第24話 学生時代

(幕間)


 彼女を失って初めての休日。


 黙っていても誰かが喋ってくれている状況に慣れてしまっていたのか、

 テレビを点けずとも聞こえてくる外音では、物足りなさを感じた。


 ソファに腰を落ち着け、朝食すら食べずに、時間は既に昼食を過ぎていた。

 出ていった二人は未だ戻らず、連絡も取れていない。


 ――そんな折りに、チャイムが鳴った。


 二度、三度と鳴り、諦める気のない訪問者にこちらが先に折れ、重い腰を上げる。


 訪問者に名を訊ねる前に扉を開けたのは、彼の気が抜けていたからだろう。


 不用意な行動に気付くも遅く、

 僅かに開いた扉の隙間から指が滑り込み、

 そのまま力づくでこじ開けられる。


 警戒心と共に全身からほんのりと毒が漏れ出すが、意識して止める。


 ……何度、失敗を繰り返せば気が済むんだ。


 そう胸中で戒めている内に、訪問者がずけずけと敷地内へ踏み込んできていた。


「酷い顔してるね、上岡」

「……、春眞様……?」


 想像もしていなかった顔がそこにあった。


「休みの日に会うのは初めて? だよね。上がっちゃうけどいいよねー?」


 事後承諾どころか承諾を得ずに、彼女が靴を脱ぎ散らかしてすれ違う。


 仕事の癖で、横倒しになった靴を綺麗に並べたところで、はっとして背後を振り向く。

 リビングに戻るとまるで自分の家のようにソファでくつろぐ彼女の姿があった。


「……なんの用ですか。私は、今日は休みのはずですが……」


「休みの日に上岡に会いにきたらダメなの? 仕事だけの関係? ショックだなー、長い付き合いなんだし、ちょっとくらい休日返上して遊びに付き合ってくれてもいいじゃん」


 テレビのリモコンでチャンネルを回す彼女の目的が見えない。

 ……いや、見えていないわけがないだろう、と自答する。


 坂上雛緒の死が、彼女を動かした。


「心配をしてくれているのなら、ありがたいですが……私よりも辰馬を気にかけてやってくれませんか? 辰馬が一番、彼女を信頼していましたから」


「誰を心配して慰めるかは、あたしが決めるよ。だから上岡のところにきたんだよね」


 チャンネルを回して気に入った番組がなかったのか、彼女がテレビの電源を消した。

 一瞬、賑やかに感じた音が消えて、静かな外音だけが場を支配している。


 そのため、会話が際立った。


「全部……知ってるんだよ」


 彼女は。

 糸上春眞は、場が重たくならないようにいつもの雰囲気を崩さずに言った。


「上岡が坂上くんのお父さんだって」


 彼女のその目は、さらに奥を見透かしていた。



「――あと、殺人鬼で、能力者だって」



 ゆっくりと、目を閉じる。

 知られてしまった……だが、遅かれ早かれ、こうなるだろうとは思っていた。


 思ったよりも、長い時間、人並みの幸せを得られたことに感謝をするべきだ。


 政府に、か……?

 違う……こんな殺人鬼に付き合ってくれた、春眞に、だ。


 そして、辰馬と誠也…………、


 それに、鳴門なると雛緒ひなおにも。


「……そうですか」


 なら、尚更、この家に訪ねてくるのは間違っているだろう。


 多少、強い言葉を使ってでも突き放すべきだ。

 だが、彼は一声も出せずに、彼女の告白に度肝を抜かれることになる。


「実はね、あたしも能力者なんだっ」


 だから。


「上岡を、助けられるんだよ?」




(坂上臣 16歳)


「……余り者同士で組むか……」

「そ、そうだね……」


 高校に上がって一ヶ月が経ち、こんな奴がいたのかと遅ればせながら認識した。


 不登校だったわけではなく、毎日通っていたらしいが……、

 どうやら俺の視界に入っていないだけだったようだ。


「僕も君のことはついさっき気が付いたよ……お互い、目立たないみたいだね」


 授業を終えて席から立ち上がる生徒が多く、見落としがちだが、そのまま座り続ける生徒だってもちろんいる。

 動かなければ、人の目には留まらない。

 話しかけなければ、人の記憶にだって残らないわけだ。


「休み時間中、ずっと勉強してるけど、今から大学受験の勉強でもしてるのかい?」


「そういうわけじゃない。これと言った目的があるわけじゃないが……。

 学校なんだ、勉強をしにきてるんだろ。それ以外になにをするって言うんだ」


「ほら……友達と、喋ったり……さ。人と繋がることも大事なんじゃないか?」

「俺と同じで、人付き合いをしていないお前がそれを言うのか」


 約束したわけじゃないんだ、しかし、体育の時間など、それに限らずとも二人組を作れという指示があった場合、俺たちは決まって残る。

 そのため、俺たちは毎回、二人で組むのが通例となっていた。


 お前、君、という呼び方で、互いの名前さえしばらくは知らなかった。

 互いに、名前に興味を持たなかったためだ。


 同じクラスメイトだが、まるで別のクラスの顔見知りのような感覚だった。

 糸上いとうえおさむという名前だと知ったのは、一学年の夏休みを終えた後のことだ。

 

 校外学習は二人一組ではない。

 男子グループと女子グループが混ざり合い、一つの班を作る。


 余りものは空いている枠に一人ずつ振り分けられると思ったが、先生が寛容なため人数に偏りが出ても問題視しなかった。

 つまり、本来なら四人必要な男子グループだが、俺と糸上の二名でも成り立ってしまった。


 女子グループは通常通りに四名だ。

 男女の比率が居心地の悪さを証明しているが、どうせ黙ってついていくだけだ。

 校外学習であり、遊びにいくわけじゃない。

 人数差があったところでするべきことが変わるわけではなかった。


 決まった班で集まり、校外学習で見学する場所の回り方を相談する。

 女子が盛り上がっている隅で、俺は息を潜めるように文庫本を開く。


 糸上も腕を枕に額を伏せて、寝る時間に決めたようだ。

 俺たちは特に喋るわけでもない。

 あくまでも余りもの。


 余った者同士だから、必要性があるから組む、というだけで、それ以上の関係ではない。


 話すこともない。

 無理をしてなにを話せばいいって言うのだ。


 そういう無駄な時間を作るくらいなら、やるべきことに充てる時間にするべきだ。


「二人はどう思う?」


 女子の一人がそう聞いてきた。

 会議の頭で、全て決めてもらっていい、そっちに素直に従うと言ったはずだが、俺たちに意見を求めてきた……これは、必要なことなのか?


「問題でもあったのか?」

「別に、ただの雑談だよ。同じ班になったんだ、つまらない顔をさせるのは班長として責務を全うしていないようで、気持ち悪いんだ。本なんか読んでないで参加しろ」


「つまらないように見えるのか?」


「見えるね、混ざりたいけど混ざれないと見た」

 と、人に指を向けてくる。


「……勝手に決めるな」


 後ろの女子三人は、いいよほっとこうよ、と俺の意思を汲んでくれているのだが、なぜか筆頭の女は俺たちを無視して話を進める、という効率化ができないらしい。


 俺たちの班が揉めているのが周囲にばれ始め、視線が集中してくる。

 今は小さい火種だが、これが燃え上がって大きく炎上したら厄介だ。

 後始末に苦戦するならこの場でこいつの思い通りに動いておく方が得、か。


 文庫本を閉じる。


「分かった、参加するから話せよ」

「じゃあそっちも。起きてるの知ってるから、早く集まって」


 糸上がびくんと肩を跳ねさせ、視線を逸らしながら顔を上げた。


「あ、の……寝てなかったわけじゃなくて、寝ようとしてて、でも寝れなかっただけで」

「ごちゃごちゃ言ってないで集まれってあたしは言ったぞ」


 睨みを利かせたわけではなくただの強い口調に対し、

 糸上が「はい!」と返事をした。


 椅子を持っておそるおそる近づいてくる。


「あたしと同じ班になって、楽しくない校外学習にはさせないからな」

「学習だって言ってんだ、楽しくなくてもいいだろ」


「楽しいに越したことないだろ? 一日使ってつまらなかった、じゃあ、損した気分になるって思わないか?」

「別に。楽しい、つまらないの話じゃない。学習できたかどうかだろ」


 勉強は別に楽しくない。

 でもしなければならない。


 毎日学校でやっていることだ、

 学んで、力がついたなら、つまらなくても満足感はある。


「あー、なるほどな。そりゃあんた、友達がいないわけだ」

「…………なんだと?」


 引け目を感じていたわけではないが、実際に言われたことで苛立ちが生まれた。


「人付き合いが苦手というよりさ、みんながあんたを苦手としてるっぽいね。

 今、話してみて分かったよ。確かにこれは、とっつきづらいわ」


 呆れたように肩をすくめた。

 この女の一挙一動が、いちいち勘に障る。


「それに比べれば、こっちは可愛いもんだ」

「――え」


 糸上を引き寄せて肩を組む。

 大胆な行動に周りの女子も驚いて言葉を失っていた。


 遅れて、

「ちょっと日和ひよりっ、やり過ぎ!」

 と注意されていたが、どこ吹く風だ。


「彼は仲良くなりたいけど一歩踏み出せないタイプらしいね。

 あんたと違って荒療治であたし色に染めてあげれば、簡単に友達が増えていくよ」


「えっ、え……え!?」


 未だ戸惑う糸上のおかげで、俺は冷静さを取り戻せた。


「友達が欲しいと、俺が言ったか? ……必要ないと言うつもりはないが、手を伸ばしてまで欲しいとは思わないぞ。人生において有意義な時間を共有できる友達なら……、いてもいいさ。だけどな、同じ時間を過ごして有意義でない時間が多い関係になったら、意味がない」


 だから俺は一人なんだ。


 一人でいようと思ったわけじゃない。

 無駄を省いていったら一人になっただけだ。


 ……一人は慣れてるからな。


「だから、有意義な時間にあたしがするって言ってんだ」


 糸上にヘッドロックをかましたまま、

 片方の腕が伸び、俺の胸倉を掴んで引っ張った。


「――なっ!?」


 近づくことで、髪に隠れていたイヤリングや、鼻につく香水の匂いに意識が向く。


「あーあ、またやったよ……」

 という取り巻きの女子の声が薄らと聞こえてきた。


「この校外学習で、あんたら二人に友達を作らせる。――あたしのやり方で、だ」


 放っておいてくれ、と言ってもこいつは聞く耳を持たないだろう。

 逃げるよりも、友達を作ってしまった方が労力はかからない。


 だから俺も、珍しく積極的に行動できたのだろう……、

 まんまとあいつの策にはまったわけだ。


 校外学習を終えて、俺たちは連絡先を交換していた。

 他の女子までは巻き込まない、彼女なりのルールがあったのか、

 連絡先を交換したのは俺と、糸上と、皆葉かいばの三人だ。


 どうせすぐ消える関係だ。

 そう思い、頭文字だけを登録する。


 だが、しばらくして不便に思い、二人の名前を登録し直した。


 よく使う連絡先に登録しているとは、過去の俺は思いもしなかっただろう。

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