第25話 卒業式の約束

 三年に上がる直前の春休みに、皆葉に夜の公園へ呼び出されたから何事かと思えば。


「あたしと統、付き合うことになったから……」

「ああ」


 ベンチに並んで座り、次の言葉を待っていても会話が一向に進まない。

 買った缶コーヒーを手元で転がしていると、隣の皆葉が視界に入った。


「なんだよ、それだけか?」


 そんなことのために俺を呼び出したのか?


「そんなことって……、あんたからしたら、そんなことなわけか」


「あいつを……統を見てれば大体想像がつく。あいつはお前に好意を見せていた。

 不釣り合いだから隠してたみたいだが……お前だって気付いていただろ」


 俺が気付けたくらいだ、当の皆葉が気付いていないはずがない。


「しかし受け入れるとは意外だったな。お前は散々強い男が好みだと言ってからな、統は対象外だと思っていた。あいつもあいつでお前の理想に近づくために努力はしていたみたいだが、正直、まだ時間はかかると思っていた」


「確かに、付き合うならあんたの方が好みだった」


 統が聞いたらその場で卒倒しそうだ。


「だけど、あたしは統を選んだ。だって、あんたは一人でも生きていけるけど、統は違うんだ……あたしがいなかったら、とても一人で生きていけるとは思えない」


「それは低く見過ぎだ。あいつだって男だぞ、一人で生きていけるだろう……多分な」


 ここで断言できないのが、あいつへ抱く印象だろう。


「……まあ、そうか。おめでとう、なのか?」

「祝福してくれるならその言葉はありがたくもらっておこうか?」


 くすくすと笑われ、居心地の悪さにベンチから立ち上がりたくなる。


「今日はその報告と、今後は二人きりにしてほしいというお願いか? 俺は構わない。元より望んでつるんでいたわけじゃないだろ。お前らが誘ってくれたから受け入れていただけだ。

 誘ってこなければ、俺は近づかない」


 言うと、ぽかんと口を開けて間抜け面を晒す皆葉が目に入った。


「……やっぱ変わってないな、あんた。ちょっとは丸くなったと思ったのに……」


「お前が言うか。最初の頃のトゲトゲしさがなくなってるぞ。

 相変わらず俺への当たりは強いが、統に対しては過保護が母親くらいある」


「そんなこと……っ!」


 皆葉は自覚がないのか、そう否定する。


 だが、クラス全員に聞けば同じ感想を抱くだろう。


 彼女の面倒見が良い性格が、統に上手くはまったと言える。


 付き合ったのなら忠告する必要もないが、

 統に手をかけ過ぎていると本当にあいつは自分一人でなにもできなくなるだろう。


 皆葉に依存することになる。


 が、統の性格的に、現状に甘え続ける危機感に駆られて、抜け出そうとするかもしれないが。


 あいつもあいつで、見た目や性格とは裏腹に、

 男として単純に、好きな子に格好良いところを見せたい欲求がある。


 人一倍強いと言ってもいいだろう。

 少なくとも、俺以上は絶対にある。


「過保護が悪いとは言ってない。……逆に、統には良い薬になるかもな。毒か? ただの水ってことはないだろ。とにかく、俺のことは気にせず二人で楽しくやればいい」


 一人の頃に戻るだけだ。

 これでも俺にも知り合いがいる。


 統と皆葉に出会っていなければ、人間関係など積極的に作ろうとはしなかっただろう。

 こいつらからもらった勇気の影響は、少なからず俺を助けてくれている。


「一人にしないわよ。なによ今更、よそよそしくしやがってさ……二人きりになりたかったらこういう時間を作ってカップルらしく振る舞うっつの。学校では三人よ、遊びにいくのも三人。

 あんたを除け者にするわけないだろうが」


 口調では分かりにくいが、皆葉は、本気で怒ってる。


「勝手にこの輪を抜けるなんて言うな……!」

「…………分かったよ、悪かった」


 殴りかかってきそうな剣幕にたじろいでいると、俺の一言に皆葉が笑った。


「安心しなよ、あんただってモテるって」

「別に、モテたいとは思っていないんだがな……」


 皆葉が立ち上がり、そろそろ帰ろうか、と解散を提案する。


 別れ際に、皆葉は意味深な言葉を残していった。


「あんたも、罪な男だよな」



 卒業式の日、皆葉の周りには大勢の生徒が集まっていた。

 男女問わず、しかも教師までいる。


 はっきりした性格で面倒見が良く、後輩に好かれ、体育祭や学園祭では全校生徒を引っ張り、入学時から服装や態度で教師に手を焼かせたあいつの卒業は、惜しまれながらも誰よりも祝福されていた。


 同じ卒業生も、あいつだけが特別扱いされていることに文句を言う者はいない。

 皆葉かいば日和ひよりとは、この学校で残したものが違い過ぎるのだ。


 卒業生は制服のボタンを欲しがられるとよく言われるが、あいつは朝の時点で多くのアプローチがあり、少ないボタンは予約され、既に完売している。


 あとは、リボンや指ぬきグローブ、イヤリング、ネックレスなど、

 皆葉が身につけていたものが後輩へ渡されていく。


 この調子で渡していったら、身ぐるみを剥がされるのではないだろうか。


 そして、統も例外ではない。


 一年時こそ俺と同じで目立たない存在だったが、皆葉に引っ張られることで統自身の優しさが周りに伝わった。

 同級生にこそ伝わるのが遅かったが、先輩後輩には気に入られるのが早く、年上と年下から可愛がられていた。


 それがあいつの自信に繋がったのだろう。

 自分から声をかけるのは苦手だが、向こうから伸ばしてくれた手を、あいつは決してはたいたりしない。


 両手で握り締めて、名も知らない他人でも誰よりも寄り添う。

 なるべくしてなった人気者だ。


 だから統の周りに人が集まるのも不思議ではない。


「……一旦、帰るか……」


 皆葉のことだ、卒業を祝う会を開くはずだ。

 俺にも声がかかるだろう。

 ないならないでいいが、あると仮定しておく。


 あの二人はまず、クラスメイトから呼び出されるはずだ。

 俺が参加するのは、その次……あたりだろう。

 今日でなくとも、明日、明後日……春休みがある。

 

 まあ、いつでも構わない。


 一報だけ入れておき、卒業証書をカバンにしまって学校を後にする。


『ボタン、一個は絶対に残しておきなよ』


 皆葉からの注意はやはり買い被りだったようだ。

 俺のボタンを欲しがる生徒が、いるわけないだろ。


 騒がしい声を背中で受け止めながら、逃げるように帰路につく。



「先輩っ」


 信号が青になった。歩き出す。


「え、あ、の、先輩! 先輩ってば、聞いてます!? ――坂上先輩っ!?」


「……? 俺を呼んでいたのか?」


 横断歩道を渡り切ってから振り向くと、見慣れない少女がいた。

 うちの制服姿だ。

 学校からだいぶ離れているが、ここまでわざわざ追ってきたのか?


 後ろポケットを確認するが、財布は入っている。

 忘れ物はないはずだ。


「なんの用だ?」


 去年から上履きのデザインが変わっているため、彼女が一年生であることが分かった。

 上履きのままここまできたことにも引っかかるが、そこは指摘しない。


 俺を追ってきた、理由をまず聞いておく。


「ご……」

「ご?」


「ご、ご卒業! おめでとうございます!!」


 風を切る音と共に彼女が勢いよく頭を下げた。


「お、おう……悪いな、わざわざ……」


「い、いえ! そ、それでですね……失礼かもと思いますが、その……」


「顔を上げていいぞ」


 九十度でも会話は成立するが、こっちが落ち着かない。

 しかも、往来の多い人通りだ。

 さっきから周りの視線が痛かった。


「で、なんだ」


「ぼ、」

「ぼ?」


「――ボタンを、一つ、くらさい!!」


 王様に献上するようなポーズで、両手を器にして、俺の前に差し出した。

 顔を真っ赤にさせているのは、甘噛みを自覚したからか?


「……俺ので、いいのか?」

「はい! 先輩のが欲しいんです!」


「転売したって値はつかないと思うぞ」

「そんなことしません! わたしの宝物にしちゃいます!!」


 お守りですっ、と笑顔で言われたら、無下にするのは心が痛む。

 どうせ余っているボタンだ……。

 皆葉に言われた一つのボタンも確保してある。

 渡してしまっても問題はないだろう。


「ほら」

「わぁ……!」


 ただのボタン一つでここまで喜ぶなら全て渡してしまいたくなるが、多ければいいってものでもないだろう。

 一つの方が価値が高い、そういう考え方もある。


「ありがとうございますっ!」

「ああ」


 ……いつも、ここで会話を一方的に切るから、無愛想と言われるのだろうか。


 少し考え、絞り出した会話は、まるで距離感の掴み方が分からない父親のようだった。


「学校は楽しいか?」

「はい! って、先輩、なんだかお父さんみたいです」


 くすっ、と笑われた。

 ……なんだ、ドラマや映画の中だけの話ではなく、実際にそう質問するのか。


 彼女の父親は、子供との距離感を掴めないでいるようだ。


「楽しいなら良かった。だが、来年からは皆葉がいない、学校全体を引っ張るような人気者がいなくなると生活風景ががらっと変わるだろう。……あいつほどのカリスマ性を持つ代わりがいればいいが……難しいだろうな。だから、あいつに囚われるなよ」


 下の事情を知らない俺が言うのもおかしな話だが。


「俺たちの代の真似をするな。お前たちのやり方で盛り上げればいい」


 少女は目を何度か瞬かせてから、


「――はいっ!」


 信号が青に切り替わったところで、後輩が学校へ戻っていく。

 彼女も途中で上履きのままだったことに気付いていたらしい。


 恥ずかしがるのも無理はない、か……。

 結局、赤かった顔は最後まで元に戻らなかった。


 彼女の背を見送って、歩き始めたところでまた、

「先輩っ」と呼び止められた。


 道路を挟んで、彼女が叫ぶ。


「大学で、待っててくださーいっ!」

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