ、よくよく考えてみれば、逃げるという選択肢があった(どうせすぐに捕縛されるけど)。
だが僕たちには生活があり、組織に全て任せていたため、逃げ出せなかったのだ。
僕は強くない。
弱いからこそ受け入れるしかなかった。
……なのに、誠也は結果的に、苦痛からは逃げられている。
拷問に等しい訓練が、免除されているのだ。
訓練よりも酷い過激な苦しみを耐え抜いた……?
いや、誠也の性格ならまだマシな方を選ぶはずだ。
結局、嫌気が差して訓練に戻ってきたはずだ。
罰さえも受けなくていいように、取り計らった……?
誠也の話術なら可能だろう。
もしかしたら、逃げたいがゆえに磨かれた技術なのかもしれない。
だとしたら一体、なにを代償にした?
…………まさか。
「誠也、お前は――」
「俺は、俺を売ったんだ。だからお前とはいけねえよ。
組織は裏切れねえ。
もう苦痛には耐えられないんだよ。
そういう体になっちまってる。どうしようもなく、な」
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