第28話 鏡映し

 ――銃声が響いた。


 ぼとり、と撃ち抜かれた鳩が落ちてくる。

 羽を散らして、体の形を崩しながら。


 死体を見下ろせば、体の中心部分に綺麗な風穴が空いていた。


「自覚したかよ、お前はこっち側だって」


 誠也が鳩の死体を鷲掴み、隅にある草むらへ投げ飛ばした。


「俺たちは破壊できても、救うことはできねえよ」

「…………」


「良かったな、撃てて。もしも拳銃を捨てて、それでもあいつを救うだなんて戯言を吐きやがったら、待機させてた千人のガスマスク隊がお前を始末してたんだからな」


 監視しているなら、視界に現さないはずの千人のガスマスクの少女――、


 彼女たちが、銃声に呼び寄せられるように、公園に集まってきた。


 人払いは既に完了しているのだろう。

 公園からはみ出し、周辺の歩道さえ埋めるほどの数、

 その二倍の眼球が、僕を一斉に見つめていた。


 すると、一人のガスマスクが近づいてきて、僕に端末を渡してきた。

 耳に当てると、無機質な機械音声が聞こえてくる。


「はい」

『辰馬、用件は分かっているね?』


「……はい」


『任されたからには、最後までやりなさい。お前の勝手で、結末を変えてはダメだよ。関わっているのは君だけじゃないんだ。もしも、君が人間らしく振る舞いたいなら、まずは依頼主の気持ちを考えてみたらいい。殺してほしい人間を、救われたら、どう思う? 

 君が依頼主の立場なら、どう思う? ……そういう話だよ』


「……もう一度、教えてください。僕は、組織にとって――なんですか?」


 しつこく言われてきたあの言葉を、再認識すれば、僕は全てを吹っ切れる。


『君はただの道具だ。道具が、人の気持ちを持ってはいけないよ』


「……、――はい」


 端末をガスマスクの少女に返してから、


「誠也の作戦を聞きたい。どうやってあいつを始末するんだ?」

「はっ、やっといつものお前らしくなったじゃねえか」


 そう言って、誠也が笑った。


「今の俺は、糸上春眞の能力に対抗する能力を扱える。あいつの脅威はなんだと思う? 切り取れることか? 貼り付けることか? もちろん二つともそうだが、俺は別だと思ってんだ」


「……切り取ったものの状態を、くっついていた時と同じように維持できる……?」


「そうだ。全身がバラバラにされても生きていられるのは、たとえ分断されていようとも血管は繋がっている。だから心臓も動いてんだ。

 理屈は分からねえぜ。たとえそれを別のものに貼り付けようとも、状態は維持されてんだ。

 切り取るよりも、貼り付けるよりも、その保持が最も重要だと思ったんだ」


 だから、というわけではないらしいが、

 事実、誠也が宿した能力は、その保持を無効化する能力だった。


「切り取ったものを、破壊させることができる」


 それは、爆破という現象で結果を引き寄せられる。


「糸上春眞が坂上臣から毒を切り取った段階で、俺がその毒を爆破させる。

 すると、どうだ? 爆破は二人を巻き込む。

 坂上臣、そして糸上春眞――両名を殺害できるんだぜ」


 最高の結果だろ? と。

 ――これが誠也の思惑だった。


「糸上を殺す必要は?」


「仕方ねえんだよ。切り取った直後じゃねえと爆破しても避けられる可能性がある。直後だからな、当然、糸上春眞も近くにいるから必然的に巻き添えになっちまう。

 だが、犠牲者の一人や二人は、今更の話じゃねえか。

 いいか? これは糸上春眞が重要なんだ、あの女はあいつの信頼を得てる少ない人物だ。あの女だからこそ近づける、毒を切り取れる、そして俺が爆破できる――、

 必要なピースなんだ。

 分かるだろ、辰馬。

 あの女は選ばれたんだよ……そういう運命の元に生まれたとしか思えない境遇じゃねえか」


 言われてみれば、

 糸上が持つ要素の一つでも欠けていたら、今の状況は生まれていないはずだ。

 まるで、あいつを殺すためだけに武器を持って生まれてきたような……。


「性能の良い道具は、使ってこそ輝くもんだ」


 使わなければ、輝かないただのガラクタだ、と。


 その言葉は、向けている人物こそ違うものの、僕自身の存在価値を言われたみたいだ。



 今、家には父さんと糸上がいる。

 周囲を取り囲むガスマスク隊の中に、誠也が紛れ込むのに倣って、僕も位置につく。

 人払い済みなので、堂々と屋根の上だ。


 両隣にはガスマスクの少女がぴったりとくっついている。


「中はどんな感じ?」

『糸上春眞が能力者だと明かしたところだ』


 盗聴器から聞こえてくる会話を聞くため、差し出されたイヤホンを耳にはめる。


『……私を助けられる、ですか』

『うん! だから上岡、ちょっと怖いかもしれないけど、がまんしてあたしに切られてよ』


 糸上がハサミを持ちながら言っているのが容易に想像がつく。

 知っていればなんとも思わないが、知らなければ恐ろしいだろう。

 少女が抜き身のハサミを持っているのだから。


 だが、父さんは至って冷静だ。

 いつもの調子で、糸上が伸ばした手を、しかし、取らなかった。


『私を助けてどうしますか。……何百人と殺してきました、この能力で。雛緒も、皆葉も……もしかしたら統だってどこかで死んでいるかもしれない……――俺のせいでッ!』


 がたんっ! と乱暴な音が聞こえてくる。

 父さんが、力任せにテーブルでも殴ったのかもしれない。


 ……父さんがここまで感情的になるなんて、見たことがなかった。


『だからっ、上岡の能力をあたしが切り取っちゃえば、

 上岡はもう、間違って誰かを殺しちゃうこともないんだよ!!』


『能力を切り取れるのなら、それはまあいいでしょう。

 切り取った能力はそのまま消滅しますか? 

 誰かに押しつけるのであれば、なにも変わらない。

 俺が、別の誰かを不幸にしている。それが春眞様、あなただったら、俺は助けられたくない』


 ろくに説明も受けないまま、父さんは糸上の能力を把握し、その穴を指摘した。

 後処理に困る、というのは僕たちと同じく思い至ったようだ。


『それに、この能力があるから、人を不幸にしているとは限らない……、

 俺自身が、俺が関わったから……あいつらは不幸になったのかもしれないだろう……』


 たとえ能力がなくとも、生きているだけで関わった人たちを不幸にさせていく。

 父さんの過去を僕は知らない。

 だが、そう思ったこれまでの積み重ねがあるのだろう。


 なにもなければ、そんな発想にはならないのだから。


『このままでいい……、政府に管理されることで周りが安全なら、俺は現状維持を望む。雛緒のような犠牲が出ないためにも、俺は――。

 ……まったく、小さな幸せなんか、望まなければ良かったな……。

 家族なんて、欲しいと言わなければ良かった――』


 瞬間、だった。

 父さんの緊張の糸が切れた。


 警戒心さえも捨てて、彼は降伏を宣言したように、無防備の身を晒け出した。


 糸上を利用した巻き添えによる殺害を実行しなくとも、

 今のあいつなら、普通に襲いかかって殺せるような隙があった。


 ガスマスクたちも気付いたみたいだが、戸惑いが広がっていく。

 見え見えの罠かもしれない可能性も、確かに捨て切れない。


 だけど僕と誠也なら分かる。

 罠なんかない、餌を垂らしているわけじゃない。

 本当に、父さんは……、諦めたのだ。


「誠也から連絡は!?」

『いや、なにもないが……』


「……? あいつ、なに作戦にこだわってんだ……っ!?」


 今すぐに殴りかかってしまえばそれで解決するこのチャンスを、棒に振ってまで。


 どうして爆破による殺害にこだわってる……!


 すると、イヤホンから流れてくる会話に意識が引き寄せられた。


『家族なんて、作らなければ良かったって……それ、坂上くんの前で言えるの……?』


『…………』


『言うだけならいいよ、上岡が親として失格だってだけだし、坂上くんも、こんな父親だったらいらないって言うかもしれない……。でも――』


 糸上はなぜか、声を震わせていた。


『坂上くんはあたしを助けてくれた! 

 何度も記憶を切り取られても、あたしを見つけてくれた! 

 喋ってみて分かったんだ、坂上くんは、とっても優しい人なんだって!!』


 ……違うよ、糸上。


 僕は……、そんなの、僕がそう演じていただけに過ぎない。


 お前は、騙されてるんだ。


『坂上くんを育ててくれたのは、上岡でしょ!? 

 雛緒ちゃんだって! ……自分だけならいいよ。

 でも、坂上くんの幸せまで否定しないでよっっ!!』



『家族を作って、途中で飽きたから捨てるなんて――上岡は最低だよっっ!!』



 ……どうして、糸上は。

 こんなにも、僕のことで。

 思い切り吠えて、感情的になれるのだろうか。



 ……こんな時に思い出すのは、組織から言われたあの言葉だった。


『君は道具だ。人の心を持ってはいけないよ――』


 なのに、糸上はこう言った。


『坂上くんの気持ちも考えなさいよ、こんのバ上岡――――ッッ!!』



 迷う必要なんてなかった。

 僕が欲しているのは、どうしようもなく、


 組織という集団の中で必要とされている僕という道具よりも、

 糸上春眞というたった一人の女の子に必要とされている僕という人間――。


 もう家族を失いたくない。

 友達を、手放してたまるものか。


 糸上を、大人の都合で殺させるものか……っっ!

 


 彼女の叫びに、僕も腹をくくった。

 イヤホンを片手で乱暴に引き抜き、両隣にいるガスマスクに一言、告げる。


「ごめん」


 ドッ、ゴォ!! 

 という鈍い音を背後で聞きながら、屋根から飛び降りる。


 玄関の前。

 ……進路を塞いだのは、当然のように僕の思考を読んでいた、誠也だった。


「昔のお前は、こんなんじゃなかったのにな……。

 憧れてたんだぜ? エージェントとして、最高峰だってな。

 そんなお前を変えたのは、糸上春眞だ。

 

 現時点で言えば、俺の最優先は坂上臣じゃなく、糸上春眞だった」


「そう、か……だから臨機応変に作戦を変えなかったのか。

 父さんがいくら隙を見せようが、ターゲットは糸上なんだから」


 ガチャリ、と弾丸が装填され、銃口が僕を狙う。


「止まってはくれねえよな。今ならまだ、引き返せるぜ? 

 ……突発的に動いたみたいだが、ちゃんと考えたのかよ。

 組織から逃げ切れると思ってんのか? 俺から、ガスマスク隊から。組織には俺たち以外にもエージェントがいる。言っただろ、能力者がうじゃうじゃいるってよお。

 エージェントなら尚更、強者揃いだ。そいつらからお前は、自分自身以外に、糸上春眞をも守り切れる自信が、あるって言うのかよ――辰馬ァッッ!!」



「あるよ」



 端的に。

 即答できる。


 まあ、僕だけだったら難しかったかもしれない……だけど。

 守りたい糸上が僕の後ろにいてくれるなら。


 きっと僕は、なんでもできる――そんな気がした。

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